非暴力平和隊・日本

非暴力平和隊実現可能性の研究【第2章 第4節(5)】

第2章 介入における戦略、戦術、および活動

クリスティーネ・シュバイツアー

2.4 大規模な民間ミッション

2.4.5 より大規模の市民ミッションの成功と非暴力平和隊のための条件

  • これらのミッションの成功は一つの条件に懸かっているように見える。それは紛争の両陣営が、国際的な支援を支えとして、又最低限の社会的信用(エルサルバドルにおける如く)を維持する中で、真に平和を希求していると言うことである。この条件が存在する時のみに市民調停者は使用可能な動機付けと脅しを使うことが出来る。南アにおいては、過度の暴力の場合に国際社会への報告と制裁がが可能であった。ブーゲンビルでの状況について、一人のMission指導者曰く、“保安態勢が悪化すれば貢献国政府はその要員を引き上げるかもしれないことをブーゲンビルの指導者たちは承知していると、私は何時でも確信していた“と。このような要素の欠如がKMVと東チモールにおけるUNAMET の失敗の一要因であったのではと議論されてきた。
  • ミッションが安全確保を現地の人に頼らなければならない場合、その性格は変わってくる。全ての市民ミッションはある程度その保護を頼らざるを得ない。従って、良い接点を確立し、信頼と許容を勝ちうることが大事であった。人を離間させて置かないで、市民平和維持者は、少なくとも自らを関係者間の繋ぎとして、人々を結びつけなければならないようである。“平和監視者の安全確保のためにブーゲンビルの人に頼ることが、ブーゲンビルの平和は自分たちの責任であるとの認識を強くする。万一、PMGの安全が危険に晒されるなら平和へのプロセスが躓くと言う危険が本当にあると言うことを彼らは十分承知している。このことはブーゲンビルの人が困難な環境の中でパトロールを助けた折にしばしば強調された”。武装しないでブーゲンビルに出かけると言う決定はその時は相当の不安をだが、その決定は正しい。もし武装していたとしたら、異なる結果を生んでいたであろうと思われるような機会に少なくとも二度は遭遇した“。
    KVMの場合、非武装ミッションの性格に関する理解が欠如していたように思える。Missionの代表であるWalkerは彼の同僚の上記の言及とは対照的にこのように言っている。“それは危険な地域だ。非常に危ない。そこに行く人たち、合意により武装せずに行く人たち―我々の連中は全て非武装であるが−は非常に危険な状況を作り出していると言いたいのだ。それから、今日と言う直近の新聞が言及しているように、コソボで大型の兵器と言わぬまでも何らかの腰に下げる武器すらも携帯していないのは我々だけだ。だから、そのことが武器を持つ連中から我々を何とか守ってくれると期待しているのだ。”
  • 平和戦略の結合:市民平和維持は常に平和構築の一構成要素をも意味するようである。それは枠組みを構築し、平和へのプロセスを前進させる(エルサルバドル、ブーゲンビル、南ア)為のより高いレベルのものと、現場/地域的乃至セクター的な事件の場合に交渉するための立場の両面がある。そのような活動のいくつもの例がこれまでに引用されてきた。両者はおそらく同じ人たちによって実行されないかも知れぬが、平行して行われなければならない。平和構築活動に関しては、置かれた状況の中で彼らの権限と全般的な枠組み(パートナー組織のような)により程度の差こそあれ、ミッションがそれらの活動に携わっていたようである。明らかに信頼と許容を勝ちうる為に行われる為に行われる活動もあれば、権限の一部(帰還避難民支援と言う脈絡の中での復興作業のような)としての活動もあった。
