非暴力平和隊・日本

非暴力平和隊・日本ニューズレター第4号(2004年9月)

【目次】
巻頭言 大畑 豊
国際理事会報告(1) 君島 東彦
運営委員会報告 大橋祐治
スリランカ通信 大島みどり
スリランカ訪問記 勝田 淳
会津若松集会報告 中里見博
メンバー団体紹介 ピースボート、日本山妙法寺
連続講座報告
事務局便り

巻頭言

この夏、スリランカとインドに行ってきた。スリランカでは非暴力平和隊で派遣されている大島みどりの活動地マータラを訪ね、インドでは、デリーにある日本山妙法寺と、ブッタガヤにあるサマンバヤ・アシュラムを訪れました。

百聞は一見にしかず

コロンボからバスに乗りマータラのバスターミナルに着くと、すでに大島さんが迎えに来てくれていた。暗い中、大島さんの表情は読み取れなかったが、すぐに宿舎に移動し、少し明るいところで見た大島さんの表情は明るかった。メール等で読んでいると相当披露困憊してるかな、と思っていたので一安心した。

翌朝、NPマータラ事務所に行った。彼女のスリランカ通信(8)などに表現されているとおりと言えばそれまでだが、目の前にしてみると「なるほど、これか」という感じだった。住宅街にあるなんの変哲もない一軒家の2階で、私もその前を何回か行き過ぎたあとにやっと見つけた。事務所兼宿舎に入ると、ガランとしたスペースが広がり、彼女の通信に時々、なにもしてない、という表現がありますが、それを感じさせるような雰囲気?が漂っていた。もちろん、なにもしてないわけではないが、あんまり「じむしょー」ということを感じさせない。たぶん備品が少ないからだろう。

すでに活動が軌道に乗っているわけではなく、これから立ち上げていく過程での困難、ジレンマは多々あること。しかもNPの他の活動先に比べ、目に見えた紛争があるわけではないので、その困難さは想像に難くない。

NPコロンボ事務所のノックスやジャンらにも会ったが、ちょうど彼らが海外ドナー(助成)団体と会ったあとだった。まだまだ無名に近いこの国際NGO、活動をより多くの人々に知ってもらうこと、理解してもらうことが活動の成否の大きなポイントともなる。

サマンバヤ・アシュラムを訪ねて

サマンバヤ・アシュラムは直訳すれば「調和のための修養道場・共同体」を意味し、科学と精神の調和を目指すことを目的として、ガンジーの高弟ビノバ・バーベによって1954年に設立された。その設立以来、ビノバの弟子ドワルコ・スンドラニさん(83歳)によって運営されている。(参考:サマンバヤの会

ビノバは日本ではあまり知られていないが、ガンジーに「私の精神的後継者は彼しかいない」とまで言わしめた人物。彼の行なった、土地なき人々に土地を与えるブータン運動(土地寄進運動)は特に有名で、彼は人々に土地寄進を訴えるために14年間インド中をくまなく歩き回った。

サマンバヤ・アシュラムはビハール州ガヤ市にあり、そこのブッダガヤと言えば、お釈迦様が悟りを開かれた土地として皆さんもご存知のことと思う。

ドワルコさんは、長い歴史の中で虐げられてきたアウトカーストの人々には、単に土地が与えられただけで自立できるものではないと考え、教育から始めることが大切であり、子どもの教育こそが未来のインドの開発のためになると、現在は養育・教育事業に重点をおいている。
ニューズレターNo. 4
アシュラムの子どもたち

50人ほどの子どもたちが朝4時に始まる生活を送っている。お祈り、勉強、掃除、農作業と規則正しい生活を送り、夕食は裸電球1個の薄暗い中、停電のときには1本のろうそくの灯のもと、食べることになる。すぐ近くには仏跡巡礼者・観光客用の立派なホテルが並び、煌々と電灯がともっているのを見ると複雑な心境になってしまう。

子どもたちは、12歳ぐらいになると、親が子どもを結婚させ、出て行く例がほとんどのようだ。ドワルコさんは「まだ早い」と親たちを説得するのだが、聞いてくれる親はいない。アシュラムにいたある女の子は、一度そのように結婚したが、夫の暴力に耐え切れず戻ってきた子だということだった。またインド全体としても酒を飲んで妻に暴力を振るうというケースは多いようだ。「酒を飲んで」というので成年の夫かと思ったら、夫も同年代だそうだ。「きちんと教育を受けてないので、暴力以外に対応の仕方を知らない」ので、夫による暴力事件は続発する、とドワルコさんは言っていた。

「非暴力研究センター」構想

ビハール州は世界の中でも最貧困の地域の一つであり、暴力事件も耐えない。殺人、誘拐も多いようだ。ドワルコさんはそうした事件の仲裁にいくつか関わる中、Center For Reserch in Non-Violence (非暴力研究センター)を立ち上げようとしている。提案書には「暴力において人が使うのはより強大な武器。だが非暴力において我々が用いるべきはより穏やかな方法。そうした非暴力的手法を研究し暴力の解決をしていく」とある。研究センターと言っても、研究というよりは具体的に紛争を非暴力で解決していくセンターを考えているようだ。

ドワルコさんと話をしていると、「日本は原爆を体験し、憲法9条があるのに、なぜ非暴力に目覚めないのか」と穏やかながら厳しく話された。ドワルコさんは来日経験もあるが、来年米国に呼ばれているのでその途中日本に寄って非暴力運動の人たちと話しがしたい、とおっしゃっていた。

ガンディアンたち

デリーでは、非暴力平和隊のメンバー団体でもある日本山妙法寺にお世話になった。日本山妙法寺の創設者・藤井日達師はガンジーとともに活動されていた縁もあり、また地理的にも隣りには国立ガンジー博物館、そしてガンジー廟のあるラージガートがあり、お寺は「頑固な」ガンディアン(ガンジー主義者)たちの溜まり場にもなっている。

今回会ったなかには、ガンジー提唱のチャルカ(糸紡ぎ)を通して農村女性に仕事・収入源を与える活動しているが「現代にもこの方法がどれだけ有効なのか」迷っている活動家、私が非暴力活動に関わっていると言うと「結婚してるか」と聞いてきたので、どうしてと聞いてみると、活動で命を落としたときの家族のことを心配したのでと、初対面・初会話でいきなりハード?ディープ?な話をしてきた人。あるガンジー記念協会の事務局長さんは「ガンジーは宗教と政治による統治を説いたが、宗教は儀式化してしまっている。ビノバは科学と精神性の調和を説いた。精神性とは自分の良心、信ずるところにしたがって行動すること。それによって永遠なる真実に近づける」と話してくれた。またガンジー・イン・アクションを主催するアーリヤさんは、非暴力は簡単なものではないが「それに向かって努力することが大切」と精力的に非暴力ワークショップを行なっている。「社会を変えていくのは難しいが、それを変えていくにはまず、今の社会システムからstep out する(抜け出す)。そうすれば、新たな道が見つかる」と。確かに新しい道を見つけてからstep out しようなんて思っていたら、新しい道はいつまでも見つからないのかもしれない。

