非暴力平和隊・日本

非暴力平和隊実現可能性の研究【第2章 第1節】

第2章 介入における戦略、戦術、および活動

クリスティーネ・シュバイツアー

2.1 はじめに

以下の章は、成功している方式の非暴力介入あるいは民間人介入を説明し、明らかにすることを目的としている。活動の全体範囲は第1章で簡単に説明してあるので、ここでは私たちは、活動家のいくつかの形式に集中した。

1. 平和チームと市民平和活動。
ここでは、非暴力平和隊に対する先行例として、いくつかの非政府団体を調べた。 これらの選択されたやり方は、短期的な訪問や行進またはデモンストレーションよりもさらにかかわりの深いやり方で、紛争と不安定な状況の中にチームを派遣することによる第三者の非暴力介入である。これらのチームを派遣している団体は、紛争の中で危険にさらされている人々とともに、主義に基いた勇気あるプレゼンスを継続していることによって名声を築き上げた。 彼らは、さらに自分たち自身の活動を分析しており、その結果によって、私たちは非暴力介入について理解を深めることができた。

ここに含まれているのは、「バルカン・ピース・チーム(BPT)」、「クリスチャン・ピースメーカーズ・チーム」、「国際平和旅団(PBI)」、「SIPAZ」、「オシエク(Osijek)平和チーム」および「平和のための証人(WfP)」である。(訳注Osijekはクロアチア東部のSlavonia地方の都市)

この他のプロジェクトは、まだ職員を現地に派遣してはいなかったり、派遣を計画するまでに至っていないので、 「ヨーロッパ市民平和活動」に対する例としては、「ドイツ市民平和活動」、「オーストリア市民平和活動」、「イタリア市民平和活動」例がある。何人かの中心的オルグとのインタビュー によって、「市民平和活動 (CPS)」団体からの刊行物から得られるデータを補足することができた。

2. 開発援助団体と人道援助団体。
そのような団体の数人の代表者とのインタビューにより、刊行物から得られたデータを補足することができた。

3. 民間人の政府派遣団体。
ここには、より大規模ないろいろな種類の5つの実例がある。1994年と1995年の南アフリカにおけるいろいろなNGO(そのうち一つは国連) の選挙監視派遣団、1997年以来ブーゲンビルに駐在している平和監視グループ、1998/99年のコソボ におけるOSCE派遣団、およびエルサルバドルと東ティモールでの国連派遣団である。これと以下のサブチャプターに関する情報は、主にそれらの派遣団からの刊行物から得られたが、それらの派遣団からの他のリポートによって補足された。それらのリポートはインターネット上で利用できるようになる傾向がある。

4. 軍隊に基盤をおく介入については、どこかで説明したように、二つの見方が考えられている。
まず最初に、これらの派遣団から学んだ非武装の派遣団について真実であり続けるであろう教訓がある。そして、第二は. それらの機能を民間人の活動に置き換えるという問題(これはNPが明言した目標の1つ)である。 後者の問題は追加的サブチャプター、2.6で扱われる。

これらの例すべてについて、私たちは、それらの特質と目標、それらの活動、その結果、および影響を調べて、それぞれのタイプの成功している複雑なプロジェクト、あるいはそれぞれの種類の派遣団に対する条件を学習した教訓として定式化しようとした。

いろいろな例と先例を調べた後に、私たちはあと二つの問題に取り組んだ。第6節は、非暴力の大規模な介入がどんな状況の下に軍事介入に置き換わることができるのか、という問題を問いただし、第7節ではどんな時に非暴力は失敗したか、という問題を取り扱った。

そしてこの章を締めくくるに当たり、私たちはGNPFのためにそれ以上の一般的な教訓をいくつか定式化しようと試みた。

本章は次の3人の人々の協力の成果である。

  • 平和チームの経験を深く徹底的に調べたドナ・ハワード
  • 非暴力が機能しなかった事例を取り扱ったカール・スティーレン
  • クリスティーネ・シュバイツアーは、他のさまざまな事例について研究し、第2章ではドナ・ハワードと協力して「市民平和活動」を調べた。

△非暴力平和隊実現可能性の研究・2.1 はじめに/TOPへもどる