非暴力平和隊・日本

非暴力平和隊実現可能性の研究【第2章 第2節(2)】

第2章 介入における戦略、戦術、および活動

ドナ・ハワード

2.2 平和チームと「市民平和活動」

2.2.2 平和チーム

2.2.2.1 はじめに

紛争地域に平和チームを派遣する団体は、地元の紛争解決者たちが、彼らの活動の中で、彼らの生命を賭けることなく、より大きな危険を冒すことができるようになるという可能性を増加させることを望んでいる。人権侵害を報告したり不正を暴露している地元の個人と団体は、通常、「ネットなしで活動」をしている。平和チームは、そのネットになるために危険を冒す。

一握りのこれらの非政府団体が、非暴力平和隊に対する先行例として調べられた。これらの選択されたやり方は、短期的な訪問や行進またはデモンストレーションよりもさらにかかわりの深いやり方で、紛争と不安定な状況の中にチームを派遣することによる第三者の非暴力介入である。これらのチームを派遣している団体は、紛争の中で危険にさらされている人々とともに、主義に基いた勇気あるプレゼンスを継続していることによって名声を築き上げた。 彼らは、さらに自分たち自身の活動を分析しており、その結果によって、私たちは非暴力介入について理解を深めることができた。ここに含まれているのは、国際平和旅団(PBI)、クリスチャン・ピースメーカーズ・チーム(CPT)、平和のための証人(WfP)、SIPAZ、オシエク平和チーム、バルカン・ピース・チーム(BPT)である。

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2.2.2.2 特性と目標

「事件の現場に第三者がプレゼンスすることは、紛争当事者にとってふるまいと問題の解決に向けて、より建設的な取り組みをしやすくする。紛争当事者が、彼ら自身の紛争のふるまいに疑問を抱き、その問題へのいろいろな取り組みを求めての探索が支持されるために、紛争の激化を方向転換することが可能となる。」

ここで調査した、チームを派遣している平和団体は、いろいろな意味で違ってはいるが、すべて上述の引用文から導かれた目標、すなわち、紛争の激化を方向転換させ、激化に寄与したかもしれないふるまいを評価し変更しようとする当事者を支持する、という目標を掲げていると言っても差し支えない。あるいは、ミューラーとビュトナーが述べているように、「紛争当事者が彼らの問題の生産的な処理、すなわち、市民的な一層の平和戦略、を展開できるように、できる限り威嚇と暴力を振るうことなく、紛争当事者に影響を及ぼすこと」である。

研究したチームはすべて、特定の紛争や危機について「何かをやろう」という焦眉の急から発生した。 それは、PBIにとってはグアテマラであったし、WfPにとってはニカラグア、CPTにとっては、中央アメリカおよび北アメリカ、その中で米国がエリート・グループと結びつけられている国々における草の根戦争、SIPAZにとってはチアパス、そして、BPTとオシエク平和チームの両方にとっては、それは、クロアチアとセルビア/コソボであった。

PBIとWfPは、ここで研究されたグループの中の先行走者であって、両方とも1981年に設立され、シャンティ・セーナ、世界平和旅団、平和活動家たち、およびクエーカー行動グループの先行例から新しい平和チームの特性を創造した。 それぞれの団体の設立時に注目すると、それらの団体の特性の考え方を知ることができるだろう。

PBIは、現地での経験を積み、グループとして国際的であり、主として世界平和旅団と国際友和会(IFOR)および戦争抵抗者インターナショナル(WRI) の元のメンバーであった活動家たちによって結成された。 WfPは、ニカラグアの民間人に向けたレーガン政権の「低強度戦争行為」政策に対して憤りを感じた米国の聖職者と平信徒たちの応答であった。 CPT(1986)は、メノナイト教会(Mennonite Church)、ブレザレン教会 (Chuch of Brethren)、フレンド派合同会議(Friends United Meeting)およびその他のクリスチャンたちによって、これらの教会への信仰告白のための手段として結成された。BPT(1993)は、IFOR、PBIおよびWRIを含む団体が、クロアチアとコソボから国際的な割り込みを求める要請を受け取った時に結成された。 SIPAZ(1995)は、チアパス州における国際的なプレゼンスが、その地における和平プロセスのためになるであろう、と国際的なプレゼンスを望んだメキシコの教会と人権擁護グループからの招聘に応ずる形で立ち上がった。 オシエク・ピース・チーム(1998)は、「平和のためのセンター」、「非暴力と人権オシエク」、およびウプサラにある「生命と平和を求める協会」ならびに彼らのパートナー団体であるスラボンスキ・ブロート(Slavonski Brod)の「平和の顔」と「オーストリア平和活動」の共同行動による「非暴力の文化に基づく民主的社会の構築」と呼ばれるプロジェクトとして始められた。

いくつかのグループの間には、強いつながりがある。現地でそれ自身の団体と活動を進展させることに加えて、PBIは、BPTおよびSIPAZとの連合体設立の一員であり続けた。WRIおよびIFORは、PBI、SIPAZ、およびBPTの共同設立者であった。これらの3者にオシエクを加えたものが、17か国に部局を持つPBI、11のメンバー団体を持つBPT、および50を越えるメンバー・グループを有するSIPAZという連合体として設立され、構築された団体である。

SIPAZ、WfP、およびCPTの活動は明らかにキリスト教の信仰から生まれている。WfPとCPTの使命は、他の国々で市民に対する不公正を作り出そうとする米国の政策への反対に基礎をおいている。

すべてが何らかの形の中立性あるいは「政治的に立場をとらないこと」を主張しているが、この用語がどのように使用され、適用されるかについてはかなりの幅がある。 オシエク、BPT、およびSIPAZは、最もゆるやかに定義された形の「政治的に立場をとらないこと」を表明している。 BPTとオシエクによっておこなわれた平和構築は、すべてに提供されている、そして、オシエク・チームには、メンバーとしてセルビア人とクロアチア人の両方がいつもおり、そしてあらゆる活動は、紛争当事者間の対話をうながし、すべての人々に奉仕することを目指している。 WfPは、いかなる国やグループの内部抗争にも巻き込まれない途を選んで、現地での「政治的に立場をとらないこと」を主張している。しかし、その国への米国の影響力に反対する彼らは、双方の党派ではなく、一方の党派の側に位置づけられるかもしれない。 PBIは、彼らが紛争中の一方のグループの人々だけに同行しているにしても、同行を非党派的な活動として定義するために、何年間にもわたって、難しい活動を続けて来た。彼らは、そのグループ(あるいは個人)の活動からは距離をおくことによって、これを実践しているが、この立場はいつも守られなければならないだろう。 CPTの党派性あるいは「政治的に立場をとらないこと」はさらに紛らわしい。 彼らは、たとえば、ユダヤ人入植地の中のパレスチナ人の家に同居して、トレーニングをやり、その家を守っているのだが、彼らは、脅かされている人々には誰にでもこのやり方で守るであろうから、この活動はなおも「政治的な立場をとること」ではないのだ、と主張している。

これらのチームを派遣している団体の目標は、平和維持から紛争解決による平和構築に及んでいる。 「社会正義と人権のために活動する地元の活動家たちのための環境を作り出すこと」というPBIの目標は、地元の活動を強調し、暴力の縮小に関連させている。CPTの「邪魔をする」という意図は、平和維持の介入を含意しているが、紛争解決者を支援し、米国と世界の政策に影響を与えることが、彼らの活動を紛争解決の範囲にまで広げている。WfPの強調点は、アメリカの中で平和、公正、そして持続可能な経済を支持する、という紛争解決にあり、「貧困と抑圧に加担している米国の政策と企業のやり方を変えることにより、私たちは公正を求める人々の側に立つ」ということである。 戦争の政治の中で変更を求めてロビィ活動をしているので、それは紛争解決である。彼らがそれらの国でプレゼンスを続けながら記述していることは、しばしば平和維持の活動となる、しかしながら、安定した社会の構築を支援するという彼らの意図は紛争解決である。SIPAZは「暴力の機先を制するか、あるいは暴力を減らすこと、そうして、サパティスタスとメキシコ政府との間の対話が可能な、貴重な政治的環境を守り、拡大すること」という平和を維持する目標を掲げてチアパスでその活動を始め、それ以来、平和構築の目標を追求している。ここに代表されたBPTとオシエクは、その目標と活動がほとんど平和構築の範囲内に分類される団体である。オシエク・プロジェクトは使命表明の中で「権限委譲、和解、協力、民主主義」という言葉を用いて「寛容と受容によって、すべての人々が共に平和的に暮らせる正常な社会の再建」を支援しようと努めた。 BPTが、その目標によってBPT自体を明らかにした目標は「紛争の平和的解決のために活動し、平和への国際的な関わり合いを実例で示すこと」であった。

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2.2.2.3 平和チームの活動

私はここで、それぞれの平和チームの活動を示しながら、平和維持、紛争解決、および平和構築という三つの包括的戦略を用いることにする。

平和維持の戦略は、紛争地域における暴力を減らすことを目指している。平和チームは「緩衝地帯または人間の鎖の創設、停戦の監視、暴力事件を減少させるための紛争事件の監視、脅されている人々あるいは団体をエスコートするあるいはそばにプレゼンスすること、あるいは訴えること」によって、個人あるいはグループを安全に保つことを意図した戦術を有効に利用することができる。民間介入チームによって用いられた多くの非暴力的戦術のいくつかについては以下で議論する。

割り込みは、すべての当事者に対してどちらにも与しない立場で、暴力紛争に関わっているグループの間に、平和維持者を物理的に配備することである。紛争が当事者の分離を必ずしもともなわず、しばしば二つ以上の抗争面を持っているので、割り込みはいつも、ごく僅かでも可能というわけではない。割り込む人は当事者の間のスペースを占めている間に、他の平和維持活動をすることもできる。WfPは、研究した中で大規模な割り込みを試みた唯一のチームである。

WfP は、グレナダ(訳注: 西インド諸島東部の島国)への侵攻後、米国が後援しているコントラによるニカラグアの人々に対する攻撃を思いとどまらせるために、ボランティアのチームをニカラグアに派遣しようという、米国内のキリスト教徒の活動家たちによって1983年に設立された。 侵攻が起きた場合に、彼らは「ニカラグアの人々に突きつけられた危険を共有しながら、企てられている侵攻の道筋に「情愛のある」障壁として非武装で抵抗するために、私たちに合流して、直ちにニカラグアに行こう、というできるだけ多くの北アメリカのキリスト教徒を集める」ために専念した。 ボランティアたちは、当事者間に明瞭な境界のある紛争というよりは、ニカラグアの地方全域にわたって無作為に闘争が発生するようになったため、戦略が変更されるまでは、北側の国境に沿った村々に住み込んだ。WfPのボランティアのダグ・スペンスは、彼らの介入について「 私たちは自分たち自身を、米国政府に攻撃の前に二回考えさせるためのプレゼンスである、と考えていた。もしそれでも止めないのであれば、何が起きようともその責任は少なくとも米国政府が負わなければならない」と語っている。