  • 現地の背景に関する予備知識とコミュニティーの中でのベースを構築:南ア選挙監視に関するスェーデンの評価とKwaZulu/Natalでのその後のミッションに関するSchmidtの評価は何れもこの点、即ち、南アにおける国連監視官と同等の能力、を強調している。但し監視官は中央本部から送られそれらの処理は現地協会に任せた為に、幾つかのコミュニティーでの拠りどころが不十分であったためにその効果は損なわれた。全ての陣営と良質の接触を確立することはエルサルバドルにおけるONUSALの成功の重要な要素であったと言われてきたが、ブーゲンビルのTMG/PMGはこの点に十分な配慮をしなかったとMissionの参加者から批判されてきた。
  • 非パルチザンまたは不偏不党: 苦労したミッションもあったが、市民ミッションにとってこの位置づけを確立することは重要なことであった。特に南アNGOミッションは、少なくとも当初にはANCに近いと見られており、そのイメージの払拭は概ね出来たが、完全と言う訳には行かなかった。
    もう一つの問題は政治的暴力の原因調査を彼らの公平なオブザーバーないし調停者としてのイメージと結びつけるけることであった。この緊張状態はKVMに見られた。ブーゲンビルでは、平和維持ミッションの中で戦争の一方の陣営と関わりを持っていたオーストラリアが参加するときに問題が起こった。尤も、彼らを地域の勢力として無視できず、その為平和プロセスの中で利害関係者の一員に含められなければならなかったので、彼らのリーダーシップはやがて受け入れられるようになったのではあるが。
  • 監視員の滞在期間:単純な監視活動はチームの滞在が2−3週間でも可能かも知れぬが、EMPSAとNIMに対するスェーデンの貢献を評価した人の出した結論は、より広範な指令遂行のためには少なくとも6ヶ月の滞在が必要と言うものであった。これはまたその他ほとんどのミッションにおける査察員の平均的滞在期間であった。
  • 平和軍の構成に関して、事例からいくつかの側面に光を当てられる。
    • 言語:南アで、Ecumenical Peacemakers Programmeの中で、1対5の比率で少数の国際関係者が多数の現地人と(国際関係者3人、現地人15人)と一緒に働いた。海外からの参加者からの報告は、国際関係者は殆んど誰とでも英語で話せたが、母国語で話している現地チームのメンバーは不可欠であった、と強調している。
    • 文化的共感:NIMと働く海外からの監視員たちは、全ての白人が人種差別をする訳ではなく、アパルトヘイトに反対する戦いを避けている訳ではないと言うことを知らせることが大切であると感じた。一方、NIMとそのオブザ−ヴァーたちの白人一般としての性格は南アではその他の人たちからは否定的に見られていた。フィジィとVanuatsuからの人を入れることは実用的のみならず象徴的(Melanesia人)にも非常に大切であった。と言うのはこれらの国出身の人たちとは類似の文化的なバックグラウンドを共有していたからである。人々は又、彼らが特別の親近感を抱いていたオーストラリアのアボリジニの女性には非常に積極的に反応していた。
    • 性:ブーゲンビルでは、その社会(ほとんどが女系氏族)で女性の果たす重要な役割を認知すると言う意味でMissionパトロール毎に一人の女性が含まれていた。男性は女性に効果的な繋がりを持ち得なっかであろうから。他のミッションにも女性が含まれていたことは確かなのに、このような側面はそれらミッションからのレポートで言及されることは無かった。彼女たちの接触相手は男性の同僚のそれとは異なるであろうと推定される。
  • 組織と開発:インフラと装備が手に入るかどうかは、平和監視員たちが南アにおけるNIMとコソボにおけるKVMに対して格別の経験をしたところである。ミッションの組織が俄仕立てだといつでも結果的に立ち上がりがのろのろとした反応に終わった。多分更に重要なのは十分な人数の監視員の素早い展開であろう。上記の如く、特に人員不足はKVMに深刻な人事問題をきたした。彼らの撤退時に、彼らが有していたのはわずかに目標能力の65%だけであった。全地域をカバー出来なかったと言うことが彼らの結果的な失敗の要因の一つであったと言われてきた。

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