非暴力平和隊・日本

非暴力平和隊実現可能性の研究【第2章 第2節(4)】

第2章 介入における戦略、戦術、および活動

ドナ・ハワード、クリスティーネ・シュバイツアー

2.2 平和チームと「市民平和活動」

2.2.4 非暴力平和隊に対する成果

1. 平和維持戦術:
いろいろな平和チームや市民平和活動団体の実例は、プレゼンスや割込みばかりでなく同行のいろいろなバラエティーを含め、かなり幅の広い平和維持戦術を示している。 NPのために学んだレッスンは、いろいろな取り組み方がある、ということ、そして、紛争の状況と目標によって、いろいろな戦術が選ばれるであろう、ということかもしれない。

  • 国際的な強いネットワークを背後に持っている非武装のボディガードとして活動することにより、地元の活動家を保護することに焦点をおいており、国際的な圧力という脅しからその威力を得ているプロジェクトがある。(抑止策としての同行、例としてはPBI)。
  • 次に、もっと大人数のグループや部族 (たとえば少数民族)さえも保護することに焦点をおいているプロジェクトがある。 ここでは同行は、何人かの国際人が、そのようなグループと一緒にプレゼンスする(たとえば、帰還する難民に同行する)、あるいは危険な任務を帯びている個人に同行する (たとえば、グアテマラでの裁判に行くバナナ労働者に同行するWfP、あるいはクロアチア当局に書類申請に行くセルビア民族と一緒に行く、BPTやパックス・クリスティのボランティア) 、という形式をとるかもしれない。
  • 三番目には、本来現場で紛争当事者の一方の側に立つのではなく、介入するぞ、と脅す第三勢力としての抑止を目指すプロジェクト (ガルフ・ピース・チームやニカラグアでのWfP) が続いている。ここで、この抑止は、国際的な圧力を心配するという結果ではなく、国内での圧力を心配することである(多くの国々で、附帯的損害として本国の市民を殺すことは、有権者にとって良くは受け取られない)。
  • 戦争を止めるために割り込む。今までのところ試みられたプロジェクトは、どちらかと言えばすべて自発的な小規模なものであり、その目的を果たせなかった。私たちは他の種類の派遣団を調べた後で、本章の結論(2.8)の中で、それが、プロジェクトのサイズ(小さ過ぎる)や兵站の不足、あるいは不十分な紛争分析、に起因するのがどの程度か、という問題に戻るつもりである。自発的なプロジェクトとは対照的に、平和チームや「市民平和活動」は通常、戦争を止めることには関わっていない (いくつかのグループは、そのような目標に対して始めたかもしれないが)。

2. これらのすべての戦術が成功するかどうかは、経済的に独立しておらず、圧力について心配する犯行者次第である。同行は普遍的に機能する戦術ではない…それが成功する可能性があるのかどうか、を決めるために慎重な紛争分析が必要である。

3. 調査した中に、地元のチームと国際的なチームの混合チームの例が一例ある(オシエク・ピース・チーム)(コロンビアのPBIにも、地元のボランティアがいた)。 それは、指令が単なる平和維持の課題を乗り越えている例である。 これらのチームにおける、国際人たちの機能は、外側の世界へのつながりを用意することであり、時には地元当局に対する政治的な影響力を強め、また時には、プロジェクトのために役立つ特殊技能をもたらすこと(オシエク・ピース・チームの場合のニュースレター編集のように)である。 今までのところ結論の出ない問題は、混合チームが平和維持を主要な目標とするプロジェクトでも機能するのかどうかという問題である。 PBIチームの歴史におけるいくつかの事件は、北側の(白人) ボランティアが、自分たちを安全にするばかりでなく、ラテンアメリカのチーム仲間も同じように保護することができることを示した。その一方で、保護には多くの根源があるのであって、北半球の強力な国から来た外国人であることはその一つに過ぎない、と指摘されている。たとえば、インドのシャンティ・セーナ(平和隊)は、地元の活動家による平和維持が可能であるばかりではなく、非常に効果的かもしれない、ということを立証した。私たちはサンプルの中で、南半球のあまりに強力ではない国から来た国際的参加者をまじえた地元/国際の混合チームについては不十分な情報しか見つけられなかった。

