非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(56)2005.06.24

スリランカ通信56号/いまSLで起こっていること(2)

2005年6月24日
大島みどり

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

SL通信55号の続きです。どうぞ55号からお読みください。)

最近ムトゥールとその周辺で起こった事件をふたつだけご紹介いたします。

ムトゥール・チームの知り合いだった、ムトゥールから40分程度離れた村の警察官が、もうひとりの警察官と共に殺害されたというニュースを、わたしたちが受け取ったのは、事件の翌日18日(土)の朝でした。その後わたしたち3名は通訳者とともに、トラック(四輪駆動)でその村に向かったのですが、村の数十メートル手前で、SL軍に通行を拒否されました。「いま村でデモが行われており、危険なので通行できない」と。わたしたちがそこで目にしたのは、フロント・ガラスを投石されたスリランカ・モニタリング・ミッション(スリランカの紛争に仲介を申し出ているノルウェー政府から派遣されているミッション。2002年の停戦合意後、SL北部および東部で、停戦合意の約束が政府側とLTTE側で守られているかどうかを、モニタリングする。トリンコマリーには10人以上が駐在。以下SLMM)の車でした。SLMMは、わたしたちのような弱小NGOと違い、SL/ノルウェー政府間の取り決めで送られているミッションですから、多大な権限と、セキュリティが確保されているというのが、わたしたちの認識でした。その車が攻撃を受けたのです。わたしたちは、トラックを止めた軍人に、何が起こったのかを訊こうとしましたが、事件直後の混乱した状況で、何も教えてくれず、ただそこを立ち去るよう指示されただけでした。

その村はシンハラ人の村でしたが、その数百メートル手前までは、タミル人たちが点在する地域です。わたしたちはタミル人居住地域に戻り、彼らから何が起こったのかを聞きだそうとしましたが、SLMMがシンハラ人に襲われたらしいということと、その当日朝に、道を歩いていたタミル人青年が警察に連行されたという情報しか得られませんでした。

わたしたちは、その後もしばらく住民達に話を聴きながら周辺に留まっていましたが、再度事件のあった村に戻った際に、警察に保護されていたSLMMのメンバーふたりとドライバーに面会することができました。彼らの話に寄れば、その村を通過しようとしたSLMMの車を、100名ほどのシンハラ人の若者たちが襲ったそうです。銃のような武器はなく、投石だけだったため、3人と彼らを守ろうとした警察官数人は軽症を追っただけですみましたが、それはどうやらJVPが唱える「国際NGOは、じぶんたちの利益追求のためにSLに来ており、しかもタミル人サイドのみを支援している」というコメントに賛同した、一部のシンハラ人JVPシンパが起こした暴動のようでした。(少なくともそのように一般的には理解されています。)

JVPのことばが真実であるかどうか、あるいはSLMMを襲った人々が何と弁明するか、そういったことはともかく、これまで「安全」を確保されていたはずのSLMMが襲われたという事実は、SLMMにはもちろんのこと、東部・北部で活動する国際NGOにとって、どれほど大きな打撃となったかは、言うまでもありません。また、シンハラ人の暴挙を恐れる周辺地域のタミル人住民は、わたしたちが通るたびに、その恐怖と困難を訴えます。彼らは、夕暮れになると、じぶんたちの家を離れ、近隣の村へ移動、夜を明かした後、再度じぶんたちの村へ戻る毎日を送っています。夜中の襲撃を恐れるからです。たとえわたしたちが「大丈夫。警察がそう言っている」と伝えても、彼らの恐怖にかられた彼らの心は、そう簡単には癒えません。

事件以降、わたしたちはほぼ毎日その地域を訪問していますが、人通りも、バスの通行もほとんど見られません。トリンコマリーからムトゥール(および以南)への通行には、この道と村を通過する以外ないのですが、誰もが恐怖心から通行できないのです。先日以来初めて道で出会ったSLMMの車は、SL軍の先導を受けていました。軍のガードをつけなければフィールドに出られない状況のSLMMの立場は、おそらくかなり困難なものになっているかと思われます。SLの政治的動向が、地元住民はもとより、そこで活動する国際NGOにさえも、どれほど影響を与えているか、みなさまにもご想像いただけるかと思います。

ふたつめの事件は、わたしたち(NPあるいは国際NGO)には直接関係はありませんでしたが、今週ムトゥールの町(村)で真昼間、殺人事件が起きました。別の町からオートバイの修理に来た青年ふたり(兄弟)が、銃で撃たれ、ひとりが死亡、もうひとりは難を逃れたそうです。なにしろムトゥール内でのことなので、事件直後にわたしたちは現場に出かけ、警察官からも話を聴くことができましたが、どうやらこれは、LTTE内の分裂から起きた事件のようです。それにしても、こうも簡単に「殺人」を犯す社会がどんなものなのか、わたしにはうまく理解できません。少額で手に入る小型武器(銃など)を所持する人はたくさんいると聞くこの社会では、人をあやめるということにどれほど罪の意識を感じるのでしょうか。わたしは心理学者ではありませんし、またそれはわたしたちの仕事ではありませんが、SLが現在抱えている問題(対立・紛争・暴力)の多くが、人々の心の内面と、経済的要因に関わっていることは否定できないと思います。

書き足らないことは、まだまだたくさんあります。そのうえ、「いつ戦争が始まっても不思議でない状況」を理解していただくには、わたしの知識・理解力、そして文章能力では、まったく不十分で、申し訳ない限りです。しかた(?!)がないので(そして時間・気力・体力が尽きてしまったので)、きょうはこれで終了させていただきます。わたしはわたしの偏った見方しかできませんが、今後も、何かの事件・出来事に焦点を当てながら、日本では想像することのむずかしいSL社会について、少しでもみなさまにお伝えできるように努めたいと思います。

大島みどり

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