介入は、時には少人数のグループの人々に当てはまるかもしれない。

1986年に、グアテマラのGAM (グルッポ・デ・アポヨ・ムチュオ、 相互支援グループ)の女性が、グアテマラの国立宮殿でデモをおこなった時、暴動鎮圧部隊がデモ参加者を叩き始めた。 PBIはすぐさま二つのグループの間に人間の鎖を作った。この行動は、これまでと同じく効果的であり、私たちが割り込みはかくあるべしと理解しているように「政治的にに立場を取らないもの」であって、政治的に十分に強力で、PBIを追放するとの脅迫を招いた。PBIは国際的な支援を求め、「政治的にに立場を取らないこと」の役割をはっきりさせる公開声明を発表した。

割り込み型の平和維持として最もひたむきな行動は、ガルフ・ピース・チーム(GPT)として知られていた。その構想は、ペルシャ湾における1991年の戦争を防止するために、争いの一部分であるイラクとサウジアラビアの間の国境にチームを派遣することであった。国連安全保障理事会の締切り期限よりも以前にうまく設立されていて、戦争の開始時点には15か国からの73人の人がキャンプに入っていたのだが、10日後には撤退させられ、バグダッドに連行された。

ともかく、この割り込み行動が発生したという事実は、非暴力の歴史的意義を持っている。そして、それは意義のあることなので、このプロジェクトの中で受けた問題は評価に値する。 それらの問題の一つは、この種の割り込みにもっとも重要な「政治的に立場をとらないこと」ということであった。このグループは、国境の両側にキャンプの許可を求めたのだが、サウジアラビアからは何の回答も得られなかったので、イラク側だけにキャンプを設置した。 これに加えて、彼らは、水を得るためにイラクのタンカーに依存した。GPTの憲章は「私たちはチームとして、この論争のどちらの側にも立たず、関係当事者のすべてから間隔をおく、私たちには、どの当事者もが非難されるところがないとは考えられない。」と述べている。しかし、サウジアラビア政府からの回答を得られず、イラク側だけにキャンプがあること、そして水についてはイラクに依存していたことから、GPTの「政治的に立場をとらないこと」は妥協したものだった、といえる。

危険にさらされている人々への同行は、国際的な弁護の物理的な対応である。暴力を思い止まらせる、あるいは暴力を報告するためには、適切な場所に、適切な時間に、誰かが物理的にそこにいなければならない。「ほとんどの場合に、暗殺団や他の人権侵害者は、彼らの行動が外の世界に暴露されることを望まない。その結果、緊急応答ネットワークによって支持されているボランティアの物理的なプレゼンスは、地元の活動家に対して向けられる暴力を思い止まらせる。」

平和旅団の研究者であってチームの元隊員の、リアム・マホニィとエンリケ・エイグーレンは、同行者は「外側の世界に対して、できるだけ明白であって目に見えること、しかもなお同行される人々の暮らしや活動には、できるだけ邪魔にならないこと」が必要であると言う。 暴力によって脅かされている活動家や難民およびコミュニティへのこの同行は、一日24時間のプレゼンスを必要とする。同行者個人は、集会や、人々やコミュニティとの旅行、あるいはデモにプレゼンスしている間、本を読んでいても差し支えないのではあるが。 カナダ人ボランティアのセル・バローズは、「同行というのはむずかしい。誰かの予定にしたがっていつでも動ける態勢にあること、何時間もの待機時間、あなたに責任がある個人の生活の中へのかかわりを持ってはならない時とかかわりを持つべき時が間欠的におきる。」と述べている。

PBIは、この20年間にわたって圧倒的に同行活動をやって来ており、さらに、同行を効果的にしたのは何か、効果的にしなかったのは何か、を分析した。PBIの任務声明は特に「PBIが国際的にプレゼンスする目的は、暴力を思いとどまらせ、積極的非暴力を促進するという複合的戦略を通して、政治的な過程と社会的な過程の両方に同行することである。…PBIは可能であれば、自分たちのプレゼンスを確認させ、通知するために、紛争に関わるすべての当事者との接触を始める。」と明言している。

PBIがグアテマラで、軍事的独裁政権とゲリラの抵抗勢力から、民間人の活動家を安全に保つための手段を経験したので、効果的な同行行動の定式化は80年代におこなわれた。PBIが「行方不明者と暗殺された者の母親委員会(COMADRES)」、およびGAMの女性たちへの同行を始めたので、集会のためにPBI の家を開放し、これらの団体の団体作りと戦略計画に参加した。 PBIが、安全な同行のやり方の中心として、非関与性および「政治的に立場をとらないこと」の原理を開発したのは、その後であった。グアテマラ、エルサルバドル、スリランカ、およびコロンビアでは、PBIのチームは、聖職者、労働組合のリーダー、ラテンアメリカ農民のリーダー、人権活動家、ならびに戻って来た国外追放者たちに同行して来た。PBIは、効果を上げるために、地域的には外交界との、そして地球規模ではメディアと人権ネットワークとのつながりを作り出している。

PBIの同行は、次のような三つの形式である、すなわち、脅されている団体の事務所に駐在して、個人を1日24時間護衛すること、自分たちのコミュニティへ戻る難民に同行すること、選挙やデモの時に国際的な監視者として奉仕すること、である。彼らは、武装した人に同行することはしないであろうし、いかに求められても、またいかにやりがいのある活動であろうと、その活動家たちやグループの活動には参加しないであろう。この理由により、PBIは、たとえ紛争の中で特定の立場にある当事者だけを保護してはいても、PBIの同行が「政治的に立場をとらない」活動であると主張することができる。

プレゼンスは、同行と似通っているが、コミュニティ全体に拡大されたものである。暴力が一方的であって、かつ、当事者たちを引き離すことが不可能であるならば、あるいはそのいずれかならば、プレゼンスが適切であり、特定の個人あるいはグループの社会変革活動を保護するよりも、暴力の危険をむしろ減らせるように思われる。調査したすべてのチームは、彼らが活動していたコミュニティの中で、プレゼンスを提供して来たと言うことができよう。

プレゼンスは以下の活動を含むと言って差し支えない。

  • ある地域が、法律あるいは規定に違反して一方の当事者あるいは他の当事者の手中に陥ることを防ぐために、その地域をパトロールする、あるいは占有する
  • 境界線をパトロールする
  • 境界線に違反と事故がないように維持する
  • ある地域あるいは道筋への開放されたアクセスを維持する
  • ある地域の建物や施設へのアクセスは拒否する

プレゼンスは、紛争中の両側の間に割り込みすることができなかった時には、複数のチームあるいはあるチームのメンバーたちが、保護を必要とする村落中に散らばることもあるかも知れない、そしてそのように散在していてもなおも暴力の抑制になっているであろう、ということを想定している。それは、ある特定の活動を当てにするのではなく、誰かのプレゼンスが知られている、という確実性を当てにしている。

事実、チームのメンバーたちは予期されなかったことをしているかもしれない。 フィリス・テイラーによると、「トルティーヤ(訳注: メキシコ料理でトウモロコシ粉の丸い薄焼き)の作り方を、 教えてください」と女主人に頼んで、当人の無能ぶりを明らかにし、気晴らしの種にするのも、プレゼンスしている日々をうまく過ごした一日である。ニカラグアでのWfPの他の活動は、観察すること、話(特に犠牲者の)を聞くこと、保健衛生派遣団を送ること、米国の人々を教育するための資料を書くこと、を含んでいた。「非暴力的プレゼンスは、象徴的な行進や、ビジル(訳注: ロウソクの灯を灯して路傍に佇む要請行動)、危険にさらされている個人やコミュニティへの同行、断食、活動プロジェクト、平和船団、その他多くのいろいろな活動を含むようになった」。短期間あるいは長期間のWfPの派遣団とチームは、ニカラグアの人々と生活を共にして活動した。宗教上のリーダー、政治的リーダー、メディアのリーダーと会い、悲嘆にくれる人に付き添い、残虐行為を詳細に報道し、話を記録し、コーヒーを収穫し、そして恐らくもっとも重大なことは、米国の政策を変えるという彼らの目的を達成するためにできる限りのことをしたことであろう。

1993年と1994年のハイチでの「The Cry For Justice(正義を求める叫び)」連合は、人権侵害が最も厳しかったところに外国人のプレゼンスを提供した。 ボランティアたちが、人々と知り合いになって、教会およびハイチの連帯運動への報告を書くために、聖エイレン通りを歩いていた。このプロジェクトの目的は、暴力を減少させ、人々を米国で教育し、ハイチ人の活動家たちに連帯感を示し、希望を提供し、国連、米州機構(OAS)、および外交団コミュニティに対して、事実上の軍事政権に反対する強力な行動をとるよう圧力をかけ、動きを制約することであった。

キャサリーン・カーンは、CPTのメンバーがハイチでプレゼンスしていた典型的な日にやっていたことについて次のように説明している。

私たちは毎朝、礼拝と集会で一日を始めた、 それから聖エイレンのコミュニティ中を訪れるために別れた。 私たちはこのやり方で、軍事的な行動と準軍事的な行動についての多くの情報を蓄積しており、その行動が発生した地域をかならず訪問することにしていた。人権侵害に関して話をした時は、レポートを書き、ポルトープランス (訳注: ハイチの首都)にいる連絡員に送った。連絡員は、それらを順番にいろいろな人権問題関係機関に広めた。午後は語学研究と昼寝に費やした。夕方には再び巡回をおこなった。地下団体の民主活動家や世を忍んでいる友人との集会は夜におこなわれた。

そして、ミス・カーンによると、ヘブロン(パレスチナ)では、CPTにとっての毎日は次のようなプレゼンスが続けられた。

モスクの前の公園での朝の礼拝。 くずを拾ったり、公園の壊れているベンチを直したり、子供たちと遊んだりし、それから別れて、ニュースを仕入れるために何人かのジャーナリストの友人たちを訪ねたり、セツルメントの近くの何人かの友人や家族を訪ねます。 1週間に二度は、2人のメンバーがパレスチナ人高校生への英語のクラスで教えた。そのクラスでは、非暴力の理論と実際のやり方についての討論になった。 午後は書き物、午後の後半と夜の前半は訪問、夜はさらにたくさんの書き物。土曜日には、暴力を思いとどまらせるプレゼンスとして奉仕するために、午後と夜の前半はダボヤ通り(入植者と、パレスチナ住民と商店主の間の多くの暴力的遭遇の舞台)に出かけた。

