非暴力平和隊・日本

南スーダン・プロジェクト

2010年8月報

(1)概況

南スーダン独立に関する住民投票は2011年1月9日に実施予定だが、選挙が実施できる環境にあるか否かをめぐってスーダン政府と南スーダン政府の対立が激しさを増している。2005年締結のスーダン政府と南スーダン政府(SPLM:スーダン人民解放運動)間の休戦協定(20年以上の内戦を終結)の有効期限は来年1月までだが、選挙実施に係る重要課題である石油収入の帰属問題、75%が未確定の南北国境問題など未解決である。スーダン政府は未解決問題が解決しなければ国民投票は実施されないと言い、南スーダン政府は1月9日の選挙日程に変更ないと言っている。さらに、住民投票のための有権者の一定期間内の登録問題があるし、特にこれに関してカルツーム周辺の国内難民キャンプに住む150万人の南スーダン住民への対応問題がある。

(2)NPの活動

・4月の大統領選挙の結果、政府関係者の大幅異動がありNPとして彼らとの新たな関係構築に忙しい。概して友好的に受け入れられている。

 ・Kadiba地域:牛をめぐる遊牧民と定住民との紛争予防後も定期的訪問実施

 ・Mvolo郡(NPの拠点があるムンドゥリの北に接する)と学校:乾期に遊牧民が移動し定住民と衝突しあるいは定住民の生活を不安定にしている。定住民の学生は都市部の学校に移動、その結果、都市部の学校の能力低下、学生の部族間の衝突の原因となる。20年以上の内戦の結果、若者たちは武力による紛争解決に慣れていて安易に暴力沙汰が起こる。NPは学校に平和委員会を設け全部族が話し合いによる解決を図るよう支援している。

 ・Wiroh学校問題(ムンドウリ地域):学校の対応に不満を持つ学生がストライキを実施し、学生、父兄、先生、地域住民に不安感を生じさせた。地区の青年組織がNPに支援を要請,NPと青年組織が共催で300名以上の集会を持ち対話による解決への道筋ができ学校は再開された。教育熱心な青年、教師たちがいるにもかかわらず教育の施設、体制の不備によるこうした出来事は南スーダンではよく起こることである。

 ・Lanyi村(ムンドゥリ地域)での和解支援:4月総選挙の時、有力氏族の3人が異なる候補者を支援し村民がそれぞれ3人の有力氏族側に分かれて選挙後に緊張が高まった。Wiroh学校問題で協働した青年組織とNPは協力して対話の場を設け、最終的に和解がもたらされ緊張が解消された。このような問題も南スーダンには多くおこることであり、1月の住民投票が平穏に実施されるためにはNPのこのような介入が要請されている。

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四半期報告第1号(2010年9月)あるスタッフのプロフィール

理事 大橋 祐治

 NPのウエブサイトにNPスーダンの四半期報告第1号(9月)が掲載された。編集責任者はティファニー。この中に、南スーダンの簡単な歴史がつづられており、NPスーダンの活動の経緯と現状、そしてあるローカルスタッフのプロフィールを紹介している。編集者によれば、これから四半期報告に一人ずつローカルスタッフを紹介するので、これらを通じてスーダン内戦の市民への影響や市民の平和への願いなどを知ってほしいとのことである。以下は、ロッキー・ジョージ・アムバゴの紹介である。


原文:NP Sudan Quarterly Bulletin
http://www.nonviolentpeaceforce.org/sites/nonviolentpeaceforce.org/files/NPSD%20Quarterly%20Bulletin.pdfの8ページ

■4人の子供の父。南スーダンで生まれ家族とともにハルツームに移住し高校卒業、カイロ大学入学を認められるも内戦勃発(1983年)し、すべての学生は南と戦う政府軍に強制入隊させられた。同胞と戦うことになるので軍隊を脱走、スーダンを南下しウガンダのカンパラを目指した。途中数年間、中央アフリカ、コンゴ民主共和国での難民キャンプ生活を過ごし、ようやくウガンダに到着しカンパラ大学に入学することができた。

