非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(59)2005.08.06

スリランカ通信59号/原爆投下60年の日に

2005年8月6日
大島みどり

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

こんにちは。きょうは8月6日、広島に原爆が投下されて60年になります。この60年、わたしたちの住む世界は、安全になったのでしょうか。日本が関わった戦争の、広島と長崎の原爆で、沖縄戦で、日本各地の空襲で、中国・朝鮮で、東・南アジアで命を落とした人々に、第2次世界大戦の戦場となったヨーロッパはじめその他の地域で亡くなった人々に、「60年後世界は平和になり、人々は幸せになったよ」と語りかけられない辛さと、責任をしみじみ感じます。戦争と暴力の手口は巧妙になり、誰もが非難する「原爆投下」をせずとも、もっと大きな被害を与えられる兵器が開発され、罪のない人々、とくに無力な子どもたちを苦しめています。たやすく人をあやめることのできる安手の武器が町や村に出回り、少しでもおのれの意志に沿わない人は敵、つまり存在する価値も必要もないものにみなされます。国家レベルの大きな暴力が三角形の頂点に、そして個人レベルの小さな、けれど数多くの暴力が三角形の底辺をなし、その三角形は無数の暴力で満ち溢れています。

60年でわたしたちのどこがいったい進歩したと言えるのでしょう。モノが溢れる一方で餓死する人々がいるときに、ITテクノロジーは、飢餓で死に行く人々に何ができるでしょう。(ITのお仕事をしている方々、ごめんなさい。個人攻撃をするつもりはありません。全体責任の一例です。)わたしたちがほんとうに考えなくてはいけないこと、それは、『次世代通信・携帯』(これも一例)が個人利用者にもたらす利便さ、言い換えれば金銭で手に入る『物質的欲望』を、どのようにこの世界(宇宙)全体の幸福に変えていけるか、あるいはつなげていけるかということだと思うのですが、悲しいことにわたしたちは、どうしてもいま『目に見えている』部分・世界の中だけで、どれくらいじぶんが安泰に、楽に、愉快に過ごせるかということしか考えられないようです。

これはある程度しかたのないことかもしれません。誰でも、じぶんを、家族を、身近な人々を、愛する人々を守り、彼らが幸せに過ごせるように努力する権利を持っています。問題は、その『こちら側(じぶん・家族・知人・あるいは民族・宗教を同じくする人々)』の垣根をどこまで広げて、『その他』の部分を少なくできるか、あるいは垣根を低くできるかなのだと思います。そしてわたしは、このスリランカ通信を読んでくださっているみなさま、わたしの津波被災支援募集に応えてくださったみなさま(すみません、大分活動が中断してしまっています!)が、そうした垣根をビューンと飛び越えて、わたしやNP、NPJ(非暴力平和隊・日本)、そしてその他のいろいろな方法を通して、原爆投下60年後の世界をより明るくしようとしてくださっていることを知っています。身に滲みて感じています。だからこそ、この2年(まであと2ヶ月弱!)なんとかがんばってこられたのです。

現在第2次FTM(フィールド・チーム・メンバー)の14人が国内での10週間のトレーニングに入っています。8月中旬から何回かに分けて、数人ずつが各フィールドを訪れますが、彼らが配置されるのは、10月初めです。それに先立ち、フィールド(オフィスを置く場所)の検討と、1次FTM(わたしたち)の再度の配置換えが行われます。フィールドは、わたしがいまいるムトゥールと、昨年数週間赴任したヴァルチェナイのほかに、トリンコマリー(町)と、バティカロア県南部(ヴァルチェナイは同県北部)の2箇所がほぼ決定しています。ジャフナについては、再検討中です。わたしが再移動する可能性もありますが、わたしは、10月末か遅くとも11月中旬にNPを辞職する予定なので、たとえ移動しても、ほんの1ヶ月かせいぜい2ヶ月程度のことです。辞職後のことは未定です。みなさまにお会いできる日を楽しみにしていることだけは確かですが、それ以外は、いまはあまり考えられません。

今回はトリンコマリーやムトゥールの状況は書きませんでしたが、トリンコマリー県の様子は少し沈静化しているようです。が、ジャフナでおととい事件があり、町には一時戒厳令がしかれたようで、いつどこで何が起こるかは、ほんとうに予断が許せません。「いったいどうしてこうした暴力的なことが起きてしまうのか理解に苦しむ」とのコメントをいただく機会もあったので、そんなことについても、いつか書かせていただこうと思います。

日本も暑い日が続いていることでしょう。みなさま、どうぞおからだにはくれぐれもお気をつけください。

人類の長い歴史の中で戦火で亡くなった無数の人々の冥福と、いまある命の尊さを思いつつ・・・

大島みどり

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