SIPAZは1995年以来、「暴力の機先を制する、あるいは暴力を減らすことによって、ザパティスタスとメキシコ政府との間の対話が可能になる貴重な政治的スペースを守り、広げる」ために、チアパス(メキシコ)にチームを派遣して来た。SIPAZは、紛争を監視している間、紛争に関わっているすべての主要な関係者との対話を維持して、人権侵害を思いとどまらせ、寛容と対話を促進しようとする辛抱強い努力を続けている。

観察/詳細記録/監視の行動は、報告と抑止の二つの面で可能性を持っている。 チームのメンバーは、緊急対応ネットワークを通して、人権侵害に対して抗議するメッセージを送る準備ができている人々の手で情報を国外に流すことにより、人権の侵害者に対する一連の重大性に影響を及ぼすことができる。 しかし、観察することのより直接的目標は抑止である。

研究されたチームはすべて、観察、詳細記録、および監視の戦術を使っている。 しかしながら、WfPは、米国政府あるいは米国政府が資金供与している多国籍企業の方針あるいはやり方が人権侵害につながっている限り、その方針あるいはやり方だけを詳細記録し、報告している、という点で他のグループとはかなり異なっている。カメラとノートは人権観察のための主要な道具である。ヘブロンのCPTチームのメンバーは、兵士たちが米国から提供されているお金を使ってやっていることについて、米国の下院議員が関心を示すことは確かだろう、と兵士に対して語りかけながら、軍隊によるチェックポイントにおいて、ノートに書きつけることの有効性を報告している。そして、PBIチームのメンバーは、写真を撮るという行為が、恐らくは写真そのものよりも重要だ、と断言している。警察または軍はカメラを見ると、自分たち自身を意識するようになる。それは彼らの内に潜んでいる残忍性の発散であり、ボランティアに対して目を向けるまでには時間がかかる。逮捕するか、カメラを差押えるか、あるいはフィルムを露光させてしまうか。とりあえず彼らは面子を保つことができ、緊張は治まる。

観察と報告は、他のほとんどあらゆる戦術や活動に欠くことのできない部分である。割り込みしたり、同行したり、あるいはプレゼンスしている非暴力平和チームのメンバーは、彼らが観測する暴力や他の人権侵害を観察し、記録し、報告するという能力を最大限活用している。 したがって、WfPのボランティアは、ニカラグア人を擁護するために米国内で報告し、米国の市民を教育して、議会が、コントラへの資金供給を止めるようロビィ活動をするために、ニカラグアの村にプレゼンスしている間、コントラの攻撃の際の話を記録するために生存者にインタビューした。

「カメラだけで武装しているPBIのボランティアは、人権侵害をした場合に、国際的な人権保護のコミュニティが加える準備を整えている圧力が、人間の形をして歩いている。潜在している侵害者たちが知っているように、私たちがそのような侵害を暴露すれば、政権に対する外国からの援助配分に悪い影響を与えるかも知れない」。クロアチアにおけるバルカン・ピース・チームは、1990年代なかばから後半にかけて、セルビアの人たちの帰国、スプリット郡(ツパニスキ)の法廷において、戦争犯罪で起訴されているミルコ・グラオラックの裁判、小作料の収奪など、かなり多くのの監視を引き受けた。。観察と報告は、米国と企業の不正の結果を記録するため特にWfPが引き受けた。 彼らは、経済的暴力を振るう米国の政策を変えるために集められた証拠を活用している。

国際コミュニティによる支持は、他の地域の人々に暴力紛争、不正、および人権侵害について警告することにも関連しているし、平和チームの他の戦術から切り離すことはほとんど不可能である。 民間の平和維持者たちは、世界中の注意を紛争に引きつけるためにメディアの注意を得ようとすることにおいてしばしば非常に意図的であって、エネルギッシュである。 その紛争についての注意は、紛争当事者たちが自分たちの国際的なイメージに関心を持つならば、暴力を沈静化させる可能性を持っている。二次的に、よく指示された支持は紛争それ自体の本質の中に、安全を増進し、積極的な変化を引き起こす政治的圧力を適用することができる人々を従事させる。 研究された5つのチームはすべて、支持を引き受けているが、、米国の中での変革とともに、多国籍企業の変革を主張するWfPについては区別されなければならない。

PBIは、緊急時に対応して国際的な関心を高め、圧力を働かせるために、称賛に値する迅速な対応ネットワークを構築し、活用した。PBI自体とPBIが同行した中米の市民たち両方のための安全な特徴として始めたことは、何年にもわたって開発された世界中の何千人もの人々の電話連絡網であった。このPBIネットワークは、切迫したり発生している危険に対して抗議する何百もの電話とファックスを数時間以内に発生させる能力があった。(それは電子通信の時代が始まる前だったのだ!)

これらのメッセージの標的は、最初はグアテマラの政府か軍であったであろうが、その後は、時には呼びかけ人自身の国の議会議員になり、グアテマラに圧力を加えるよう政治家を促すものであった。そのゴールは、世界中の何千人もの市民に、グアテマラについて学び、効果的な行動をする方法を伝えながら、同行することの保護的能力を増進することであった。

1989年11月に、少なくとも60人もの外国人市民がエルサルバドルで公式に拘留された。そのグループには5人のPBIボランティアが含まれていた。チームのメンバーであるカナダ人のカレン・リドは電話での通話ができるように要求し、カナダの名誉領事に連絡をとることができ、それらを通して、拘留者たちが現場から連れ去られる前に、PBIの国際的な緊急対応ネットワークを発動させた米国のPBIボランティアに連絡をとることができた。カレンとマルセラ・ロドリゲス(PBIコロンビア)は少し拷問された。カレンは釈放されたのだが、マルセラに同行するためにまた戻った。二人はその夜に釈放され、カナダの大使館員に引き渡された。

CPTは、危機介入手段として、CPTの有効性を減少させないために、控えめに言って2000人の加入者を持つ緊急対応ネットワークを利用している。 加入者は、情報を受け取り次第、できる限りあらゆる措置を講ずることが強制されていると感じるべきである。 BPTには、BPTの警報ネットワークを利用するるにふさわしい理由について明文化された方針を定めていた。

  • その国の国内での、市民あるい非暴力の活動家に対する物理的な攻撃
  • 市民あるいは非暴力の活動家の逮捕/消息不明
  • 市民あるいは非暴力の活動家に対する直接的脅迫
  • 直接的脅迫には及ばないが、公然たる険悪な雰囲気
  • 他の人権侵害が発表された
  • 他の人権侵害が発生
  • チームのメンバーに対する物理的な攻撃
  • チームのメンバーの逮捕/消息不明
  • チームへの直接的な脅迫
  • チームに関する公然たる険悪な雰囲気

代表団の派遣は、WfPとCPTの両方が成功している活動である。 「CPTは、プロジェクト地域に毎年いくつかの短期代表団を送ることを企画している」。これらの代表団は短い期間ではあるが、過労気味なことが多く、危機に直面している地元の人々に対する重要な短期的勇気づけである。 ハイチで、中東で、そしてメキシコで、これらの代表団が長期的プロジェクトにつながった。短期的な代表団は時々、長期的代表団ではやることの難しい、あるいは不可能な、重要な対話にかかわったり、または非暴力的立会人を提供することができる。最終的に代表たちは、参加者が現地で新鮮な目や耳で見聞きすることによって、進行中のプログラム活動に対して重要な忠告を提供する。 「彼らが帰国して見聞きしたことを語ると、公正を求める声が強まる。」

特に、米国の有害な政策に反対する証言を米国内に伝えることに重点を置いているWfPにとって、代表団を派遣することは第一の優先事項である。長期チームのメンバーが、2〜3週間滞在する普通は10〜20人の代表団を迎え入れる。1983年以来、WfPは7000人を超える米国市民を、中米…キューバ、メキシコ、ハイチ、およびコロンビア…に送り込んだ。

行動主義は、平和維持あるいは紛争解決のいずれかの戦術として、最も強力で、最も個人的であり、最も即時の声明がなされなければならない、と感じている平和チームのメンバーによって選ばれるかも知れない。非暴力直接行動は、紛争の破壊性についての特別な認識を高めるために、介入者によって用いられることがあり得る。非暴力の歴史から見て、非暴力直接行動が抑圧されて来た当事者たちの交渉能力を急激に増加させることができることは疑いない。 ここでの問題は、直接行動主義を第三者の介入者が企てることができるのかどうかということである。

研究されたチームの 中でCPTは、現場における戦術として、市民的不服従を含めて、非暴力直接行動に取り組む唯一のチームである。CPTの指令は、「私たちは、平和の信条への刷新された掛かり合いが、非暴力直接行動を含んでいるかも知れない公然たる目撃者の新しいやり方に私たちを召し出すものと信じる。」という声明を含んでいる。 彼らは、非暴力直接行動が、市民による紛争介入に不可欠であり、抑圧されている人々との信義に基づいた態度である、と見ている。 さらに彼らは、紛争に取り組む手段として、非暴力直接行動のトレーニングを用意している。

1995年に、CPTチームのメンバーは、ヘブロン大学において閉鎖された門で大ハンマーを振るった。何故ならば、それはヘブロンからの学生にとって不当な障壁だったからだ。チームの3人のメンバーとヘブロン連帯委員会の1人のメンバーは逮捕され、イスラエルの友人によって供託された保証金を入手するまで、刑務所でその夜を過ごした。チームのメンバーであるリック・ポルハムスおよびピエール・シャンツは、 2001年3月、軍隊によりがらくたで封鎖されているランティス町への入口を片づけようと試みている間に逮捕された。4月の初めにシャンツは、パレスチナ人の家の屋根に登った。それはイスラエル軍がブルドーザーを使ってその家を壊そうとして近づいて来た時だった。彼は、蹴飛ばされ叩かれ、階段の下まで押し下げられた。また、4月に他の道路を片づけようと試みたグレッグ・ロリンズおよびボブ・ホームズは、兵士が到着した時には座っていた、すると、彼らは引きずり出された。 これらの3つの事例では、いずれも後で告訴されることなく釈放された。

CPTは、家の屋根に登ることは有効だ、と確信している。「私たちがそこに行くまで、多くの人々はヨルダン川西岸地区で家が破壊されていることを知らなかった、と私は思っている。」と、クレア・エヴァンスは言っている。

