非暴力平和隊・日本

非暴力平和隊・日本ニューズレター第7号(2005年3月31日)

【目次】
巻頭言 奥本京子
スリランカ通信 大島みどり
第3回NPJ総会報告
スリランカ支援キャンペーン報告
スリランカNGO会議報告 大橋祐治
PBIインドネシア・レポート 藤村陽子
国際理事会報告 大畑豊
非暴力連続講座報告 佐藤妙子
次回非暴力連続講座のお知らせ
事務局だより、ほか

巻頭言 対話について思うこと -私たちは、本当に関わり、つながることができるでしょうか-

NPJ理事 奥本京子(トランセンド研究会事務局、大阪女学院大学)

ある人に言われたことがあります。「平和を求める人は、えてしてセンチメンタリズムに陥りがちになるのではないでしょうか。"Love & Peace"は、祈りともなりうるが、時には、単なる自己暗示の呪文となる。祈りは力になるが、呪文は自己満足かもしれません。」

本人が意識しているかどうかは別にして、そう受け止められてしまう場合もあるでしょう。また、本人にそのつもりがなくても、自分で気がつかないだけということもあるでしょう。

またその人は、次のようにも言いました。「個々の活動家の善意や情熱に対しても、私は敬意を表すると同時に、危うさも感じます。なぜなら、ものを考えていないように見えることがあるからです。」

一時たりとも思考停止せず、平和活動を展開する。常に自己批判を可能にし、自らの問題点を整理しながら、それに取り組み、その上で積極的に他者と、社会と、世界とつながってゆく。

言うは易く・・・で、これは大変難しいことです。とくに今の危機的状況の中、性急にことを進めなければ間に合わないという強迫観念を持ってしまう場合には、つい忘れがちになることもあるでしょう。あるいは、そのための時間やエネルギーが不足してしまうこともあるでしょう。

また、暴力を行使する権力側の一方的抑圧・搾取に対抗するためには、市民が地道な活動をとおして、膨大な情報を共有し連帯しなければ握りつぶされてしまうというのも事実です。

実際に抹殺されている人々の声を聞いたり(そうした声が聞こえない場合が圧倒的ですが)、映像を目にしたりするとき、状況への対処が追いつかないとか、力が及ばないということに気づき、どうしようもない絶望感に襲われます。そこをなんとか踏ん張って生きていくという選択をするためにも、連帯が「糧」となっている側面があります。

今の状況(「力あるもの」が「力なきもの」を抑圧する状況)を改革していくために、平和活動が必要であることは言うまでもありません。だからこそ、なおさら本当の意味で社会としっかりつながるためにも、「思考停止」する可能性のある、あるいはすでにしている平和活動の、結果としての「攻撃性」、ともすれば「暴力性」についてもっと深く考える必要があるのかもしれません。

私たちは、自らの行為が正しいと信じるあまり、権力側に対して、また、一般の人々に対して、(そのメッセージが何であれ)一方的に押し付けようとしている、ということはないでしょうか。事柄の重要性に「目覚め」、「高い問題意識」をもったつもりの私たちが、「特権」的に社会に提言しようとする構図に、私たちが逆に絡みとられてしまっているのかもしれません。さらに、そこにこそ、今、平和活動が前に進めない要素が育まれてしまっているのかもしれないと考えるのです。

今までの平和活動を十把一絡げにするつもりはないのですが、傾向として、今までの平和活動のスタイルは、シュプレヒコールをあげ、反対を唱えるというものでした。

もちろん、それらの活動の大きな成果に敬意を表しますし、それらのおかげで今ここまでやってきている、ということも感じています。しかし、今後同じスタイルで活動を展開していっても行き止まりにぶち当たるだけではないか、と思うのです。

なぜなら、そこには、抵抗するものと抵抗されるものとの間に全く「対話」が成立していなかったから、というのが、少なくとも一つの理由ではないかと思います。

もちろん、抵抗するものには、「力」は全くといっていいほどなかったし、抵抗される側には圧倒的「政治力」や「権力」があった。だから、当然ながら抵抗運動は大事です。しかし、権力側からすると、そんな抵抗運動というのは「対話」する必要もない相手であったし、ただ反対を唱えているだけの運動は、容易に無視することができたわけで、溝は全く埋まらなかった。

では、どうすればいいのでしょうか。平和運動にとって、「対話」することは可能なのでしょうか。少なくとも第一歩としては、権力側が無視できない状況をつくりだす必要があるでしょう。NPJなどがやっているような「オルタナティブ」を力いっぱい提唱していくことだと信じます。

しかし、それだけでは十分ではないように思うのです。権力側に対してだけではなく、一般社会に対して、平和運動は「対話」を育んできたのでしょうか。例えば、デモ行進(この頃はピースウォークと呼ばれます)などは、一般市民にとっては、単にうっとうしい存在であるのではないでしょうか。つまり、一定の政治イデオロギーを掲げる街宣車などと同様の存在として受け止められているという現実があります。メッセージは全く反対のものであるのにもかかわらず、一般社会は、両方ともただ単に面倒くさい存在としてしか受け止めていないとするなら、こんな効果の薄い「平和活動」は考え直さなくてはなりません。

相手が、権力側であれ、一般社会であれ、私たちは、本当に「対話」する方法を知っているのでしょうか。実感としてその意味を知り、自らの経験として持っているでしょうか。

「対話」とは何でしょうか。相手を説き伏せる討論(debate)ではない。ただの、おしゃべり(talk/chat)や会話(conversation)でもない。独り言(monologue)ではない"Dialogue"だとすると、そこには他者との深い関わりが必要になります。相手の言わんとすることを、相手の想いを、深く汲み取るためにゆっくり「聴く」ことです。私たちは抵抗運動の中に、平和運動の中に、反戦運動の中において、様々な状況の中でそれをやってきたでしょうか。

NPJとトランセンド研究会が協力してくれている「関西ほんわかミーティング」は、歩みだしてから第4回を数えました。ここでは、課題・議題はあえて設定せずに、2ヶ月に1回、好きなように集まって、好きなように語り合うための「場」を用意しています。一般に、平和活動家や市民が集まる集会などでは、「課題についての話を聞き、(時間の制約のため)質疑応答もそこそこに、また会いましょうね、と挨拶をかわすだけで別れる」というパターンがよく起こります。「ほんわかミーティング」の「場」では、そのパターンの持っているジレンマ、つまり、ゆっくり互いの想いを「聴く」ことができない、ということを補うことが可能になります。先回は、「対話」ということについても語り合いました。

