非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(37)2004.12.5

スリランカ通信37号/じぶんを縛るもの

2004年12月5日
大島みどり

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

扇風機を回し続けるクリスマス・シーズンのスリランカから、ごあいさつ申し上げます。昨年も書きましたが、白い雪をのせたクリスマス・ツリーや厚手の赤いコスチュームと白い温かそうなひげのサンタクロースを見るたびに、違和感を感ぜずにはいられません。クリスマスの商品化は、おそらくもっとも歴史の古い(?!)グローバリゼーションのひとつかもしれません。

さて、先週は5日間南部のウェリガマという町で、NPSL(Nonviolent Peaceforce Sri Lanka Project)の全体ミーティングが行われました。ミーティングに先立ち、わたしは古巣の前任地マータラに一足早く出掛け、数人の友達に会うことができました。マータラ・オフィスには他のチーム・メイトが泊まっていたのですが、わたしは幸いにも階下の大家さんの一室に泊めてもらうことができました。昔から決して社交的ではないわたしですが、わざわざ会いに来てくれる友人たちがいるというのは、とてもうれしいことです。短い時間の訪問なので詳細にわたる話はできませんでしたが、「ジャフナはどう?」と真剣に心配してくれる彼らと、いつか彼らの知らないジャフナやタミル人たちのことについて、もう少し込み入った話ができればと思っています。

あいにく目の前のビーチは遊泳には向いておらず、また朝から夕方までのミーティングでビーチで過ごす時間もありませんでしたが、5日間のウェリガマ・ミーティングはわたしたちが過ごした一年を振り返り、これから先へ進むのに何が必要かを一堂が会して考えるのに、有意義な時間となりました。

オープニング・セッションをボランティアで担当したわたしは、「自己を振り返る(セルフ・リフレクション)」意味で、「スリランカ(とその人々)はあなたをどう変えたか」というテーマで、話し合いでも議論でもない、静かにじぶんの内側の声に耳を傾け、また他人の話をさえぎってじぶんの意見を主張する(いつもの?)方法でない分かち合い(シェアリング)の時間を設けることにしました。これは、前回のSL便り36「わたしが変わると世界が変わる」の内容につながるものですが、その前段階にあたるものです。

つまり、(プロジェクト終了時の)結果はともかく、わたし(たち)がスリランカを(よい方向にあるいは平和的に)変える以前に、わたしたちは、スリランカとその人々によって、どう変わったかを見つめるという作業です。どんな些細な出来事でも(たとえばわたしと子犬の出会いのような)、じぶんさえその出来事にオープンであれば、変化は自己の内に生まれます。ただときにわたしたちは、自己のアイデンティティーや信念、あるいは慣習・文化に縛られ、変化を恐れ、嫌う傾向があります。じぶんが信じる、あるいは好む信念・アイデンティティー・慣習・文化が正しく、それを変えるのは、じぶんを否定したり、じぶんが信じていたものを否定することになると、思ってしまうのです。

詳しいことはいま書けませんが、わたしはスリランカに来てから、そうした「思い込みの」信念に縛られているじぶんに気づき、そこから抜け出してみる試み・体験を持ちました。それは当初、大きな戸惑いと混乱、不安とじぶんへの不信感を伴う体験でした。そしていまでも、そのじぶんの(じぶんの信念を変えるという)選択が正しかったという確信は決して持っていません。あるいはそれはもしかしたら、わたしが一生を終えるまで持ち得ない確信かもしれません。でも、それでもよいと思いました。トライしてみる価値はあると思いました。なぜならやってみなければわからないからです。「まちがった」と思ったら、やり直せばいいのです。(もちろんやり直せることに限りはあるとしても。)

そしてそれはまた、以前のじぶん(とその信念や価値観)を否定することにはならないのです。なぜなら、それはわたしというひとりの人間が選択しているからです。矛盾もないし、一貫性に欠けているということでもありません。わたしはよく、芝居の世界から国際協力、そして平和活動(この後のことはわかりませんが?!)にじぶんの活動場所を変えた理由を訊かれます。人々がそう訊ねるのは、ほんとうに不思議でもないのですが、わたしにとって、その変化はとても自然な流れで、何の違和感もなかったのです。なぜなら、わたしはじぶんが選択して行動している限り、最後にはきっとすべてがつながり、おぼろげながらもなにかかたちあるものを作り出すと信じているからです。人から見ると何も関係ない自然農も、パーマカルチャーも、プロセスワークも、水中セラピーも非暴力平和隊も、わたしにとっては、最後に(hopefully!)はひとつにつながる、大切な輪の一部分なのです。

思い切っていつもと違う選択をしてみると、思いもかけないことが見えたり、次にやって来ることがあります。必ずしもうれしいことばかりではないかもしれません。でも、それは新たな挑戦であり、発見です。こうして一本の太い幹からさまざまな方向に枝が伸び、葉が広がり、じょうぶでバランスのとれた木が育っていきます。

じぶんのこうしたスリランカでの体験から、わたしは、わたしのチーム・メイトがたとえ小さなものであっても、こうした自己変化の体験をしていたらうれしいと思いました。そして自己の内で、それに気づき、それを大切にしてほしいと思いました。他人にどう見せよう、他人がどう評価するだろう、そうしたことは関係ありません。だから議論でもなく、ひとつの回答を出すのでもなく、同じものなどひとつとしてない人々の体験にただ耳を傾けるのみです。

ウェリガマでのミーティングではそのほか、これからわたしたちNPSLがプロジェクトを進めていく上で、どのようなもの(秩序から車、コミュニティとの関係から個人の空間・時間にいたる、あらゆるもの)が必要なのかということを中心に話し合いました。14カ国19人から成るチームの話し合いの難しさは想像に難くありません。NPSLの今後が楽しみでもあり、本音を少々吐けば、頭痛の種でもあるところです。次回3月のミーティングまでに何か「変わる」ことがあるでしょうか。

少し中途半端なご報告になってしまいましたが、きょうはこのあたりで終わらせていただきます。みなさまどうぞおからだにお気をつけて、師走をお過ごしください。(スリランカでは車は飛ぶがごとく走っても、人は決して走りません。)もし機会がありましたら、みなさまもどうぞ自己の内に起こった「変化」を見つめ、それを大切にし、誰かと分かち合ってみてください。そこからまた何か新しい発見が生まれるかもしれません。

大島みどり

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