直接行動は、ある国の国内で法的な身分で妥協するかもしれず、「政治的に立場を取らない」という原則にほぼ違反していそうである。 (平和チームによって企てられた直接行動は、しばしば党派的な第三者介入である、と記述されている)。PBIは「直接行動を計画することも、積極的に参加することも、実行することもしない」。PBIの活動のかなめ石である「政治的に立場をとらないこと」は、彼らが妥協するようなものではない。しかし、PBIには、すべての直接行動を禁止する2番目の理由がある。PBIは、外国人が国内政治に干渉してはならない、と確信している。

WfPのメンバーは確かに、直接行動を避けてはいないが、変革のために激しい抗議をおこないたい米国の国内だけに限っている。

紛争解決 Peace making
この報告書の目的として、紛争解決とは、グループあるいは個人を、可能性のある紛争解決についての対話に向けて集めることである、と定義される。これは外交レベルにおいて、あるいはまた、紛争に巻き込まれている普通の市民の間で起こすことができる。これを「対話というやり方を通しての紛争当事者間の調停、たとえば、戸別訪問、アピール、集会、代表団、実情調査、交渉、当事者と外部との間のお互いの関心を作り出すこと」と呼ぶ。 ロバート・J・バローズは、それを非暴力の和解と発展と呼ぶ。その意図は、エリートによって課された法的制約、政治的制約、経済的制約、あるいは、軍事的制約、もしくはそのすべての制約をものともせず、共有された目的を達成するため一緒に活動するよう、紛争当事者たちを勇気づけるプロジェクトに参加することによって、紛争解決、コミュニティの和解あるいはコミュニティの発展、もしくはそのすべてを容易にすることである。

CPTは調停と和解の努力をとりなし的な平和維持によって結びつけようとした。 しかしながら、ある人たちは、同じ団体が和解と平和維持の活動を両方ともおこなうことはできないと主張している。

BPTも、当事者たちを和解させることと紛争地域の中に共生することの両方を促進するよう積極的にかかわった。彼らの役割は、

  • 異なったグループの間の対話のための可能性を特定しようと探求すること
  • 独立していて「政治的に立場を取らない」地域からの情報のチャンネルとして奉仕すること
  • 触れ合いとネットワークを通してコミュニケーションを促進するように寄与すること
  • 異なった民族グループや平和グループと、クロアチアの人々、そして国際社会との間の対話と相互理解
  • すべての市民の利益のために、調停に関するワークショップや言語教室など、チームのメンバーの技能で寄与すること

を含んでいた。

現地にいるBPTチームのメンバーからの1999年6月のレポートには「この領域への最近の踏査旅行では、BPT-ユーゴスラビア・チームは、そこで出会った数人の人たちから、セルビア人とアルバニア人の間の和解はもう不可能であろう、と言われた。しかしながら、他の多くの人たちからは、今後の対話とコミュニケーションは可能であるばかりでなく、絶対に不可欠である、と言われた。BPTは、両方のコミュニティの中のNGOを訪問し、対話しながら、草の根レベルでのネットワークのメンバーとして自分たちのユニークな役割を果たし続けるよう強く勇気づけられた。」と書かれていた。

サンドラ・バン・デン・ボッセは、BPTにおける彼女の目的は、セルビア-アルバニアの紛争を非暴力的に解決することに関心を持つ人々の団体を強め、相手側との対話を勇気づけることにより、彼らを支援することであったと言う。

SIPAZはその活動を説明するのに平和構築という言葉を用いているが、彼らの活動の大部分は、この報告書で用いられている紛争解決の定義の中に入る。SIPAZには、国際的な非政府的紛争解決の経験を持つ提携メンバーがいる。「SIPAZは、メキシコ人は主にメキシコの問題を解決するために活動するという文脈を高めながら、まとめ役の役割を果たすことを探求している」。SIPAZは、国際社会が、より重要な政治的公平、経済的公正、そして、社会正義を創り出す中で、国際社会とメキシコとの関係ならびに国際社会の役割を吟味することを奨励する。SIPAZは、信仰に基づいた団体として、福音主義教会とカトリック教会の間の緊張を和らげて、宗派間の和解にかなりの努力をそそいだ。 SIPAZは、NGOとコミュニティと教会の活動家である関係者に対して、地元の平和構築の能力を強化するための平和構築のワークショップを提供している。

2000年11月から2001年1月までの間のメキシコと国際的な目撃者の活動のリストは紛争解決と平和構築の釣り合いを示している。

接触と訪問:

  • コミュニティの和解というテーマで、チアパスの北部領域の中の基礎的なコミュニティの集まりに参加すること
  • 新しい国家と連邦政府の密接な関係について議論するために、北部領域の中のさまざまな政治的仲介者および宗教的仲介者との会合
  • いくつかの北アメリカの代表団に対して、チアパスにおける政治的状況とSIPAZの活動に関して事情をよく知らせるための会合
  • 英国の外務連邦省次官のためのチアパスの農村地域への訪問団体

情報:

  • ドイツ、ベルギー、およびスイスに住むSIPAZチームのメンバーにより、ヨーロッパの中で話をするツアーの継続
  • 紛争地域の中の原住民女性に関する論説の出版
  • オランダの定期刊行物の2つの論説の公表
  • チアパスにおけるSIPAZと他のNGOの役割を研究する3人の国際的学者との会合

宗教間:

  • 教会の仲介者との会合
  • 戦略計画への参加
  • 連続的会合を始める

教育:

  • 紛争転換に関するワークショップの促進
  • コミュニティの和解の過程について反省の過程を開催する

WfPの活動の大部分は、紛争解決の戦略の中に直接入る。専務理事のスティーブン・ベネットによると、この団体の最もすばらしい成功の1つは「グアテマラの社会の中に究極的にCPR(抵抗する住民のコミュニティ)の再統合をもたらした過程への関与であった。 私たちは、この過程による同行と促進する役割を果たした。私たちのプレゼンスが、直接的脅迫を感じていたCPRの住民に安心感をもたらした。 同じことがメキシコ国内に亡命しているグアテマラ人難民にももたらされた」。米国と多国籍企業による抑圧に反対するWfPのロビー活動もまた、紛争解決の活動である。 彼らは、犠牲者から政策立案者への情報ルートとして、また逆に懸念する米国市民から苦しむ人々への情報ルートとして行動する。

平和構築 Peace building
平和構築は、救援と発展の活動をともなう。リサ・シルヒは平和構築を「構造的暴力に向かう社会的、政治的、そして、経済的発展のプロジェクト、そして破壊的な紛争の発生あるいは再発を防止する」と記述している。

BPTは、平和構築をクロアチアおよびコソボにおける活動の主要な部分に据えた。「平和構築を促進することは、長期間の掛かり合いならびに、トラウマを受けた人々が癒しのために必要な時間の重視を必要とする過程である。これは、抑圧の記憶がまだ生々しく残り、最近の残虐行為による傷が今なお悪化していて、民族相互間の暴力がなおも激しい、戦争で引き裂かれたコソボの社会で特に明らかである。…コソボにおけるBPT のチームは、この領域の中のすべてのコミュニティの話を聴き、コミュニティと共に活動することの継続を望んでいる。このやり方で彼らは、誰一人として彼らの家がもはや彼らが属する場所ではないと感じさせられないよう、平和と寛容を築き上げるために、有意義に責任をもって貢献することを探求している。」

BPTスタッフは、アルバニア人難民がコソボへ帰還した後、地元のアルバニア人の活動家と共に、アルバニア人の最近のトラウマの間にセルビアの人々から予期せざる援助を受けているアルバニア人の話を聞き出し、記録した。 「そのようなプロジェクトの目標は、何人かの地元活動家の恐れが戦争体験の均質化になりつつあることに反論するためである」。BPTのメンバーは、ドラガッシュの田舎のコミュニティの中にユースセンターを設立し、そこでアルバニア人およびスラヴ人イスラム教徒の両方の若者たちが、コンピュータのトレーニングや英語のレッスンのような、地元で特定されたサービスを受けることができるように支援した。

1994年以降セルビアおよびコソボで活動しているBPT - ユーゴスラビアは、その第一の重点をセルビア人とアルバニア人の間に橋を架けることであると記述した。そのチームの日常の活動は、いつものように、地元のNGOと定期的に雑談し、彼らの状況と必要としていることを学び、国際的な情報・知識に関する情報を提供しながら、ネットワークを作ることが目立つものだった。圧巻は、BPTが1998年に、セルビア人とアルバニア人の大学生の間の対話と討論をなし遂げるよう支援したことであった。もう一つの例は、同じ意見を持っているアルバニア人とのつながりを作り上げることに、BPTの支援を求めたセルビア人平和グループと一緒の活動であった。

オシエク・ピース・チームは、平和構築活動についての感動的なリストを続行している。そのすべてがクロアチアでの戦争の後で可能になった。 彼らの平和構築の明らかな目標は「先入観をゆっくり減らすこと」である。 彼らは、心理社会的なワークショップによる、子供たち、女性、退役軍人に対するカウンセリング、ならびに、コンピュータ教室や、言語コースの形式での教育、民主主義、選挙監視、地雷除去などについてのセミナーを提供している。彼らは、人々とコミュニティと民族グループとの間のコミュニケーションを促進し、特にカトリック教徒と正教徒および福音主義教徒が、すべての宗派からの聖職者と共に参加する宗派間の礼拝によって、宗教間の対話を促進している。彼らは、協会の設立を援助し、多民族性を奨励している(例えば、青少年クラブの創設、ハイキング協会、あるいはコンサートや読書の団体)。彼らは、帰還者や不利な条件におかれた人々のグループの再統合を支持し、監視し、当局に行く市民に同行して、合法的なカウンセリングを提供している。平和チームは、復興プロジェクト、特に図書館やスポーツセンターの補修にさえ協力しており、さらにクロアチア、ハンガリー、およびユーゴスラビアにかかわる平和公園のためのアイデアについての環境保護的な協力もしている。

非暴力のトレーニングは、現地での平和教育の何らかの形式として、WfPを除き、研究されたすべてのチームによって提供されている。WfPのチームは、受け入れているWfP派遣団のためだけに教育的なイベントを提供している。

CPTは、非暴力直接行動で他者を訓練するのを含んでおり、話しあいと文書により、非暴力の視点をメディアや関心を持つグループ、または信徒たちあるいは団体に提供することを探求している。 PBIは、非暴力と人権の教育とトレーニングを提供し、非暴力の原住民版を育成している。ハイチでは、PBIは、地元の紛争解決トレーナーとともに、紛争を解決する非暴力の手法についてのワークショップを組織するために活動していた。グアテマラとエルサルバドルでは彼らは、紛争解決、交渉の手法、グループの過程、政治上の分析について、また同様に「恐怖と拷問に対するコミュニティの対応」というような専門的な話題について、広範囲なワークショップを提供した。 パオロ・フレレの技法と方法は、チームの活動の不変の特徴になった。 BPTのスタッフは、非暴力、コソボの紛争、型にはめること、ジェンダーなどについてのワークショップとトレーニングを提供した。チームのメンバーの技能によって、何を提供するかが決められた。

