非暴力平和隊・日本

藤村陽子インドネシアレポート:No.2

No.2 2005年1月19日

PBI 藤村陽子

1月9日にマリオボロで行われたコンサートを聞く人々

1月9日にマリオボロで行われたコンサートを聞く人々

みなさま、ご無沙汰しております。インドネシアレポートの執筆が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。実は持ってきたノートパソコンが壊れてしまい、修理に出していたのです。

さて、前回から今回のインドネシアレポート執筆までに、インドネシアではいろいろなことがありました。11月はじめにはイスラム教の、ラマダン(Ramadhan・断食)明けのルイドゥル・フィットリ(Idul Fitri)というお祭りがあり、クリスマスがあり、そして12月26日にスマトラ島北部のアチェ付近で起きた悲惨な地震と津波などがありました。これらについて順を追って書いていきたいと思います。

ルバランですが、今年は断食が11月2日に明け、私も無事1ヶ月間の断食を終えました。私はこの日の少し前から、友人の実家があるバリックパパン(カリマンタン島東部)に滞在し、友人の家族とともにこの日を迎えたのですが、たくさんの経験をすることができました。まず、断食が明けた日の朝は朝7時にモスクへ出かけ、たくさんの人が同時にお祈りをするトラウィ(Terawih)という儀式があり、その後それぞれ家に帰ってから、家族全員で1年間に犯した罪を許しあいます。その後は、ご馳走を食べたり、親戚の家々をまわって同じように1年間の罪を許しあいます。親戚の家をまわるときはいつもたくさんの料理があるのですが、口にしなければ失礼になるとのことで、みんなおなかいっぱいになっていました。イスラム教徒の子供たちはこのルバランのときにお金(日本でいうお年玉)をもらえますが、家族や親戚だけではなく、近所の人や知らない人からももらうことができます。私は何人かの子供がグループで家々を回り、訪問先の家でお菓子を食べたりお金をもらったりしているのを見かけました。

このルバランの前後にはほとんどのイスラム教徒が一週間から三週間の休暇を取り、帰省します。インドネシア人のたいていはイスラム教を信仰しているので、この時の交通は日本の正月ラッシュのようでした。

次にクリスマスですが、気候が暖かいせいか、イスラム教徒が多い国柄のせいかわかりませんが、一向にクリスマスがやってくる気配を感じませんでした。実際、ショッピングモールでもイベントがありましたが、1日遅れの26日にやっていました。しかし、ジョクジャカルタでは爆弾が仕掛けられることもなく、無事クリスマスが終わりました。

そして過去最大の大地震と津波です。スリランカやインド、インドネシアなどで特に大きな被害をもたらした大きな地震。私の住んでいるジョクジャカルタはスマトラ島からかなり遠いため、少しの揺れも感じませんでした。それで、恥ずかしながら、私は惨事の発生から2時間後に母親から伝えられて初めて知ったのが事実です。新聞やテレビ放送では毎日のようにアチェの映像が報道され、山積みにされた死体や、怪我をした人、そして悲しみに打ちひしがれている人々を目にします。とても怖くなりましたが、目をそむけてはいけないと思いました。事実、PBIのクライアントNGOのメンバーの中にも、死亡、あるいは未だに行方不明のままの方がいらっしゃいます。

ジョクジャカルタでも現在に至るまで、たくさんのチャリティーが行われています。12月31日から新年にかけては、ガジャ・マダ大学のキャンパスでは学生が大人数でアチェの人々に同時に祈りをささげようと呼びかけていましたし、そこで寄付金や物資の受付もまだ行っています。道では高校生や中学生、そして大学生が信号で止まった運転手に寄付金をお願いしたりもしています。そして、ジョクジャカルタで一番賑わうマリオボロ広場では、チャリティーが毎夜のように行われています。特に週末は夜遅くまで、コンサートと募金活動がアチェの人々のために行われているようです。

街角では"Doa untuk Aceh" (アチェのために祈ろう)とかかれたステッカーを貼ったバイクを見かけますし、大学生などが実際に現地へ赴いて救援活動も行っているようです。一般市民(ジャワ人)にとって、アチェの人々は同じ国に属する兄弟なのだから、助けて当然という考えが当然のようにあると感じました。私は、各国や一般市民からの援助がきちんと犠牲者に行き渡ることを願ってやみません。しかし、悲しいことにバンダアチェでは、公務員が一般市民向けの救援物資として送られてきた即席ラーメンを1つ500ルピア(1円=88.95ルピア/2005年1月中旬現在)で売っていたという事実が報じられています。

さて最後に個人的な報告になりますが、1月10日に下宿先の風呂場で滑って転倒し、後頭部を数針縫う怪我をしてしまいました。先日抜糸し、ようやく洗髪できるようになりましたが頭を強く打ったということと、まだ頭痛がするので心配になり、近々ジャカルタの病院で日本人医師に診察してもらうことにしました。その経過は次回にご報告しますが、大事には至らないと思うのでご心配なく。

また、当初の予定を変更して、ジョクジャカルタでの語学研修をビザの許す限り行うことにしました。やはり3ヶ月間で新しい言語を習得するのは難しいです。NGOのボランティアとして現地に密着した活動を行うのであれば、現地語での高いコミュニケーション力が必要になると感じたのが原因です。配属はすでにアチェチームに決まりましたが、その一員として活動するのは3月初めからになりそうです。それまでも、そしてそれ以降も皆様のご支援をどうぞよろしくお願いします。

それでは皆様、寒いと思いますが体を壊さないように、各方面でご活躍ください。

藤村 陽子

△藤村陽子インドネシアレポート:No.2/TOPへもどる

前号を読む|次号を読む