独立記念日と植民地

私がインドにいたのが、ちょうど独立記念日でもあったので、ある活動家に、独立記念日の首相演説でかつての植民地政策を非難をしたり、またインドの人がイギリスが植民地化したことに対し糾弾することはないのか、と聞いたら、ないとのことで、どうしてかと更に聞いたら、国内紛争(カースト、宗教、貧困等)で忙しく対外的なところまでかまってる余裕がないからでは、とのことだった。

帰国してからインドに詳しい知人に聞いてみたら、インドの多くは貧しく無知であること、支配階級の人々は植民地支配で甘い汁を英国と分け合っていたので、植民地支配に痛みを覚えていないからではないか、とのことだった。また別の人に聞くと、植民地の人々を分断してお互いに争わせ、怒りを宗主国に向かわせない手法は植民地化でよくとられたやり方、とのことだった。

またスリランカでも同じ質問をしたら「糾弾するどころか、植民地500年を記念する(祝う)行事を政府が主催するぐらいだ」なんて言っていた。日本とその被占領国との関係と大きく違う対応に改めて驚いた。

ガンジーの影と光

インドは、川には(水でなく)ミルクが流れている、と言われたほど植民地化される前は豊かな国だった。経済的に搾取され、自尊心までもが奪われたインドに、個人の尊厳そして経済的自立を非暴力の方法によって回復しようとしたのがガンジーでした。

ガンジーは道半ばにして倒れ、現代のインドにその影は薄くなりつつある反面、その遺志を受け継いでいこうという動きも着実にあることが感じられた今回の訪問だった。

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非暴力平和隊国際理事会報告(1) ─クエルナヴァカの4日間─

「火山のふもと」へ

7月2日から5日まで、メキシコのクエルナヴァカ(Cuernavaca)で非暴力平和隊の国際理事会が開催された。これはもともと、今年の3月上旬にスリランカのコロンボで開催される予定だった国際理事会が、スリランカの議会解散、総選挙のために延期されていて─スリランカのチームメンバーは選挙監視の任務で忙しかった─、さまざまな要因からコロンボではなくクエルナヴァカで7月上旬に開催の運びとなったものである。わたしはなんとか勤務先で講義の休講を承認してもらい、まる4日間の理事会の全日程に参加できた。

クエルナヴァカは、メキシコの首都メキシコ・シティの南隣にある街で、ベニート・フアレス国際空港からバスで1時間半ほどのところにある。人口32万ほどの中規模の都市である。わたしの好きな英国の作家マルカム・ラウリー(Malcolm Lowry, 1909-1957)の小説「火山のふもとで(Under the Volcano)」の舞台になったところで、まったく偶然にクエルナヴァカに行くことになったのをうれしく思った(ジョン・ヒューストン監督によるこの小説の映画化は見事なものである)。

一年半ぶりの再会

4日間の理事会の全体については、詳細な議事録があるので、そのうちに非暴力平和隊・日本の翻訳チームによって日本語に訳されるだろう議事録を参照していただきたいと思う。ここでは、わたしの印象、記憶に残ったことについて、思いつくままに書いておきたい。

わたしは2003年3月にミネソタ州セントポールで開催された前回の国際理事会に出席できなかったので、2002年12月の設立総会および最初の理事会以来、久しぶりに理事会メンバーや事務局スタッフに再会した。設立総会以来の非暴力平和隊の活動ぶりは基本的に評価できると思う。前回の理事会のときには、スリランカでの活動はまだ始まっていなかった。そのときにはまだ誰もウィリアム・ノックス(スリランカ・プロジェクト・ディレクター)を知らなかったし、フィールドワーカーもまだいなかった。反省すべき点、改善すべき点に満ちているが、スリランカに十数名のフィールドワーカーを展開するところまで来たのである。

今回の理事会の会場となったのは、キリスト教会が運営するセミナーハウスのようなところだった。La Casa de Hijas de Santo Espirituという名称で、クエルナヴァカの街の中心部に比較的近いところにあった。宿泊施設と会議室がいくつもあり、わたしたちの他にもカナダの高校生のグループがスペイン語の勉強に来ていたりした。メキシコ・シティやクエルナヴァカは、緯度からいえば赤道に近いので暑いと思うかもしれないが、高地にあるため快適な気候で冷房もまったく不要であり、暑い京都とは対照的だった。

今回の理事会の参加者は、理事が12人、それに傍聴したスタッフ等が16人だった。7月2日から5日まで、途中昼食をはさんで、毎日朝9:00から夜8:00までみっちり議論をした。全員で議論するセッションと委員会に分かれて議論するセッションが組み合わされた。議論にはスタッフも参加したが、議決に参加するのはもちろん理事のみである。スタッフを除いて、理事だけで議論するセッションもあった。4人の理事が欠席したが、そのうちのひとりの事情については触れておかねばならない。セネガルの理事オマール・ディオップは、ヒューストンで飛行機を乗り換えるときに、通過ビザを持っていなかったため、出入国管理官に身柄を拘束され、ひどい扱いを受けたあと、パリに送還されてしまった。9.11以降、米国の出入国管理は非常に厳しくなり、かつ人種差別性を強めている。オマールはその影響を受けたひとりである。彼はクエルナヴァカに来ることができなかった。米国人の理事、スタッフは米国政府のこの態度に羞恥と怒りを感じたようである。

会議1日目

第1日目、7月2日の朝は、自己紹介ゲーム、理事会の議事の進め方の確認、議題の確認、共同代表の報告、執行委員会の報告、過去の理事会決定の確認などをした。午後は、委員会に分かれて議論した。現在、理事会は、任務分担のため3つの委員会を設けている。マネジメント委員会、プログラム委員会、それにストラテジー委員会である。執行委員会はこれらの機能別委員会とは性格を異にする。国際理事会はだいたい1年に1度開かれるが、その間の任務を遂行するのが、毎月電話会議を開く執行委員会である。

3つの委員会の任務分担は、だいたい次のようになっている。マネジメント委員会─規約、財政、資金調達、スタッフ人事など、プログラム委員会─スリランカ・プロジェクトの遂行、ストラテジー委員会─メンバー団体との関係づくり、新しいプロジェクトの候補としてのワーキング・グループないしコンタクト・グループの設置・運営など、である。わたし自身はストラテジー委員会のメンバーとして、議論に参加した。
ニューズレターNo. 4
SLプロジェクトの説明をするウィリアム