人道的援助は、WfPを除き、チームを派遣している研究された団体のいずれによっても、平和構築の一形式としては提供されていない。それらの団体にとって人道援助は優先事項ではないが、時折それを活動の一部分にしている。 CPTは、以下の声明を含めて、金銭的、あるいは、物質的な援助を与えることに反対する方針をとっている。「地元の環境の中で、CPTの負託の範囲内て効果的に活動するCPTの能力は、贈り物や財政的援助に基づくものではない、健全で正直な関係を発展させること次第である」。チームのメンバーたちは、深刻な貧困地域に住んでいる時、この難問に気づいたと報告して来た。また、PBIは、「コミュニティ は、他に依存するよりは、むしろ自己権限委譲を作り出す方法で、彼ら自身の開発を実行するスペースと自由を必要としている。私たちが、開発の機会を心配するようになった時は、コミュニティを特にその仕事のために設立された団体に引き渡すことを試みる」と信じているので、自分たちは開発団体ではない、と強調している。

当初、人々はオシエク平和チームからの人道救助を期待したが、「私たちは彼らを手ぶらで派遣した」。 しかしながら、オシエク・プロジェクトは必要としている領域と人々には直接援助をしている。 SIPAZは人道救助のINGOキャラバンに同行しながら同じように援助している。

現地での可視性
すべてのチームが、現地では目につきやすいことが望ましいことを認めているが、その程度は引き受けた活動と安全の要素次第である。

PBIは、グアテマラの状況が、PBIおよびPBIが保護のための同行を提供している人々の両方に対して、油断できない状況になった時、最高の目立ち度を求めて行くことが必要であることに気づいた。グアテマラ市において、 3人のボランティアがナイフで切られた後、PBIはあらゆる主要なグアテマラの新聞にPBIの活動を守る広告を掲載した。それは米国議会議員、カナダとヨーロッパの議会議員、国際的な教会指導者、ならびに他の高名な国際的人物の何十人もが署名したものだった。 同時に、ボランティアに対する攻撃を非難するグアテマラの団体による広告も出された。PBIのチームは、より安全な家に引っ越した後、外交団と記者団のためのもう一つのレセプションを催した。米国市民に対する攻撃であったために、米国からグアテマラへの軍事援助は直接的に脅かされた。 PBIは行政府をしばしば訪れたし、大使たちはチームの家を訪れた。暴力的攻撃は止まった。

CPTのボランティアは、チェックポイントを監視している間、よくわかるように赤い腕章をつけている。 彼らは、地元のジャーナリストの名前を覚え、良い関係を培うことによって、積極的にメディアの注意を求める。彼らは、新聞報道を書き、意図的に目立つ公開の行動をおこなう。どのようにメディアに話すかを学ぶことは、チームの新しいメンバーのためのトレーニングの一部である。さらに、彼らの電子メールは、およそ2000の家庭に届き、ニュースレターは7、000の家庭にまで達する。 そして、もちろん、そして、チームのメンバーによっておこなわれる公開の抗議および直接行動は、最高の可視製性を達成することになる。

WfPは、コロンビアの米国大使館の正面で公開の証言を開催した最初の国際的なグループであり、それは、現地の見出しニュースとなった。「私たちは、この類のニュースを求めています…私たちは、コロンビアの人たちに、米国のすべての人々が、プラン・コロンビアのために米国が資金を供給することを支持しているわけではない、ということを知って欲しい」と、ベネット理事は説明する。 WfPチームのメンバーは現在毎週金曜日に大使館の正面で、コロンビアの人々からの許しを請いながら可視性を探求しつつ、証言を続けている。

さらに、WfPの派遣団は、米国に戻ってからの幅広い目立ち度を必要としている。1983年に任命式典が、ニカラグアに行く最初の短期的な派遣団のために開催された。WfPはその式典を、すべてができる限り目に見えるようにして、弁士としてのヴィンセント・ハーディングと共に、ワシントンDCで開催した。「並はずれた危険」に手を染めようとする「普通の人々」の姿勢を慎重に啓発しながら、新聞報道は「この証言の目的は、…ニカラグアの人々と米国が支援しているコントラとの間に防御用の盾を提供することである… このグループは、交戦地帯の中で北アメリカの教会の人々が常時プレゼンスすることが、コントラの作戦を妨げることを望んでいる」。このイベントとその主張はたいへん成功し、「蜂蜜にたかる蠅のように、メディアを引きつけた」と伝えた。

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2.2.2.4 成果と影響

「実際に私は、ものごとは寄せ集めに過ぎないと思う」
非暴力的活動の成果をどのように評価するか? 暴力紛争を減らすために努力を傾注している人々すべてがこの問題に悩んでいる。 私たちは成功したのだろうか?

「イスラエルの嫌がらせのために、ある農夫は小麦を収穫することができなかった。それで私たちは、彼と一緒に畑に行って働いた。彼は私たちと共にそこで働くことができたのだが、収穫は後で燃やされてしまった。私たちはそれを救うことができなかった。 私たちは助けたことになるのだろうか?... 悲しいことに、ヘブロンの家々は再び破壊された。私たちは何を達成したのだろうか?」。ヘブロンのCPTチームからこのような質問が寄せられる。成果は紛らわしい。

平和維持 Peace keeping
平和維持では、永続的な平和を創造することはほとんどできない。 その機能は単に暴力を止めて、紛争解決の可能性の道を開くことである。大規模な非暴力の平和維持活動がおこなわれれば、その成果を評価することはおそらく可能であろうが、それはまだなされていない。

割り込み Interpositioning
GPTのキャンプ設営は、湾岸危機に対する平和的解決が可能であったという考え方を象徴している。 その成果が単に象徴的なものでしかなかったのか、あるいは真の介入のための可能性があることを実際に果たしたのか? キャンプの目的が単なる物理的な割り込みであったのか、戦争に反対する世界的なコンセンサスの構築を助けるために計画された政治的割り込みだったのか? ガルフ・ピース・キャンプは、戦争の時にかなりの人数の平和活動家たちのグループを交戦国の間に置くことを初めてなし遂げた。…「砂漠の嵐作戦」の戦争行為が始まった時、平和キャンプがイラクとサウジアラビアの国境線上に配置された。

ミュラーとビュトナーのガルフ・ピース・キャンプ についての成果分析は「紛争を拡大させようという上層部によって示された意図に対する、重大な異議申立てにはならなかった。そのためには、人数が少なく、目に見える中立性があまりに少な過ぎた。何故ならば、キャンプをたった1か所イラクの国内にしか設置できなかったので、戦争を宣伝する側にとって、中立性と道徳的な正統性に疑いを投げかけるのは容易だった。 もっと多くの人々がいたならば紛争を縮小させる効果を実際に達成することができたのかどうか、という問題はまだ未解決のまま残されている。」

同行 Accompaniment
「国際的な同行がなかったら、人々は軍隊が踏みつけられる虫のようなものだ」
…メキシコにいて、ペテンへの帰還を待っているグアテマラ人難民。
CFJの同行は、地元の著名な牧師の影響によってFRAPH(ハイチ発展フロントと称する準軍事団体)によって誘拐されていた男性の解放という成果を事実上もたらした。「それは、準軍事団体の誘拐から誰かを解放するという同行による介入についての私たちのケーススタディの中での唯一の例の一つ」であり、直接的な抑止よりはむしろ、道徳的・政治的な信念として同行の可能性を例証している。

いくつかの場合、1997年にコロンビアの「サバナ・デ・トレス人権委員会」委員長であるマリオ・カリクストの誘拐の時に起きたであろう、二人の同行者の介入のように、同行による救命の成果は問うまでもない。 2人の武装男性がカリクスト氏の頭に銃口を向けた時、同行者たちはその間に割って入り、危機的状況を静めた。ガンマンたちは、危害を加えることなく立ち去った。

スリランカのブラドマン・ウィーラコーン副大統領によると「政府は確かに同行に注意を払った...地元の警察官や兵士も、たとえ国際政治を何も理解していなくとも、同行には注意に払った。この地方公務員は、彼の上司が彼の態度について何か聞くかも知れないことを最も心配している、そして、彼は外国人が何らかの力を持っている、… 自分はそこにいないのだ、と勝手に想定する。 そのプレゼンスは、彼を用心深くするだろう」という。 ウィーラコーンはまた、道徳的な視点を示唆した。「このような行為に関わる男は、悪いことをしているのを知っており、そして、秘密のうちにやろうとする」と。

ミュラーとビュトナーは「PBIは活動している市民社会の中で、持続的な暴力の抑制」を立証している、としてPBIグアテマラ・プロジェクトを評価している。

「多くの場合にPBIは、草の根レベルや中間層の人々および市民社会の組織を、脅迫あるいは暴力の行使から保護することができる」。 これは、プレゼンスと護衛を通して、すべての関係者との関係を確立することにより、政府への対話の申し出により、そして、国内での抑圧と暴力について国際社会に知らせることによって、なされる… 国際的な警告ネットワークは、重大な局面で国際的に広く知らせることを発動する。それは、事実上グアテマラの上層部への制裁力を持っている。「この場合、暴力の抑制は、実行される制裁に対する能力を通して、介入グループの仲介者によって支持される。」

同行の1つの期待された成果は、地元の活動家が恐怖に打ち勝つことができるようにすることである。 これは彼らの団体の中で他の人との連帯を必要とするが、そのような団体を作る行為ですら危険であるかも知れない。そのような団体がなければ、単独で恐怖に立ち向かわなければならないが、そのような団体がいったん成立すると、それは、国家によって確実に「非合法化」され、邪悪なものとされ、さらに、参加が禁止される。「同行は、恐怖のハードルを低くすることができる。人々が民主的な政治活動の初めのハードルに打ち勝つことを可能にする。それによって、グループの成長を促進する。」

同行は、活動家にとって利用し得る政治的活動のスペースを広げる。

「活動家が、もしそうでなければ避けたであろう重要な政治活動を実行することができるならば、その同行は、非暴力的市民社会の強化と成長に貢献したことになる」。あるいは、同行プロジェクトのランディ・コーハンが述べるように「国際的な同行によってなされた最大の影響は、彼ら自身の国の中で公正をなし遂げるために闘争しているグアテマラ人に私たちが提供する休息のためのスペースへの貢献である」。

プレゼンス Presence
CPT派遣団のメンバーであるクレア・エヴァンスは、ベツレヘムの近くのベイト・ジャラにおけるプロジェクトについて証拠と問題の両方を提出している。 「2000年の12月前半に、ベイト・ジャラのパレスチナ人地域のイスラエルの砲撃に対応するために、2人のチームがそこにいた。砲撃はほとんど毎晩起きていた。 私たちのチームは何か圧迫を受けていた。そのいくつかはチームのメンバーである70歳にななるローマ・カトリックの修道女に向けられていた。また、米国とカナダの大使館も私たちのプレゼンスを承知していた。 1月中旬までには、砲撃は中止された。私たちのチームがプレゼンスしていたことが一つの要因だったのだろうか?