お互いのことを「聴」くことが、私たちの運動の中で、必要となっていると感じます。「聴く」ことに焦点をあてた「対話」を実感として得た人は、今度は、そのサークルの外に出て今まで「敵対」してきた相手に対して語り、そして何よりも重要なことに「聴く」ことを始めるだろうという気がします。そして、一般社会の思いを「聴く」ことも始めるでしょう。そして、「聴く」ことは、自己批判や思考継続につながっていきます。「攻撃」的、「暴力」的な平和運動ではなく、「対話」を軸にした新しい時代の平和運動の新しい展開が可能になると思うのです。みなさんはどう考えられるでしょうか。

私は普段、大学の教室という場所で、若い学生たちと接しています。平和について、目を輝かして考え、議論する学生たちも多く、いろんな意味での希望を持っています。非常勤講師として機会をいただき、ほとんど知らない学生ばかりを相手にしている場合、大量の学生を一度に相手にして授業を展開することもあります。そして、一部ではありますが、新自由主義史観を信奉する学生に出会います。彼(女)らは、アンケート用紙やコメント用紙に、それぞれの思いを書き、私の授業を批判します。しかし、それでも「平和学」の授業に出席するのです。教師である私とは意見を異にする学生ですが、その場に休まず参加している姿を見ていると、そこには「対話」の可能性が潜んでいるのではないかと思います。「文句」をいいながらでも、「平和学」に一定の関心を示しているのです。

NPJでは、社会にどのように働きかけるのかという点について、メーリングリストなどでさかんに議論が重ねられています。会員のみなさんの熱い思いを感じています。その熱い思いが、無駄にならないように、本当に生きるように多様な側面における「対話」の可能性を模索しながら、一緒に歩みを続けていけたら幸せです。

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すりらんか通信

非暴力平和隊フィールド・チーム・メンバー 大島みどり

*スリランカ通信47号2月13日〜49号3月11日より編集

ニューズレターNo. 7
みなさまこんにちは。日本は少しは暖かくなってきているころでしょうか。スリランカはますます暑くなっています。ここ数日南部では、夕方に雷雨が訪れます。少しは気温が下がるのでよいのですが、大きな雷がときどき落ちているようです。

3月初めの約5日間のNPSL(Nonviolent Peaceforce, Sri Lanka)全体ミーティングとそれに続く話し合いで、わたしのジャフナからの異動が決まりました。おそらく3月下旬には、昨年9月中旬まで居たマータラに移動します。

ジャフナでまだしたいことはたくさんありますが、古巣(?!)のマータラで今後できることを見つけていこうと思います。マータラの何人かの知り合い・友人は、わたしがジャフナにいても連絡をくれていましたので、彼(女)らがわたしを助けてくれると思いますし、またわたしが何か彼(女)らとできることがあれが、とてもうれしいです。

日本NGOの視察ツアーに参加

2月1日から6日まで、スリランカで活動をする日本のNGO13団体が作る「スリランカ復興・開発NGOネットワーク」の現地視察ツアーに部分的に同行させていただきました。非暴力平和隊・日本もこのネットワークの参加団体です(編集部注:「NGOが見た津波被害と復興の現状」報告参照)。

日本からの参加者は8名でしたが、わたしのように、各地で部分的に参加する日本人スタッフと現地人スタッフがいて、多いときには15人程度の大所帯が、早朝から夜まで何台かのバンで移動をすることになりました。

ジャフナでアジア太平洋資料センター(PARC)の漁村および津波災害支援(ボート・網などの支給)とブリッジ・エーシア・ジャパン(BAJ)の津波被災者のための仮設住居(学校)建設を拝見し、キリノッチ・ワウニアでは、同じくBAJの職業訓練所、AMDAの基礎保険サービス復興支援事業、日本紛争予防センター(JCCP)の地雷除去プロジェクト現場を訪問しました。ワウニアではまた、JICAの北東部プロジェクト・オフィスを訪問しました。

トリンコマリーではふた手に分かれ、一方のチームはジャパン・プラット・フォームが行う津波被災者の仮設住宅建設現場を、また他方は反差別国際運動(IMADR)が行う被災者支援(IMADRの現地パートナーである女性団体が活動)現場を見学しました。その後全員が一緒に、トリンコマリーからフェリーで渡った(わたしたちNPのムトゥール事務所から近い)キニアという、被害のひどかった地区の避難所を訪れました。ここは以前から回教徒とタミル人(ヒンドゥー教徒)の対立が激しいところで、避難所も双方のコミュニティで別々に建設されていました。

ポロンナルワからバティカロアへの途中では、トイレ休憩に際して、NPのオフィスのあるヴァルチェナイに15分ほど立ち寄り、わたしはチーム・メイト5人に出会うことができました! ヴァルチェナイ近辺も被害を受けており、避難民キャンプが街の中に作られていました(ヴァルチェナイ・チームの知り合いで亡くなった方々もいますし、チームの通訳をしている女性のバティカロアの家は大変な損害 を受け、また彼女の親戚・親類でも25名ほどの人が亡くなったそうです)。

バティカロアの南からアンパラにかけては、おそらくスリランカでいちばん被害の大きかったところですが、それは海岸線に沿って町が作られ、人口が密集していたからのようです。また回教徒とタミル人(ヒンドゥー教徒)の住む地域が断層のように、交互に海岸線を色分けしているため、それぞれのコミュニティの被災者は、隣の(回教徒はタミル人の、あるいはタミル人は回教徒の)コミュニティに移り住むことはできず、仮設住宅を建てようにも空き地がないという困難な状況があると、面会したアンパラ県知事(Government Agent, GA)が話していました。

LTTE幹部の暗殺事件

2月7日夜、東部州のLTTE幹部がその他数名とともに、暗殺される事件があり、その余波で、北・東部のあちこちでハタールと呼ばれるストライキが起こりました。ジャフナは12日、ほぼすべての店が閉まり、交通機関(バスやオート三輪)もストップしました。暗殺した犯人は例によってわからず、LTTE側は政府軍だと言い、ある人はLTTE内、東部・北部の抗争で別れた一派だと言います(筆者後記:12日は、市民(背後にLTTEがいるかどうかは不明)による、何箇所かの政府軍哨舎(見張り小屋)の放火がおき、またそのほぼ10日後には、政府軍とLTTEの緩衝地帯において、政府軍兵士の殺害事件がおきました。また3月に入ってからは、政府軍による市民を巻き込んだ不肖事件が起きるなど、一触即発の状況が、現在もジャフナでは続いています。そしてこうした状況を変えるにはどうしたらよいのか、ジャフナを離れた今も考え続けています)。