■カンパラ大学を卒業した時、カナダにいる叔母から渡航を勧められたが、故郷のスーダンで社会(コミュニティ)のために尽くすべきとの召命を感じて家族の反対を押し切りスーダンに帰国、コンゴ民主共和国国境に接する地域で教会を開き開拓伝道を始めた。開拓伝道は順調に進んだが、2005年に南スーダン内部で主要部族間の内戦が始まり、2006年にはカンパラに戻された。自分は帰国した後もコミュニティでの働き、開拓伝道に励みたい意志を持ち続けていたが、すでに家庭を持ち子供もいたので生活のためは別の道を探さねばならなかった。そこにNPスーダンの要員の募集の知らせがあった。ただちに応募し、5月からNPに参加することができた。スーダンの社会は平和に向けて変わらなければならないし、NPの平和構築の手法と対話のためのスペースを作ることはスーダンの社会にとって重要な役割を果たすであろう。自分がその一員であることを大変誇りに思っている。募集時のインタビューで、NPの活動の場で時には実際の紛争や戦闘に巻き込まれるリスクがあることを知らされたが、自分はその準備ができている。また、異なる考えを持った人々を違いを超えてまとめなければならないことも教えられた。困難な仕事だがやりがいのある仕事である。今では家族も私の選んだ道を受け入れてくれている。


和解の現場に行く途上 右端がロッキー

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NPスーダン2010年10月報より

理事 大橋 祐治

■スリランカ・プロジェクト責任者であったティファニー(Tiffany Easthom:カナダ国籍)がスーダン・プロジェクトの責任者として着任し、NPスーダンの活動は2011年1月9日に実施予定の南スーダン独立に関する住民投票に向けて体制の整備が図られつつある。南スーダンの首都であるジュバ(Juba)から北西に車で5時間の都市ムンドゥリに最初の活動拠点が置かれ、9月現在、ティファニー(写真:後左端)ほかザンビア、ウガンダ、ケニヤ国籍のICP(国際市民平和維持活動家)とスーダンスタッフ(LCP)合わせて十数名で活動中である。

■10月の活動報告によれば、住民投票は予定通り行われる見通しである。首都ハルツーム政権(オマール・アル・バシール大統領)は諸条件が整わなければ投票は行われないと警告し、南政府(サルヴァ・キール第一副大統領兼南部大統領)は南部だけでも国民投票を実施し独立すると対抗、お互いのレトリックの応酬で緊張の高まりは持続している。しかし、国連ミッションや国際世論は投票は実施されるだろうとみている。南スーダン住民投票委員会の体制もできつつあり、懸念されている住民投票後の南部の民族間抗争も南スーダン大統領が和解の方向に動いているなど可能性は少ないとの見方である。歴史的にみてもスーダンの北部と南部は1956年の英国からの独立によって統合されたものであり、それまでの長い歴史で北部と南部は文化的、宗教的にも全く別々の歩みをたどってきた。

■今、NPスーダンが活動している地域は狭い範囲である。そして、主な活動の一つは農耕民と遊牧民の争いの調停のための支援である。毎年、遊牧民は乾期に牧草地を求めて南スーダンの北部から南部の方に移動する。その過程で農耕民の村落とのさまざまな衝突が生じる。遊牧民、農耕民双方にとって生きるか死ぬかの生活の問題であるので必死である。多くの場合これまでは武力によって解決が図られていたが、NPが拠点を設けて活動を開始すると、紛争の当事者がNPに仲介を求めてくるようになった。すでにいくつか部族間での話し合いでの解決の実績ができてNPの存在が高く評価され地域の政府当局や市民グループとの良好な関係の構築が着々と進んでいる。NPの拠点をムンドゥリに設置したのも、ここが遊牧民の南下するルートの近くにあるからであった。狭い地域からのスタートであるが、ここからNPの活動は戦略的に拡大されていくであろう。NPはまた地域の青年同盟との連携を深めている。若い世代の民主化への希望と意欲は地域の貴重な活力となっている。

