非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(31)2004.9.3

スリランカ通信31号/この夏のメーン・イベント(2):ピース・サイクル

2004年9月3日
大島みどり

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

こんにちは。前回に引き続きこの夏の活動をご紹介させていただきます。ペラヘラ祭のあとは、NPSL(非暴力平和隊スリランカ・プロジェクト)全体のミーティングがあり、その間に日本からのお客様もみえたりしたのですが、その話は次にさせていただき、先に日本のNGO「ワン・ワールド・ワン・ピープル協会(以下OWOP)」とスリランカ最大の NGOサルボダヤが共同事業として行った「ピース・サイクル(Bicycle Rally for Peace)」について、日本の若者たちの熱意と興奮をお伝えしたいと思います。

OWOPは、過去15年にわたり、サルボダヤとの共同事業を行っている団体で、わたしは代表の鈴木さんに日本を離れる前にご挨拶をする機会がありました。わたしがスリランカに来てからも、年に数度モラトゥワ(コロンボ郊外)のサルボダヤ本部を訪れさまざまな活動をされている鈴木さんを何度か訪問させていただき、今回この「ピース・サイクル」という事業にもオブザーバーというかたちで参加させていただくご了承をいただきました。(OWOPの活動詳細については、どうぞ協会のホームページをご覧ください。http://www.owop.gr.jp

このプロジェクトは、すでにOWOPのプログラムでスリランカを訪れたことのある日本の大学生が中心となって、農村での井戸掘りと、平和を訴える自転車ラリーを、地元の人々と行うことを企画したものです。OWOPの要請により、サルボダヤのシャンティ・セーナという平和や人々の意識向上を目指す若者たちのセクションが、日本人大学生27人(うちドキュメンタリーを撮る撮影隊が4人)に協力、1週間弱のポロンナルワ4箇所の村々での井戸掘り後、ポロンナルワからキャンディへの約150kmの自転車ラリーが行われました。7〜8箇所の県(district)から参加したシャンティ・セーナのメンバーは120名を越え、参加希望者を制限しなくてはならないほどでした。日程の都合でわたしは井戸掘りの部分には参加できなかったのですが、ラリー前日の8月19日早朝に、夜行列車でコロンボからポロンナルワへ駆けつけました。東京と京都の大学数校から参加した大学生たちのエネルギーは、わたしにはまばゆいばかり。圧倒される4日半でした。

ラリーは20日朝8時半ににポロンナルワを出発。毎日(最終日の午後を除き)午前と午後に休憩(お茶やスナックが町々で振舞われる)をはさみ、お昼はやはり各町の学校等で、その地区のサルボダヤ・センターなどが中心となって、手作りのカレーがごちそうされます。(ちょっと辛すぎて食べられない大学生も居たようですが、 OWOPの鈴木さんと副会長の笠原さんが、体力の消耗を心配して、パンなどの差し入れを常時してくださいました。)借りられた自転車の数が10台程度だったこともあり、日本人は休憩ごとに自転車漕ぎを交代します。それでもこの暑さの中、そして上り坂もけっこうある中、2時間自転車に乗り続けるのは、大変なことです。

日本でも自転車にはほとんど乗ったことのないわたしは、ただただ感心して、150名の若者が列を成す(2列か3列縦隊)行軍の前後をバスで伴走しながら、通り過ぎる彼らに声援をかけるだけです。バスの中は、交代したばかりの日本人若者が、それでもやはりかなりぐったりして、言葉数少なくしばし眠りに入っています。そしてシャンティ・セーナの若者たちは、交代することもなく、3日間自転車に乗り通しで、からだの小さな女性たちが、ときには坂道を他の男性の自転車に押され(あるいは引っ張られ)ながらも上っていく姿には、感動してしまいました。

実はわたしが東部のヴァルチェナイで選挙監視に当たったときに出会ったことのある青年が参加していて、19日の前夜祭の際に、めざとくわたしを見つけてくれました。途中「筋肉痛だ」と言いながらも走り続け、バティカロア地区代表として、最後のセレモニーで挨拶もした彼には、また東部に行った際に(ムトゥールのオフィスは、ヴァルチェナイを訪問する機会も多いので)会おうと約束しました。

