非暴力平和隊・日本

非暴力平和隊実現可能性の研究【第1章 第2節(2)】

1.2.2 介入と国際法

国際法、特に第二次世界大戦後に発展して来た国際法として、国連憲章ならびにその 後に起草され批准された各種条約の中で成文化されている国際法は、主として国家間の関係に関わっている。紛争介入に関する文脈の中で重要なことは、すべての国家の主権をなおも是認する原理であり、その結果として他国の内政には介入しないというルール(国連憲章第1章、第2/7条)である。 国際関係の中で、ある国家を正当な人格であると考えて、1個の関係者として見ることは、国際関係の昔からの伝統であり、しばしば16世紀のジーン・ボーディンとアルベリコ・ジェンティリにまで遡り、「30年戦争」(訳注:1618年〜1648年)を終わらせたウェストファリア講和条約の時代から慣行の中に入れられている。 第二次世界大戦後の時代に対する新しい国際法は、戦争の全面的禁止(国連憲章第1章、第2/4条)、ならびに、紛争解決のための平和な手順の規定(国連憲章 第6章)である。 この禁止には、広く受け入れられている次の2項目の例外がある。

  • 武力攻撃に対する自衛は、国連が措置を講ずるまでの間は許容されていると見なされる(国連憲章第51条)
  • 国際平和あるいは国際的安全保障に対する脅威が存在するならば、国連安全保障理事会は、武力行使を含め「必要とされるあらゆる手段」の行使を決定することができる(国連憲章第7章、特に第39条と第42条)。国連安全保障理事会は、その決定の履行を、1994年のルワンダの事例でやったようにいくつかの加盟国(フランスおよびアメリカ)に、あるいは (1992-5年のボスニアや1999年のユーゴスラビアでのNATOのような) 軍事同盟に、委任することができる(第48条)。もしくは(1993年のソマリアのように)国連主導の派遣団により実施された決定を受け入れることができる。

国連が、関与している加盟国の意志に反する決定を強制する、さらに国際法違反を追求する、という可能性は限定されている。 もし外交交渉が失敗したならば、安全保障理事会の常任理事国5カ国が同意するならば、その手段は、制裁、介入作戦(通常は強力な軍隊)の開始である。そして将来的にうまく行けば、ユーゴスラビアとルワンダでの二つの戦争犯罪裁判所をモデルとして計画されている戦争犯罪法廷なのだが、これはまだ必要な数の国の批准を得ていない。国連は自前の警察を持っていないので、戦争犯罪人を逮捕するのが民事警察であれ、紛争に介入する軍隊であれ、その手段の提供を加盟国に依存している。
1989年のワルシャワ条約体制崩壊後、それまで凍結していた国際関係の中に新しい力学が入って来た。 国際法と国際政治のいわゆる現実主義派と呼ばれる一派(国家の主権こそ国際平和の最善の保証である、と強調する)は、国連の専制的武力による世界統治を目指す理想主義派と呼ばれる一派に敗北した。 国連安全保障理事会のいくつかの決定、特に1991年5月4日からの北部イラクに関する決議687と688およびソマリア に関する1992年3月12日からの決議 794は、国連が明らかに不干渉ルールを乗り越えようとしている例であると考えられる。一般的に目新しいのは、最近では冷戦の時代よりは安全保障理事会での拒否権行使が控えめになっていることにより、1989年以前には通常やることができなかったやり方で、1989以降国連が内戦に関与するようになって来たことである。最近の決議(1296/2000)の中で、安全保障理事会は、武力紛争において民間人を標的とすること、および戦争によって影響を受けている民間人に対する人道主義に基づく立ち入りを拒否することは、国際的平和と安全保障に対する威嚇であり、 安全保障活動理事会Security Action Councilに対する引き金となり得ることを確立した。

この 文脈の中でもう一つの重要な展開は、多くの問題、特に環境的な問題は、地球規模でのみ解決できるという認識が広がっていることである。リオや北京での国際会議において、あるいはそれらに関連して作られた国際環境保護法およびこの分野や他の分野での国際合意の形成は、責任のあるグローバリゼィションを求める前進的な兆候であると、時には見られている。

しかしながら、国際法の支配を強めようとするこの風潮は、国連とその安全保障理事会が、ともかくも国際的な平和への脅威を立証できる唯一の機関であるとして重視することに対する反対運動に直面しているように思われる。1999年4月24日に採択された新しいNATO同盟の戦略構想は、それほどあからさまではないけれども、「最近の現実的な変化を統合し、保持する中で、あるいは現在の、そして、今後の安全保障への挑戦に対処する中で、不可欠な役割」を果たさなければならないと主張しながら、もし可能であれば国連安全保障理事会とともに、そして、もし必要とあれば国連安全保障理事会とは無関係に、行動できるようにNATOに要求しているものと解釈することもできる。国連からの委譲がなかった1999年冬から春にかけてのユーゴスラビアへのNATOの攻撃は、いわゆる「新世界秩序」と呼ばれるものの最初の例であり、何人かのオブザーバーは、強力な国家が戦争を始める時に自分たちで決めていた国際連盟条約以前への逆戻りである、と見なした行動である。

紛争介入に対する重要な国際法の二つ目の重要な側面は、「世界人権宣言」そしてさらに「経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約」および「市民的および政治的権利に関する国際規約」(両方とも1966年から)、ならびにその後の諸宣言の中で公式化されたような、人権の定義である。これまで考えられて来た規則とは違って、人権は、個人が自分たち自身の国家に対抗する権利である。上述の規約の前文の中には、すべての個人が権利を持っているばかりでなく、人権の推進を確実にする責任も持っていることを明確に謳っている。 この権利と責任は、その個人自身の国内での活動だけに限定されるものではない。人権を守るためにどこにでも介入するというある種の権利は、この責任から導き出されたものであろう。もちろん、この解釈はこれまで世界のほとんどの政府に受け入れられるものではなかったし、この解釈を法的に主張する途もまだない。実際的な状況において、国外で人権問題にかかわっている人権活動家たちは、彼らが活動している国の法律による保護に加えて、国際的な圧力を喚起する手段を持っていることならびに自分たちの国の大使館からの支援に依存している。1998年に国連の 人権問題理事会は、人権擁護者の保護に関する宣言の草稿を提出した。その草稿は一国の、あるいは国際的な枠組みにおける人権の保護ならびにその実現のために、いかなる個人も単独で、あるいは他と共同して活動する権利を主張している。もしこの宣言が通過して批准されたならば、国際的な活動に関して個人とNGOに対しかなりやりやすい立場をもたらすことであろう。

第三の要素として、国際人道法は、戦争中の非戦闘員の保護の基準となるものとして挙げられる必要がある。国際赤十字委員会(ICRC)および赤新月協会の活動は、ここで特に言及する価値がある。何故ならば、ICRCは戦争地帯において活動する権利についてはNGOよりも公式な組織としてなぞらえられる地位を持っているからである。

要するに、紛争当事者のすべて、または片側の意志に反して、国家あるいは国際的政府組織によって実行されるいかなる紛争介入も、国連憲章によって厳しく制限されている。国連安全保障理事会の決定の執行は、国際的な平和と安全保障が脅威にさらされている場合に限って認められる。これは、いくつかの解釈に対して最近明らかにされたルールである。この条項は、非武装の介入団体に対しても、軍隊に対しても等しく有効である。

これらの条項は、NGO介入には有効ではない。国際法を破ることなく、いつでも望む時に介入して差し支えない。一方、NGOは本質的に国際法によって保護されていないので、彼らが活動しようとする国の政府が受け入れるかどうかにかかっている。

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