非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(62)2005.09.25

スリランカ通信62号/大統領選を控えて(「戦争」への不安)

2005年9月25日
大島みどり

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

こんにちは。トリンコマリーの新しいオフィスから第一報(そして最後の一報?)です。前回の通信で少し触れましたように、9月末2日間だけ行われるNPSLの全体会議(合宿)を終えると、新しいメンバーがフィールドに移動してきます。このオフィスにも3名が来ますので、わたしは彼らの内のひとりに部屋をあけ渡し、これまでトリンコ・タウンで常宿としてきたゲスト・ハウスに移るつもりです。つまりこのオフィス兼住まいに居住するのは1週間弱のみ。ほとんど荷解きせず、すぐ移動できるようにしています。

さて、ご存知の方も多いと思いますが、スリランカでは、11月中旬前に、大統領選挙が行われます。現在の大統領の任期が切れるためです。次期大統領にはふたつの政党からそれぞれ候補者が名乗り出ていますが、ひとりは現在の与党で首相を務めているマヒンダ・ラジャパクセ氏、もうひとりは昨年の総選挙(4月)前まで首相を務めていた現野党代表のラニール・ウィクラマシンゲ氏です。(氏名のカタカナ表記については、日本の新聞等では異なる書き方をしているかもしれません。)

ラジャパクセ氏は、PTOMS(政府とLTTEが協力して行う津波被災共同支援メカニズム)をはじめとする、LTTEとの和平交渉に強い難色を示すふたつの政党JVP(すみません、勉強不足で日本語訳がすぐ出てきません。社会主義政党)とJHU(これも日本語訳がわかりません。仏教僧からなる政党です)と協力体制を結び、主にシンハラ人社会から大きな支持を受けています。

タミル人が多数を占める東部地域では、このラジャパクセ氏の勝利を不安材料と見る人々が多くいます。もちろんこれは、わたしの耳に入る範囲の声に過ぎませんので、これがどの程度真実かを証明するものはなにもありません。が、選挙結果によっては、政府・LTTE共同による津波被災支援、そしてさらに大きな課題としての和平交渉の将来に大きな変化と障害が出てくる可能性は否定できないと思います。タミル人コミュニティのあちこちで、『戦争が始まるかもしれない』というささやきが聴こえています。これが現実とならないことを祈るばかりですが、実際わたしたち(NPあるいはスリランカ在住外国人)に、これをストップさせる手段と力は、正直言ってありません。そしてたとえば、和平交渉の仲介役となっているノルウェー、あるいは国際社会全体の力を持ってしても、確実に津波以上の災害となるこの『戦争』という人災を引き止めることは不可能かもしれません。正確な数字を憶えていませんが、たしか2002年に停戦合意がなされるまでの20年間で、6万から6万5千人の犠牲者が報告されています。また国内避難民の数は、たしか18万人前後だったように記憶します。(正確な数字がおわかりになる方がいらっしゃいましたら、訂正してください。)

シンハラ人もタミル人も、あるいは宗教の違いを越えて、大多数の人々が、平和を願っていることは事実です。政府軍関係者と話しても、LTTEの人々と話しても、わたしの知る限り、誰一人として戦争を望む人はいません。それなのに、現実は、日々トリンコ・タウンでも手榴弾が投げられ、負傷者が出、政府軍の大量兵士派遣や以前から問題となっている街中に立てられた仏像の建設に反対する、「ハタール(全面ストライキ)」が実行されています。人々の(平和への)願いは、行動というかたちをとると、ときに変質するのでしょうか。実現するにはいくつもの困難を越えなくてはならない願いは、不満とはけぐちのない怒り・恨みとなり、暴力というかたちをとるしか、表現ができなくなるのでしょうか。どこに糸口を見つければよいのか、わたしは途方に暮れるばかりです。

わたしたちNPの活動は、地元のコミュニティや周辺地域、他の組織、セクターでも評価されつつありますが、こうした大きな社会の潮流(『戦争』への傾斜)を見たときに、どこまで役に立てているのかを考えると、じぶんの存在の小ささをまざまざと感じずにはいられません。

結局のところ、潮流には従うしかないのです。長いものには巻かれろ、ということでしょうか。でも、その潮流や長いものを作っているのは、実際わたしたちひとりひとりなのだということに、わたしたちの多くは気づきません。潮流や長いものは、いったいどのように作られていくのでしょうか。どうしたら、それらを作る場に、もっと近づけるでしょうか。あるいは、その根っこ、種が植えられる瞬間に立ち会えるでしょうか。『戦争』という種を『平和』という種にすりかえるために、わたしたちができることはなんでしょうか。

わたしはこれからの活動として、できるだけその根っこ・種の部分に触れることのできるものを探してみたいと思います。

来月初旬にわたしはNPを辞職しますが、すぐには日本に帰国せず、1ヶ月程度コロンボの友人宅に泊まりながら、非暴力コミュニケーション・トレーナーである彼女の不在中にできる仕事をお手伝いする予定です。そしてできれば南部のゴールやマータラの友人達を訪ねたり、津波被災支援のために、日本のみなさまからお預かりした支援金の使途を探ることにしています。また、もしかしたら、日本からスリランカを訪問される方々(取材や視察など)に同行して、東部・北部を訪ねる機会もあるかもしれません。というよりは、スリランカを去る前にぜひもう一度ジャフナを訪ねてみたいですし、またトリンコマリー、ムトゥール、ヴァルチェナイ、バティカロアを訪問し、友人たちに会いたいとも思っています。もちろん、ほとんど足を運んでいないスリランカの名所と言われる場所も、時間があれば観光に周りたいです。考えてみれば、観光は、昨年7月末にキャンディのペラヘラ祭を見学した程度で、ビーチでのんびりしたこともありません。少しは観光名所も知らないと、スリランカを味わったことにもなりませんね。

それでは、このメールがNPSLのFTM(フィールド・チーム・メンバー)としての最後の通信になるかもしれませんが、そうであっても、10月中旬までには、フィールドでの最後の2週間のご報告を通信させていただき、コロンボで落ち着きましたら、2年間を振り返ってみた感想なども、書かせていただくつもりです。みなさまへのきちんとしたご挨拶は、そのときのためにとっておかせてください。

どうぞお元気で。

大島みどり

追伸:
SLの大統領選挙の外国人選挙監視団への参加にご興味のある方は、ご連絡ください。詳細についてはまだ未定ですが、NPのパートナーでもあるPAFFREL(People’s Alliance for Free and Fair Election)が組織中です。また非暴力平和隊・日本へも、ある程度の情報が送られている可能性がありますので、よろしければお問い合わせください。

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