「最終的なプロジェクト・リポートから引用すると、「結論として、私たちは爆撃の停止に役立ったのか、という問題になる。実際に攻撃を停止したり抑制する中にあって、私たちがどのような成果をあげたのかを正確に知ることは決してないだろうと思われる。確かに、私たちの広報活動はP.R.であり、軍隊にとっては頭痛の種であった。クリスマス・シーズンの間に、尼僧を爆撃することは、彼らにとって良いこととは思われない。 しかし、この近隣への爆撃は、私たちのプレゼンスがメディアの記事に最初に現れた直後に一時的に増加した。それは軍隊が私たちに、立ち去ることを納得させようとしていたのだろうか?」

「もう一つの問題は、私たちのプレゼンスが、パレスチナ人のガンマンを保護するであろうと考えて、彼らがこの近隣から射撃することを私たちが勇気づけたのかどうか? ということである」。私たちに関する話が現れた後のある時には、砲火は私たちの家のすぐ近くから飛んで来た。この両方の問題について、地元の仲介者たちはいろいろと違う意見を伝えてくれる。

「しかしながら、爆撃は停止された(これを書いている2001年1月17日現在、少なくともベイト・ジャラでは)」。私たちは停止したことに、どこで直接関連したのか? 最も現実的な答えは私たちがいくつかの要素の中の一つであったということである。確かに私たちは一つの要素であった。」

この話は一つのことについてはっきりしている。それは、紛争地域におけるメディアの活動による目立ち度の価値である。そのチームがそこにいることを人々が知らなければ、そこにいることの影響力はほとんどない、そしてそれが印刷されるならば、彼らの態度がどのように見えるかについて心配する。彼らのプレゼンスが、a) 1月中旬までの砲火の休止、b) 報道機関による報道に続くこの近隣での砲撃の一時的増加、c)この近隣からのパレスチナ人ガンマンによる砲火、を引き起こしたのかどうかは明確ではない。この成果は、また、CPTのプレゼンスが、爆撃を終わらせた「いくつかの要素の中の一つ」であったという道徳的勝利および経験的確信として、定義できるだけのように思われる。

ニカラグアでのWfPのプレゼンスの成果について、何人かの参加者は象徴的なものでしかなかった、と評価した。兵士のフランシスコ・マチャドは、感慨を込めて「彼らのうち何人かは、戦争を止めるには、彼らのプレゼンスだけで十分だろう、と考えてやって来た、しかし、彼らはすぐにわかった」と言った。WfPのニカラグア人パートナー団体のメンバーであるシクスト・ウロアは「WfPは(ジャラパからの)反革命運動をつぶしてしまった」と信じていた。再定住コミュニティを訪れることによって、WfP はまた、その区域に相当程度の保護を拡張した。米国からの訪問者がそのコミュニティを訪問するような機会には、コントラは攻撃するのを避けなければならなかった、と彼は信じている。

チアパス高地にいる追い払われた村人たちは、「あなたがたがここにいたならば、実際の大虐殺は起こらなかっただろうに」とCPTのメンバーに語るほど、国際的なプレゼンスが保護的であると強く信じている。

緊急行動ネットワークと国際的圧力
同行とプレゼンスの有効性は、うまく開発された緊急時の行動ネットワークと加えられる国際的圧力の利用にかかっている。 PBIは徹底的にこの戦術を開発し、明白な成果を持ってそれを利用している。 二つの例を挙げる。

「ボランティアが逮捕される都度、PBIはその国際的な緊急行動ネットワークを働かせた。そして、多くの場合に、この外圧が、PBIボランティアだけではなく、時には彼らと一緒に逮捕されたエルサルバドル人の釈放をもたらす助けになったことを証拠が示している」

彼らに対して企てられた待ち伏せを回避した後で、PBIチームは直ちに大使館と政府役人との一連のインタビューを始めた。 世界中のPBI支部は、自国の政府およびコロンビアにある自国大使館に電話をした。ヨーロッパの三カ国の大使館の代表がやって来て、PBIの活動を支援して、住民と軍事当局に会った。 PBIに対するどのような攻撃についても政治的な因果関係があったことは明らかである。この事件は、PBIの地元での認められた影響力と同様に、PBIの安全を強化させた。

観察 Observation
逸話によってだけなのだが、人権の観察と監視は、効果的な抑止戦術であることが知られている。 しかしながらそれは、何が進行しているのか、そしてその結果としてその態度が止まることを報告することについて、チェックポイントで兵士と話すボランティアにとっては決定的であるように思われる。アムネスティ・インタナショナルによっておこなわれているように、実際の文書化と報告は、定量化可能な効果を持っている。 しかし一方、これらの活動は、それを通して情報が注がれなければならない国際的な対応ネットワークと同じくらい効果的であるに過ぎない。

この活動は時には危険を伴う。CPTとPBIには、取り上げられてしまったカメラと露光されてしまったフイルムの話がたくさんあり、カメラを渡そうとしなかったボランティアが逮捕されたことも一例ある。 PBIは、フラッシュ写真の撮影が、グアテマラのルニフィ工場においてデモをやっていた市民を危険にさらしたかもしれない、といぶかっている。同行について言われていたように、この危険性は、この活動が効果的であることを否定はせず、むしろ証明している。

平和構築と統合的戦略
ミュラーとビュトナーの研究は、BPTの結合した戦略を、対話のパートナーとして、最高幹部に対してかなりの影響を与えたとして、そして、市民社会の中の中間層および草の根のリーダーに対して、さらにそのチームが活動的であった市民社会の部分に暴力の抑制に対していくらかの影響を与えたとして、評価している。「いろいろなグループの間で情報を交換しあうこのチームの能力は明らかであった。彼らが訪れた各グループは、他のグループに関する情報を切望していたし、BPTを情報源として信用していた。 1人の活動家は「あなたたちは、セルビア人とアルバニア人の両方と草の根レベルで一緒に活動した経歴があるので、これをやるのに非常にユニークな立場にいる」と彼らに直接伝えた。BPTI(国際BPT)のプロジェクトは、市民社会の相互関連の進展と紛争解決能力(平和構築:セミナーとネットワークによる権限委譲)の面において強力な支援の役割を果たしている。 直接的紛争の状況の中でのプレゼンスは、政治的な抑圧に対して保護する。暴力と人権侵害に関して(国際レベル)国内レベルで報告することは、国家機関に対してある程度の圧力を増大させる… 軍事攻撃の間、BPTIは、監視の役割を引き受け、また、個人の訴訟事件では脅かされている人々の保護を引き受けている。…」

トレーニングと平和教育
チームのメンバーには、平和チームが提供する正式のトレーニングに加えて、まったく個人的に、そして恐らくは非常に効果的に、地元の人々との対話の中で、継続的に教える機会がある。CPTのプレゼンスに関する感動的な話がある。それは、四旬節(復活祭の前の40日間)の間のチアパスで、メキシコ陸軍の中での市民活動キャンプであった。断食し、祈っていた彼らは、兵士たちと対話し、結局、軍用ヘリコプターの離着陸場を巨大な平和のシンボルに変えてしまった。 別の二つの事例では、後日彼らは若者たちに会った、彼らはその時キャンプで兵士であったが、今は民間人になっていた。なぜ軍人を止めたのかをその男たちに尋ねると、二人とも「あなたがそうするように、と私たちに言ったからです」と同じ答えであったという。

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2.2.2.5 現地で成功している活動の条件

同行
マホニィとエイグーレンは、著書『Unarmed Bodyguards』(非武装の護衛)の中で、一般的な抑止について、ならびに抑止としての同行についての貴重な考察を明確に提供している。 成功している同行のための必要条件に関する彼らの考え方をここに含める。

「同行は、直接に脅かすことはまったくできない。そのプレゼンスは、… その結果起こるかも知れない重大性の示唆、というヒント以上である」。 一連の条件が満たされなければならない。

  • 同行者と活動家は、攻撃を仕掛ける者に対して、どのような形の行動が容認されないのかを明確に伝えなければならない。そのメッセージが複雑であったり、または文書を引き合いに出すのであれば、同行者は、攻撃者が文書の内容を理解しているかどうかを知らなければならない。 微妙な点は明確に話されなければならない。「もし攻撃者が、どの行動が反応を引き起こすのかを知らなければ、抑止機能は働くことができない」
  • 抑止の掛かり合いは明確に話されなければならない。攻撃者はあらかじめ、活動家が同行されていて、攻撃は重大な結果を招くであろうことを知らなければならない。ここでの問題は、命令をくだす者は知っているかも知れないが、その命令を実行する暗殺団には知らせていかも知れない、ということである。
  • 攻撃者は、団体というものはその決議を実行することができる、と信じなければならない。同行者から国際的コミュニティへの、政府側圧力のための通信の連鎖は、明確であって、効果的でなければならない。 実際には、それぞれのリンクは不確実であり、その結果が保証されることはない。
  • 攻撃者は、攻撃のことを真剣に考えて、考えられるコストがその利益よりも高い、という理由により、攻撃を実行しないと決めなければならない。 通常、この証拠を見つけることは不可能である。

一つの追加条件は、攻撃者がだれであるかを同行者は知らなければならないということである。 殺人予告は匿名であることが多いし、攻撃者の正体を極めて少ない証拠から推論しなければならない。この場合には、国際的対応の標的を誤るかも知れない。あるいは、非難される側の政府は、特定の攻撃者に対する統制手段はないと主張するかもしれないが、その主張に反駁するのは難しい。抑止の効果が明らかなのは、潜在している攻撃者が同行者グループは誰なのか、何をするのだろうか、そして、攻撃の結果がどのようになるのか、を知っている場合のみである。 抑止戦略は、情報… 攻撃者が誰であるか、そして、どのような政治的圧力が彼あるいは彼女に影響を及ぼすのかに関する明確な分析 … へのアクセスを必要とする。

