非暴力平和隊・日本

藤村陽子インドネシアレポート:No.4

No.4 2005年4月26日

PBI 藤村陽子

PBIボランティアのパトリック(アメリカ:すでに任期終了)と近所の子供たちと私

PBIボランティアのパトリック(アメリカ:すでに任期終了)と近所の子供たちと私

みなさま、こんにちは。こちらは乾季に入り、降水率がぐっと減りました。私は毎日暑い日差しと戦っています。アチェに来てもう1ヶ月が経ち、知り合いや友達もたくさんでき、アチェでの生活を楽しんでいます。最近では友達から少しずつアチェ語を習っているのですが、これがインドネシア語(標準語)とかなり違うので、難しいですが、おもしろいです。ほかのボランティアも健康で、今日からまた一人、新しいボランティアをイギリスから迎えることになります。

さて、前回触れた国際NGOに対する滞在許可の件ですが、また2週間延期されることになりました。しかし、また延期になる可能性もあるようです。2週間ほど前に同政府より、書類の提出要請があり、それに基づいてNGOの選別をしているのだと思いますが、毎日の行動にも気を配り、慎重に活動しています。フィールドへはいまだに行けていませんが、バンダ・アチェ市内ではほぼ毎日のようにクライアントの地元NGOとミーティングを行っています。近々、護衛的同行(Protective accompaniment: PA)ではありませんが、バンダ・アチェ以外に事務所をもつクライアントNGOを訪問できればと考えています。

市内の様子ですが、3月26日以降、少し外国人の人数は減りましたが、日本人を含めまだまだたくさんの外国人がアチェに滞在しています。小泉首相がアチェに訪問された頃には、大使館の職員の人数も入れて80名前後の日本人がいたようです。また、人々の生活ですが、国際NGOのアチェへの進出によってそこで仕事を得ている人も少なくはありません。しかし、大学を卒業してもべチャ(オートバイに乗客用の椅子がついた乗り物で、市民の足となっている)の運転手しか仕事がない人もいますし、以前務めていたところが津波により機能しなくなり、べチャの運転手になった人もいます。(べチャ以外にも仕事はあると思いますが。)その他、仕事がまったく見つからない人もまだまだたくさんいるのが現状です。

市内の病院ですが、日本のある病院グループにより、市内で一番大きな病院の人工透析の機能が回復されたようです。その他、職場に復帰していなかった職員も大多数が復帰しているようで、少しずつ、病院としての機能も回復してきているようです。ただし、まだ問題が残っています。この病院にはたくさんの医療品が日本から寄付されているのですが、英語の表記がまったくないために、危うく捨てられるところを、日本人のボランティアによって英語表記を与えられ、捨てられずにすんだというケースがありました。これから、日本が災害復興支援をしていくうえで、考慮していかなくてはならない問題のひとつだとい思います。

首相はジャカルタに訪問の際、4月23日に数時間だけでしたがバンダ・アチェにも訪問されました。その時に、お昼の食事会に招待させていただき、そこで1分間のPBIに関するプレゼンテーションをする機会を得ました。短い時間でしたが、首相を含め、その他政府機関職員の方々にもPBIのことを知ってもらえて、とてもいい機会だったと思います。また、インドネシア大使館の飯村大使は、以前ボランティアとしてアチェに派遣されていた野田真紀さんを通じてだと思いますが、PBIについてよくご理解をいただいています。今後もいい関係を、その他の大使館職員も含めて保てていければと願っています。

最後に私事ですが、1ヶ月アチェに滞在して、アチェに住む人々の印象はとても良いと付け加えたいです。他のボランティアによると、津波の被害の大きかったところは人々もまだショックが大きいようですが、バンダ・アチェ市内の人々は本当に気さくで、やさしくて、外国人に興味があるようです。気さくに「Hello!」と声をかけてくれたり、知り合いでなくても、道の途中で急に話し掛けられ、一緒にコーヒーを飲んで話しこんだりしてしまうときもあります。私は時々、仲良くなった近所のおばさんの家で晩御飯を食べさせてもらってもいます。1ヶ月の滞在でも、この環境が私にたくさんの友達を与えてくれました。こんなすばらしい機会を与えてもらい、私は神様に感謝の気持ちでいっぱいです。そして、日本で支えてくださっているサポーターの方々にもいつも感謝しています。ありがとうございます!!

藤村 陽子

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