4. NPが引き受けることを決定するかもしれないすべての想像可能な活動 … 同行であれ、プレゼンスであれ、観察と監視であれ、割込みであれ、あるいは平和構築の課題であれ … は、双方の(あるいはすべての)紛争当事者および国際社会の両方とのコミュニケーションの強さによって、有効で、安全になるだろう。 この戦略の方向は、チームが現地に入る前に用意されていなければならない。

5. 大部分の平和チームは、すべてではないだろうが、地方のレベル、あるいは、地区のレベルにおける紛争解決に従事して来た。このことは、そのような活動に従事する準備として、交渉/仲介の技能が重要であることを意味している。

6. 平和構築:
この調査は、いろいろな取り組み方と視点の実に多様なイメージを示して来た。

  • いくつかの平和チームと大部分の「市民平和活動(CPS)」は、主な目標として平和構築を掲げている。
  • そのいくつかは、発展と救援の活動が難局への参加をもたらし、介入者への信頼性を高めている、と主張している。
  • これとは対照的に、救援と発展の活動は、平和構築とは分離しているべきである、という主張がある。 この見方は、研究した五つの平和チームのうち 4チームに堅持されている。その理由として挙げているのは、a)チームの時間をあまりにも取り過ぎる、b)他の多くの団体によってなされている、c)暴力を直接的に少なくはしない、あるいは「権力側」に異議申し立てをしない、そして d)西側の部外者は、地元の人々が進歩するためになすべきことについて、部外者の考え方でその地域に侵入する、という植民地主義の一形式である、というものである。
  • 非暴力のトレーニング、ワークショップと公開のイベントの設立、市民社会を作り上げる活動など、その他の平和構築の課題は、ほとんどの団体 … PBIのように平和維持に焦点を当てている団体でさえも …によって企画されている。

7. これらの所見によれば、主に平和構築に取り組むのか、平和維持に取り組むのか、あるいはその両方の戦略を結合するか、という決定は、計画段階でなされるべき政策決定であると思われる。そして、その決定は、要望、紛争分析、団体としての関心とノウハウ(任務)次第である。

8. すべての例が、プロジェクトにとってはっきりした目標と戦略を明確にすることがいかに重要であるかを示している。

9. もう一つの難しい問題は「政治的に立場を取らないこと」という問題である。 すべての平和チーム団体が、その特性において、またその主張において「政治的な立場を取らない」わけではない。 クリスチャン・ピースメーカーズ・チームのようないくつかの団体は明らかに違っていて、強い共通のきずな(すなわち、セント・ヘリーンの敬虔なカトリック教徒およびヘブロンの敬虔なイスラム教徒とユダヤ教徒との間の対話を助ける宗教的基盤)を持つことが、彼らの活動のための主要な支援であることがわかる。

他のいくつかの事例で、「政治的に立場を取らない」という主張は、より独立した視点からその団体の活動を観察することによって確認することができるかどうか、という問題は、なおも討論中である。特にこの問題は、たとえそれが(PBIのような)団体の主要な活動であるとしても、地元の活動家に対する同行について繰り返しくりかえし持ち出された。いかなるパートナーも、そのプロジェクトを認知されている紛争の一方もしくは他方の立場に立たせることになるだろう、という理由により、地元のパートナーを持つことという要求を無視する、といういくつかのCPSプロジェクトの決定は、地元のパートナーを一つ持つことと「政治的に立場を取らないこと」の間には潜在的な緊張状態があることを示している。一つの解決策は、紛争の両側(あるいはすべて)で、非暴力介入を歓迎する地元のパートナーを選ぶことかもしれない。

10. CPS団体の多くが、自国の政府からの支持を求めて来た、そして、すべてが国家からのある種の承認を求めている。 したがって、そこにはNPに直接関連するかもしれない学習経験とレッスンがある、特に、国家の支持を求めてどのようにロビィ活動をするかが、プロジェクトの形態と内容に影響を及ぼすという経験がある。ドイツとオランダのCPS-プロジェクトが当初は非常に違うように見えたが、その後は現在のようになっている両国でこれを観察することができる。

△非暴力平和隊実現可能性の研究・2.2.4 非暴力平和隊に対する成果/TOPへもどる