ある攻撃者は、国際的な圧力について気にかけないかも知れない。国家機構の内部でさえ、支配的な党派に対して政治的に反対し、腰を据えている政府の評判を悪くするために、人権運動家や国際的な観察者を攻撃するような派閥があるかもしれない。[たとえばPBIは、孤立している村に出ていたCERJ(少数民族コミュニティ協議会「ルヌジェル・ジュナム」)のメンバーが、圧力には鈍感のように思われる地元の暴漢と顔を合わせたこと、および、パトロールしていて、非武装のGAMのメンバーを報道関係者の面前で攻撃し、臆面もなく警察と政府代表さえ脅かした「シビル・パトロール」は、外国人のプレゼンスによって影響を受けなかったことを経験した]。

攻撃者が、政治上のコストよりも他の利益の方が大きい、という理由により、手間を掛けても攻撃する価値があると決定するならば、抑止は失敗する。残されていることのすべては、次の機会にはその周囲での予測が変わることを期待して、攻撃の後で脅かされた結果をできる限りしっかりと照会することである。

さらに、活動家はいかなる理由でも身を隠す必要はない。「準秘密性と同行は、別個に利用されれば両方とも有効な安全保障の戦略であるが、組合せて利用するといくらか問題がある。単なる外国人のプレゼンスは、隠蔽をさらに難しくするし、潜在している攻撃者がそれに気づかなければ、保護をするという同行の機能は無くなってしまう」。

強力な「緊急行動ネットワーク」および国際社会に知らせ、国際社会を揺り動かす他の手段、あるいはそのいずれかがなくては、同行を利用することはできない。 特定の領域、国、組織、あるいは個人の国際的な関心が強ければ強いほど、同行は攻撃を思いとどまらせることができるようである。

すべてのチームに対する一つの条件は、同行されている人が活動家であって、かつ、武装していない、ということである。PBIには、自分たちに対して設定した条件がある。それは「PBIは、政治的な組織作りやグループ作りをやらないし、グアテマラ人が自分たちで始められるであろう活動は始めない、国家の領土全体を保護することは試みず、他人を危険にさらすかもしれない情報を漏らしたり発表することは絶対に回避するであろう」というものである。

同行は、必要とされているならば、個人やグループに対する恐怖がプレゼンスする限り、とぎれることなく継続されなければならない。グアテマラの労働党オルグのセルジオ・グスマンによれば「あなたに同行者がいれば、かならず脅迫が止まるというものではない。同行者が脅迫を疑ったり … 政治的に異なる状況になったとあなたが感じたりした時、あなたは同行を取りやめる。だがそれは、系統立った暴力が終わったことを意味しない。暴力が論議される課題をいつ同行が達成したかは、より主観的である。」

PBIは、5年間の「危険な年月」の後で、エルサルバドルにおける同行プロジェクトを1992年に完了した。 「戦争は終わった。暴力と不平等は多くの形で続いていたけれども、保護的な同行はもはやエルサルバドル人が外国のNGOに求めるサービスではなかった。」

以下の例で述べられているように、同行は危険をともなうことを知っているので、各団体は安全と危険に関する条件を設定しなければならない。 1987年から1989年にかけてエルサルバドルでは、PBIのメンバーは「軍隊がその周りを囲んでいるのに、運動組織の事務所の中にいた。 … 暗殺団は、同行者が中にいるのに、夜に爆弾を爆発させた。14回のいろいろな事例の結果、PBIボランティアは、拘留され、尋問されて、国外退去を勧告された。道路上の兵士によって止められ、尋問され、脅迫された例が他に何百もある。「しかし、政府が外国人のボランティアに対してさらに嫌がらせをやればやるほど、エルサルバドルの市民運動は同行を評価した」。グアテマラのPBI の家に手榴弾が投げ込まれ、そして、チームのメンバー3人が不明の襲撃者によりナイフで切りつけられた。

最後の条件は、そこに他の活動を持ち込むことにかかわる。「同行には、直接の戦術よりもはるかに多くの仕事がある。… 軍隊と情報交換し、政治的な影響力を築き上げ、外交面の接触を作り、適切なボランティアを募集し、訓練して、資金を見つけ、緊急時の行動ネットワークを発展させるという「準戦略」を必要とした。これらの「準戦略」は基本原理によって左右されるが、また、資源上の制約を緩和して、政治的な状況を積極的に変えるよう計画される。」

プレゼンス
高い目立ち度が、必ずしも効果的なプレゼンスのための条件というわけではない。人々が潜在的に暴力的であると考えている党派は、市民集団の中に平和チームの国際人がいることに絶対に気付かなければならないが、彼らは、どのような特定の時にも、その個人がどこにいるかを知る必要はない。 チアパスでの「ミシガン・ピース・チーム」は、この要素をまったく独特のやり方で利用した。 チームのメンバーは、観光ビザで国にそっと入国するようにと依頼された。 さらに彼らは、彼らを招いた村に入るのは夜になるように旅行し、その後、日中の間は見られないように屋内に留まるように、と要請された。受入れたチアパスの村民は、外国人が見られてさえいなければ、その地域の中にいることが知られてさえいれば、彼らは十二分に保護することができる、と信じている。

しかしながら、多くの場合、チームはできるだけ多くの関係者に、そのプレゼンスと居場所を知られるようにした。例をあげれば、CFJ(クライ・フォー・ジャスティス 平和を求める叫び)の参加者たちは、ハイチの通りをぶらつき歩いた。

緊急行動ネットワーク
BPTが、彼らの「警告ネットワーク」の利用を必要とすると感じた10項目の発生事例のリストが2.2.2.3節(訳者注;原文の2.2.2.2は間違い)に与えられている。以下は、利用のための条件に関してBPTによって展開された問題である。

  • 他の団体/政府機関がその事例に取り組んでいるか?
  • それらとの協調した活動は可能か?
  • 問題の出来事は、単一の事例なのか反復なのか? それは模範的事例なのか? その出来事にかかわっている人々をあなたは知っているのか? 模範的事例あるいは状況の悪化を示す事例は優先されるべきである。
  • その事例はどれほど深刻なのか? 生命あるいは健康に対して危険なのか? 生命あるいは健康に対する脅威は、他の人権侵害よりも優先度が高い。
  • あなたは情報をダブル・チェックしたか? あなた自身が出来事を目撃したのか? 少なくとも2つの独立している情報源があるか? その情報源はどの程度信頼できるか?
  • 誰が、ネットワークを活動させるチームを望んでいるのか? 関係している人々やグループは、チームが行動することを望んでいるのか? 彼らはその事例が公表されることを望んでいるのか? 関係している人々の意志に反して行動してはならない。どの事実が明らかにされるかについても彼らと調整すること。
  • その事例に関して行動をとることが、関係者に対する余計な危険をふやすことにならないのか? 第三者に対してはどうか? チームに対してはどうか? たとえわずかな可能性であっても、人々に問い合わせることなしに、人々を危険にさらしてはならない。 チームの安全にかかわるのであれば、コーディネータと相談すること。
  • その警報はどれくらいの頻度で出されたか? あまりに頻繁に警報を出すことはできない。 人々が行動を起こそうとするための効き目と意志は簡単に萎えてしまう。

平和構築
BPTメンバーのエリック・トーチは、コソボでの平和構築のための条件を箇条書きにした。「平和構築に向かって活動する中で、私たちが心に刻む必要があるいくつかの点がある。まず第一に、平和を構築することは、その関係について集中する必要がある。これをやることは、プロジェクトを計画し、実行するのと同じように、人々と共に過ごす個人的な時間を必要とするだろう … また、そのようなものを計画する時には、単に輸入されて、彼に押しつけるのではなく、やりがいがあるとみなす何かを作るために、関心を持つコミュニティのリーダーや活動家およびNGOと一緒に、多くの聞き取りをやらなければならない、ということを意味している。 第二にその活動は持続可能なレンズを通して見られなければなない… 第三に、それは3つの文脈というか範囲、すなわち、地域的に(コソボ)、準領域的(南部バルカン諸国)、そして領域的(ヨーロッパ)になされなければならない。何故ならば、戦争はこの3つすべてを巻き込んだのだから。」

戦略
ミュラーとビュトナーは、彼らの実証的分析の中で、非暴力的介入が「三つの平和戦略 [平和維持、紛争解決、平和構築]を自動的に結び合わせはしない」と観察している。大部分は「行動ベース」であって、戦略の1つを利用している。この研究は、介入は、それが「過程志向」であるならば、プロジェクト自体の中で手段を開発しつつ、紛争の力学に影響を及ぼすことを目指し、通常、3つの平和戦略の組み合わせを適用しながら、より大規模な縮少効果を持つべきことを示している。3つの戦略はすべて、ひどく拡大した紛争の中で必要であり、紛争解決の総合過程の一部分でなければならない。

重大局面の地域においては、予防のような、より高いレベルの目標は、ボランティア・チームを持っているだけのアプローチでは達成可能とは思われない。平和のために活動しているNGOがこれらのより高いレベルの目標を見失いたくないのであれば、チーム活動は、多くの異なった活動家たちによる活動を包含している広域的なアプローチに統合される必要がある。

明確な目標
評価でき成功している平和介入のための内部条件は、計画されていて可能な活動に合致する具体的で明確な目標が存在することである。これはBPTが、紛争拡大の大波が急に高まるのを直接に経験したクロアチアにおける1995年の、そしてセルビアにおける1997年の痛ましい結末であった。クロアチアでは、ボランティアは、彼らが何らかの影響を及ぼすことのできる足掛かりを確保しなかったことが、失敗であったと考えた。組織人は対照的に、このプロジェクトのこれ(訳者注: 「これ」が何を意味しているのか不明)さえ期待していなかった。 コソボにおける考えられる紛争拡大にどのように反応するかについての審議の中では、防止を達成するための可能性の問題については論議さえされなかった …それは考えられている能力をはるかに超えていた。

また、BPTの平和構築活動は、より系統的にその活動に焦点を合わせた包括的計画が不足していることに苦しんだ。人権、非暴力的紛争解決、情報網の導入、および技能の供与のような、指導的な概念は、チームの経験に基づいて、可能性のある役に立つ役割およびそれにともなうこれらの実用的な現実化に関する考えから成長した。

不完全な形で定式化された目標の他の例は、ガルフ・ピース・チーム(GPT)とミル・サーダであろう。洗練された目標を持っていなかったGPTは、動員できる人数について無理のない計画に関する戦略的目的を定式化していなかったし、彼らが及ぼすことのできるであろう影響力をまったくの楽天的に見積もっていた。 同様に、目標についての不明確さは、ミル・サーダの介入が失敗したことの1つの理由であった。 クリスティーネ・シュバイツアーは、平凡なミル・サーダのアピールと同様に、目標定式化のあいまいさがビーティ・アンド・エクィリブレ(Beati and Equilibre)の最初のアピールでも明白であると示唆している。

