非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(23)2004.6.10

スリランカ通信23号/ことばを学ぶ(前半)

2004年6月10日
大島みどり

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

みなさま、こんにちは。
日本は梅雨にはいったそうですね。(実はこの便りを書き始めたときは、梅雨前だったらしいのですが、何日も書き終えずにいたら、梅雨に入ったというメールをいただいてしまいました。)スリランカも(?)また南西モンスーンの時期で、雨が降ると気温も“少し”下がり、“その分だけ”過ごしやすくなっています。

きょうは以前から書きたいと思っていたことばの問題について少し書かせていただきます。(書き終わってみたら、いつもよりさらに長いものになってしまったので、2回に分けてお送りします。)

スリランカの国語は、ご存知のようにシンハラ語とタミル語です。大雑把に言って、人口の70%以上がシンハラ人で、彼らの大多数はシンハラ語を母語とし、上座部仏教(テーラワーダ)を信仰しています。残りの30%のうち半数近くはタミル人でタミル語を母語とし、ヒンズー教を信仰します。ただしタミル人のクリスチャンの数もかなり多いようです。人口の7〜8%はイスラム教徒(ムスリム)で、もちろんイスラム教を信仰しますが、ことばについては、よくわからない部分がかなりあります。わたしの少ない知識では、彼らの母語はタミル語で、ただ生活上、教育上の必要性から大多数がシンハラ語を解するのだと思っていました。この解釈はたぶん間違ってはいないと思いますが、正解ともいえないかもしれません。南部(コロンボ以南)の社会はシンハラ人が多数(マータラなどは90%以上)を占めるので、その社会の中で、彼らが実際どれほどタミル語を使っているのかが、わたしにはまだ把握できないのです。

マータラの町でも、ムスリムの人たちが多く住む地区が何箇所かあります。わたしたちの家のすぐ近くにもそうしたところがあって、モスクから流れるコーランの祈りが聴こえたり、金曜の午後には彼らのお店が閉まる(礼拝のためにモスクへ行く)光景を見かけます。わたしが今年の1〜2月に数回教えてもらっていたタミル語の先生(彼はある日約束の時間にやって来ず、その後ばったり姿を消してしまいました!?)はムスリムでしたが、彼のお母さんがタミル語しか話さないので、お母さんとはタミル語、その他友達などとはシンハラ語で話すと言っていました。またわたしたちチームの仕事上の知り合いで、以前は政治にも関わっていたという方は、彼の母語はタミル語だけれど、いま自宅では英語とシンハラ語を使っていて、彼の子どもたちもタミル語は知らないと話しています。もうひとり、同じくわたしたちの仕事上の知り合いで、彼自身はシンハラ人だけれど、育った場所柄タミル語も話すという方がいますが、彼のふたりの子どもたち(10〜13歳くらい)はとても流暢な英語を話すものの、タミル語はまったく話しません。

このふたりの知り合いとの会話から得たのは、

  • 子どもたちによい教育環境を与えるには、タミル語を母語としても、シンハラ語での教育を受けさせなくてはいけない。なぜなら、タミル語では初等教育さえ(南部では)ままならない状況がある。(タミル語の先生の不足、教材の不足など)
  • さらに高等教育を受けるには、英語は必須。
  • さらに海外に職を求める(スリランカの、特に若者の就職難は、日本の比ではない)ために、英語は不可欠。あるいは第2外国語として、ドイツ語、フランス語、スペイン語、日本語なども習得するのがベター。
  • タミル語はタミル人のお店で何かものを買うときに便利なくらいで、そのほかの場所で得るものは(ほぼ)なし。

みなさんは、このような話を聴いて、どんなことを思うでしょう?どんな気持ちになるでしょう?たしかにこれが今のスリランカの現状であることには間違いありません。彼らがこうした思いを持つこと自体を、非難する気持ちにはなりません。けれど、わたしはこうした会話を彼らと持つたびに、とても悲しい気持ちになります。そして以前一度見に行ったマータラ地域北部(町からバスで3時間ほど北)のタミル人小学校を思い出します。山間部の狭い敷地に建てられた、天井とかごのように針金をめぐらせただけの窓しかない学校で学ぶ350名ほどの子どもたち。5〜6名しかいない先生たちは遠くの町から来るので、週日はそこに泊まり、週末になるとそれぞれの自宅に戻るという。そして手に入らないタミル語の教材・・・。子どもたちによい教育を受けさせるために、将来性のある仕事を手に入れるために、タミル語の教育はあきらめて、シンハラ語で、さらに英語で教育を受けなくてはならない現実から目をそらすわけにはいかないのです。でも・・・、と思います。そうしてシンハラ語教育を、英語教育を受けさせることができる両親は、受けられる子どもたちは恵まれています。そんな贅沢を与えられない親や、子どもたちはたくさんいるのです。英語を母語のように話す子どもたちが、せめてその半分でもタミル語を話すようになれば、いや子どもたちにタミル語を学ぶ意味と価値を、両親たちが理解するようになれば、この国から民族間の争いは消え、人々も国も豊かになるのではないかと、思わずにはいられません。お互いを知らないということが、誤解を生み、誤解は恐怖を、恐怖は暴力を、生み続けているのではないかと、短いながらも東部の生活を体験し、南部で人々と生活する中で感じています。

(長くなったので、ここで前半を終了させていただきます。どうぞSL便り24もお読みください。)

大島みどり

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