1日目の夜は、全体会として、スリランカ・プロジェクトの現状について、ディレクターのウィリアム・ノックスとフィールドチームメンバーのトーマス・ブリンソンが報告した。スリランカ・プロジェクトについては、3日目、7月4日の午前中のセッションでも、プログラム委員会の任務に関連して、議論になった。ここで最も問題になったのは、フィールドチームメンバーがそれぞれ何をするか、ということである。非暴力平和隊は、基本的に4つの方法で活動するというのが出発点だった。つまり、プレゼンス(presence)、監視(monitoring)、護衛的同行(protective accompaniment)、それに割込み(interpositioning)の4つである。タイのチェンマイで行なわれたトレーニングでもこの4つの方法についてなされた。しかし、昨年11月以来、スリランカの4つの拠点──北部のジャフナ、東部のムートアとヴァルチェナイ、それに南部のマータラ──に配置されたフィールドチームメンバーは、そこで何をし、何をしないか、頭を悩ませてきた。どの場所にいるかでかなり異なるが、非暴力平和隊の4つの基本的方法を実行する機会はあまりない。むしろ辛抱強く身の上相談的に地元の人びとの話を聴くことが多い。また同時に、フィールドチームメンバーがそれぞれ何をするかは、彼らの判断、裁量に委ねられたという面もある。設立総会、国際理事会レベルで、活動形態の細部にいたるまでを詰めたわけではない。この問題について、理事会、プロジェクトディレクターのレベルでは、2つの対照的な考え方がある。

非暴力平和隊の任務

ニューズレターNo. 4
ストラテジー委員会の話し合い
一方の極にエリザベス・ラビア・ロバーツの考え方がある。フィールドチームメンバーは設立総会および理事会で設定された活動方法に拘束されており、そこから離脱、逸脱すべきでないと彼女は考えており、スリランカでそれを実行できないとしたら、それはスリランカという場所の選択がベストではないということだと彼女は言う。非暴力平和隊はPBI ではない。非暴力平和隊はあくまでも大規模な非暴力的介入を実行することが任務であると彼女は強調する。もっとも、彼女は設立総会ではパイロット・プロジェクトの場所としてイスラエル/パレスチナに投票したが、イスラエル/パレスチナが投票で敗れてよかったと言っており、スリランカ・プロジェクトに反対というわけではないのである。

他方の極に、ウィリアム・ノックスの考え方がある。非暴力平和隊のメソッドとして挙げられているプレゼンスとは、相当に幅広い概念であり、地元の人びとの身の上相談的な話を聴くこともプレゼンスのうちだと彼は考える。また、スリランカ全土に十数名のフィールドチームメンバーを派遣している非暴力平和隊は、スリランカの文脈においては大規模といいうると彼は言う。スリランカにおいては、ひとつのNGOが派遣しうる外国人フィールドワーカーはおそらく50人くらいが限度であろう。それ以上の外国人の存在は不要・有害となるおそれがある。

確かに、非暴力平和隊は「姉」であるPBI の経験と成果に学びつつも、PBI とは違う大規模な非暴力的介入をめざすものとして設立された。スリランカというフィールドが要請する適正な規模、それに予算の制約ゆえに、非暴力平和隊が派遣するフィールドワーカーの数はむしろPBI の規模に近いものになっているが、大規模な非暴力的介入という非暴力平和隊の「初心」はみんな忘れているわけではないのである。(次号へつづく) 【小見出しは編集部】

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運営委員会報告

7月31日、午後立命館大学衣笠キャンパスで拡大運営委員会が開催された。今回は、開催場所を関西地区とし、関西地区の会員有志の参加も歓迎した。運営委員、会員、賛助会員、その他計10名の参加であった。主な内容は次の通りである。

1. 国際理事会報告

日時: 7月2日〜5日
場所:クエルナバカ、メキシコ
出席者:国際理事11名(欠4名)、スタッフ11名、スリランカ・プロジェクトーKnox代表他1名、現地(メキシコ)ホスト側スタッフ

会議の目標

  1. 信頼関係構築
  2. 規約(bylaws)承認
  3. 予算ならびに資金計画承認
  4. 国際理事会作業部会、組織内コミュニケーション問題
  5. non-partisanship, internationalization, NP mandates等のコンセプトについてのすり合わせ

会議の内容ならびに成果

1. 非暴力平和隊の規約の承認

これまで検討されてきた規約が正式に承認された。今後、106のメンバー団体(M0s)がこの規約を検討しMOに留まるか否かをそれぞれが決定することになる。

2. 財務関係

収入の4割以上が個人の寄付であるが、ドイツ、英国政府からの資金援助も軌道に乗りつつある。しかし、いまだに月々やり繰りしている状況で、担当職員に対しても、毎月給与が支払えない可能性や遅配の可能性を示唆している状況である。スリランカに対する第2次派遣も今後の資金の見通し次第である。尚、NPJが3月末にスリランカ事務所宛に送金した60万円に対しては大変評価されている。

3. 非暴力平和隊の国際NGOとしてのベルギー法人登録

ベルギーのブラッセルに国際NGOとしてベルギー法の下に法人化登録を完了した。これはあくまで形式上、非暴力平和隊を米国外に置く処置で、実質的にはこれまで通り、セントポールの国際事務局が中心となり、ブリュッセル、デリー、エクアドルに地域オフィスがある体制に変更はない。設立総会以来、国際事務局を米国の外に置くと言う課題は一貫して意識されているが、財政等様々な理由からまだ実現していない。引き続き追求する。

4. 資金調達の現体制

Mel Duncanが実質的に資金調達の中心。セントポールに3名の専任者(個人・大口担当、個人・小口担当、財団担当)。米国では資金調達(Fund Raising)が職業として定着。資金集めは、NPのメッセージが相手に理解されれば80%成功、後は繰返しと十分なフォローアップ。

5. スリランカ・プロジェクト(Knoxの説明)

14,5名の派遣はスリランカの国際的NGOでは最大規模。4拠点のうち東部の2拠点は繁忙しているが、マータラではプレゼンスの効果があるかないかは判定が困難、ジャフナへの言及はなかった。また、NPの本来の4つの使命が実施されているとはいえない状況で、様々な問題での駆け込み寺的な業務が中心。プロジェクトの現在の課題は、活動の内容について何を何処までやるのかを明確にすること。ノックスは、プレゼンスには様々な活動が含まれる、そういう意味では、駆け込み寺的業務もプレゼンスの一環である、と考えている。この点については、国際理事会の中でも見解が分かれている。

6. スリランカ・プロジェクトの評価と新たな展開

スリランカ・プロジェクトはNPの最終目標である2000名のフィールド・ワーカーの保持に向けてのPilot Projectであるので、この評価は重要であると同時に、評価を最終目標にどう結び付けていくかが課題である。評価はノルウエーのトロムソ大学ヨハンセン教授に依頼済み。又、資金の見通しにもよるが、第2次派遣をどうするか、現在の拠点の拡充とするのか、拠点の拡大にするのか、上記5の課題とも合わせて今後の検討課題。

7. グローバルなトレーナーの養成

NPの最終目標に対する施策と共に,メンバー団体との関係構築の手段として各地域でトレーニングをするためのトレーナーの養成・保持が提案された。

8. non-partisanship(政治的に立場をとらないこと)について

討議する時間がなかったが、インドのRajiv Voraよりペーパーが提出された。(後日翻訳配布予定)

2. 2004年度活動報告(結果と予定)