原文:http://www.nonviolentpeaceforce.org/october-2010-sudan-field-report

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南スーダン・プロジェクトの近況 2011年7月

7月9日、南スーダンはアフリカで54番目の国として正式に独立しました。

今年1月9日の南スーダン独立に関する住民投票の選挙監視を主目的として、昨年5月から活動を開始したNPスーダン・プロジェクトの近況です。

これまでNPスーダンは、南スーダンの首都ジュバから北西に車で5時間の都市ムンドゥリに拠点を置き、スリランカ・プロジェクト責任者であったティファニー(Tiffany Easthom:カナダ国籍)がプロジェクト責任者として着任、その周辺の地域で地域住民の紛争予防と紛争解決の支援を本格的に開始してきました。国民投票実施後もこの地域の部族間の紛争(農耕民族と牧畜民族、更には郡レベルの私兵間の紛争)に当たっていますが、紛争予防や紛争解決のためのノウハウを持っていない地域住民(酋長、長老)並びに地方行政機関にとってNPの存在は欠かせないものとなっています。NPの仲介によって影響力を持っている若者たちが治安の回復にも協力し、閉鎖されていた学校や病院が再開し、難民が帰還し日常生活が取り戻されています。

今年5月でNPスーダンは1周年を迎えましたが、事務所のあるムンドゥリで地域関係者を迎えて記念行事を行いました。過去1年間の実績を評価され、この地域での活動の維持並びに拡大の要請を受けました。

更に首都ジュバとコンゴ共和国の国境近くの都市Nzaraの2カ所に新たに拠点を設置しました。目的はUNICEFが支援する子どもの保護と家庭内暴力防止プロジェクトへの参画です。Nzaraでは、ウガンダの反政府武装組織LRA(神の抵抗軍)の侵入に悩まされていますので護衛的同行のミッションの要請もあります。

5月にトレーニングを終えた7名の国際市民平和維持活動家と10名の南スーダンス要員がこれらの拠点に配置されました。ちなみに、7名の国籍はコロンビア、ウガンダ、オランダ、スリランカ、ジンバブエ、アメリカです。

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南スーダン国内で生まれた、初めての非武装地帯 2014年3月25日

南スーダンの中央に位置するレイク州は、長きに渡り暴力により苦しんでいます。この州は国境の存在しない、唯一の州です。それゆえに、この地域が独立してからの暴力の増加は、国際団体により認知されてきませんでした。州の間における牛の急襲や、内部の部族間における復讐的殺害は、市民達の安全とセキュリティを脅かしてきました。それは新しい国の統一をも脅かしているので す。

非暴力平和隊(NP)は地元の要請に応えてレイク州内の、対立の多いYirolの町に2012年3月に事務所を開設しました。私達は、この地域におけるたった一つの市民保護団体となりました。我々のチームが町に到着してすぐに、非武装の市民平和維持活動の大きな必要性があらわになりました。最初の週だけでも、武器による暴力事件に3件対応しました。3件のうち2件は牛のキャンプにて発生し、もう1件は井戸の採掘場所にて起こりました。水不足は、しばしば争いの要因となっているのです。その後に起こった事件は、二人の女性による口論から始まりました。しかしそれは、異なる部族より100人を超える武装した男性を巻き込んだ、暴力を突発させました。この事件は、武力衝突が郡や州を越えて飛び火する可能を、生み出しました。

争いは、新しい国が脆弱で資源も乏しく、また争いへの対応能力が十分でない時に、急激に爆発的になりえます。2つの案件ではNPは、被害者が病院にて治療を受ける間、対立するグループより守る為に夜通しで付き添いました。病院内において暴力行為が行われる可能性が、多いにあったのです。

チームにとっての大きな課題の一つは、コミュニティ内における武装衝突の事件に、対応することです。このような状況で、子供を含む3人が死亡しました。そしてケガを負った人々も、存在しました。NPは疲れを忘れて、地域や州のセキュリティの当事者達の双方と共に、争いを平和的に鎮める為に働きました。我々の活動はレイク州にてしばしば起こる暴力である、復讐と報復復讐のサイクルを防ぎました。何週間か経過してから町の人々が、NPの暴力を未然に防ぐために真っ先に争いに対応する努力を褒め称えました。地域の責任者は、「NPがいるから、復讐殺害が起こりません。これは初めてのことです。」と述べました。

NPは郡における初めてのセキュリティ調整会議を、構築しました。この会議では、地域や州のセキュリティ当事者達が集まり、安全に関わる事件について議論し、事件への介入の為の情報を引き出しました。彼らはまた、争いの被害にあっているコミュニティ内にておいて、市民の保護に関してのトレーニング・セッションを催すこともできました。もう一つの驚くべき成功は、南スーダン国内にて、初めての非武装ゾーンを生み出したことです。南スーダン国内では、武器が蔓延しています。なぜならば、市民は国に自分の身の安全を頼ることができないので、常に武器を携帯しているからです。それは矛盾している状況となりました。より多くの人が武器を持っているほど、あなたは自己防衛の為に武器を持つ。この問題を軽減する為に、NPはコミュニティの人々全員に、武器を持たないように話をしようという提案を出しました。

