非暴力平和隊・日本

非暴力平和隊実現可能性の研究【第2章 第5節(2)】

第2章 介入における戦略、戦術、および活動

クリスティーネ・シュバイツアー

2.5 軍隊による介入

2.5.2 伝統的平和維持と監視団

2.5.2.1 性格と目標

平和維持は、国際連盟の時代にも先行事例があったのだが、通常は第二次世界大戦の後で出現したと考えられている。国連憲章の中には明確に記載されていないので、停戦と緩衝地帯を監視することだ、と理解されて来た平和維持は、国連憲章の第6章と第7章の中間に該当すると言われて来た(元国連事務総長のダグ・ハマーショルドはこれを「6章半」と称した)。何故ならばそれは、紛争の平和的解決(第6章)と、国連決議の強制執行(第7章)の両方に共通点を持っていると言われているからである。平和維持派遣団は、通常重火器は装備せず(たとえば普通は戦車やミサイルを持たない)、軽装の歩兵大隊を中核として編成され、数千名以下程度の兵士で構成されている。

伝統的な平和維持派遣団には5つの原則が適用されていた:

  • 派遣団の設立について紛争当事者の同意があること;
  • 護身のため以外には武力を用いないこと;
  • 中立の小国あるいは中堅国家が派遣団を分担するという自発的貢献;
  • 政治的な立場をとらないこと;
  • 活動に関して国連事務総長の日々のコントロール。

伝統的な平和維持の期間は、新たな派遣団が配備されなかった1966年から1973年までを除き、1948年あるいは1956年から1987年まで継続したと考えられている。通常、この間に13件の平和維持派遣団があったとされており、そのうち次の5件の派遣団、すなわち、キプロスにおける1964年以来のUNFICYP、いずれも中東地域におけるUNTSO(1948年以来)、UNDOF(1974年以来)とUNIFIL(1978年以来)、およびインド/パキスタンにおけるUNMOGIP(1949年以来)は、今もなお活動中である。また、1990年代後半には、シエラレオネにおけるUNAMSIL、コンゴ民主共和国におけるMONUCを含め、いくつかの新しい派遣団が創設された。

これらの派遣団の全般的な目的は、軍事紛争の再開を妨げ、紛争を解決することのできる環境を促進することであった。

1990年代には、平和維持派遣団の予防的展開が1件あった。それは、1995年3月にUNPREDEPに改称されたUNPROFOR IIIである。UNPREDEPは、米軍歩兵大隊が存在している構成から見れば、次世代の平和維持に属しているけれども、その指令は、ユーゴスラビアの軍隊がマケドニアを攻撃する可能性について、ユーゴスラビアとマケドニア間の国境を監視すること、ならびに、マケドニアの内部の不安感を監視することに集中していた。

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2.5.2.2 諸活動

伝統的平和維持の主要な作戦上の軍事的目的は、紛争当事者たちを引き離すための緩衝地帯を作り出し占領することに集中していた(イスラエル−エジプト、キプロス、レバノン)。次に、平和維持隊員は通常、軍隊がこの緩衝地帯の外に自発的に引き揚げることを監視し、その後で緩衝地帯を占領し監視した。この監視には、パトロールすること、レーダーなどの専門的な装置を用いての受動的監視、および時には航空機や船舶を使用することが含まれている。これらの活動に関して言えば、監視派遣団に非常によく似ている。

しかし、伝統的平和維持派遣団は通常、ただ軍隊の動向を観察するだけより以上のことを必要としており、以下の活動が含まれている:

  • 停戦違反あるいはその他の事件の取り調べ;
  • 境界の画定を巡る地元司令官の合意を仲介する、というようなよう安定化手段
  • 戦火が突発した場合に停戦を仲介する、というような手段による沈静化の事項
  • 外交関係を持っていない当事者間の対話を可能にすること
  • 平和構築の活動に従事すること。UNFICYPはキプロスで、両方の側からのいろいろなグループ(労働組合、メディア、女性、若者、専門家たち)に、ニコシアのホテルの中で会合するためのスペースと保護を提供することによって、また、そのホテルの中で両方の代表者によるテレビ討論の設定さえ提供することによって、彼らの集まりを促進した。UNFICYPは、両側の拠点を几帳面に訪れることによってコミュニティ内部の接触を促進し、訪問団を組織することによって人々が反対側にいる親類と連絡をとりあうことを支援した(キプロスではこれらの訪問団に90人から1700人の人々が参加した)。これに加えて、もっとも伝統的な平和維持派遣団には、人道的活動が含まれている。すなわち、UNFICYPは、北部領域に住むギリシャ系キプロス人に本を配布し、ある地域ではギリシャ人住民の埋葬を認めるようトルコ系キプロス人に迫り、緩衝地帯での農作業の再開を支援し、救急医療のサービスを提供し、流民を助け、孤立しているコミュニティに水と電力の供給を維持することで助け、長期間にわたって両側の間の唯一の電話連絡 … これはよく使われた … を提供することに従事した。
  • 他の平和維持派遣団では、国連の平和維持団員は、捕虜交換を支援したり、地元の社会的基盤の修理を手伝ったり、地雷原の地雷を除去した。