―項目のみで詳細は省略―

A. 実施事項

  • (NPJのプロジェクトではないが)選挙監視に小林善樹氏が参加--3月29日〜4月3日
  • 機関紙・会報の定期発行--3月29日、5月21日、7月25日、(9月27日予定)
  • 有給スタッフの雇用
  • チラシ作成
  • ウェブサイト充実
  • 非暴力連続講座--5月12日、7月3日、9月4日(10月2日、11月6日、12月4日予定)
  • スリランカセミナ--6月26日
  • 福島学習会(鞍田委員を中心とした地方活動)--9月4日(福島市)、10月2日(郡山市)、11月4日(いわき市)、12月11日(福島市)

B. 懸案事項

著名人の賛同人への要請、早期NPO法人化宣伝用に使うパンフの作成、非暴力的手法に対しての体系専門書・ブックレット作成、ピースボートとの協力、スリランカツアー

C. 会員状況(6月末現在)

  正会員   49
  賛助会員  63
  賛助団体  5
  インターン 2
  ----------------
  合計   123

〈賛助団体名〉
・アーユス仏教国際協力ネットワーク
・熊本YWCA
・真宗大谷派 光円寺
・日本キリスト教婦人矯風会平和部
・日本友和会
(・ピースネット)

3. 他団体・声明等への賛同の件

1. 問題の所在:NPJはこれまで,NPJの立ち上げに当面専念するため、他団体・声明等への賛同は行わないという運営委員会の決定(2003年6月)を尊重して来たが、最近の会員間での本件に関する議論を踏まえ、従来の決定についての見直しが必要との判断に達した。

2. 検討結果:種々議論した結果、次のように変更することとした。

A) NPJ(運営委員)への個別要請(NPJを名指しして賛同依頼してきたとき)に対しては無条件で、運営員会で検討する。依頼を受けた運営委員の意見があれば(依頼団体の説明、依頼に対する賛否の意見)、提案時に付する。

B) NPJへの個別要請でないものに対しては慎重に対応する。すなわち一般に流布している賛同依頼に対し、運営委員や会員が、NPJも賛同すべしと提案するときには、必ず賛同を支持する意見、依頼団体の説明を付して運営委員会に提案する。

C) 運営委員による十分な議論を尽くす。

D) 上記の議論を踏まえ、或いは、その他の事情を勘案し、しかるべき時期に、両共同代表は意見を集約し、運営委員に結論を提示する。原則として、この結論を尊重しNPJの決定とする。

4. 「政治的に立場をとらないこと」と非暴力についての認識を深める必要性

上記3.項に関連し、「政治的に立場をとらないこと」と「非暴力」の理解、認識の一致を図る事が重要である。そのために、1-8項のインドのRajiv Vora が展開しているnon-partisanship (政治的に立場をとらないこと)は有益な参考となるであろう。

nonpartisanshipについてのコメント

この言葉をわたしは「政治的に立場をとらないこと」と訳している。

これは、紛争状況において対立する当事者のいずれの立場にも与しない、takesideしない、ということを意味する。たとえば、スリランカにおいて、タミル人の権利、自治、将来の方向性などについて、NPは意見を表明しないということを意味する。それはスリランカの人々が決める問題である。しかし同時に、NPは、人権侵害や暴力に対しては、いずれの当事者のものであれ、抗議し、批判することを自制しない。これがNPのnonpartisanshipの原則の基本である。これはまず第一に紛争地におけるNPの活動原則であり、紛争地の人々の自己決定を最大限尊重することから派生してくる原則である。

NPJが日本国内でどのような態度をとるかは、NPのnonpartisanshipの原則を意識・尊重しつつも、独自の判断がありうると思う。今回の運営委員会の結論はまずは妥当なものであると思う。

Nonpartisanshipに関するラジブ・ヴォラ(アジア地域コーディネーター)のペーパーが提出されている。このペーパーは非常に興味深いので、翻訳ができたら読んでいただきたいと思う。

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マータラでの1年を振り返る

ニューズレターNo. 4
2003年11月中旬にマータラに赴任してから早いものでほぼ1年が経とうとしている。9月中旬の、スリランカ北部ジャフナへの移動を控え、これを機に、マータラから見たスリランカの平和問題とNPの活動について考えてみたいと思う。と言っても、そんな大それた問題提起をするつもりもなく、せっかくの機会だから1年間の感想と反省点を正直につづっておくのが、今後の活動の方向性を探る上で、あるいは日本で応援してくださっている方々へのご報告に少しは役立つのではないかと思う程度のことである。

マータラという地域

これまでも機会あるごとに書いているので繰り返しになるが、マータラ、そしておそらく南部(コロンボ以南)全体を見たとき、そこに起こる問題の数々は、北・東部で起こっている、いわゆるLTTE対政府(軍)のような大きな衝突ではない。むしろ日本でも日々起こる窃盗事件だったり、アンダーグランド(地下)のギャングの殺人事件のようなケースのほうが多い。また政治問題あるいは政党を異にする人々の間に起こる抗争が多いのも、ひとつの特徴と言えるかもしれない。そしてもうひとつ忘れてはいけないのが、そうした新聞の一面や多くをカバーする事件のほかに、もっと目立たず、規模としても小さい、けれど深刻な問題が、家庭や地域のレベルで起こっているという事実だ。家庭内暴力(飲酒がからむことも多い)、カースト制度が関係する暴力事件、経済問題と貧困が起因する妬み・嫉妬から起こる殺人、レイプ…全国紙を飾ることもないそうした小さな事件が、南部では日々起こっている。そしてそれらは、わたしたち外国人の目にはほとんど見えない。シンハラ語を理解しないわたしたちが耳にする話は、いつも「紛争は北部・北東部で起こっている。ここには問題はない。悪いのは政治と政治家で、ここに必要なのは就業機会と経済援助だ」という英語でのコメントだ。人々にとって、いわゆる「平和」はLTTEと政府がノルウェーの仲介で進めている(あるいは停滞している)「和平交渉」のことであり、それはじぶんたちにはあまり縁のない遠い場所で起こっている。また和平交渉が進もうと停滞しようと、じぶんたちには何も(経済的)利益もなく、言ってみればそれは「関係・関心もあまりない」問題なのだ。

そんな彼らにとってマータラのNPは利にも害にもならない存在だろう。もしかしたら、日本よりさらに本音と建前を使い分ける(のではないかとわたしが疑う)この社会・地域で、人々がわたしたちを歓迎し、大切な友人として扱ってくれるのは、おそらく仏教の慈善という教理からして当然であり、また感謝しても足りないほどだが、ここでやはり問題になるのは、それではNPは南部で何ができ、何をすべきかという基本的な立脚点だ。しかも3年間という限られた時間の中で、ある程度の結果を出さなくてはならないというおまけがついている。

