非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(39)2004.12.28

スリランカ通信39号/緊急!災害報告(1)

2004年12月28日
大島みどり

電話回線が戻ったので、お送りします。
再度読み直す時間がありません。誤字脱字、多少意味のわからない部分(?!)、どうぞご了承ください。昨晩は結構寒く、シーツ2枚と大判のバスタオルをかけて、室内に寝ているわたしでも、寒さで目が覚めました。あの、避難所の吹きさらしのコンクリートで寝ている人たちを思うと、どうしてよいのかわかりません・・・。

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

現在12月27日(月)こちらの時間夜10:20すぎ。
津波がスリランカを襲ってもう1日半以上が経ちます。電話線が通じない状況が昨日からスリランカ各地で起こっていて、わたしのオフィスも、受信はできるけれど、発信はできません。したがってメール送信もできません(し、もちろんインターネットにもつなげません)ので、この便りがみなさまのお手元に届くのは、ほんとうに年末になるかもしれません。緊急のお知らせですが、タイミング的には、まったく緊急になりません。日本のみなさまの方が、おそらくよほど詳しい情報をお持ちだろうと察します。(よくあることです。)

携帯電話は昨日はやはり受信しかできず、今朝になってやっと発信ができるようになりましたが、まだ通信不能の場所が多く、90%以上は誰とも話せません。かけてきてくれる人とのみ、会話している状況です。

スリランカ人は津波を知らなかった!

が、わたしは元気です。ジャフナの町自体は、ほとんど被害がなかったようです。内海に面しているので、おそらく高い津波が起こらなかったのでしょう。実際のんきなわたしは、昨日の午前遅くまで何が起こったのか知りませんでした。それもその時点では、「きょうスリランカ中が大変なことになっている」というだけの情報で、わたしはてっきり大雨で洪水があちこちで起こっているのだと思いました。(大雨の警報は各地でずっと出ていましたので。)だれも(少なくてもわたしのまわりの人々は)、英語の「地震」「津波」ということばを知らなかったのです。後から聞くと、英語のことばを知らないだけでなく、誰もスリランカでそうしたものを体験したことがなかったのです。それで、津波が海岸線を襲ったとき、人々はあっけにとられてか、あるいは興味深々に、ぼおーっと見ていたそうです。(わたしに話した人のことばをそのまま使えば。)

あっという間に、日々の日当を稼ぐだけの小さな漁業を営む村々が、そして貧しい人たちが、波に飲み込まれていきました。英語のtidal waveがそのままTSUNAMIと訳されるほど、津波と地震の被害を受けている日本であれば、おそらくとっくの昔に、気象庁(名前変わりましたっけ?)から注意・警報が沿岸各地に出されていて、たとえ数十センチ潮が高くなっただけでも、詳細な報告が出されるところです。それが、何十メートル(わたしに説明してくれた人は、スリランカらしくココナツの木の2倍ほどの高さ、と言っていました!)もの波が襲って来ようとしている状況の中で、人々は黙ってそれを待っていたのです。なんて悲しいことでしょう。なんて悲惨なことでしょう。

戦争や紛争なら、人為的被害として、誰かにあるいは社会や人類全体の責任を問えます。でも、自然災害の場合、それはわたしたちの手の届く範囲を超えてしまいます。(もちろんある程度の防止は、状況によってはできても。)わたしたちの生命は、神(あるいは宇宙、人が何とそれを呼ぼうと)の手にゆだねられています。

友達の安否

NPSL(Nonviolent Peaceforce, Sri Lanka Project)の4箇所のフィールド事務所のうち、ムトゥールとヴァルチェナイ事務所が一時避難をしました。ヴァルチェナイはすでに朝の8時前にコロンボ・オフィスに連絡をいれたそうです。ムトゥール事務所には、現在ひとりしかいなかったのですが(ジャフナと同じで、もうひとりは休暇帰国中)、その彼は対岸のトリンコマリーに週末出かけていて、ムトゥールがひどい状況だとの情報に、そのままトリンコマリーに留まりました。(トリンコマリーも被害がもっとも大きかったところのひとつですが。)そして、きょうの連絡では、ムトゥールの被害は、うわさほどひどくはなく、メンバーはムトゥール事務所に戻った模様です。ただし、停電状態が続いているそうです。

ヴァルチェナイ・チームは6人のうちふたりがやはり休暇帰国中で、4人がポロナルワに避難しました。ヴァルチェナイ・チームの常勤の通訳の女の子の実家はバティカロアですが、海岸近くにある彼女の家は、大きな被害を受けたそうです。また彼女の親戚の中にも、亡くなった方々がいます。メンバーのひとりはきょう、緊急援助のサポートでヴァルチェナイに戻り(事務所が使えるかどうかはわかりませんが)、これから休暇に入るひとりを含むあとの3人は、とりあえずコロンボへ避難しました。