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2.5.2.3 結果と影響

キプロスの緩衝地帯の中で発生した暴力デモや他の事件をUNFICYPが解決した事例のような即座の結果が、派遣団の報告の中に少なくとも部分的に記録されているが、より長期間にわたる影響を判断するのはさらに難しいし、そのような派遣団についての科学的に完璧な調査研究は決して多くはないと思われる。しばしば、事実ではなく想定が入っているように思われる。すなわち、平和維持についての文献の中では、戦争が再び勃発しなかったという事実はしばしば平和維持派遣団の存在に帰する、とされている。しかし、世界の政治的交渉を扱っている研究者たちは同じ事実を、成功した仲介や交渉、あるいは世界の政治状況における変化などのような他のできごとのせいにするかもしれない。キプロスの状況について熟知しているある研究者は、キプロスにおける平和維持派遣団についての彼の意見を私が尋ねた時、次のように語った。「ご存じかも知れないが、実のところあの派遣団は必要とはされていなかった。キプロス人はあのように分断されていたので、自分たちで緩衝地帯を維持しようとしたでしょう」と。平和維持派遣団が存在していないところでは紛争はあったが、アルメニア人とアゼルバイジャン人の間の紛争地帯であるナゴルニィ・カラバフでは、ロシアの数人の軍事監視団員のプレゼンスのみによって、およそ7年間にわたって今も停戦が保たれている事例のように、停戦協定はなおも守られていた。

しかしながら、忘れてならないことは、平和維持派遣団の監視機能が、現場での即座の状況を越えてエスカレーションを抑制する効果を持っているであろう、ということである。1995年春に、セルビア人の部隊がマケドニアとの国境沿いに集結しようとしているという噂が広まり始めた。UNPREDEPは、自分たちの監視結果に基づいて、そのような事実はないことを確認できた。このようにして状況のエスカレーションを抑制することができた。

伝統的な平和維持派遣団は、決して紛争の解決を目指していなかった。-- 伝統的な平和維持に対する批判が「伝統的な平和維持派遣団は紛争を解決しなかった」と主張する限りでは、そのような批判は人々を誤らせるものだ。何故ならば、そのような意図をまったく持っていなかったからだ。彼らに期待できるであろう最善は、持続可能な紛争の解決策を考え出すための時間を政治家にもたらすために、停戦を保つことである。

なお、撤退する戦略を欠いていたことおよび紛争転換のための素質に欠けていたことが、国連自体によってさらに一層深刻に受け止められた問題である。

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2.5.2.4 成功する平和維持のための条件

四つの主要な条件があるものと思われる。

  • 紛争当事者の双方が、たとえ渋々ながらであっても、停戦受理に同意すること。
  • そして双方が平和維持団のプレゼンスに合意すること。かつ、
  • 平和維持団に協力することに同意していること。
  • 紛争当事者間に明確な物理的分離があること(内戦の状況では合致させるのが難しい条件である)。
  • ローレンス(1999)は、平和維持派遣団が成功するための条件として次の三条件を追加している。
  • 国連安全保障理事会の中での包括的合意が不可欠である。 活動は、明確に国連が指令するものでなければならないし、他国の軍隊が自国内に駐留するかも知れないことに対する反対が避けられることが確認されなければならない。
  • 平和維持団は、政治的に立場をとっていない、と見られなければならないし、どちらかの当事者が協定に違反した時に職権を行使する圧力を加えるための用意ができていなければならない。
  • いかなる武力行使も、自衛の原則に基づいていなければならない。

これらの条件が満たされていなければ、平和維持団が指令を果たせる可能性はほとんどない。レバノンにおけるUNIFILは、レバノンの中でイスラエルの攻撃を一度も防止することができなかったし、キプロスにおけるUNFICYPは、1974年のトルコによる北キプロスの占領を防げなかった。また、クロアチアにおけるUNPROFOR Iは、1992年から1995年にわたってセルビア人分離主義者たちによって維持されていたクロアチア東部の国連保護区域(UNPA)を、クロアチア軍が力づくで再度占領することを止め得なかった。

伝統的平和維持を規定する諸基準(上記2.5.2.1参照)を明らかにする中で、さらに考慮する必要があるかもしれない1つの要素がある。それは軍隊を派遣した国の素性である。平和維持団を組織できる経済力を備えているが、その地域に強い政治的関心や、経済的な利害関係を持たない中堅国家が、より一層平和維持団に適している、何故ならば、問題の紛争の中で中立性を維持することが難しくないからだ、という主張は一見したところでは説得力を持つものである。その一方で、マケドニアにおけるUNPROFOR III/UNPREDEPの事例では、米国の軍隊のプレゼンスが実に重要であった、と多くの人々が考えている。何故ならば、そのプレゼンスは米国の軍事的ならびに政治的権益を表していたからである。それは、平和維持団の素性に関して矛盾した経験内容があることを意味している。一方で、伝統的な平和維持派遣団が政治的に立場をとらない、という理由から受け入れることは、近い将来に利害関係を持つことが考えられない国から派遣されたのだ、という事実から、少なくともある程度は論理的に導かれるように思われる。他方、強力な参加国のプレゼンスは、平和維持派遣団に信頼性を与えるかも知れない(特にその機能が強制執行の指令を受けている本物の軍隊のプレゼンスよりは、より象徴的な抑止力のプレゼンス以上である場合には)という兆候がある。

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