非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(30)2004.8.28

スリランカ通信30号/この夏のメーン・イベント(1):ペラヘラ祭

2004年8月28日
大島みどり

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

みなさまこんにちは。今夏オリンピックが行われていることなどまったく忘れていて、サルボダヤと日本のNGO『ワン・ワールド・ワン・ピープル』のジョイント・イベントに先週参加していた日本の大学生の集団の話から、そんなことが世界では起こっていたのだと知りました!日本のメダル獲得数が3位だとか4位だとか、まわりのスリランカ人も教えてくれますが、お金持ちの国々がメダル争いをしているような気がしないでもありません。スリランカは、メダル獲得にはほど遠いところにいるようです。

この夏は7月終わりから通常の活動以外の活動(休みも含めて)が忙しく、やっと昨日から腰を落ち着けて、マータラでの最後の3週間弱を過ごし始めたところです。そこで、きょうは今夏のわたしのメーン・イベントの前半を少しだけご紹介させていただこうと思います。

1.キャンディのペラヘラ祭と旅行(7月30日〜8月3日)

日本スリランカ文化交流協会の為我井さんご夫妻とご友人の旅行に同行させていただき、キャンディのペラヘラ祭を皮切りに、ヌワラ・エリヤ、モノラガラを回って、マータラまで南下してきました。為我井さんのお知り合いの現地の方々にたくさんご紹介いただき、NPの活動のことも機会があるごとにお話させていただきました。キャンディのペラヘラ祭についてご説明するには、わたしは役不足のような気がしますが、仏教の特定月(7−8月)に、神迎えをし、ご神体を担いで町中を巡行しながらさまざまな祈願をこめるお祭りだそうです。お祭りは数日間続くようですが、最終日(ポヤ・デー、満月の日)の行列(ペラヘラ)が特に盛大で、キャンディでは60頭ほどの象が列を成して行進し、踊りや音楽、そして雑技のいわゆるストリート・パフォーマンスが披露されます。雑技の種類は豊富で、鞭を打ち鳴らす芸から、火のついた輪を空中に投げたりする芸、皿回し、高足(たかあし、数メートルもある、取っ手のない竹馬のような下駄を履いて歩く)などを、小さな子どもからおとなまでが、100人単位で行うのです。キャンディにはこんな芸人が何百人といるのでしょうか?!もちろん名高いキャンディアン・ダンスの踊り手も4歳くらいの子どもたちからおとなまで勢ぞろいします。これらの芸人は、ほぼすべて男性で、女性は、最後に3つくらいのグループが、踊りを披露していました。

このわたしの通信を読んでくださっている80余名の方々の中には、わたしの過去(?!)を知る方はほとんどいないはずですが、実はわたしは大学で演劇を専攻し、卒業後は芝居の世界で数年間演出助手や舞台監督助手、制作として働いていました。いまのわたししか知らない方々にはなかなか信じてもらえない話ですし、またおそらく昔(?!)のわたししか知らない人たちは、わたしがなぜいまスリランカでこんなことをしているのかわからないと思いますが、とにかくこれは事実です。たぶんこのふたつには何のかかわりもないように見えるはずですが、(そしてたしかに説明は難しいのですが)ひとりの人間(わたし)がやっていることなので、どこかでつながりはあるはずです。少なくともわたしの中ではこのふたつはつながっていますし、またそのほかにもわたしが手を広げてやっている(あるいはやろうとしている)いくつものことも、いつかすべてはつながってくると信じています。もちろん人生の最後にならないとわからないかもしれませんが。

そういうわけで、わたし自身はパフォーマーではありませんが、とくに伝統・民族芸能、音楽などにはとても興味があり、そういうものに触れる機会をいつも心待ちにしています。なので、ペラヘラ祭の31日夜は、見物席から身を乗り出して、行列に見入っていました。このときは、NPのメンバーではなく、昔そうであったように、演出助手のわたしが、踊りや音楽の形態・流れ、パフォーマーの様子などをつかむのに必死になっていました。折りしも、わたしが昔その下で働いていた、演出家であり日本の古典芸能の役者だった方が、最近亡くなったばかりだというニュースを前日耳にしたところだったので、わたしはまるで一気にタイム・スリップをしたような気分になりました。おそらく10年あるいは15年前であればそうしていたように、いまはなき演出家に向かって、わたしはわたしの目の前で繰り広げられている光と音とスピードに満ち溢れた芸能を、心の中で報告していました。日本の芸能のルーツをたどり、自身の役者人生と演出家人生を猛進していた、わたしとほんの数歳しか違わないその方が、中国、ブータン、インドを越えて、スリランカの芸能にまでたどりつくことはできたのだろうか、そんなことを思いながら、そしていつまでも続くハレ(『ハレとケ』のハレ)の波に押し流されそうになりながら、わたしペラヘラの行列に見入っていました・・・。

どうやら、また長くなってしまったようなので、今回はペラヘラ祭のことだけにさせていただきます。と言っても、あまりペラヘラ祭のことを書かず、個人的なことを書いてしまったようです。申し訳ありません。そういえば、日本のテレビ局もペラヘラの取材に来ていました。若い女性レポーターもいて、なにかクイズ番組みたいなものだったようです。そのうち放映されるかもしれませんし、あるいはもうオン・エアーされているのかもしれません。それでは、あと1回か2回夏のイベントの続きを書かせていただこうと思います。ムトゥールへの移動(9月14・15日ころを予定)までにお送りいたします。

みなさまおからだにはくれぐれもお気をつけて。

大島みどり

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