非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(24)2004.6.10

スリランカ通信24号/ことばを学ぶ(後半)

2004年6月10日
大島みどり

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

みなさま、こんばんは。

これはSL便り23の続きのメールです。読まれる前に、「SL便り23:ことばを学ぶ(前半)」を読んでいただけますと、わかりにくい文章も多少分かり易くなるかと思います!?ぜひ23を先にお読みください。

以下続き

そしてそこから問題はわたしたち自身に返ってきます。わたしたちNPのメンバーの共通語は英語です。不十分ながらも、わたしでさえ英語を操らなければ仕事は成り立たないので、少なくとも日本語のメールを書いたり読んだりしている時間以外は、たいてい思考回路は英語になっています。(夢は登場人物によって両方の言語になって いるのがおもしろいところです!)『欧米』ではなく、『インターナショナル』な組織にしたいというのが、NPの願いですが、それでも英語が使われている限り、そこが欧米(英語を母語とする地域)中心の文化(あり方、やり方)になるのは、避けられない事実です。なぜならわたしたちは通常言語を介して、ものを見、考え、話し、 書くからです。言語がたいていは概念を作っています。つまり、わたしなど英語を母語としない人間は、スリランカという異文化に接しながら、同時にNPという異文化の中で、仕事をするという体験をしていることになります。本音を言えば、かなり大変な部分もあります。でもこの話はまたいつか。きょうお話したかったことは、このNP文化とスリランカ文化をどう融合させていけば、NPがもっと仕事がスムーズにできるようになるかです。

そう、つまり言語です。わたしたちがスリランカ人、それがたとえシンハラ人であろうとタミル人であろうと、彼らに英語で話すことを期待しているうちは、わたしたちの仕事はスリランカの問題の表面的な部分にしか触れられないだろうと強く思っています。もちろん東部のように、表面的な部分だけでもかなり仕事量も内容も手一杯な地域もあります。でも、この南部では、表面上見える問題は、それほど多くはありません。誰に聞いても「ノー・プロブレム」のひとことで、会話は終わってしまうのです。でも実際何か事件が起こると、そこには深く根ざしたカースト制度の問題があったりします。人々が詳細に語りたがらない問題はおそらくかなりあるのだと思います。もちろん本音と建前を見抜く、あるいは問題を探っていくのに必要なのは、ことばだけでなく、人間関係の構築であることに間違いありません。でもその人間関係を作っていくうえでも大切なのは、わたしたちがいかに『聴く姿勢』を持っているかだと思います。

NPの文化、あるいは(こう言ってはあまりに大雑把に形容してしまうかもしれませんが)英語を母語とする文化の多くは、ことば(英語)を「じぶんをいかに、そしてどれほど多く表現できるか」ということに重きを置いているように思います。でも、わたしがスリランカで行いたいことは、ことば(シンハラ語・タミル語)を通して「いかに多く、深く人々の声を聴くことができるか」ということです。わたしがかじっている(「いた」というべきでしょうか?)プロセス・ワークで言う「声なき声を聴く」という作業です。

ここまで読んでいただいて、ではさぞかしわたしがいまではシンハラ語をマスターしていることか、と思われた方、残念ながら答えはノーです。すみません。言い訳はいくつもありますが、やっぱり言い訳には違いないので、潔く(?!)書かないことにします。ただしシンハラ語のレッスンはグループレッスンも含めて、まだ30時間だけです・・・。コロンボでのトレーニングの際の語学研修では、タミル語をこの倍はやったので、タミル語の基礎の方がまだ多いくらいです。(あ〜、言い訳だぁ…。)

そんなわけで、『日本人はシンハラ語を覚えるのが早い』といううわさも手伝って、かなりのプレッシャーを感じながら、いまがんばってシンハラ語を学んでいます。実際もしシンハラ語を日本語で学び、またホーム・ステイなどで生活していたら(現在探し中ですが、なかなか見つからない)、かなり上達は早いように思います。シンハラ語もタミル語も、実は文法上の語順などは英語ではなく、日本語により近いからです。「きょうわたしは学校に行く」という日本語をシンハラ語の単語に置き換えれば、そのまま文章が出来上がります。ただ、悲しいかな、わたしの場合これを英語で教えられるので、英語→日本語→シンハラ語というツー・ステップを踏むことになり、時間がかかるか、よけい混乱するかのどちらかです!困ったものです。また発音もたいていはカタカナで書いたほうが簡単なのですが、日本語にないVやR、Lなどの発音を書き留めるために、わたしのノートは「パlaトゥru」(くだもの)など、わたししか読めないような書き方がたくさんあります。まぁこれでもいつか少しはシンハラ語会話が成立するようになれば、結果よしということになるでしょう。

いつかマータラ、そして南部の「声なき声」をみなさまの耳にお届けできるよう、きょうもママ シンハラ パダムカraンナ(わたしはシンハラ語を勉強する)お元気で。

大島みどり

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