非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(46)2005.01.27

スリランカ通信46号/津波災害が残したもの

2005年1月27日
大島みどり

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

津波が東南アジア諸国の沿岸を襲って、すでに4週間が過ぎました。おそらく救援・援助に走り回っていた人々にとっては、あっという間で、すべてを失った人々にとっては、終わりの見えない長い時間だったろうと察します。

先日訪問した牧師様は、この4週間遅々として進まない支援活動に業を煮やし、それに従事しているあらゆる団体(政府、反政府勢力、国際NGO)を、非難していました。被災者の立場にたったものの見方をすれば、当然の不満ですが、10年前の阪神・淡路大震災のときの日本でさえ、被災者の最初の1ヶ月の生活がどれほど大変なものであったかを考えれば、日本の経済状況とは比較にならないほどのスリランカが、全土に広がる何十万もの被災者に、満足のいく支援ができるとは、残念ながら到底思えません。もちろん、それでいいとは、決して言いません。が、それがどれほど困難なことかを想像するのは、1年もスリランカにいれば、当然理解できます。被災者も、被災者の立場に立つ人々も、そして支援する人々も、ほんとうは同じように苛立ちを覚えているはずです。そしてこれは、災害と災害援助に関わる人々誰もが体験する、心の痛手からの立ち直り(ヒーリング)のプロセスなのだと思います。

今回の災害がもたらしたもの、残したものは、おそらく数多くあるでしょう。わたしは、たしか昨年の10月か11月に読んだ英字新聞のコラムを思い出します。もしかしたら新潟で大きな地震があった後だったかもしれません。英字新聞を読むのがそう得意でもないわたしが、その小さなコラムを見つけたのは、おそらく単なる偶然でしょうし、またそれを憶えているというのも、とても不思議なことですが、その小さなコラムの中で(正確ではないかもしれませんが)、筆者は、「スリランカは、米国のようにハリケーンが襲うことも、日本のように地震が起こることもない。自然にはほんとうに恵まれた、豊かな国である。だから、内戦のような人的災害さえなければ、すべての面でもっと豊かになるに違いない・・・」と書いていました。それを読んだとき、わたしは思わず苦笑いしました。こんなところで、日本と地震のことを引き合いに出され、比較されるなんて・・・。心外な気持ちはしましたが、ため息とともに、受け入れることにしました。昨年の日本が、地震・台風などで多大な損害を受けているのは、隠しようもない事実です。とにかくその、ちょっと不満の残る記事が、なぜか頭に残っていたわたしは、津波がスリランカを襲った直後に、あらためてそれを思い出しました。あの筆者は、いまどんなふうに津波災害と、被災者を見ているだろう?わたしだったら、こう書くかもしれない・・・。

「災害は忘れたころ(あるいは思いもしなかったときに)やってくる。そして圧倒的な力を持つ自然災害がいったん起これば、それこそ人的災害の何倍もの威力で、人々を窮地に落とし込むことも可能なのだ。それを知っていれば、人的災害=戦争・内戦を起こすことの、ナンセンスさがよくわかるだろう。人的災害を起こすために使うお金の半分でも、自然災害の予知・予防とそれが起こったときの救援対策のために使えたら、どれほどスリランカ(そして人類)は、豊かで恵まれた国になるだろうか・・・。」

願わくば、スリランカ政府と人々が、「有り余るほど受け取っている」と一部では報道される支援金の10分の一でも、こうした災害危機管理に使ってくれたらと思います。(そして間違っても、政治的・軍事的なものに使わせないように、市民と援助国・支援者は見守っていかなくてはなりません。)

それにしても、災害救援には、常に利害がからんできます。ある場面では、政府がLTTEに対して、政府の北東部への救援を阻止していると言い、別の場面では、LTTEが、政府は北東部に何も援助をしていないと言います。一般にジャフナ(キリノッチ、ムラティブ)の人々は、政府の救援は、被災後何日も届かなかったと訴えます。また、新聞では大統領も首相も、いまは国内で仲たがいしている場合ではないと総力を挙げての復興を呼びかけますし、LTTEサイドもまた政府に対し、共同で支援に当たろうと提案していると伝えます。いったい何が本当なのでしょう?おそらくそのどれもが、真実の一部を言ってはいるものの、真実の全部を言い当ててはいないのだと思います。誰もがすべてを見ているわけではありません。見ていない部分は、他人からの情報やうわさで補っています。被災者数や被災家屋のデータの数が、出所によって変わるのは、多く言うことで、あるいは少なく言うことで、もしかしたら、少しでも多くの利害が得られるからかもしれません・・・。

なんだかもっと書きたいことがあるような、でももしかしたら書き過ぎたような、中途半端な気分です。支援体制はいま、緊急救援から、人々が仮設住宅に移ろうとする第2フェーズに差し掛かっていますが、肝心の仮設住宅建設がまだ始まっていません。プライバシーもなにもない被災者たちの、長期に及び心労が心配です。一刻も早い仮設住宅の完成が望まれます。

大島みどり

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