スリランカ南部でのNPの独自性

が、南部での問題が民族紛争のような大きな、目の前に見えるものではなく、むしろ小さな、隠されたものであるがゆえに、それらの問題の根深い部分に到達するには、それなりの戦略・技術、そして経験が必要となる。シンハラ語で人々の話を聴き、人々に尋ねるだけの能力、人々がNPを信頼し、正直に問題や心の内を打ち明けるだけの人間関係の構築。「平和」問題は、決してLTTEと政府間の「和平交渉」だけを言うのではなく、ひとりひとりの心の中ではぐくみ、気づきや自己変革から始まるという共通の認識を作り上げていく過程…そうした日々の地道な積み重ねを続けていくしか、南部での活動の意味はないようにわたしは感じる。そしてさらに、そうした「じぶんから変わっていく」プロセスは、外部から教えられ与えられることでは決してないという点に、よそ者のわたしたちと、これからもこの社会で行き続けていく人々の双方が常に気を配っていないと、3年後NPが去った後、その「平和」という小さな木は、あっという間に枯れてしまう。あるいはもしかしたら芽を出す前に、養分・水不足になってしまうかもしれない。「平和」は決して外からの押し付けでは生まれない。そこに生きる人々ひとりひとりの心のうちにしか生まれない。わたしたちは、平和の何たるかを教えに来たのでもなく、人々を救いにきたのでもなく、人々がやっていることを批判(非難・判断)し、正義を押し付けに来たのでもない。さまざまなことが原因で、混乱を来たしているこの美しい島で起こっている不幸を、この国の人々と外部の者が、手を取り合って考え、話し合い、行動していこうというのが、NPのプロジェクトの目的であるはずだ。内部から見えること、できること、そして外部からしか見えないこと、できないことを、両側からたどっていけば、問題の解決が少しでも早まるのではないかと、NPは見ている。

北部・東部で主に起こっているこの国の民族紛争は、南部で日々起こっている小さな紛争と無関係ではない。統計をとったわけではないが、南部での暴力事件の数が増えれば、この国のほかの場所で起こっている大きな紛争の件数も、比例して増えるだろう。距離が離れていようと、人々の心の波長はつながっている。微妙に影響しあっている。スリランカという国の人口の大多数を占めるシンハラ人の気づきと自己意識の変革なしには、この国に真の平和は訪れない。もちろんそれはタミル人にも、モスリムの人々にも同様のことであるが、大多数を占めるがゆえに、シンハラ人の今後の考え方・行動のしかたが、北・東部の「和平交渉」にも、南部の日々の平和にも、大きな鍵を握っているということを、他人事としてではなく、じぶんの日常に関わる問題として、ここマータラ、そして南部に生きる人々に気づいてほしいと思う。

1年間の「成果」は?

ニューズレターNo. 4
NPマータラ事務所内の大島さん
それにしても、マータラでの最初の1年は、少し戦略に乏しかったのではないかと、わたし自身は感じ、反省している。もちろんそこに入ってみなければわからないのは、どこでも同じだろうし、いろいろなものが見えてくるまでに時間がかかるのは、どこへ行っても当然のことだとは思う。しかし、NPがこのままマータラで活動を続けていくのであれば、そしてそれに意味を見出すのであれば、それなりの戦略(タイム・フレームと具体的方法論)と技術(を持つメンバーの配置)を徹底的に追求しなくては、残された2年間で「マータラでの活動結果」として提示できるものをどの程度作れるか、わたしは疑問を持たざるを得ない。もちろんわたしは目に見え、あるいは提示できる「結果」だけを評価するつもりはない。けれど、国際的なNGOが、その活動資金を集めるために費やす努力の大きさを知っていれば、その目に見える結果がどれほど必要不可欠なものかは、容易に理解できる。そして寄付をする人々は、もちろんその目に見える結果を期待して、スリランカ・プロジェクトに協力しているのである。わたしたちフィールド・チーム・メンバーが、じぶんたちのしていることに対する評価を地元の人々やサポートしてくれる人々から期待するように、寄付というかたちでNPに協力してくださる人々が、スリランカ現地の活動結果(NPの存在で何が変わったか)というものを期待するのは、しごく当然のことだ。それを考えたとき−そんなことを一切無視すれば、心配などする必要はない−わたしはマータラでの活動の意味と成果・結果についての再考を余儀せざるを得ない気がする。Take it easy. We are doing OK! と言ってしまえば、ことは簡単だが、はたしてそれでよいのだろうかと考えるのは、わたしが単に深刻すぎるのか、あるいは(まじめな)日本人だからなのか、よくわからない。どちらにせよ、あと10日余でマータラを離れなければいけない今、わたしがマータラあるいは南部に思い残すことは多い。東部ヴァルチェナイから戻った後、かなり真剣にシンハラ語の勉強にも力を入れてきたいま(もちろんまだまだ必要最低限にも達していないが)、もしこれから3年という時間が与えられればと思うと、残念でならない。もちろんたとえそんなチャンスが与えられたとしても、わたしひとりでできることには限度があるので、強力なチーム・メイトが必要になるのは必須だが…。

新たな土地・視点で

それでも、わたしは今回のジャフナへの移動を、スリランカという国全体を知る上で、そして他のチーム・メイトと仕事・生活を共にするという意味で、絶好の機会だと捉える。新天地での生活・そこの人々・社会・環境に慣れるまでに、またしばらく時間がかかるのは、本当のところけっこうシンドイかもしれないという覚悟をしつつ、それでもできるだけ早くそこに溶け込んで、活動していきたいと思う。NPJのニュース・レターに、次回はジャフナからの、まったく違った報告が書けることを願っている。 【小見出しは編集部】
この家の2階部分がNPマータラ事務所
ニューズレターNo. 4

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スリランカ・NPマータラ事務所 訪問記

8月16月(月)〜19日(木)、NPパイロットプロジェクトの現場であるスリランカへ行ってきました。以前から、「NP的なるもの」に関心があったこともあり、「とにかく今現在進行中の現場を見たい」一心からである。

8月16日(月)晴 〜深夜便にてスリランカ到着〜

成田空港からバンダーラナーヤカ空港まで直行便で約9時間。大島みどりさん(NPフィールドワーカー)が言われていたように何故か?日本より涼しく感じる。小さな空港で、入国審査も税関も「ノーチェック」に近い状況(「もし私が爆弾でも持っていたらどうするのかしらん?」と思うくらい)。空港からコロンボ市内までは、タクシーで約1時間(1200ルピー/1ルピー≒1円)。市内の「ホテルニッポン」(2900ルピー/1泊)に22:30着。路上ではホームレスと思われる人たちがもう眠りについている。街灯が少なく少々怖かったが、タバコとビールを手に入れるため!に、近くの飲食店兼売店に入り、タバコ(100ルピー/10本入)とビール(98ルピー/大瓶・安い!)で一息していると、店の奥で飲んでいた10人くらいの若者達から声がかかる。「中国人?韓国人?インドネシア人?日本人?」とこの順で聞かれ、生まれて初めてインドネシア人と言われる(私は色白貧弱体質なのだが・・・)。タクシーの運転手さんとこの青年達にも「NPとサルボダヤ(スリランカ最大のNGO)を知ってる?」と聞くが、皆「知らない」と。宣伝活動!と思い勝手に説明をしてきたが、どこまで伝わったかは???である。