遅々として進まない仮設住宅建設

津波被災者の仮設住宅建設は、どこの地域でも、進み具合がかんばしくありません。各地域で多少の違いはありますが、建設遅れの主な理由は、下記のようなものだと思われます。

1. 土地不足(政府が所有する土地が少ない。もちろん政府が所有者と話し合って貸してもらう場合もあるが、なかなかまとまらない。)

2. 政府が定めようとしている、海岸線からの新規建設不許可地帯(海岸線から何百メートルまでは新規に建物を建てられないという法律)が、はっきり決まらない。(情報と情報の流れに混乱が生じている)

3. 労働力不足(一部地域では、被災者に賃金を出して、労働力を補う工夫をしているが、技術を要する仕事に携われる労働力(大工など)は限られていて、いまはスリランカ中でこうした労働力が請われており、需要と供給があわない。

4. 木材ほか、材料不足。これも上記と同じで、供給力が需要に追いつかない。

これらは深刻な問題で、ジャフナのポイント・ペドロ(PPD)でもまだ完成した仮設住宅キャンプはわたしが把握する限りひとつもありません。また、PPDでは仮設住宅キャンプに住むよりは、壊れた自宅の隣か近所の親戚の敷地内に、国際赤十字やUNHCRから支給されたテントを建てて、自分の家が修理できるまでそこに住もうと考える家族も多いようです。ただ、その壊れた自分の家の修理が可能なのか(建設不許可ゾーンに入っていたら?)、そしてたとえ可能であっても、その修理費用が政府等からいつ支給されるのかわからず、毎日を過ごしている人たちも多くいます。

PPDでは、政府からの食糧配給スタンプや台所用品購入費用、毎月の生活費の補償(決められた額)などは、ほぼ滞りなく行き渡っているようですし、彼らの生活手段である漁のためのボートや網の補修・修理には、国際NGOからある程度援助があるようですが、その数・金額には限度があります。提供する側も、限られた予算で援助をしているわけなので、すべての人々に同時に同様の援助をするというのは、大変むずかしいことです。が、もちろん被災者にとっては、「あちらには支給されて、なんでじぶんには支給されないのか」ということになります。ボートや網に限らず、例えば自転車のような日用品にしても、苦情は絶えません。

北部・東部・南部、それぞれの事情

昨日(2月22日)、被災後3度目に訪れたムラティブでは、仮設住宅建設が、ジャフナに比べて進んでいました。これはジャフナの政治的背景(権力・指令系統)が、ムラティブより複雑であることに起因します。政府とLTTEという二大勢力が存在するジャフナでは、LTTEの力が絶対的に強いムラティブより、すべての仕事に時間がかかると言っても過言ではありません。国際NGOスタッフに訊いてみても、だれもがムラティブのほうが活動しやすいと言います。これは、よい・悪いの評価とはまったく別の、既成事実です。ただ、こうした理由で、被災者がとばっちりを受けることになるのであれば、それは悲しいことです。でも、こればかりは、残念ながらいますぐに解決できる問題ではありません。20数年積み重なった(内戦の)歴史が、そこにあります。

それでも、北部では南部で聞かれるような、「不正・汚職」というような話は聞きません。この場合の「不正・汚職」は、支給物資・資金を誰かがどこかで横取りするとか、公平に分配しないというようなことなのですが、それがどこまで事実なのか、津波被災後南部をまだこの目で見ていないわたしとしては、確信が持てません。それにしても、北部でそうした不正に関する話を、一度も聞いたことがないというのは、かなり救いだとわたしは思います。もちろん言い換えれば、北部では、不正をするという以前に、不正もできないような政治的・社会的状況・問題があるとも言えます。いずれにせよ、北部には北部の、南部には南部の、(そして他の場所は他の場所の)問題があるということに間違いありません。スリランカという国・社会の複雑さ、多重性、問題の根深さは、停戦合意(2002年2月)後も、まったく変わっていません。

まだまだ続く被災の傷跡

先日(3月初旬)ほんの半日だけ移動中に、ゴール周辺の津波被災地を垣間見ることができましたが、やはりひどい被害でした。暑い日差しの下何十と並べられたテントで生活する人々の困難さが思い遣られます。マータラに移動後も、津波救援活動のモニタリングも引き続き行っていく予定です。

スリランカに到着した直後の語学トレーニングではタミル語を学び、その後マータラに赴任したため、必死にシンハラ語学習を始め、それを少しずつ覚え始めたところでジャフナ(タミル語)に移動、そしていま再度シンハラ人社会…。残念ながらおそらくどちらのことばにも慣れずに、任期を終えそうです。でも、やれるところまでやってみます。ことばは、人々とのコミュニケーションのいちばん大切な鍵ですから。

それではマータラで落ち着いたら、またご報告させていただきます。みなさまもどうぞお元気で。

【文責:編集部】

(筆者後記:3月23日マータラへ移動。階下の大家さんはじめ、すでに何人もの友達が訪ねて来てくれて、彼らのホスピタリティーに感謝しています。休日が続いているため、本格的な活動は来週(28日)から。スリランカ人も音(ね)をあげるほどの、全国的猛暑。体力を消耗する外出には、それだけで相当の覚悟です。)

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非暴力平和隊・日本(NPJ) 第3回総会報告

去る3月13日(日)の午後、東京・文京区の音羽生涯学習館にて、第3回総会が、またそれにさきがけ運営委員会が開催されました。

運営委員会・総会では、NPJとしての中期的目標をどのように設定するか、国際事務局(NP)と連携しながら、NPJとして何をしていくのか・何ができるのか、会費の件などの課題が議論されました。また、運営委員(*理事)・会員同士が、顔を見ながら話し合う機会をもっと増やそうという具体案も出され、随時開催していく予定です。

以下、次年度へ向けての主な提案と決定事項をご報告いたします。

*報告にもありますように、「運営委員」・「運営委員会」はそれぞれ「理事」・「理事会」と変更することが総会にて決定しました。

●日 時:2005年3月13日(日)
 午後1時〜午後4時半 運営委員会
 午後5時〜午後7時半 総会
●場 所:音羽生涯学習館 学習室A
●議 題:今年度予算・事業報告について、来年度予算・事業計画について、他
●議 長:奥本京子
●書 記:国吉志保
●正会員総数66名(総会定足数:22名)
 総会出席者数 17名
 委任状 21名
*その他、賛助会員2名が総会に出席
*総会出席者:
(運営委員)青木護、浅見靖仁、安藤博、大橋祐治、大畑豊、奥本京子、君島東彦、鞍田東、小林善樹、高井真
( 会 員 )青山正、宇野朗子、勝田淳、小森洋祐、マイケル・トマス・シーゲル、田村あずみ、外山聖子、中里見博
(事 務 局)佐藤妙子、国吉志保

