非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(55)2005.06.24

スリランカ通信56号/いまSLで起こっていること(1)

2005年6月24日
大島みどり

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

こんにちは。前回の便りを書いた翌日ムトゥールからコロンボへ移動、そして5日(日)にマータラへ戻りました。一時帰国前は、ほんの2週間強マータラを留守にするつもりでいたのに、結局ほぼ1ヶ月間不在になってしまったわけで、それも、再移動というおまけ(ではなくて、もう『本体』ですが)つきです。移動については、マータラの近しい友人・関係者に電話でお知らせしていたので、2日半の間に、彼らのほぼ全員にお別れを言うことができました。再度のお別れ(昨年9月中旬にマータラからジャフナへ移動したときが一度目)ですが、今回マータラに1ヵ月半だけでも戻ったという事実は、「またいつか会えるかもしれない」という希望を、わたしに残してくれました。

何度目かになる荷造り(そしてその後に必ず来るのは荷解き)にうんざりしている手とからだをなだめすかして(?!)、8日朝にはマータラを出て、その日の午後のコロンボでのミーティング(津波災害救援活動をモニタリングする政府系独立機関との共同事業)を終えると、翌9日に、これが最後の移動になればよいと願うムトゥールへ出発しました。

さて、個人的な話はともかく、緊張が続くトリンコマリーについては、前回かいつまんでお話させていただきましたが、「一触即発の(いつ戦争が起こっても不思議ではない)状況」を想像することがむずかしい日本のみなさまに、こうした設定を噛み砕いてご説明したほうがよいだろうという提案をその後いただきました。が、どう書けばいいだろうかと考えあぐねているうちに、忙しさにまぎれてしまいました。(ムトゥールでは、たとえ30分でも、落ち着いて書くという「予定」がたてられません。時間がないというより、次の行動の予定がたてられないのです。)書き損ねているうちに、もちろん事態も刻々と変わってきます。SL便りを書くことがわたしの公式任務のひとつであればよいのですが、わたしの仕事はチームで行うフィールドでの活動を主としているので(もちろんレポート書きや会計といったオフィスでの、また個人的に担当する仕事もありますが)、みなさまにご報告・お話したい気持ちは山々ありながら、そのための時間が思うように取れず、じぶん自身フラストレーションがたまることが多くあります。便りが不定期になってしまう理由をご理解いただけたらと思います。

話を戻すと、トリンコマリーのバス・ターミナルにおける仏像建立を巡る緊張は、その後一転して、それよりはもっと大きな国家的問題に巻き込まれました。つまり津波災害支援のための、政府とLTTEのジョイント・メカニズム(共同支援体制、以下JM)を設立させるかどうかという国政に関わる問題、それに起因する連立与党政府内の対立・分裂、そしてその対立関係がもたらす全土における暴力的行動および反対運動です。

こうした政治的な話をSL便りでするのは、わたしはあまり好まないのですが、やはりスリランカという国と、そこでの暴力・対立についてみなさまにご理解いただくには、わたしの拙い文章と知識ででも、多少なりともご説明しなくてはいけないだろうと思います。2回くらいに分けて、SLの政治的対立とそれに影響される人々の生活状況(暴力的事件)を、書いてみようと思います。時間・気力・体力が途中で消耗しない程度の内容になってしまうと思いますが、おつきあいください。

政府とLTTEのJMについては、もっと早くから提案がされていましたが(津波被災からもう半年です。そして多くの被災者たちが、まだテント暮らしをしています!)、各方面からの反対の声が強く、政府は二の足を踏んでいました。もっとも強く反対を唱えているのが、連立与党政府内のJVP(社会主義系統)という政党と、政府内ではありませんが、JHUという仏教僧たちが集る政党です。

昨年の総選挙では、大統領の所属する政党が単独で政権が取れず、政府は以前からいくつかの政策で意見を異にするJVPと連立を組まざるを得ませんでした。選挙時には大きな助っ人となったそのJVPと、スリランカの人口のほぼ70%を占めるシンハラ人の大多数が信奉する(小乗)仏教の、僧侶達が作る政党(SLでは、僧侶は信徒から多大な尊敬・崇拝を集めます)が、JMに反対しているのです。それに対し、津波被災救援支援を約束する、日本を含めた国際社会は、JMの設立を条件に、支援を約束しています。(どちらが先に来るのかはわかりかねますが)お金が欲しい/被災者を救援したい政府としては、困り果てました。が、いつまでも案件を先送りするわけにも行かず、結局政府は6月15日にJM設置についての決定を下すという措置をとりました。5月23日のウェサック祭にあわせて、トリンコマリーのバス・ターミナルに仏像が立てられたのは、そのほぼ1週間前ですが、仏像建立→トリンコマリーにおけるシンハラ人・タミル人対立(裏には政党・政治的関係者がからむ)→JMを巡る政府内対立→JVP/JHUを支援するシンハラ人とJMを支援するタミル人対立と、問題が拡大したきたというわけです。

コロンボ以南では、大多数の住民がシンハラ人ですから、たとえデモなどがあったとしても、それに対抗するタミル人やLTTEは存在しません。(回教徒の人たちは比較的中立な立場をとっています。もちろんあくまで比較の問題で、詳細まで追及すると話はもっとややこしくなります。)が、これがトリンコマリー地域のように、シンハラ・タミル・回教徒がほぼ同数で暮らし、また少数の人種が住むコミュニティがそこここに存在する地域では、デモや小規模の暴力が大きな問題に発展します。つまり、ひとつのコミュニティでは、少数のタミル人が大多数のシンハラ人による攻撃を受け、そして逆に別の村では少数派のシンハラ人が、大多数を占めるタミル人により被害を受けるといったようなケースが起こりうるのです。そして暴力の背後には、多くの場合、一般市民だけでなく、警察・軍(シンハラ人)とLTTE(タミル人)がからんでいます。また、LTTEは現在でも、昨年3月から引き続いている内部分裂(東部バティカロアを中心とした勢力と、北部の総司令部の闘争)による、殺傷事件が絶えません。

つまり、ある地域で投げられた手榴弾が、誰が誰を狙って投げられたものなのかは、問題と関係者があまりに複雑に絡み合っていて、なかなかわかりづらいものになってしまうのです。そしてこうした小さな事件が、5月中旬から現在に到るまで、トリンコマリー地域(町中だけでなく、ムトゥールやその他の周辺地域も含めて)では、1週間に何度という頻度で起こっているのです。そこが、シンハラ人が大多数を占める南部(コロンボ以南)とは違う状況です。南部でのデモは、少なくても人種的には同胞にあたる人々に共感と賛同を訴える手段であるのに対し、同じようなデモが、トリンコマリー地域では、同胞にではなく、対立者に見せる力の誇示、アジテーション、そして究極的には「見せる」だけではこと足らなくなる、暴力的行為・事件となるわけです。

次号に続きます。こうした政治的な話に慣れていないわたしには、説明がうまくできません。多少なりともご理解いただけているのか、とても不安です・・・。)

大島みどり

△スリランカ通信(55)2005.06.24/TOPへもどる

前号を読む|次号を読む