9月にNPはこの提案について、郡の行政責任者より実行に移すようにと、お墨付きをもらいました。NPは責任者や牛のキャンプのリーダー達を一同に集め、この提案の可能性について協議しました。我々のチームはこの会議を通して、かつてはコミュニティ内において武器はタブーであったと知りました。武器を携帯することが当たり前になったのは、内戦の勃発と部族間における暴力の増大による不安定さのせいなのです。NPチームの支援を通して、責任者や牛飼い達は、非武装の委員会を組織することを決めました。NPはこの委員会のアイディアの実行を助けるために、会議に呼ばれ傍聴しました。

NPはYirol町の重要な地域の道に、3つの標識を設置することを依頼しました。この標識は新しく町に入る人達へ非武装ゾーンであると宣言すると共に、20平方キロメートルに渡る境界線を生み出しました。非武装の委員会は何週間、何時間もかけて、Yirolのウエスト・カウンティ全域を訪れて、そに住む市民達へ、この非武装ゾーンの存在を伝えました。NPチームは、この非武装ゾーンをモニタリングする為に、1日に2回は町をパトロールしました。チームは境界内において武器を保持する人を見つけたら、その人たちへ話しかけました。NPのスタッフは、非武装ゾーンに武器を持ち込む人たちのほとんどが近隣の郡からやってきており、彼らがプロジェクトについて認識がないことが分かりました。以前はNPが車で町を走っていると、どこへ行こうとも何時であろうとも、10〜20人の武装した人達を数える事ができました。しかし非武装ゾーンが実施された後では、どんな武器をも見る事が珍しくなりました。その時に、武装ゾーンのプロジェクトは大きな成功となりました。

NPチームは、非武装ゾーンを作り出す事ができ、いくつかの争いに上手く介入することができました。この成功は、コミュニティや重要なステークホルダーからの信頼と受け入れが無ければ実現できませんでした。平和とは、クッキーの型抜きを用いては決して成し遂げられません。そして、最も効果的なプロジェクトとは、コミュニティ自体によってなされることなのです。

【参考】
http://www.nonviolentpeaceforce.org/unarmed-civilian-peacekeeping-training-military
http://www.nonviolentpeaceforce.org/creating-weapons-free-zone

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南スーダン 2月10日

 ボア地区のメンバーは一致団結のもとに南スーダンで内戦が勃発し、NPチームメンバーも影響を受け、地元NPメンバーは数週間にわたり退避し、家族との再会できたものもいれば、中には家や家族を失った者もいました。この突然の政治的不安定によって地域の分断が引き起こされコミュニティは破壊されてしまいました。

 NPが活動しているいくつかの地域では、何千もの市民が保護を求めてUNに逃げ込みましたが、その「市民保護区」の内でも民族グループごとに分断が起き、地域によっては民族間の緊張が高まりました。NPチームはさまざまな民族構成から成りますが、ボア地区のチームは、経験の長いメンバーも新しいメンバーは親密に活動しています。

 ボアチームは市民保護区の内外で活動するNGOらとUNMISS人権事務所で会議を持ち、どうしたら教会や女性、青年リーダーら地域の人たちにボアの平和促進に関わってもらえるか、協議しました。ほとんどの人は暴力的でないが、暴力から利益を得る少数者が地域の不安定を引き起こしているとの認識を共有。チームはこの少数の人たちにトレーニングなどをとおし働きかけ、共生の精神に目覚めてもらえれうよう努力していくことを決めました。

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ストップ 女性への暴力

  NPはRumbekで行なわれた16日間にわたる「ストップ 女性への暴力」キャンペーンに参加しました。これは家庭内と紛争状況の両方に焦点を当てたもので、NPはUNICEF, OXFAM, 国際赤十字, UNHCRなどの国際組織や地元の団体と共に参加し自由広場まで行進しました。最終日のスピーチでNPは、自分自身と地域に対する安全に対し女性たちが持っている力と影響力に期待している、と述べました。NPは非暴力による平和維持のリーダーとなるよう地域の女性たちに積極的に働きかけていきます。

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