非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(38)2004.12.22

スリランカ通信38号/休暇でクッキー作りお手伝い

2004年12月22日
大島みどり

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

みなさまお変わりありませんか。前回のお便りから2週間以上が経ってしまいました。あした日本は休日ですね。24日を休みにして4連休の方もいらっしゃるのでしょうか。

さて、前回の最後に書きましたように、NPのチーム全体ミーティング終了後、わたしは2週間の休暇をとりました。わたしの知り合いの方でもう20年以上もNGO活動をされている方がいらっしゃるのですが、その方は日本とスリランカ両国で、障害者が働けるクッキー工場を運営されています。(日本ではその他の活動もされています。)

今回は、コロンボ郊外にあるそのクッキー工場で、2週間弱のインターンシップをさせていただきました。6月くらいにすでにお話しさせていただいていたのですが、当初の目的は、そのNGOの活動を拝見、勉強させていただくとともに、マータラで必須のシンハラ語を、インターンシップとホーム・ステイでレベル・アップしようというものでした。9月にタミル語地域のジャフナに移ってしまったので、残念ながら目的の後半は空振りになってしまいましたが、それでも忘れかけていたシンハラ語を、ウェリガマのミーティングからその後の2週間で、(ブラッシュ・アップとは決して言えないのですが)少し取り戻すことができました。(そして19日にジャフナに戻ってきたときには、南部へ行く前におそるおそる使い始めていたタミル語を、すっかり忘れているのに気づきました!)

クッキー工場は現在ローカル(スリランカ人)・スタッフですべてが運営され、経営者である日本人のわたしの友人は、年に4回ほど各10日から2週間前後こちらにやってくるだけですが、今回のわたしのインターンシップは彼女の来スリにあわさせていただきました。そして、事前に探していただいた、工場近くの(工場とは関係ありませんが、以前から日本人インターンなどをホーム・ステイさせてくださっている)ご家庭に、週末を除く計7泊ほどお世話になりました。

工場の4名のスタッフと8名の障害者は、朝9時前に仏教のお祈りで仕事を始め、忙しくなければ5時で終業します。ただ今は、クリスマスとお正月のかきいれどきで、注文も多く、ときに6時くらいまで残業することもありました。わたしはNPではいつもインターナショナル(つまり外国人)と仕事をしていて、もちろんミーティングなどでスリランカの人々と話をしたり、相談をしたりすることはあっても、なかなか実際「一緒に仕事をする」ことがありません。今回それができたことが、いちばんうれしかったことです。クッキー作りなどしたことのないわたしは、彼らの足手まといになるのではないかとかなり心配したのですが(インターンを受け入れる大変さは、わたしも以前に体験して知っています)、誰もが親切に、快く、手際の悪いわたしに仕事を分け、指導してくれたことに感激しました。またチーム・ワークのよいことこの上なく、これは彼らがみなスリランカ人(同国民)のためか、あるいは仕事内容が比較的ルーティーン化されているためか、それとも彼らの人格(純粋さ)によるものか、チーム(各フィールドあるいはNPSL全体として)の悩みに明け暮れている組織のひとりとして、真剣に考えるところがありました。

工場での仕事のほかに、これもシーズン的なもので、コロンボの超モダンな高級ストア(ここはスリランカじゃない!)の店頭でのクッキー1日販売と、インターナショナル・バザーなる、たくさんの大使館関係者などが出展する会場での売り子業務も体験させていただきました。わたしはふだんこちらで邦人の奥様方に会う機会などまったくないのですが、このときは同じ(Japan)コーナーで、バザー商品を売っていらっしゃった15名ほどの邦人奥様方に囲まれ、久しぶりに「おお、日本じゃ!」と感じるひとときでした。(みなさまには、とても親切にしていただき、またクッキーも多く買っていただきました!)

ホーム・ステイ先は、ご夫婦と成人したばかりの息子さん、そして若い男性と女性のヘルパー、犬と猫の家庭でした。ご家族3人はみなさん英語が上手で、これはシンハラ語の練習にはあまり役立ちませんでしたが、あまりたくさん食べないわたしを心配して、好きなものはなにか、何が食べたいか、などよく訊いてくださいました。近くの女の子だけの孤児院に連れて行ってくださったのですが、30名ほどの6歳から18歳の好奇心溢れるたくさんの目に囲まれ、歌を迫られたのには参りました。わたしは歌は苦手なのでふつうはなんとか逃げるのですが、この女の子たちにはかないません。多少音程がはずれても、日本語だし・・・と、腹をくくって小学校唱歌(ああ、遠い昔・・・)を2〜3歌いました。(わたしは流行歌などは知りません。)ホーム・ステイ2週目にもう一度彼女たちを訪ねたときは、ちゃんと準備をして、持って来ていたリコーダーと唱歌の楽譜を持参しました。(それでも1度だけ歌わされました!)またクリスマスの小さなプレゼントとして、前回訊いていたみんなの名前を、折り紙を貼り付けたハート型の飾り(クッキーを詰める箱から出た不要部分)に書き込んだものに、折鶴を添えて、ひとりずつ渡しました。(もちろんクッキーも!)彼女たちの片言の英語と、わたしのめちゃくちゃシンハラ語での会話は決して容易ではありませんでしたが、とても楽しい時間を過ごすことができました。

が、別れる前に口々に「わたしを日本へ連れてって!」と叫ぶ姿に、わたしは悲しさを感ぜずにはいられませんでした。日本へ行けば、イコール幸せになれると信じている彼女たち・・・。もちろん両親を失ったり、事情があって孤児院にいる彼女たちにも、幸せになる権利は当然のことながらあり、またそれ(幸せ感)が満たされない現実がそこにはあります。だから、わたしは彼女たちが、少しでも多く幸せを感じられる日々が来ることを、心から祈ってやまないのですが、同時に「日本=幸せ(たぶん経済的なものから来る部分が大きい)」を彼女たちに教えてしまうおとなとその社会が悲しいのです。つまり、まわりのおとな自身や社会自体がそれを信じているからこそ、若い世代も、そう思い込むのです。彼女たちとの会話の瞬間だけでなく、この社会のあらゆる場面、あらゆる人々との会話の中で、わたしはそれをひしひしと感じます。そして、その責任は、スリランカという社会だけでなく、日本と、そして多国籍企業、自由競争がもてはやされる、もはや世界のどこにも逃げ場のないグローバリゼーション化されたすべての国々にあります。

わたしがもし彼女たちと同じ境遇であそこに居たら、やはり「日本に連れて行って!」と叫んでいたかもしれない・・・と思いつつも、毎日黙々と一生懸命クッキー作りを続ける障害者たちの姿を片方で見ながら、人はどうしたら幸せを感じることができるのだろうと思いました。わたしの好きなことばに"Beauty is in the eyes of the beholder(「美」というものは、それを見る(見つけることのできる)人の目の中にある)"というものがあるのですが、おそらく「幸せ」も同じなのではないかと思います。ただむずかしいのは、それをどう見つけるかということでしょう。

長くなりました。ステキなクリスマスをお過ごしください!
(インターンをさせてくださった先:
NPO法人ぱれっと URL: http//www.npo-palette.or.jp/です。どうぞご覧ください。)

大島みどり

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