今年度の事業報告は議案のとおりですが、追加として、NPJニューズレターの隔月発行、スリランカ通信の配信、スリランカ復興開発NGOネットワークへの加盟、スリランカ研究フォーラムへの参加、国際平和旅団(PBI)への支援などが報告されました。詳細はウェブサイトに掲載されてますが、ウェブサイトが見れない方は事務局までお尋ねください。

事業報告に続き、次年度への事業計画が以下のように討議されました。

1. 非暴力連続講座
・講座の年間カリキュラムを組み、青山・阿木・大畑以外の運営委員(理事)が講師となる。
・講座の中で、NPおよびNPJ自体についても取り上げる。
・「非暴力」というテーマについて、これまで以上に広い切り口で考えられるような講座にする。

2. 運営委員会(理事会)について
・運営委員会(理事会)を6月、9月、12月、3月開催する。

3. 役員の役割、役員構成の変更
・運営委員の名称を理事に変更し、理事としての役割・責任を明確にする。
・新たな役職として事務局長を設置する。
・新年度役員の選出。

  • 共同代表は大畑豊と君島東彦が再任
  • 新設された事務局長に安藤博が就任
  • これまで空席だった監事に鞍田東が就任
  • 谷口紀仁と鞍田東が理事を退任
  • 青山正(ピースネット、市民平和基金代表)と中里見博(福島大学助教授)が新たに理事に就任

4. 規約の改正
・会費差額を支払うことによって、賛助会員から正会員に変更することができる。その場合の正会員の期間は、変更前の賛助会費が有効な期間と同じとする(第6条4項、従来の4項を5項に変更)。
・第10条1項を「本会に、役員として、運営委員及び監事を置く」から「本会に、役員として、理事、事務局長、及び監事をおく」に変更する。
・これにともない規約中の運営委員、運営委員会を理事、理事会に変更する。

5. 中期的な目標について
 提案
・フィールドワーカーの志願者と、フィールドワーカーの活動費としての寄付を獲得するために、運営委員(理事)が責任を持って活動する。
・NPとの関係の強化=NPJを賛同団体ではなく、NP国際事務局のオフィス(東アジアオフィス)とする。オフィスを東京に置く。
・NP国際理事会、執行委員会を日本で開催する。

6. GPPAC(武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ)への取り組み
・GPPAC(ジーパック、Global Partnership for the Prevention of Armed Conflict)に、NPJの役員・会員ともに積極的に関わる。理事の安藤博に月1度の会合に参加する。(別紙チラシ参照)

7. 会費の引き下げについて
・会費を引き下げたとことが即会員増加につながるとは考え難い、十分な議論をするには時間が足りない、等の意見が多数を占め、会費の引き下げ案は否決。

8. その他
・君島論文(『平和・人権・NGO すべての人が安心して生きるために』)と「非暴力平和隊 実現可能性の研究」の冊子を事務局で作成し、運営委員・会員に配布してもらう。
・スリランカ・プロジェクトへのカンパとして、現在寄せられている109,280円分相当のドルを今年度中に送金する。

9. 総会参加者からの意見
・NPJのリーフレットの改訂(デザイナーに依頼する、などして見栄えよく)
・非暴力平和隊(NP)国際事務局のアニュアル・レポートを日本語で読めるようにしてほしい。
・「非暴力ライブラリー」(本や映像資料)をつくる。
・きちんと宣伝にお金をかけないと会員は集まらない。

10. 決算報告

非暴力平和隊・日本 決算報告書

自2004年  4月 1日
至2004年 10月31日

単位:円

上記の通りご報告いたします。

2005年3月13日
会計担当 青木護

貸借対照表

損益計算表

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「スリランカ津波被災者救援キャンペーン」活動報告

スリランカ研究フォーラム、ピースボート、アジア女性資料センターなどと共に呼びかけました救援キャンペーンにご協力いただき、ありがとうございました(前号参照)。お寄せいただきましたカンパで浄水器20台を購入しスリランカに届けることができました。 以下、現地に届けましたピースボートからの報告の抜粋です

スリランカ浄水器設置報告

ピースボート 上野祥法

皆様の多大なるご協力を頂きまして、スリランカに浄水器20台を届けて参りました。

皆様をはじめとした、多くの方々に街頭募金や振り込みでの支援を頂きまして、無事に当初予定していた20台の浄水器を購入することが出来ました。そして今回、2月5日から11日までの6日間、ピースボートスタッフ2名、ボランティアスタッフ2名の計4名で浄水器を届けに行って参りました。

浄水器を持ってスリランカへ

空港では、一度止められて「いくら支援物資だからと言っても、入れることは出来ない」と頑なに断られましたが、2時間に渡る交渉の結果、200USドルを税金として支払えば通関完了できることとなり、なんとか入れることが出来ました。到着後、初日はホテルのバスルームを使い、浄水器の動作確認とセットアップ作業、説明方法の確認、など実際の作業に備え、事前準備を行いました。

水に関して

今は給水車によってデイリーの水は確保できている状態ですが、給水車がこの先ずっと来てくれるわけではありません。早急に元々の井戸から水を確保することが重要だと考えます。

そこで、私たちの浄水器を上手く活用してもらい、日々の水は給水車に頼りながらでも、一方で浄水器を使いながら、自分たちの井戸のクリーンアップをしていき、早い段階で自分たちの井戸から生活用水を安定して確保出来るようになることが望ましいと考えています。

仮設住宅への浄水器の設置

現在セーワー・ランカーが進めているものとして、再定住プログラムがあります。これは、津波の被害で家を失った人たちの、いわゆる仮設住宅の建設です。ヒッカドゥワ、ハバラドゥワにそれぞれ100戸、マータラには200戸のキャンプを建設中とのことで、今回私たちが持っていった浄水器は、そういったキャンプへ設置する事になりました。