ピース・サイクルは、ただ自転車に乗るだけではなく、お昼時間や夜その日の終着点に到着してから、さまざまなイベントが待っています。それぞれのチーム(日本やタミル、ムスリムなど)から出し物が披露され、地元の子どもたちが踊りを、プロの芸人が、すばらしい芸能を見せてくれました。

また2日目の夜は平和を祈る仏教に則った厳粛なセレモニーが、お寺で行われました。ただ少し気になったのは、毎日体力を消耗し、疲れ切っている若者たちを目の前に、こうした催し物がかなり長い時間続くことです。昼食後の暑い野外、木陰に椅子を並べても、延々と続く協力者へのお礼の挨拶や、返礼のスピーチ、とてもかわいらしくはあるけれど、終わることのないいくつものダンスに、どうしてもまぶたは重なってきます。そんな彼らを見るにつけ、そうした状況を一切無視する(あるいは気がつかない)セレモニー主催者側に、わたしは不満を感じ続けました。

また、たとえそれがどんな尊い祈りやお説教であっても、ムスリムやタミル(ヒンズー教徒)、そしてことばもわからない日本人に、仏教だけの宗教儀式を何時間も強いるのは、少し疑問でした。Religious Ceremonyというので、いろいろな宗教を交えた、もっと精神的(spiritual)なものを期待していたのですが、その期待は、ものの見事に裏切られました。企画全体の試みがとても成功し、将来へつながる可能性も十分見えただけに、もしまた次回という話になった際は、この二点について(もちろん細かいことはほかにもありますが)、考慮して欲しいというのが、わたしの最大の願いです。(たぶん同じようなことを思った日本人参加者もたくさんいたことと思います。)そして、こうした相手への配慮というものが、実は平和問題を考える上で、もっとも大切なことではないかという問題提起を、わたしはこれからもスリランカで、あるいはほかの場所でも、平和のために活動する人々にしていきたいと思います。

そんなわけで、実際は屋根のある場所で(ときには水もなく)キャンプしていたような3日間でしたが、ポロンナルワからダンブッラ、マータレーを通過し、22日の夕方無事キャンディにたどり着きました。キャンディの閉会セレモニーには、サルボダヤの創始者で代表のアリアラトネ博士も出席してくださいました。この4日間でわたしが目にしたのは、国を越えた若者たちの友情であり、平和を祈る思いであり、また日本人の若者たちの行動力・団結力、自分探しをしつつ、相手を思い、そしてなおかつ日々をエンジョイするたくましさです。

彼らがこの後どんな道に進み、どこで何をするかはわかりません。でもそれがどんなことだろうと、おそらく今回のピース・サイクルと井戸掘りの体験は、彼らにとって珠玉の思い出と宝物になると信じています。どんなかたちであっても、この旅の中で得た何かは、どこかで現われるでしょう。「ボランティア」といったものに疑問を持つと正直に言った何人かの彼らには、ボランティアが美しいもの、正しいものだとは決して限らないということを、伝えておきたいと思います。ボランティアということばの意味は広く、解釈は人さまざまで、それをどうじぶんが捉え、実行していくかが大切なのだと思います。いちばん大切なことは、じぶんがしたいと思うことを、し続けていく勇気・体力・精神力そして環境を作っていくことだとわたしは信じています。心の底から湧いてこない気持ちは、ボランティアとは言えません。

外からボランティアを判断・評価すること、あるいは(ボランティアをしている人が)それ(「あの人はボランティアをしているからスゴイ」といったような評価)を期待することは、筋違いのような気がします。じぶんが信じることをすればよいのだと思います。

今回このイベントに参加させていただけたことを、あらためてOWOPと鈴木さんに感謝いたします。そしてわたしに、たくさんのエネルギーと日本の(?!)将来の明るい展望を見せてくれた大学生の皆さんに、感謝いたします。どうもありがとうございました。またどこかで会えることを祈っていますが、それがかなわなかったとしても、彼らと、彼らをとりまく日本の若者たちが、楽しみながら世界に友達を作り、世界のことを思い、考え、行動していくことを、心から祈っています。そしてそうした力とエネルギーを、彼らが持ち合わせていることを信じ、期待しています。

大島みどり

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