非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(19)2004.4.27

スリランカ通信19号/東部と北部の分裂(その1)

2004年4月27日
大島みどり

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

みなさまこんにちは。

実は10日以上前にこのメールを書き始めていたのですが、いろいろな事情から完結できずに、コンピュータに残っていました。その間に、イラクで人質となっていた3名の邦人の方々が無事救出されたニュースを受け取り、心からうれしく思い、また救出にあたられた多くの方々のサポートに感謝いたします。

さて、前回の便りでさえ、書きたいことがたくさんありすぎてあまりに大雑把なご報告になってしまったことを反省しているのですが、その後もさらにたくさんのことが起こり、いまではどこからどうご報告すればよいのか、頭を抱えています。なので、今回はわたしが3月11日から応援に来ているバティカロア地区ヴァルチェナイ・オフィスの現在の状況とその背景について、なるべく簡潔にお話させていただきます。(書き始めてから何度も書き直していますが、いっこうに書ききれないので、詳細をいっさい省かせていただきます。ごめんなさい。)

スリランカ東部・北部はいわゆる『タミル人』の多く住む地域ですが、その内部は複雑な構成になっています。
主に
1.ヒンズー教徒タミル人
2.キリスト教徒(カトリック/プロテスタント)タミル人
3.ムスリム(イスラム教徒)
ですが、少数のシンハラ人もいますし、またいわゆる植民地時代に移住し、地元住民と婚姻関係を持った人々の家系やその他の人々もいます。

そしてこの地域で圧倒的勢力を持つのが、前回も触れましたLTTE(政府に対抗するタミル人武装勢力)です。ただ「圧倒的勢力を持つ」という表現もあくまで相対的なものの見方でしかありません。たとえばバティカロアの市街は政府の支配地域ですし、多くの主要な町は同じく政府の支配下におさめられています。

ヴァルチェナイという町は、バティカロア市街から車で約1時間北に行ったところにあり、そこから1時間弱ほどさらに北に走ると、いよいよLTTE支配地域にあたります。そしてそこからさらに30分ほど北に行くと、ヴェルガルという河が東西に流れています。ここがバティカロア地区とトリンコマリー地区の境目で、いわゆるLTTEジャフナ地区のキリノッチという町に司令部を置くLTTEは、これまでこの司令部から直接の命令を受けて行動する北部LTTEと、ここから命令を受けて動くバティカロア地区の第2司令部とでもいう東部LTTEのふたつのグループがありました。(このあたりの表現は、軍隊用語の分からないわたしには、難しすぎてわかりません。ご了承ください。)

LTTE内に限らず、タミル人社会全般に多く見られ、またよく言われているのは、医者や政治・行政関係の高い地位にいる人々の多くが、北部出身だという事実です。つまり北部タミル人は経済的にも、教育水準も、東部タミル人に勝っていて、そのため北部タミル人が東部タミル人より社会的・経済的に優位に立っているケースが、少なからず見られました。(わたしは北部を直接見たわけでもないので、あくまで一般論ということでしかわかりません。)

LTTE内でも同じような現象は見られ、特に、青少年・少女兵士の多くが、東部からリクルートされる(連れ去られる、あるいは参加を半強制される)という状況がありました。詳細は省略させていただきますが、そうした背景の中で、今回のLTTE内東部と北部の分裂・対立が起こったということです。わたしのまわりの人たちが言っていたように、これは「兄弟同士(タミル人)の争い」だったわけです。

わたしたちは、選挙から1週間後の4月9日(金)に実は知り合いを訪ねに、ヴェルガル河のすぐ南にある村まで出かけるつもりでヴァルチェナイを後にしたのですが、出発直後ヴァルチェナイの隣の町で買い物をしている際に、知り合いの活動家から、また通りすがりの人々から、その日の未明に北部軍が河を渡り、戦闘が始まったというニュースを耳にしました。が、知り合いの安否を確かめるためにも、行けるだけ北に行ってみようということで、そのまま車を走らせました。

(次回SL便りに続く!)

大島みどり

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