非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(60)2005.08.21

スリランカ通信60号/稜線の霧の中で

2005年8月21日
大島みどり

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

日本は猛暑が続いているようですが、みなさまお変わりありませんか。
多くの方々がご存知のように、スリランカでは8月12日(金)の夜コロンボで、外務大臣が暗殺されるという事件が起こりました。これに引き続き、政府の指令で、スリランカ軍と警察による数日間の厳戒態勢が敷かれました。ムトゥール・オフィスにも、市民から、LTTE領域と政府領域を結ぶバスが通行不可になっているといったような、苦情の声が届きましたが、政府による指示(State of Emergancy)である限り、わたしたちにとってもできることはほとんどありません。

2002年2月の停戦合意からその後話し合いの進展がないまま、津波災害という危機も含めて、切り立つ山の危ない稜線を渡ってきたスリランカは、ここに来て、稜線に立ったまま、深い霧の中に迷い込みつつあるかもしれません。何か事件があるたびに、政府とLTTE双方が、犯行を相手の仕業と非難しますが、どこまでそれらが立証できるかは、難しいところです。それどころか、犯行が必ずしも、LTTEや政府(軍)の直接の指示によるものとは限らないこともあると思います。「戦争」によって得する人は、いつも限られた一部の人たちで、彼らにとってはLTTEも政府も関係ないことさえ大いにあるはずです。

それでも、暗殺事件以降これと言った『大きな』事件も聞かれず、様子見の状態が続いていましたが、16日(火)昼前に、ムトゥールのわたしたちのオフィスから数キロしか離れていない、スリランカ軍のキャンプ近くで、兵士ひとりが撃たれ、運ばれたムトゥールの病院で亡くなるという事件が起こりました。今後こうした事件が別の場所で起こらないとも言えず、スリランカの情勢は不安定のまま、目の前数メートルも見えない霧の中を、危なげな足取りで進んでいかなくてはならないようです。

例によって、今回の通信も書き始めたのは数日前で、そうこうしているうちに、10月から新しくフィールドに配置される14人のうちから3人の第一陣フィールド訪問がありました。3〜4人のメンバーが、ヴァルチェナイとムトゥールのオフィスを、4陣に分かれて訪問するというものです。16日夜に到着した彼らは、翌二日をムトゥールで過ごし、金曜にわたしたちとトリンコマリーに移動、昨日(土曜)朝、トレーニング地であるバティカロアに戻りました。

新しく、またエネルギーに満ちた意見やアイディアを迎えるのは、いつでもうれしく、また力になります。たとえ、スリランカの情勢や社会、あるいはNPのスリランカ・プロジェクトに対する情報と体験は十分でなくても(それでもスリランカ情勢に対する知識などはわたしより多い人もたくさんいると思います!)、すでに人生や仕事・活動で多くの経験を積んできている彼らから学ぶことはたくさんあります。

2年間もスリランカですでに過ごしてきた、いるいわゆる『先輩』との軋轢や衝突もこれから起こるでしょうが、関わるわたしたちすべてが、問題を真摯に見つめ、公平に、誠実に、慈愛を持って、対処していけたらと思います。

第2弾のフィールド訪問は、25日からです。

わたしは新しく設置されるトリンコマリーの町のオフィスへの移動が決まりましたが、まだ実際いつ移動できるかは未定です。建物の修理や掃除、家具の調達から、オフィス・住みかとしての機能が整うまでに、数週間はかかると思われます。またわたしは前回書かせていただいた、10月末か11月初めの離職時期を少し早めて、10月中旬以前にする方向でいるので、トリンコマリーのオフィスが整い、新しいメンバー(おそらく3名)が派遣されてまもなく、NPを去ることになりそうです。

NPを去っても、スリランカにいる間、あるいは日本に帰ってNPSLの2年間の活動・生活の整理がつくまでは、SL便りを続けたいと思っています。後日談でしか書けないことも、多いかもしれません(?!)もちろん、NPSL辞職後は、それこそほんとうにわたしの個人的便りになりますので、配信ストップをご希望の方は、どうぞご遠慮なくお申し出ください。これに関しては、NPSLとしての最後のSL通信となる(と思われる)号で、再度確認させていただきます。それまでにあと2回、できれば3回くらいは、通信をお送りできるようにしたいと思っています。

先ほど実家に電話したところ、きょう21日(日)は、麻布十番商店街の毎年恒例の納涼祭り(いわゆる昔ながらの神輿のでるお祭りではなく、夜店を中心としたもの。ただし毎年何万人という人出がある)の最終日で、家の前の公園から最大級のボリュームで盆踊りの音楽が流れているとのこと。わたしの声も聞こえないようなので、早々に電話を切りました。そこにいれば、文句のひとつ(それ以上!)も言いたくなる音楽と日本の猛暑も、2年もたてば、いまは少しなつかしく感じるところです。(人間の特性は『喉下過ぎれば、熱さ忘れる』こと?!)

トリンコマリー県では、9月後半からのモンスーンを前に、いまが米の収穫まっさかりです。

大島みどり

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