8月17日(火)晴 〜マータラ事務所へ行く〜

大島さんとお会いするために、南部マータラの事務所へ向かう。朝ホテルからコロンボフォート駅までスリーウィーラー(3輪バイク)で移動(150ルピー)、運転手さんに「約20分掛かると聞いてますが」と言うと「10分で着くさ!」と言うなり、車線があってなきスリランカの道路を飛ばす飛ばすおじさん運転手。しかも私の方を振り向き「どこから来た! スリランカは楽しいか!」と話しながら・・・恐ろしいドライブの結果、実際掛かった時間は5分! 駅前の食堂でカレーとナンの朝食。ひとつ頼んだつもりが、カレー2種類に大きなお皿にナンが6・7枚。これは食べきれないと少し残してしまうと、店員さんが残ったナンの枚数を数えだし・・・(後でわかったことだが)この国では、パンでもナンでも多めに出して食べた分だけ清算するとのこと。じゃあ私の食べ残しは(&私が食べたのは)、考えないようにする・・・。

鉄道駅近くのバスターミナルから、マータラ行きのインターシティバス(ミニバン)に乗りマータラまで(130ルピー)約4時間(途中トイレ休憩あり)。14時頃にマータラ事務所へ着き、大島さんと初対面。この日、他のスタッフは留守のため、ゆっくりお話しを聞かせてもらう。早々、「移動が決まり来月からは東北部のMuturでの活動になる」とのこと。海外で「外国人」がその地域の人々と関係を構築していくことの大変さ。しかもNPには期限(3年)があること。でも、「(フィールドワーカーの)皆は、各自自分たちに何ができるか? 何が必要でそのためにはどうしたらいいか? 自分の活動はNPの理念と一致しているか?等々、日々模索しながら。でも自分の頭で考え、自分で動いていかないとやっていけない」とのこと。「パイロットプロジェクト」ゆえの様々な大変さが、お話しを聞けば聞くほど伝わってきました(詳しくは大島さんのSL通信を参照してください)。

夕方、たまたま大島さんの友達であるスリランカ・アーミーの青年2人が、プライベートで遊びにくる。「4月の総選挙時に、マータラでの情報収集の一環として(国際選挙監視団のメンバーとしてNPマータラ・チームのひとりがアーミーキャンプを)訪れて以来の付き合い」とのこと。事務所で少々話しをした後、「キャンプへ遊びにこないか?」とお誘いを受け(夕方以降女性の訪問は禁止されているため)1人でお邪魔することに。「NPをどう思うか?」と質問したところ、「(広義の様々なNGOは)いい面も悪い面もある」とのこと。彼らいわく「スリランカ軍隊は志願制」「(イラク戦争については)ブッシュは悪い、でもフセインがよいわけではない」「以前はシンハラ人とタミル人は一緒に暮らしていた・・・」等々。私が「スリランカ軍は何から何を守るのか?」と聞くと「国と平和を守る。何からは・・・サムシング」という答え。私が「その国の政府と市民はイコールではないと思う」というと、「なぜ?選挙で選んでいるじゃないか」と不思議がられ。そこで「日本ではほぼ50年間同じ政党が政権を握っている」と話すと、少し納得したようで「(政権交代が無いのは)信じられない」との答え。

8月18日(水)雨 〜SLプロジェクトの大ボス・小ボスと会う〜

大島さんとともにコロンボに戻り、インド帰りの大畑豊(NPJ共同代表)さんと合流する。合流場所のホテルでは、ちょうどSLプロジェクトのチームマネージャーのJanとディレクターのWilliamらが会合をしていて彼らともロビーで簡単な会合を持つ(とはいっても、英語が下手な私はそこに居ただけ)。その後大畑さんの勧めで、キャンディ(中央部の古都)へ遊びに行く(列車で約4時間弱/100ルピー弱)。行きはよかったが、翌日帰りの車中ずっと、スリランカ青年から「日本につれてってほしい。金はあるけどビザが出ない。スリランカには仕事がないし好きではない。妻はイタリアに出稼ぎに行っている」等々言われ続け…。私「(市民が軍隊をどう思っているのか知りたくて)仕事がないならアーミーへの就職はどうか?」と。彼「タミルは怖いから、それは嫌だ」と。

8月19日(木) 〜最後の晩〜

キャンディからコロンボに戻り、深夜(たまたま見かけた)ホテルから空港へタクシーで向かう。ホテルを出る時、運転手さん(シンハラ人)が「途中までもう一人乗せていっていいか?」と。「彼はここで働いているが、足がない」とのこと。そんなこんなで、その青年は途中で降りていった。その後、運転手さんと話しながら空港へ。私「NPとサルボダヤを知っているか?」と、彼「サルボダヤは知っている」。私「(答えたくない質問だったら答えないでいいが)なんでシンハラ人とタミル人は今は仲良くできないのか?」、彼「政治家が悪い。昔は一緒に暮らしていた。さっき乗せた青年もタミル人だ。われわれは平和を望んでいる」と。ただの旅行者の私としては、「NPはそういう活動をしている。われわれは皆平和を望んでいる」と答えるのが精一杯だった。

私は「現場至上主義者」ではないが、日本で「NPスリランカプロジェクト」と聞いてもどこかでリアリティが持てなかった。今回の旅を通じてNPがどこでなにをしているのか多少実感できたきがする。今回の旅では、大畑さんの助言、大島さんのお力、そして現地で出会った気さくなスリランカの方々。皆様に感謝いたします。NP、NPJへ関わる、関心を持つ方々にとってこの旅行記が、少しでもNPの現場が「近く」に思える一助になれば幸いです。

【編集部注】その後フィールド・チーム・メンバーの大島はMuturではなく、北部のJaffna(ジャフナ)への移動が決定した。

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福島連続説明会第1回(会津若松市)報告

福島の県民に広く、非暴力平和隊のことを知ってもらうための連続説明会の第1回を、9月4日、会津若松市中央公民館で行ないました。福島在住の3会員でとにかく始めた「NPJ福島キャラバン」は、今後1月毎に、郡山市、いわき市、福島市を回ります。

説明会では、「『非暴力平和隊』の思想と歴史」(中里見)、「『スリランカ・プロジェクト』の意義と現状」(宇野朗子さん)、「『非暴力平和隊・日本』の今までとこれから」(鞍田東さん)と題して3名が話しました。

実のところ、参加者は男性1名、女性2名の3名しかありませんでした。そのほか新聞社3社(毎日および地元紙2紙)が取材に訪れました。報告者、聴衆、マスコミがそれぞれ3名ずつ、と言えばキリはいいのですが、また「人口10万人の会津若松市での3名は東京での数十名に相当する」という強がりを言う会員もないではありませんが、若干のさびしさも否めませんでした。しかしその分、報告後の質疑応答では、参加者から自己紹介を交えた感想や質問を出してもらい、和やかな雰囲気の意見交換を、みっちりとすることができ、あっという間にすぎた2時間でした。