それぞれのキャンプに入る事の出来る人は、1. 元々、その地域に住んでいた人、2. 大家族や病人を抱えている人、が優先され、入居していきます。

そして、スリランカの場合は、仮設住宅地域の設計にも、「コミュニティ」を基本とする考えで行っており、一つのキャンプには必ず「コミュニティセンター」や「グラウンド」を設け、居住する人たちの年齢や環境もバランスをとると言うことです。神戸の時に起こったようなコミュニティの崩壊に対し、セーワー・ランカーは、そういった所への配慮も非常にしっかりしていました。

当初、浄水器を設置するのは、ゴール県のハバラドゥワという地域にと考えていたのですが、この1ヶ月の間に、上記のような再定住プログラムも始まり、状況も変化しているということで、結果的にゴール県からマータラ、タンゴール、ハンバントタに至までの南部の広い地域の中で、必要な所に設置をするという事になりました。

今回持っていった20台の浄水器のうち、8台をそれぞれのキャンプに預け、(当初は固定で設置をしようと考えていたのですが、盗難などの治安上の問題から、キャンプに必ず一つあるセーワー・ランカーの詰め所での保管)、残り12台は、セーワー・ランカーの人たちの判断で、必要なところに設置をしてもらうという約束をして帰って参りました。

現地での問題

スリランカでは、津波の被害から1ヶ月の間に、様々な国からたくさんの支援物資とボランティアが来て、様々な場所で支援活動を行ってきました。それ自体は非常にありがたいことなのですが、一方では、支援に来る人や物のコントロールが効かず、バランス等を配慮しない支援がされてしまった地域もあり、そういった地域では、支援物資や家などの所有権を巡って住民間でのもめ事が起こってしまっているそうです。

今後について

今後、私たちとしてもスリランカに対する「支援」をどういった形で行っていくのかを検討しなければいけないと強く考えさせられました。 ピースボートとしては、ひとまず「物」の支援はアイドリング状態にしておき、今後セーワー・ランカーと連絡を取っていく中で、現地から「必要だ」とのリクエストが来次第、その都度検討し支援をしていきたいと考えています。

最後に、簡単ではありますが、今回沢山の皆様にご協力頂きました募金の会計報告をさせて頂きます。また詳しくは、近々にピースボートのホームページにアップ致しますので、そちらをご確認下さい。

募金総額(05年3月1日時点)

\11,495,795-

使用金額

・浄水器   \1,869,000-
・輸送費   \ 523,300-
・備品代   \  39,021-
・記録費   \   1,630-
・交通費   \ 142,060-
--------------------------
 合計    \2,575,011-

残高

\8,920,784-

ご協力ありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。

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NGOが見た津波被害と復興の現状

NPJ理事 大橋祐治

今回の会議は、平成16年度外務省主宰「国別NGO研究会(スリランカ)」の実施団体に指定され、スリランカの和平に向けての復興計画の一端を担っている日本のNGO13団体(後記)である「スリランカ復興開発NGOネットワーク」が、津波被害と復興の現状についての現地調査報告をするにあたり、政府、関係諸団体と合同でそれぞれの立場からの報告会を2月26日に開催したものである。

なお現地調査は1月29日より2月9日まで実施され、NPJからは大島みどりが現地参加した。調査地域はジャフナ、キリノッチ、アンパーラ、トリンコマリー、バッティカロア、アンパーラ、ハンバントータ、ゴールなどスリランカ北東部から南部を回った。以下報告会に出席した感想を述べたい。

まず大変盛り上がった会議であった。参加者も多く、外務省初め政府関係機関とNGOとの関係が緊密になった、政府のNGOに対する理解が深まった(津波被害援助を切っ掛けとして)印象を持った。

しかし一方では、まだまだ政府の理解(NGOを活用することの)が進んでいないことも知らされた。今後、一層このネットワークでまとまって活動することの重要性を感じた。

報告を聞きながら、NPのスリランカでの活動並びにNPJの「ネットワーク」に参加して得るものは何かなどを考えていた。

1. NPJにはコロンボ事務所からの情報はほとんどない。(津波被害関連だけではなく、非暴力平和隊としての活動の現況)Mel Duncanから1月末の報告が最後であるように記憶している。NPJのあり方、進め方にも関連し問題点の一つであろう。FTM(フィールドワーカーのこと)は毎日本部に報告を義務づけっれていると聞いている。

2. William Knoxは、アナン国連事務総長との会談に参加したとの情報があった。しかし、いわゆる草の根の市民活動、ローカルのNGOとどの程度の接触を持っているのか。11月に来日した現地有力NGOの一つセーラワンカのトップは非暴力平和隊のことをまったく知らなかった。

3. 調査団に現地参加した大島みどりは、その報告の「総括・感想・コメント」で次のように書いている。

  • バティカロアでのUNHCRとの面談は、ジャフナでのNPの活動の示唆(ガイダンス)となる、有効なものだった。
  • 日本のNGOのスリランカでの活動(津波災害救援以外)を知る上で、大変役に立つツアーとなった。
  • 日本のNGOがスリランカで現地パートナーあるいは地元の人々と共同事業を行うに際しての、問題点や工夫、そしてその解決方法(の模索)を知ることは、NPの今後の活動にも大変参考になった。日本におけるスリランカ支援のNGOネットワークおよびその現地事務所、そして地元パートナー団体、関連団体の人々と出会うことができ、今後のNPの活動のネットワークを広げる可能性につながった。

4. NPJがネットワークに参加しているのは大島みどりの報告にもあるように有益であると思う。それが、今後の現地でのWilliam Knoxが指揮する非暴力平和隊にどのようにフィードバックされるのか、今後注目していきたい。

以下、概要を報告する。

開会挨拶

外務省経済協力局 城所室長
・日本の支援が一番早く、且つ実行を伴った(インドと日本が一番乗り)。

・オールジャパンとしての救援活動が出来た。救援物資は新潟中越地震の為の備蓄物資(食料・医療品など)を地方公共団体の協力、民間航空会社、防衛庁の輸送手段で運搬。バンダアチェでは現地の高い評価を得、モルデイヴでは1988年の日本政府援助による防波堤が被害を最小限にとどめることが出来た。

・NGOに対する津波関係予算として27億円の予算を成立させた。

ネットワーク紹介及び「国別NGO研究会(スリランカ)」事業報告

BAJ 新井事務局長
外務省、JICA、JBICとも連携して月一回の会合を開いている。現在、津波被害の緊急支援を中心に動いている。スリランカでは津波発生後、それまで600団体であったNGOが6,000まで急増したとのことである。NGO間の協調が問題となっている。

