非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(47)2005.02.13

スリランカ通信47号/
スリランカ復興開発NGOネットワーク現地視察ツアー

2005年2月13日
大島みどり

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

みなさま、ご無沙汰しております。
2月1日から6日まで、スリランカで活動をする日本のNGO13団体が作る「スリランカ復興開発NGOネットワーク」の現地視察ツアーに同行させていただきました。非暴力平和隊・日本もこのネットワークの参加団体です。これらの団体は、大多数が主に開発援助に関わり、すでにスリランカ(またその他の国々)で数年の活動実績を持っています。今回は昨年に続き2度目の視察訪問ということですが、いくつかの団体は津波災害後、緊急救援で避難所の建設なども始めており、既存のプロジェクトと津波災害支援で始めた(あるいは計画している)新規プロジェクトの両方の視察・評価を兼ねていました。

日本からの参加者は8名でしたが、わたしのように、各地で部分的に参加する日本人スタッフと現地スタッフがいて、多いときには15人程度の大所帯が、早朝から夜まで何台かのバンで移動をすることになりました。ルートは、コロンボ→(ここから北部)ジャフナ→キリノッチ→ワウニア→トリンコマリー→(このあたりから東部)ポロンナルワ→バティカロア→アンパラ→(このあたりから南部)モノラガラ→タンガッラ→コロンボです。ただしわたしはジャフナからアンパラまで同行させていただいただけなので、アンパラ以降たとえば(タンガッラからコロンボへの途中で)マータラやゴールに立ち寄る時間がとれたかどうかは定かではありません。ほんとうは最後まで同行して、マータラやゴールもご案内したかったのですが、わたしのほうの許可が出ませんでした。

ジャフナでアジア太平洋資料センター(PARC)の漁村および津波災害支援(ボート・網などの支給)とブリッジ・エーシア・ジャパン(BAJ)の津波被災者のための仮設住居(学校)建設を拝見し、キリノッチ、ワウニアでは、同じくBAJの職業訓練所、AMDAの基礎保険サービス復興支援事業、日本紛争予防センター(JCCP)の地雷除去プロジェクト現場を訪問しました。わたしは地雷除去の現場にプロテクターをつけて入るのは初めてでしたが、この暑い日差しの中、神経を集中させて地雷除去に取り組む作業員は、さぞかし大変だろうと思いました。(集中力と忍耐力にはまたとないトレーニングですが・・・。)ワウニアではまた、JICAの北東部プロジェクト・オフィスを訪問しました。

トリンコマリーでは二手に分かれて、ひとつはジャパン・プラット・フォームが行う津波被災者の仮設住宅建設、もうひとつは反差別国際運動日本委員(IMADR)が行う被災者支援(IMADRの現地パートナーである女性団体が支援)を見学しました。その後全員が一緒に、トリンコマリーからフェリーで渡った(わたしたちNPのムトゥール事務所から近い)キニアという、被害のひどかった地区の避難所を訪れました。

ポロンナルワからバティカロアへの途中、トイレ休憩と称して、NPのオフィスのあるヴァルチェナイに15分ほど立ち寄り、わたしはチーム・メイト5人に出会うことができました!ヴァルチェナイ近辺も被害を受けていて、避難民キャンプも街の中に見られました。(ヴァルチェナイ・チームの知り合いで亡くなった方々もいますし、チームの通訳をしている女性のバティカロアの家は大変な損害を受け、また彼女の親戚・親類でも25名ほどの人が亡くなったそうです。)

バティカロアの南からアンパラにかけては、おそらくスリランカでいちばん被害の大きかったところですが、それは海岸線に沿って町が作られ、人口が過密していたからのようです。回教徒(ムスリム)とタミル人の住む地域が断層のように、交互に海岸線を色分けしているため、それぞれのコミュニティーの被災者は、隣の(回教徒はタミル人の、あるいはタミル人は回教徒の)コミュニティに移り住むことはできず、仮設住宅を建てようにも空き地がないという困難な状況を、日曜に面会したアンパラ県知事(Ampara Government Agent, GA)が話していました。BAJはアンパラでも災害支援を開始する予定だそうです。

わたしはそこで一行と分かれ、コロンボに戻る2名の方々の車に同乗させてもらい、6日(日)の夜中にコロンボに到着しました。翌日はビザの更新に入国管理局に出向くことになっていたので、わたしは5人のチーム・メイトのパスポートを携えて出かけましたが、結局夕方5時まで待たされました。(まぁ、こんなもんです。)

8日(火)の昼にはジャフナに戻りましたが、さすがに1日の休みも無く、早朝から夜までギッシリ詰まったスケジュールをこなしていたので、疲れきっていました。この週末は少しゆっくりしたいところですが、たまったメールの返信や、報告文書作成もしなくてはなりません。

先週の月曜にLTTEの幹部のひとりがその他数名とともに、東部で暗殺される事件があり、その余波で、北・東部のあちこちでハタールと呼ばれるストライキが起こっています。ジャフナは昨日で、ほぼすべての店が閉まり、交通機関(バスやオート三輪)もストップしました。暗殺した犯人は例によってわからず、LTTE側は政府軍だと言い、ある人はLTTE内、東部・北部の抗争で別れた一派だと言います。ただこの事件によって、LTTEが何らかの行動を起こす可能性は否定できず、津波被害で政府とLTTEが協力態勢に入るかもしれないという期待と楽観的予想は、そうそう簡単には実現しそうもありません。何十年(あるいはそれ以上?)もかけて作られた、人々の意識・感情・思考回路は、津波の力を持ってしても、洗い去ることはできないのかもしれません・・・。悲しいことです。

それではまた。みなさまもおからだにお気をつけてお過ごしください。

大島みどり

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