県民に広く非暴力平和隊を知ってもらうという点からすれば、参加者数には現れなくとも、数々の成果がありました。特筆すべきは、前日の毎日新聞地方版に4段にわたる紹介記事が掲載されたことです。また、準備段階で、会津若松の新聞社、ラジオ局、労組、教会などに直接宣伝に行きましたし、協力してくださる方々が何百枚もビラをまいてもくれました。

他方で、今後に向けた改善点も見つかりました。とくにスリランカ・プロジェクトについては、写真を映写するなどして報告をビジュアルにした方が、聴衆に与えるインパクトが格段に大きいと思われます。本やその他、販売できる物を用意して、資金集めをするのもよいでしょう。

宣伝について言えば、マスコミを使っての情報提供は、多数の人に非暴力平和隊を知ってもらうのに不可欠ですが、説明会への参加者を増やすには十分ではないことも痛感しました。もっと地元の平和や反戦、人権、国際活動に携わっている人々、その他にも福祉や医療、教育問題などに取り組んでいるグループに、直接かつ重点的に呼びかける必要があります。幸い次回以降は、会員3人の地元ですから、今回の教訓を活かし、よりよい説明会にしたいと思っています。

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非暴力平和隊 メンバー団体紹介

ピースボートの活動について

1983年に設立されたピースボートは、国際交流の船旅を続けてきました。これまで2万2千人以上の人々がクルーズに参加しています。私たちは東西冷戦が終わり、地域紛争が頻発する世界に漕ぎ出す中で、人と人とのつながりをつくっていくことがいかに大切かということを改めて痛感してきました。

ピースボートがこれまで行ってきた「紛争解決」のために行ってきたプロジェクトをいくつか紹介します。クルーズとしては韓国と北朝鮮を同時訪問する中で市民の絆を深め、よりよい日韓、日朝関係をつくっていこうとする「南北コリアクルーズ」を行ってきました。ここからは、植民地支配のことを省みない日本の歴史認識を問い直し、「アジアに通用する」資料を作成しようという「アジアンヒストリープロジェクトチーム」が生まれています。また、イラク戦争を機に、日本・韓国・在日コリアンらでつくるNGOネットワーク「ピースナウコリアジャパン」というプロジェクトも実施し、お互いの市民社会の関係作りや北朝鮮の食糧支援などを行っています。

船内でも、「国際学生(IS)プログラム」を頻繁に行い、世界中さまざまな紛争地からNGOや平和活動、ジャーナリズムなどに関る若者たちを招いてディスカッションや講演を通じて顔の見える関係作りを進めてきました。

現在最も力を入れている活動として、国連の呼びかけに基づいて行っているGPPAC(紛争予防のためのグローバルパートナーシップ)があげられます。これは、世界の各地域で市民社会が会議を行い、来年(2005年)7月にニューヨークで開催される国連の会議に具体的な提案と行動計画を持っていこうとするものです。

私たちの属する北東アジア地域では、さまざまな緊張状態や課題を抱えていることは言うまでもありませんが、一方で北東アジア地域ではそういった問題点を話し合うための市民同士のつながり自体がほとんど築かれてこなかったという現実があります。

今回この提案を作成する過程で、この地域の各国のNGO、市民社会がネットワークをつくり、信頼関係を築いていくことは、この地域にある危機的状況を解決することと同じくらい重要なことではないかと考え、これに取り組んでいます。

憲法9条を活用した「国際貢献」のありかた

世界中を巡ってきた私たちは、各地域の人々が今の世界をどのように感じているかじかに接する機会が豊富にあります。

例えばイラクに自衛隊が派遣された後、中東でさかんに言われるようになったことがあります。「今までよき友人だと思っていたのに、なぜ日本は自衛隊を送ったんだ。残念で仕方がない…」と。このようなことは、かつて一度も言われたことがありませんでした。

世界の多くの人々にこんな感情を抱かせる政策は、とても「人道支援」だとか「国際貢献」などとは言えないのではないでしょうか。

私たちは、日本には憲法9条を活かしできることがたくさんあると考えています。また、世界の多くの人々と接してきた実感として、間違いなく軍隊ではなく他の、非暴力による貢献の仕方が求められていると確信しています。

そういった要素を持ち、市民にできる具体的な行動が非暴力平和隊ではないかと考えます。今のような暴力が暴力を呼ぶ世界だからこそ、非暴力による平和の実現を追求する「非暴力平和隊」活動に賛同し、呼びかけを行うことが日本だけでなく世界にとっても重要ではないかと考えているのです。

「勝者と敗者」

アテネオリンピックが終った。

日本人選手の大活躍によって日本列島は熱く燃えた。

感動する日々だった。

戦い終って勝者に残ったものは何か? 敗者に残ったものは何か?

アメリカはイラクに「戦勝」して残ったものは何か?

世界中の戦地を武力で制圧して富を得てきたが、アメリカ人の心に残ったものは何か?

六十年前アジアの盟主だった日本がインドに侵略せんとした時、ガンジーは日本人に忠告した。

『かりにあなたがたが戦争に勝ったとしても、それはあなたがたが正しかったということの証明にはならないでしょう。それはただ、あなたがたの破壊力のほうがまさっていたことを示すだけです』と。

戦争という武力で勝利してきた大国の国々に真の勝利者の冠(かんむり)を与えることができるだろうか。貧しい国々を経済搾取して繁栄した国々を勝利者と呼べるだろうか。

子マラソンでブラジルのデリマ選手は35キロ過ぎまでダントツにトップを走っていたが、突然妨害者が飛び出して、大きな衝撃を受けた。それでも彼は顔をゆがめつつ走ることをやめなかった。後続の二人にぬかれやがてゴールする直前では、蝶が舞うようにコースを蛇行して大観衆に喜びを訴えた。

後日デリマ選手は取材に答えて「金メダルをとれなくて残念でしたか?」「メダルはどうでもよかったんだ」「妨害した人を恨んでいますか」「ちっとも。彼が(謝る為に)会いたいというなら喜んで会いますよ」。