外務省の津波救援方針

外務省アジア大洋州局南西アジア課 畑中氏
津波被害に対する日本政府としての対応を報告。政府として総額500億円の援助を決定したが、内訳は二国間ベースが250億円、国際機関を介した支援が250億円である。二国間ベースは更に(1)緊急支援(国際緊急援助隊、無償資金協力、緊急援助物資の供与)と(2)復旧・復興に分けられるが(1)については既に実施済みであり(2)についてはニーズ調査を行っている。国際機関を介した支援は国連の諸機関を介したものである。

問題点:

  1. 2003年6月の東京宣言で「支援は和平の進展にリンクする」原則が打ち出され、欧米諸国はこの原則を貫いているが(ネガテイブ・リンケージ)、日本は現在の緊急事態に鑑み、ポジテイブ・リンケージ(和平を達成するために資金を供与する)の考えをとっている。
  2. 援助に関連して紛争が再発しないような配慮が必要であり、スリランカ政府とLTTEの支配地域それぞれの状況を十分調査しながら実施することが必要。

JICAの津波救援方針

アジア第二部南西アジアチーム 西宮氏
・支援の基本方針として、緊急ではあるが中・長期的視点に立った援助施策を考えている。即ち、ジェンダー問題、貧困対策、自立支援、クロス・カッテイング・イシューなどを配慮し、市民のために、市民と協力して(with people for people)被害者の視点を配慮した援助をしている。

・サルボダヤ、セーワランカ,YMCA等の現地NGOは農漁村での永年の実績があり、特にLTTE支配地域などでの復興支援では行政と住民との間に入って意見調整をしている。住民支援活動は現地NGOを介しての支援が最も現実的である。一方、現地NGOはJICAの契約するコンサルタントの下請けを嫌っていて、JICAとの直接の契約を欲しているようで、この点をどうするかが課題である。

・日本のNGOと現地NGOとのつながりが,今回の住民支援に果たした役割は大きい。開発調査の実施に於いて日本のNGOとJICAが協力出来るような仕組みを整えることが有効である。

JBIC(国際協力銀行)の津波救援方針

開発第2部3班 小野氏・金氏
・現在、世銀,ADB(アジア開発銀行)と共同してニーズアセスメント調査を実施中。従って、別個に個別調査をすることは現地側の負担になるので注意が必要。

・円借款による今後の復興支援に関し、平和構築の視点(民族・地域バランスへの留意、援助の政治的利用への留意)、現地市民社会・NGOを巻き込んだ支援の実施に留意し、箱物にならないよう留意したい。

・BAJ、PARCに調査を依頼している。

津波救援の現状と評価、提言

開発第2部3班 小野氏・金氏
現状と評価:

  1. 漁村・貧困層の格差が広がる可能性
  2. 北部では内戦からの復興が開始され、国連による調整メカニズムが働いている。地方レベルの行政と国連との調整も良い。緊急援助についてもLTTE支配下では一元化されている。南部は民間中心で発展してきたので貧富の格差が大きい。
  3. 国際NGO(欧米系)が大規模に入っており、地元NGOとの間に矛盾をきたしている。住民が受身になっている。スリランカ政府の支援が多いほど住民が受身になる。

提言:

  1. 最初から長期的な視野での復興を計画し、経済格差の固定化を避ける
  2. 地域社会・地元団体主体の復興を
  3. 和平の推進に結びつくような支援を:現在の混乱・緊張が紛争につながらないように
  4. 国際NGOの調整の必要性
  5. 日本のNGO間と現地NGOとの調整・協力を:今のNGOネットワークは有意義であることが実証された

この他、調査団の訪問先の状況や、津波後の各NGOの活動報告、スリランカ大使館マニシャ参事官(Manisha Gunasekera)から感謝の挨拶があった。

*スリランカ復興開発NGOネットワーク構成団体:アジア太平洋資料センター (PARC)/アジアを紡ぐ会 (ASA)/オイスカ/ケア・ジャパン/自立のための道具の会(TFSR)/日本紛争予防センター (JCCP)/日本YMCA同盟/反差別国際運動 (IMADR)/BHNテレコム支援協議会 (BHN)//ブリッジ エーシア ジャパン (BAJ)/マリー・ストープス・インターナショナル (MSI)/ワールド・ビジョン・ジャパン (WVJ)

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インドネシア レポート

PBIボランティア・スタッフ 藤村陽子

ニューズレターNo. 7

みなさま、お元気ですか。ようやくジョクジャカルタでの語学研修を終え、3月22日にバンダアチェに入りました。現在、バンダアチェに配属されているPBIボランティアは私を含めて5人です。そのうち2人は以前PBIのボランティアとして活動していた者で、今回は4月7日までの臨時のようです。PBIはここに一軒家を借り、それがオフィス兼ボランティアの宿舎となっています。私は今日でバンダアチェ滞在5日目ですが、心身ともに健康ですのでご心配なく。

バンダアチェの様子ですが、やはりまだ津波の爪あとがはっきりと見えました。壊れた建物、田畑などは上空からもはっきりと見えました。初日にタクシーに乗り、津波の被害の大きかったところへ行きましたが、悲惨な状態でした。大きな建物も家も何もかも壊れてない所もありましたし、半分だけ崩れてない建物、そして床だけが残っている家の跡がたくさんありました。その時、被害者の遺体が発見され、運ばれていくところも見ました。何人かの人々はそこに戻り、自分たちの家のあった場所を探しにきていました。見つけた者は板に「この土地は○○○の所有物」と書いて掲示しているようです。

町の中心地にあるバンダアチェで一番大きなスーパーにはたくさんのものが置いてありましたが、値段はやはり高めです。ただ、アクアと呼ばれる飲料水は1ガロン4000ルピア(=約36円)とジョクジャカルタでの値段より安く売られています(1ガロン大体8000ルピア)。水道水ですが、ほかのPBIボランティア曰く、衛生状態が悪いので、歯を磨くときもアクアでするようにと言われました。庶民はどうしているのかと少し心配になります。また、大通りにはたくさんの屋台が軒を連ね、食べ物を売っていますが、なぜか蟹だけはにおいがきつく食べられないそうです(1ヶ月前まではほとんどなかったようですが、私がきたときにはもうたくさんありました)。その他、コピー屋、写真屋、雑貨屋なども開店しています。

気候ですが、毎日暑いです。昨日たくさん雨が降りましたが、逆に湿気が増し、余計暑くなってしまいました。ジョクジャカルタでは雨が降ると涼しくなったのでそちらの気候が少し恋しいです。