マータラ・オフィスは3階建ての2階にかまえているので、直接水の被害はなかったはずですが、メンバーのひとりが昨日は朝から教会に行っていて、その後連絡がとだえてしまったと、もうひとりのメンバーからコロンボに連絡が入りました。その後チームの通訳をときどきしてくれている方が、行方不明だった彼女をマータラの病院で探し出してくれました。彼女は片足をけがしていて、一晩を病院で過ごしたようです。

電話事情が悪いため、これらの情報はもっぱら入ってくるメッセージ(日本の携帯にはないemailに似たシステムが携帯にあります)で受け取ったものです。そしてわたしはわたしの大切な何人もの友達の安否がつかめないまま、不安な二晩目を過ごしています。マータラ・ゴールの友達には、携帯でも普通電話でも誰にも通じません。(もちろんわたしの携帯がきちんと動いているという仮定ですが。普通電話は発信できないので。)ゴール以南は、電話回線がつながっていないという話も聞くので、彼らはみな無事で、電話が通じないだけだと、信じるしかありません。それでも家や家財などは被害をこうむっていることだろうと思います。またジャフナでもっとも被害の大きかった、北部のポイント・ペドロという場所の近辺にいるはずの方にも連絡がとれません。これは電話回線によるものばかりとは言えず、かなり心配です。

避難キャンプ、何ができるのか?

今日はいくつかのINGO(国際NGO)とNGOを回って被害の状況と彼らの活動を訊ねました。たまたま訪ねたINGOで、ジャフナ県(地域)の知事(にあたるような地位の方)が総指揮をとる、NGO,INGO,そして地域の小さな団体や組織の緊急支援会議にこれから参加するという方がいて、その車に同乗させてもらい、会議に参加することができました。(前述のポイント・ペドロ近くの町で、ジャフナからは車でも1時間ほどかかるところ。公用車のないNPは、こうした緊急会議にも、なかなか出られない。日本のようにタクシーが走っているわけではないのです。)会議自体は、おそらく100名近くの人が集っていたようですが、ほぼ終始タミル語で行われ、通訳もいないわたしにはちんぷんかんぷんでした。でも、どの団体がどこの地域でどんなものを配っているという情報交換が主だったようです。

会議に先立ち、わたしはすぐ近くの避難キャンプを、たまたた会議に来ていた知り合いの方々とともに、訪れました。もちろんここでもわたしはタミル語でインタビューできるわけでもなく、ただ状況を目で見るといった範囲でした。が、見るだけでよくわかるというのは、こういうことなのでしょう。屋根はあっても、オープンスペース(部屋というものはない)の学校の、コンクリートの床にござを敷いただけのところで、人々は寝ています。机といすでかたちだけのひと家族の囲いを作る人々は、ほんとうに着の身着のままで逃げてきたという感じで、持ち物などハンドバックひとつくらいしか見当たりません。

もの珍しげにわたしを取り囲む人々の、まだ明るさを残す表情に、少し救われましたが、それでも彼らがいつまでここに滞在しなくてはならないかと考えると、先行きは暗澹としたものになります。会議へ同乗させてくれたINGOの方(スリランカ人)が、こうした避難キャンプ(や難民キャンプ)でいちばん大変なのは、トイレと(ゴミ処理なども含めた)衛生管理だと言っていましたが、なるほどとうなづけます。

食糧・飲料水・衣服・その他日常生活品は、最低限INGOやNGO,その他の人々から支援されても、トイレの設営・清掃や衛生管理といったものは、避難民自らが、管理・面倒をみていかなくてはならない仕事です。それはかなり集団意識を必要としますし、ひとりひとりが自覚しないと、共同作業としては続きません。

さて、そんな現場を見ながら、わたしはNPとして、あるいは個人として何ができるのだろうと、当然のことながら、そしてある程度いつものことながら、頭を悩ませました。なにせ、NPは人道援助・緊急援助団体ではないのです・・・。

では、続きは後にして、長くなったので、報告(1)をこれで終了させていただきます。(あ〜、この報告いつお送りできるのでしょう???)

大島みどり

スリランカ通信号外!!!(2004年12月28日)

『スリランカ通信』の号外です。
今回の津波被害にあたり、大変多くの犠牲者がでました。避難キャンプが多くのところで作られていますが、食糧・衣料品・日用雑貨・寝具などすべてのものが不足しています。わたしたちの団体はこうした緊急支援のできる体制にありませんが、みなさまの中で、こうした緊急支援を行ってくださる団体あるいは個人をご存知の方は、ぜひご連絡をください。わたしもこれから日本国内でスリランカ関係で交流・活動を持っている団体に直接問い合わせをかけてみたいと思います。

みなさまが直接個人で支援物資を送られるのは、大変でしょうし、税金等の問題もありますので、ご支援を考えてくださる方は、ぜひいくつかの団体をあたってみてください。電話回線がやっと戻ったので、また通信が途切れる前に(可能性が高い!)、取り急ぎご連絡差し上げます。

よろしくお願いいたします!

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