アテネオリンピック全体の金メダリストはデリマ選手だったのではないだろうか。

真の勝者とは誰か。

神仏という真理の鏡に照らされた時にも、賞賛される者でなければならない。それゆえに真の勝者には慈と悲がそなわっていなければならない。

慈とは他者を育てる心であり、悲とは他者を思いやる心である。

殺生業を犯して善果(平和)善報(幸福)を刈り取ることはできない。

武力(殺生業)をもっては赤児の心すら屈伏させることはできない。

世界平和建設の原理 藤井日達(日本山妙法寺山主、1985年逝去)
 天地宇宙に対する宗教的教訓を、人類社会の生活に応用し、相互に尊敬し、尊敬される時、戦争が起こる余地が、どこにありましょう。
 戦争も、核戦争も、根本は他人を尊敬せず、他人を礼拝せざる、無宗教、無信仰の科学文明の招く人類の災害であります。
 科学文明は、人類生存の目的に、道徳的価値を見失い、宗教的尊厳を見出さず、ただ競争に勝利するをもって、人類生存の原理と想うところが、かの運動遊戯、なかんずくオリンピックによく表現されております。
 優勝劣敗を信仰条件とするところに、戦争が激化し、核兵器が開発されました。核兵器を廃絶し、戦争を廃絶する方法を、人の心に求むる時、何の造作もなく、困難も無く、宗教的信仰をおこして、宗教的教訓に従い、宗教的行動を起こします。
 其の第一条件は、釈迦牟尼世尊の制定せられし不殺生戒を受持する事であります。
 他の生命を奪わんが為には、技術も必要であり、器械も必要であります。
 他の生命を殺さない為には、何の技術も必要で無く、何の器械も要しません。

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非暴力連続講座報告

NPJでは、この6月から東京で、「非暴力連続講座」と題し、各回、30−40人の参加者をえて、「非暴力」を考える会合を開いています(ピースネットと共催)。これまでに3回開かれ、毎回メーリングリスト上にその報告をしていますが、ここで、あらましを紹介します。

第1回 「非暴力への誘(いざな)い 1」 (6月12日)

講師(NPJ運営委員・非暴力トレーナーの阿木幸男)は、終始ご自身の体験に寄り添いながら、「非暴力とは何か」を"考えること"の重要性を話しました。その間、ガンジーの「塩の行進」や、1970年代アメリカでの非暴力直接行動 (原発阻止運動におけるもの) などのビデオによる紹介があり、最後に、「暴力をつかわずに、何かができると信じる」「"本当に何が必要か"から出発する」「平和運動においては、お互いに誹謗中傷することはやめよう」とのことばで話が締めくくりました。参加者からの質問と応答には、「何を暴力とするのかが、わからない」「理論と現場の間をどのように考えるのか?」「ここ10年の講演での反応の変化は?」「非合法はしたくないのだが・・」等々、それぞれの現場からの問題提起がありました。

第2回 「非暴力への誘(いざな)い 2」 (7月3日)

講師は第1回と同じく阿木幸男。この会は、ワークショップ形式の参加型でした。はじめに参加者から、何を知りたいか、考えたいのかについて、希望を聞き、それをテーマに話し合いました。講師との問答をいくつか具体的にあげますと、

  • 非暴力をどうとらえるのか?「1960−70年代の見える暴力から、80年代以降は見えない暴力になってきている。状況をよく分析して、結果を共有する必要がる」
  • 非暴力トレーニングとは、どういうものか?「例えばロールプレイというやり方で、立場がかわると、どう行動するかを体験したりする。皆でアイデアを出しながら進める方法」
  • 非暴力をどう教育するのか?(アミティという若年犯罪者への教育の例を紹介)
  • イラクに非暴力でどのように関わるのか?「資金の見通しがついたので、イラクへの医療援助をいくつかのNGOと計画している」

などでした。

また、参加者からは「話あいながらが、よかった」「深く考えるきっかけとなった」「複雑であること、壁の高さがわかった」「自身の暴力性を考えることから始める」「実際の活動をもっとききたい」などの感想が寄せられました。

第3回 「ガンジー、キングの『非暴力』」 (9月4日)

進行はNPJ共同代表の大畑豊。

第1部として、ガンジー、キング牧師のドキュメントビデオを2本、併せて1時間15分程度上映し、第2部として、ビデオを見た感想や質問、「非暴力」に関して各人が考え、また疑問に思っていることについて意見交換がされました。また新潟から『ガンジー 自立の思想』の翻訳者の方や、沖縄から非暴力の研究者・活動家の方々も参加されました。

感想・意見としては「勇気に感動した」「知らなかった」「非暴力しか希望はない」「非暴力は(理解が)むつかしい」「このような経験のないわたしたちに何ができるのか」「非暴力を手段としてとらえるか、生き方としてとらえるのか」「"何が非暴力か"は実践の場で、具体的に考えてゆくしか意味がないのでは?」「第3者として紛争に関わる立場を考えたい」「時代を超えて、ガンジー、キングを糧とするには?」などが挙げられました。

またアンケートには「日本における非暴力を中心的に考える場があると良い」「カンジー、キングに共感できない若者にたいして、非暴力への共感をえる努力をしたほうが良い」「活動や知識を、はきだす場になっただけでは?」などが寄せられました。

【今後の非暴力連続講座の予定】
第4回(10月2日 13:30〜16:30)
 「テロと非暴力1--イラクとチェチェン」
第5回(11月6日 13:30〜16:30)
 「テロと非暴力 2--パレスティナ」
(会場はいずれも文京シビックセンター)

第6回(12月4日)以降は、「日常のなかの暴力---DV、消費社会」「個人的暴力と社会的暴力」「沖縄」「スリランカ」「憲法9条」などをとりあげるべく、連続講座運営会議(仮称)で検討中です。また、第3回「ガンジー、キングの『非暴力』」についても、再度とりあげ、議論を深められれば良いと思います。

この講座が"思想から行動へ"の触媒機能をはたせるよう願っていますが、運営方法・課題設定等、まだまだ手探り状態です。多くのご意見とお知恵、それにご参加を、お待ちしております。

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事務局便り

今後の主な活動予定

8月には非暴力トレーニングを浦和、横浜、いわきで開催。9月にはトランセンド研究会と共催で非暴力トレーニングとトランセンド(平和的手段による紛争転換の手法)のワークショップを行ないました(大阪、24・25日)。ここでは参加者同士が今後も会合を持っていくことが決められ、今後が楽しみです。

さて、今後の主な予定をお知らせします。ご都合がつきましたら是非ご参加ください。ウェブサイトでは随時予定を更新しています。

10月
2日 第4回非暴力連続講座(東京)「テロと非暴力1―イラクとチェチェン」
2日 「非暴力平和隊・日本」説明会2(郡山)
30日 スリランカフェスティバルへの参加(東京、スリランカ大使館主催)

11月
6日 第5回非暴力連続講座(東京)「テロと非暴力2―パレスティナ」
14日 「非暴力平和隊・日本」説明会(いわき)

会員募集

非暴力平和隊の理念と活動に賛同・支援してくださる個人および団体を会員として募集しています。(年会費。ウェブページからも入会手続きができます)
・正会員(議決権あり) 個人 1万円 学生 3千円 (団体は正会員にはなれません)
・賛助会員(議決権なし) 個人 5千円(1口) 学生 2千円(1口) 団体 1万円(1口)
[会費の振込先] 郵便振替口座: 00110−0−462182 口座名義: NPJ

メーリングリストのご案内

会員になられますとメーリングリストでの情報提供や投稿ができます。また非会員の方で非暴力平和隊・日本からのイベント案内等を希望される方には「お知らせ用メーリングリスト」に登録していただけます(投稿はできません)。お申込・お問合せはNPJ事務所までお願いします。

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