  • ミル・サーダ期間の間に「休戦」から始めて、戦争を止めること
  • 彼/彼女のイデオロギー、性、宗教あるいは民族的起源の如何にかかわらず、この戦争によって苦しめられている人それぞれとの連帯の中に入ること
  • 暴力に反対する市民の割込みの典型を示すこと
  • ボスニアの中で共に生きるよう、多民族の人々を支持し、勇気づけること
  • 武力による征服を乗り超えて前進し、国際法の下における人権の尊重ならびにその保護の両方の義務を負わせる話合いを実行すること

戦争を止める、という目的はどこにも詳述されていない。

目標が明確でなければ、活動の焦点はあいまいになるだろうし、ほんのわずかの成功と堀り崩される失敗感についてのあいまいさに、士気は低下するだろう。

構想と原則の明快さ
ミル・サーダの計画の中の重大な欠陥は、中立性に関する合意がないこと、セルビア人とクロアチア人のリーダーたちと話すことの適切性に関する合意がないこと、非暴力的割り込みという用語についてのおぼろげな理解あるいは合意、そして彼らがサラエボに到着した時に何をなすべきかについてさえ、合意がないことに見いだされる。中立性についての明快さおよびそれをどのように達成するかが欠けていることは、通常はそこには何もないことを意味している。 ミル・サーダの場合には、シュバイツアーはその結末について次のように述べている、すなわち、「プロゾールに私たちが滞在している間、そこに私たちのキャンプがあるからボスニア軍はプロゾールを攻撃しなかった、と語り続けられている噂話があった。しかし実際に私たちはボスニア人側には何もしなかったが、そのボスニア人側は、私たちのキャンプ地からおよそ2マイルの場所から毎日擲弾砲による砲撃を浴びせられていた。中途半端な割り込みは、割り込みの成功例ではなく、戦争の味方をすることなのだ!」と。

「政治的に立場をとらないこと」は、紛争の両側あるいはすべての側との良いコミュニケーション、そして注意深く選定された介入の物理的な場所にかかっている。 GPTはどちらにも失敗した。

不干渉
良心的な介入のために欠かすことができないのは、地元の人々がチームを歓迎すること、ならびに問題に対して彼ら自身の解決を作り出す自主性を持っているという条件である。ガルトゥングは、介入を外部に完全に任せてはならない、と警告する。第三者に対して定められた役割が幅広いほど、地元の人々を「お客様」に変えてしまい、紛争解決能力を構築する際に役立ったかもしれないものを取り去ってしまい、彼らに挑戦ではなく、むしろ解決を残すだけになってしまう。

「コロンビア人は、自分たちでコロンビアの問題について決めることが必要である」と、WfPのベネットは言う。 「私たちは、メキシコ人になすべきことについての忠告はしない。彼らが自分たち自身の問題を彼らで解決する際に、私たちはそれを支援する」と、SIPAZのポーンは言う。

すべての関係者との通信
PBIは、平和維持活動が紛争にかかわっている当局との通信を含んでいることが、どれくらい絶対的に不可欠なのか、を繰り返し繰り返し明らかにして来た。「効果的な抑止戦略は、国家と通信することができないことによって妨げられることがある」。エルサルバドルの役人は、同行グループを破壊活動分子として退去させた。それで、PBIと他の人たちは、彼ら自身を公的に身元を明らかにすることをためらっていた。 同様に、スリランカとグアテマラで、PBIが政府との関係を確立するまでには数年間を要した。」

SIPAZの理事であるロバート・ポーンは「私たちは、地方の団体と平等な協同関係と呼ばれるであろうような関係を持っている。私たちは、人権、市民、ザパティスタ、パラディスタスなどすべてのグループとのつながりを持とうと努力します … 準軍事的グループともつながりを持っています … 分け隔てなくすべての視点と連絡を取ろうと試みます。一つのグループと話をしてから、次のグループの所に行って、彼らがあなたに話そうとしないことを知るのは、危険であってわかりにくい。人々にとってこの特定の視点は、私たちがザパティスタ賛成派であると見做すことである。 私たちはそれに打ち勝とうと努力している」と語っている。

「非暴力的平和維持の有効性は、たぶん決定的なまでに、個々の関係者との関係 (その関係が作動させることのできる圧力の形式を促進する) がいかに建設的であるか、紛争関係者に対する市民社会からの圧力がどれほど、いかに効果的に加えられるか、に掛かっている」。 これらの行動は「信頼できる長期間の活動を必要とし、短期間の活動では達成できない」。この中の一つのむずかしさは、拡大していくある段階を超えて、紛争関係者が部外者を単に「敵か味方か」として見ることである。社会的関係とは、繰り返される拡大を防ぐために、非暴力介入チームが、互いに脅しあうグループを監視したり、その間に入ることができるようにすることである。

攻撃者の態度
平和に向けての活動を妨害し、その活動を妨げようと直接行動に訴えるかも知れないグループがある。明らかな利得がないにもかかわらず、個人やグループが戦争を継続させる。 "拒否派"は、ある根拠によって強く結びつけられたものとなり、その根拠がなくなることは彼らの存在への脅威であるとして犠牲を払う。 「非妥協派」は、体験した痛みに対するお返しに、他人に痛みを押しつけるために苦しめようとする。 戦争の終わりは彼らの破滅を意味する。恐らく、彼らは行動について尋問されることだろう。 戦争は彼らが生き残ることができる唯一の手段である。

「非常に頻繁に… 紛争解決者たちは、拒否派の非妥協的暴力によって驚かされたように見える、そして大多数の合意をもたらすように慎重に構成された段階を中断させてしまう。彼らがそのようにやれば、その行動は成功する。紛争解決者が、拒否派に対して彼らの妨害が、平和に向けての勢いを掘り崩している、という信号を出せば、紛争解決者はそのような行動を実行しようとする拒否派の決意を補強することになる 」。

攻撃者は、行動に関する国際的非難や反響を恐れないかも知れない。さらに、軍事グループが脅威を受けた時には、攻撃者は国際社会との良好な関係を求める必要性をあまり感じなくなるかもしれない。

「非暴力的紛争処理、紛争解決、ならびに紛争転換の過程は、国家のシステムが民主的であるか、あるいは政治的、経済的、社会的な適法性が高い水準にあるところ、もしくはその両方を備えた国で、最もうまく機能する。政権が軍事的グループあるいは準軍事的なグループによって支配されているところでは、政権側は、説得よりむしろ恐怖によって統治するのがさらに効率的だ、と信じる傾向がある。 このような状況では、広く受け入れられているゲームのルールに従って果たされる正常な反対者のいる政治力学の機会は極めて小さくなる。国家によって支援された恐怖と政治的な抑圧は、個人や営利団体および政党を、政治の 体系から引き下がらせるか、あるいは暴力的抵抗や非暴力的抵抗に引き込む。

…恐怖政治に対する代替策を探し求める人々に直面する問題は、独断的な逮捕や拷問あるいは消息不明や死亡の危険を最小とする一方、安全な政治的活動のスペースをどのように生み出すか、ということである。 そのような活動をするスペースを構築することは、非暴力的問題解決の前提条件である。多くの問題が恐怖への創造的な抵抗を生み出すのに関連している。
− 犠牲者をどのようにして主役に変えるか
− 個人的恐怖や集団的恐怖にどのようにして打ち勝つか
− 政治的脅威および軍事的脅威への抑止力をどのようにして発展させるか
− 政治活動の消極的な因果関係を最小にする一方、政治活動の積極的な因果関係を高める
政治体制をどのようにして促進するか。

「すべて人権に関する圧力に関連しているのは、戦後あるいは恐怖政治後の過渡期における公正と同様に権力に関する原則であり、そこには、正しいことをすることによってではなく、何かをすることによってそのような圧力に反応するという政府に対する強い意図がある。その何かは、しばしば最も価値の犠牲の山羊をオオカミの前に投げ与えることをともなう。」

紛争が、交戦国の態度について慎重な査定によって慎重に評価されないと、NPによって選ばれたいかなる任務も失敗するだろう。

緊急行動ネットワーク
前述したように、他の戦術の強さは、緊急行動ネットワークの幅と速さと信頼性に依存している、そのネットワークは「無視することができない関連のある国際的な注目を、できる限り最短の時間で起動させる… ここで、効果は、第三者が特定の紛争関係者に対して影響力を及ぼすことができる抑圧的な力から成り立っている。 しかしながら、この力は、最初に活性化されていなければならず、兵器輸出に反対する人権などのように、特定の価値観のために働くようそれ自体が起動されるように準備されていなければならない。したがって、この力の効果は、いつでも適用可能というわけではない … むしろいくらか不安定である」。このネットワークとその信頼性は、紛争地域に入る前に機能的になっていなければならない。

タイミング
PBIは、介入のためのタイミングに関して以下の考えを持っている。

  • 介入者は、アクセスを得るために信頼性を必要とする。この信頼性は、長期間の関係を通して、あるいは、過去の活動や立場を通しての介入者の評判によって築き上げることができる。
  • 介入者の人材が得られれば、成功の望みがあるのか?
  • その紛争は、一つの区分の中だけへの介入ができるように分割することは可能か? あるいは、一つの地域に試験的に介入をする可能性はあるか?
  • 平和はすべての当事者によって望まれているのか? その当事者は、紛争を解決しようと動機づけられているのか? その当事者の痛みは介入を歓迎するのに十分か?
  • 何もしないことは、介入に対する期待よりも悪いのか?
  • 国内の要素は介入に役に立つか?

現地の中での可視性
現地の中でどれほどの目立ち度が有利なのかを決めることに関連する複合的な問題がある。一つはその国の中での法的な立場という実際的な問題である。チームのメンバーがツーリストビザあるいは宗教ビザで入国したならば、彼らの平和活動の目立ち度は、歓迎していない政府側に彼らを国外退去させる機会を与えるかも知れない。 しかし、政府がチームの存在に同意したのであれば、目立ち度が役立つことが証明されている。 抑止の戦略は、同行者や割込み者の目立ち度 の高さに左右される。

なお他の問題は、第三者の国際人に対する世間の注目の効果に関係がある。それは、地元の紛争解決者からの信用と信頼を損なうのか、強めるのか?

ノンバイオレンス・インタナショナルのスタッフであるマイケル・ビアの意見は、第三者は活動を果たすために必要な最小限の目立ち度を求めて努力すべきである、というものである。 過剰な露出は、政治的攻撃あるいは依存への地滑りを起こすかも知れないし、露出不足は、介入者による恩恵を無効にし、信頼を損ねるかも知れない。

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