非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(4)2003.11.5

スリランカ通信4号/スリランカ雑感(その1)

2003年11月5日
大島みどり

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

みなさま、こんにちは。
きょうはスリランカ雑感をいくつか書き連ねてみます。

1.季節

いつまでたっても変わらない季節は、日本で育ったわたしにとっては、つまらない。物足りない。季節が変わる、移ろい行く時を感じるというのは、わたしたちの精神・心に微妙な影響を与えているのではないかとふと思う。

どういうふうに?と問われると、まだ正確なことばを見つけることはできないけれど。たぶん徒然草や方丈記、平家物語(「祇園精舎の鐘の声…(でしたっけ?)」)などにつながっていく無常観、世界観を、変わらない季節の中で見つけるのが難しいのかもしれない。

それに、常に暑いというのは、どう考えたって、あくせく働くのには適さない。エアコンなしでもわたしはまったく気にならないけれど、扇風機なしにはおそらく仕事もトレーニングもできない。寝ている間も扇風機(通常天井から下がっているもの)はかけっ放し。

どうやらスリランカ人でも暑いのが苦手の人はいるようだけれど、肌というか発汗作用のような身体の機能が違うらしいのは、汗をかいているスリランカ人を見るのはまれであることからもわかる。2年で彼らのようになれるだろうか??

2.モンスーン

「季節」のところで書くつもりだったのが、別のことを書いてしまった。どうやら1週間半前あたりから、モンスーンの季節に入ったようだ。わたしの苦手な雷がよくやって来る。今回の南部マータラへのフィールド・トリップでも天気はよくなかった。とくにマータラから内陸山間部にはいったあたりでは、南西からのモンスーンと北東部からのモンスーンがともにやってきて、ほぼ毎日雨が降るという。このあたりは、今年5月の大洪水で、たくさんの人命と家屋が犠牲になったところ。バンで通る道すがら、なぎ倒された木々、いつ元通り復旧されるかもわからない道、痛々しいほどの土砂崩れの痕を目の当たりにした。

コロンボではいま、毎夕雷が鳴りどしゃぶりの雨が降る。先日セッション後に三輪自動車(これについてはまた書きます)でオフィスまで行ったときには、帰りにエンジンに水が入ったらしく、何度も車が止まるはめになった。コロンボあたりでも大通り以外は舗装されていない道もたくさんあり、まるで川のようになっている。

3.交通事情【スリランカでいちばん怖いもの】

なにが怖いといって車に轢かれないように道を渡ることオソロシイことはない。そしてバスや車に乗っている場合には、対向車・前を走る車・人・動物(犬・猫・牛その他)にぶつからないように祈るしか、わたしにできることはない。

コロンボ以外ではもちろん信号はあまり見かけないし、たとえ横断歩道があったとしても、信号が無いので、車はスピードを落とさずに通り過ぎる。そのスピードたるや生半可ではない。コロンボ市内に到る交通渋滞の激しいところではスピードは出せないものの、郊外であれば、渋滞になることなどほぼ間違いなくない。対向車とすれ違うギリギリのところで、前を行く車を追い越すたびに、わたしは寿命が1ヶ月ずつ縮まる思いをしている。たぶんもうすでにわたしの寿命は3年以上縮んでいるはずだ。

バンに乗る際には、なるべく後の席に陣取り、前方が見えないようにしたほうが、精神的にもよいかもしれない。怖い思いをしても、まさかの瞬間に体勢を整えられるような席に座るか、あるいは居眠りはできても、いざという瞬間に備えることはできない位置に陣取るか、車に乗り込むたびに、わたしは一瞬考え込む。

まぁどちらにしても、避けられないときは同じかもしれない。とにかくいまのところ2年間の滞在でいちばんの心配は、交通事故に遭わないようにすることだ。そしてそれがじぶんだけの責任では避けられない場合(例えばじぶんが乗車する場合)は、ただひたすら祈る。

それにしても、この交通事情(乱暴な運転を筆頭に)さえも、スリランカで暴力行為が頻繁に見られるという状況に、どこかでつながっていると考えるのは、わたしの偏見だろうか…?

さて、1ヶ月の滞在で気になることから書き始めましたが、観察の範囲がまだ限られているため、これらのことがどれほど事実に近いものかは、あまり自信がありません。たとえじぶんではどんな色眼鏡をかけているつもりはなくても、わたしが日本という文化・習慣の中で培われた人間である以上、すでにその見方に、なにがしかの偏りがあったとしても、しかたがないことなのかもしれません。

ですからみなさまにも、これらの雑感が、あくまでもわたしという個人の目を通したスリランカ像、あるいはその一部であるということをご理解いただけたらと思います。

今後も、NPのメンバーとしての活動報告と、こうした雑感を交えた便りを、お送りしていきたいと思います。

大島みどり

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