さて、外国人の滞在期間についてですが、インドネシア政府は以前、外国人は3月26日までにアチェを離れなければならないと発表していましたが、3月23日付のジャカルタポスト新聞によると、当政府は当初設定していた期限(3月26日)を延期すると発表しました。しかし、新しい期限はまだ未定で、4月27日までに期限を決定するとのことです。私が話した外国人登録係りのスタッフは、3月26日以降、外国人はまた登録しなおさなければならないと話していました。しかし、人によって再登録日や詳細などの情報がばらばらで、国連のほうもよくわからないとのことでした。(国連はOCHAと呼ばれる機関をバンダアチェに置き、週に一度国際NGOを集めて情報の公開を行っています。)

PBIの活動ですが、PBIは津波以降、臨時のアセスメントチームを構成し、津波の被害を受けたクライアント(地元のNGO)を訪問し、今後もPBIのサポートが必要かどうかを調査してきました。同チームのアセスメントによると、急を要する護衛的動向(protective accompaniment)の要請はないが、PBIと今後も協力していきたいと答えたNGOが多かったようです。現在PBI・アチェチームはフィールドワークをまだ再開していませんが、今後、インドネシア政府からの滞在許可が出れば、同アセスメントを元に再開を検討していく意思を持っています。しかし、2週間後にはボランティアが3人になるので、新しいボランティアを待ってからになるかもしれませんが。これからはそれまでに仕事をできるだけたくさん覚え、彼らがいなくなってもチームが機能するように努力していくことが新しいボランティアにとって最大の課題となります。

日本ではそろそろ桜の季節でしょうか。それでは皆様、お体に気をつけて各方面でご活躍ください。私もPBI・アチェチームの一員としてがんばっていきたいと思っています。

2005年3月26日
PBI・藤村陽子

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国際理事会報告(3) -議事録から(下)

大畑 豊

・使命とスリランカにおける戦略とが混乱し、FTM(フィールドチームメンバー)に混乱を生じている

・非暴力平和隊は現在、スリランカで最大規模の国際的平和プレゼンスである。

・選挙監視でPAFFRELに協力した。PAFFRELは全国的に素晴らしい評価を得ている。しかし、選挙期間以外は休眠状態に入る。

・解決策を提供するのは非暴力平和隊の仕事ではない。我々は地域の人達が彼らで解決策を見つけるよう彼らをサポートするために働いている。

・非暴力平和隊への資金提供者には国際理事会会議で提出される全ての情報は提供される。問題は一般社会を対象にする場合である。

・FTM各人は何があったかを彼らの個人的支持者に知らせるよう奨励されているので、Eメールやウエッブ日記がある。私もこれらの幾つかを非暴力平和隊のウエブサイトに掲載している。

・プロジェクトが使命に合致しているのかの分析や、目的に向けての進展状況が必要である。

・トロムソ大学・平和研究センター(ノルウエー)のヨルゲンセン・ヨハンセンによる最初の現地訪問を完了し、3年間に亘る外部のフィールド評価を提出する予定である。

・メンバー団体(MO)と十分コミュニケートしていないし、MOを巻き込んでいない。MOの中では関心が欠如しており、他の活動を優先している。

・Eメールは北のメンバーにはよいが南では極めて異なる。我が国ではEメールの遮断や監視が非常に多いために制約がある。

【資金調達】

・アメリカは社会奉仕事業で有名である。アメリカからの民間の貢献は2000億ドルである。85%は個人、10%は基金、5%は実業界であった。個人の85%の半分は遺産である。

・全ての寄付者の重要視する視点はそれぞれ異なるので、我々は違った説明をする準備が必要----何故「私」は今お金を出さねばならないのか。

・ダブリンで行われた紛争防止の会議では多くの非暴力平和隊が参加し、非暴力平和隊の知名度向上に役立てた。ドイツ外務省の平和資金援助担当の部長も会議に出席し、非暴力平和隊のプレゼンスを見、非暴力平和隊スタッフと直接話し、その後、ドイツ外務省の今年の援助は75,000ユーロとなった。

・3年毎の総会は2005年12月あるいは2006年早々に開催される。

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非暴力連続講座報告

事務局 佐藤妙子

第7回 「阿波根昌鴻の実践に学ぶ」

(2月5日(土) 文京シビックセンター)

ニューズレターNo. 7
阿波根さんの反戦活動を描いたビデオ『人間の住んでいる島』(1993)『阿波根昌鴻94歳・伊江島からのメーッセージ』(1997)を上映し、沖縄県伊江島で阿波根さんから直接お話を聞いた経験のある、阿木幸男と大畑豊(共にNPJ理事)が、その記憶や思いを語りました。 (参考文献:『命こそ宝』阿波根昌鴻、岩波新書)

二人のお話は、興味深いエピソードに満ちていましたが、ここでは一つずつ紹介します。

阿木は「阿波根さんは、たとえば、他人を批判しない、自分で考えることを大事にした。人生の最後期にあっても、反戦平和の話以外、しないすごい人だった。なぜこのような人ができたのかを、考えてみると、どうもその土地のエネルギー(仲間)が作ったとしか思えない」と、大畑は「阿波根さんがつくった、反戦平和資料館に、元米国海兵隊員で現在は平和活動をする、アレン・ネルソン氏を案内したら、館からすぐ出てきてしまった。その理由を聞くと、乾いた血の臭いがし、ヴェトナムの戦場を思い出してしまうから、ということだった。一見雑然とした展示のしかたであったが、そこは、臭いをも伝える"本当の戦争"を展示する資料館である」と述べました。

・ピースネットの青山さんから
 1月の連続講座相談会でもみなで考えたが、いわゆる「非暴力」に変わる言葉をさがしたい!「非暴力」という言葉で理解される内容は各人でそれぞれちがうし、もっといまの活動の中身を表現するのにふさわしい、ぴったりした言葉が欲しい

第8回 私たちの生活と軍事費

(3月5日(土) 文京シビックセンター)

国会では来年度の予算審議、イラクへの自衛隊派遣費用の違憲性・「非効率的税金の使われ方」の問題、NHK受信料不払い問題と、お金・税金に関する話題がいろいろ議論されました。ちょうど確定申告の時期でもあり、軍事費分税金不払いすると決めた参加者もおりました。以下概要です。

