非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(54)2005.06.03

スリランカ通信54号/緊張のトリンコマリーと何度目かの移動

2005年6月3日
大島みどり

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

こんにちは。前回は、(日本への)一時帰国直後のコロンボからお便りしましたが、その翌日には、緊張状態の続くSL北東部トリンコマリー地域を担当するムトゥール・チームの応援に、コロンボから急遽出かけることになりました。トリンコマリーは、北東部で最大の都市(といっても、南部の小さな町でも見かける大手スーパー・マーケットもありません)で、LTTEのコメントによると『タミル人の首都』ということですが、現在の人口比率では、シンハラ人3分の1、タミル人(ヒンドゥー教徒と少数のクリスチャン)3分の1、回教徒3分の1(彼らは民族的にはタミル人ですが、スリランカの人種・民族・宗教紛争を言うときには、たいてい回教徒とその他タミル人を別に考えます)という、バランスのとれた、けれどある意味で、ひとたび揉め事が起こると、大変なことになりかねない地域でもあります。NPの事務所は、このトリンコマリー湾の反対側に面し、フェリーでは1時間程度、陸路では2時間かかるムトゥールという小さな村にあり、今年の4月後半以降は、3人がここで活動していました。今回トリンコマリーの街中で起こった事件をきっかけに、町の緊張状態が高まり、3人のチーム・メイトのうちふたりがムトゥールを離れ、トリンコマリーにしばらく常駐する状況になったため、二人組チームをふたつにしようということで、わたしが送られたわけです。

トリンコマリーで起こった事件というのは、簡単に言えばこういうことです。シンハラ人の愛国者たちが、極右翼的なふたつの政党(連立与党の中にあるもので、ひとつは仏教僧たちによる政党)のバック・アップで、(前回SL便りで書いた)ウェサック祭を前に、トリンコマリーの中央バス・ターミナルのど真ん中に、ブッダの像を建てたのです。それも、人目を避けた真夜中にです。すぐにタミル人の市民団体が、訴えを起こし、最高裁の判決にまで持ち込まれました。結果的に最高裁では、このブッダの像の建設(場所)は、違法であるということで、撤去する命令が下されましたが、実際いまだに仏像はそのまま建っていて、そのまわりを銃を構えたスリランカ軍兵士が警備しています。周囲は土のうで囲われ、有刺鉄線がはりめぐらされ、もちろん周辺の道路からトリンコマリーの街中じゅういたるところに、軍の兵士と警察(すべてシンハラ人)が、10mから数百m置きに、銃を手にして目を光らせています。異様な光景としか見えません。

わたしはムトゥールに留まる側にあったので、到着してしばらくは、ムトゥール内や郊外(政府支配地域とLTTE支配地域の両方)の津波避難民キャンプを回ったりしていましたが(これもまた大きな問題を抱える事項なので、いずれ書かせていただきます)、ミーティング等に参加するため、5月30日と6月1−3日までトリンコマリーに滞在する機会を得ました。そして上記に書いたようななんとも悲しい光景を数日目にすることになったわけです。

車(4人乗りトラック)で狭い道を走ると、両側に立つ銃を構えた兵士達と目が合います。というより(少なくても今の時点では)わたしはなるべく目を合わせるようにしています。一瞬のことですが、わたしは心の中で祈ります。(決まったことばがあるのですが、ここでは省略します。)微笑もうと思うのですが、どんなふうに微笑んだらよいのかわからず、そして彼らが怯えた目や、威嚇した目を向けるたびに、悲しくなって、どうもかなり情けなくて頼りない微笑みになってしまいます。10mも離れずに立っていると、祈りのことばが終わらないうちに、次の兵士と目が合ってしまいます。最初は道の両側の兵士すべてにと思っていましたが、とてもそんな余裕はありません。しかたがないので、座っている側の兵士たちだけに、目を合わせ、心の中で祈ります。なんの助けにも役にも立たないものですが、その一瞬だけでも、彼らとともにいて、彼らがじぶんたちの生命を無駄にしないよう、そして彼らが守るのは、ある特定の人種や民族ではなく、非暴力の一般市民たちであることを、祈るばかりです。

そんなトリンコマリーを包括するムトゥール・チームに、わたしはしばらくのあいだ正式に滞在することになりました。電話回線を引くために払った予約金を返すかわりに、大家さんが2ヶ月ほどのリース延長を承諾したマータラ事務所は、結局しばらくのあいだ家具等を残したまま、閉じることになりました。わたしは明日土曜(4日)ムトゥールからコロンボへ戻り、日曜にマータラへ帰ります。じぶん個人の荷物だけまとめ、お世話になった人々へ挨拶し、電話代やらその他支払い等の用事を大急ぎで済ませて、水曜にはコロンボへ荷物を持って移動、木曜にムトゥールへ戻るという予定です。

これで何度目の移動になるのでしょう。マータラ(4ヶ月)→ヴァルチェナイ(6週間)→マータラ(4ヵ月半)→ジャフナ(5ヶ月強)→マータラ(1ヵ月半)→ムトゥール。 最初のトレーニングでタミル語を習ったまま、マータラ(シンハラ語)に赴任して以来、数ヶ月交代で、両方の言語地域を行ったり来たりしているおかげで、頭の中がめちゃくちゃです。子どもなら両方の言語を覚えるところでしょうが、こう歳をとってしまうと、両方ともモノにならないのが、悲しいところです。(でもずっと同じところにいて、話せない・理解できないよりはいいのでしょうか?)

わたしの戻りを喜んでくれたマータラの人たちに再度さよならを言うのは辛いです。マータラの避難民キャンプでなにか支援できることはないかと思案していたばかりで、彼らのフォロー・アップができないことも、辛いことですが、いまいちばんNPがメンバーを必要としているところに赴くのが、適切なことだと思います。先週と今週回ったムトゥールほかの避難民キャンプの状況は、マータラにも増して悲惨です。ここでできることもたくさんあるでしょう。

タミル人によるストライキ(『ハタール』といいます。ほぼすべての店が閉まります。もちろん銀行等もです。)がトリンコマリーを中心に、北部(ジャフナを含む)・東部(バティカロアを含む)全域で行われた今日だけでも、トリンコマリーでは爆弾がしかけられるなど、数人の負傷者がでています。トリンコマリーの状況の変化、そしてムトゥール周辺の津波避難民キャンプの様子については、またご報告させていただきます。

それでは、みなさま、日本からもトリンコマリーの人々にポジティブ・エネルギーを送ってください。警察・兵士その他どちらの側の人々にもです。彼らしか、じぶんたち自身と、この土地を守れる人たちはいないのですから。

わたしも、人々の安全と平和を祈りながら、眠りにつきたいと思います。

大島みどり

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