第1部

・大畑から、軍事費不払い運動の事例や歴史・不払いの具体的方法が説明され(特に90億ドル戦費支出違憲訴訟、反戦地主重課税訴訟、源泉徴収などを中心に)、民主主義との関係でその意義が指摘されました。 (参考文献:「憲法違反の税は払えません」三一書房)。

・阿木からも、自分の軍事費分の税金や、原発に反対しての東電料金の不払い等の経験、アメリカの事例を紹介されました。

第2部

・阿木の司会で、「NHK受信料をめぐって」(報告者:国吉志保)が議論されました。

議論は、NHKの公共性についての疑義、公共放送の意義、異議あればどのようなあり方が考えられるか、などなど。さらに研究されるべき重要な問題であることが確認されました。

 

QUESTION タイム

今回から「非暴力」に関する疑問について一緒に考えるコーナーを始めました。今回は『非暴力』(阿木幸男、現代書館)よりクエーカーについてと、最近のフランスの行動で、市場万能主義などを鼓舞する街の広告を破り捨てるという行為について、賛否・評価を議論し、非暴力に関する理解を深めました。さまざまな意見、関連事例がだされ、非暴力行動の歴史に学ぶ大切さを再確認しました。

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次回非暴力連続講座のお知らせ

ガンジーの非暴力:生活の現場からの社会改革

片山佳代子さんは夫の海外赴任に同行して、子供二人と共にインドに移り住みました。そのときたまたま書店で、「ガンジー著作集」を見かけ読み始めました。この本では手作業で綿から糸を紡ぐという糸紡ぎに関する記述にかなりのページが割かれていました。それ以外にも玄米を食べなさいとか、衛生面に気を配りなさいなど、これがインドを独立に導いた指導者の書いたものなのかと正直言って面食らってしまうものでした。

ここから片山さんのガンジーへの探求が始まりました。

ガンジーの勧める手作業は遅れたことと思えるかもしれませんが、機械化による大量生産に成功したと言われる私たちは本当に幸せなのか。しかも私たちの物質的豊かさは途上国の人々の犠牲の上に成り立っているのではないか。「生活に必要なものを、自分たちの手足を使って生み出していくというのは、決して、庶民が貧しかった江戸時代に戻ることではありません」と片山さんは言います。

片山さんは自分で糸を紡ぐ生活を実践しています。現代の私たちにとって糸を紡ぐとはどんな意味があるのか。片山さんのインドでの生活体験の話も交えながらガンジーの唱えた「いのちの経済」について考え合いたいと思います。

●片山さんのウェブサイト:http://homepage1.nifty.com/kayoko/index.htm

ニューズレターNo. 7
東西線神楽坂駅出口2番から出て、右に進んで天神町交差
点で「長崎ちゃんぽんリンガーハット」側に渡り、その右側並
び3軒目ぐらい。道路反対側にはコンビニampmがある。
駅から徒歩4分ほど。

●講師:片山佳代子(『ガンジー 自立の思想』{地湧社・刊}翻訳者)

●日時:4月2日(土)  午後1時半〜4時半

●参加費:500円

●会 場:SCAT(スキャット)セミナールーム(神楽坂駅近く)
 新宿区天神町63神楽坂メゾン2階 / Tel: 03-3269-8296

●第10回非暴力連続講座については、事務局までお問合せください。

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事務局だより、ほか

会員募集

■非暴力平和隊の理念と活動に賛同・支援してくださる個人および団体を会員として募集しています。入会のお申し込みは、郵便振替、銀行振込、非暴力平和隊・日本ウェブサイトの「入会申し込みフォーム」をご利用下さいますようお願いいたします。

●正会員(議決権あり)
・一般個人:1万円
・学生個人:3千円
*団体は正会員にはなれません。

●賛助会員(議決権なし)
・賛助個人:5千円(1口)
・賛助学生:2千円(1口)
・賛助団体:1万円(1口)

■郵便振替:00110-0-462182 加入者名:NPJ
*通信欄に会員の種類を(賛助会員の場合は口数も)ご明記ください。 例:賛助個人1口

■銀行振込:三井住友銀行 白山支店 普通 6622651 口座名義:NPJ代表 大畑豊
*銀行振込をご利用の場合は、お手数ですが電話・ファックス・メールのいずれかを通じて入会希望の旨、NPJ事務局までご連絡くださいますようお願いいたします。

ウェブサイトからのお申し込み

お申し込み・お問い合わせ

■非暴力平和隊・日本に関する資料のご請求や各種お申し込み・お問い合わせは 本誌表紙に記載されているNPJ事務局までお願いいたします。

ご案内

君島共同代表が『平和・人権・NGO すべての人が安心して生きるために』(新評論)に、「平和をつくる主体としてのNGO」という章(約30ページ)を書いており、この中で非暴力平和隊のことを詳しく紹介しています。出版社のご厚意により、この1章の抜き刷りを作成し、配布させていただけることになりました。是非、非暴力平和隊の紹介にご活用ください。A5版・表紙カラー・一部300円(送料別)、ご注文は事務局まで。

事務局便り

NPJ事務局 国吉志保

ニューズレター7号はいかがでしたか? さて、4月3日(日)午後5時から、NPJ主催のスリランカセミナーに講師としてお招きしたニハール・ダイアスさんのスリランカ・レストラン「SIGIRIYA(シギリヤ)」(Tel 03-3882-6948、足立区千住旭町4-18 三珠ビル2階。北千住駅東口から徒歩3分。まっすぐ学園通りを進むとファミリーマートの手前、足立税務署・労働基準監督署の隣り)で、NPJの食事会を企画しました。ぜひご参加ください!(お問合せはTel: 080-5520-3077まで

非暴力平和隊(NP, Nonviolent Peaceforce)とは...

ニューズレターNo. 7
地域紛争の非暴力的解決を実践するために活動している国際NGOで、非暴力平和隊・日本(NPJ)はその日本グループです。

これまで世界中の平和活動家たちが小規模な非暴力的介入について経験を積み、功を収めて来ました。NPはこれを大規模に発展させるために2002年に創設されました。

非暴力・非武装による紛争解決が「夢想主義」でも「理想主義」でもなく、いちばん「現実的」であることを実践で示していきます。

NPは、地元の非暴力運動体・平和組織と協力し、紛争地に国際的なチームを派遣、護衛的同行や 国際的プレゼンス等によって、地元活動家等に対する脅迫、妨害等を軽減させ、地域紛争が非暴力的に地元の人によって解決できるよう、環境づくりをすることを目的としています。

NPは2003年11月からスリランカに、日本人1人を含む13人のメンバーを派遣し活動しています。

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