非暴力平和隊・日本

非暴力平和隊実現可能性の研究【第2章 第5節(3)】

第2章 介入における戦略、戦術、および活動

クリスティーネ・シュバイツアー

2.5 軍隊による介入

2.5.3 複合的派遣団

2.5.3.1 特性と目標

伝統的な平和維持派遣団がなおも実行されている一方で、1988年以降、新しい形の平和維持派遣団が配備されて来た。より新しいこれらの派遣団の形式は、その機能と適用そして構成において異なっており、さらに伝統的な平和維持派遣団とは、通常非常に異なった環境で活動していて、紛争当事者の片方あるいは双方が平和維持団に対して敵意を持っていることもしばしばある国内紛争の環境で活動している。

これらの派遣団の主な特性は以下の通りである。

  • 多次元性/複雑さ: 暴力の抑制(平和維持)に加えて、平和構築の課題ならびに時には一つの国を統治する行政権限が派遣団に追加されている。
  • 平和維持団の武装が重装備となり、自衛のためばかりでなく、派遣団の委任事項を執行することを確実にするためにも武器を使用することが認可されている(いわゆる頑強な平和維持)。
  • 「政治的な立場をとらないこと」について、紛争当事者との間の距離を等しくすることを意味してはいない、とする新たな解釈。
  • 強力な国家の平和維持派遣団への参加(米国および西欧とロシアの核保有国を含む ? これらの国々は、冷戦に関連して表裏にわたる利害関係を持っていたために、以前はこの役割への参加を求められなかった)。
  • 現地では、軍隊が人道的援助や平和構築の課題をさらに一層多く引き受けている。

このような変化の理由は主として、派遣団が処理すべき紛争の種類が新しいことにある。すなわち、紛争中の両側よりはむしろ、紛争中の両側には属していないが利害関係を持つ多数の関係者が関わっている内戦、現地で戦争が続くことによって利益を得ている多数の人々(いわゆるスポイラー)がいる内戦、停戦合意が保持されない内戦、その結果として平和維持団員ばかりでなく人道援助の職員に対しても危険度の高い内戦、などである。

さらに注目すべきは、国連平和維持派遣団の2/3(54件中の36件)が、1991年以降に設立されていることである。したがって、派遣団に配備されている平和維持団職員の総数は、軍人についても民間人についても相当多数になっている。国連の平和維持に参加している軍人の数は1988年の9、570名から1994年には73、393名にふえ、同じ時期に、民間人職員の数は、1、516名から、2、260名にふえ、費用は23.04億ドルから、36.10億ドルに上昇した。最近の派遣団には、ナミビア(1989-90)の UNTAG、アンゴラにおけるUNAVEM IIおよびIII とMONUA (1991年から現在まで)、エルサルバドルにおけるONUSAL (1991.-1995)、カンボジアにおけるUNTAC (1992-93)、クロアチアとボスニアにおけるUNPROFOR IとII (1992-1995)が含まれている。

ルワンダとソマリアでの派遣団の大失敗、そして特に1995年のボスニアで、国連が保護していた2か所の領地がセルビア人勢力によって蹂躪された時、冷戦終結の後に感じられていた国連平和維持派遣団に対する熱意は急激にしぼんでしまった。1995年以降、その数は急激に減少しているが、1999年と 2000年には、より大規模な四つの派遣団(コソボにおけるUNMIK、東ティモールにおけるUNTAET、シエラレオネにおけるUNAMSIL、エチオピアとエリトリアにおけるUNMEE)が新たに始められており、数値的には、まだ1980年代の数字よりもなおもかなり多い。2001年3月現在で合計15か所で活動がおこなわれており、軍人と民間警察38、905名、国際的民間職員4、048名、地元の民間人職員7、587名となっており、2000年7月1日から2001年6月30日までの推定費用は26億〜30億ドルの間である。

多次元で頑強な派遣団の一時期の後、今では平和維持派遣団の方針に変化が現れている。ソマリアとルワンダ、そしてボスニアでのUNPROFORの大失敗の後、国連は今や「大規模な軍事的執行(強制)活動を指揮する能力に欠けている」ことを認識して、現地での事前の停戦合意なしには平和維持派遣団を決して配備しない、という昔の原則に立ち戻ろうとしている。このことは、かならずしも平和執行(強制)の考え方(以下参照)をあきらめたことを意味してはいない。将来的には、すでに1994年にハイチで、1995年夏にボスニアでなされたように、国連加盟国あるいは他の同盟国軍(NATO、CISなど)が、停戦のための軍事的執行(強制)に取りかかるように思われる。 NATOは、1999年のユーゴスラビア爆撃(認可されてはいなかった)の後、ボスニアおよびコソボにおける国連平和維持派遣団の代わりとして停戦後の監視の役割を引き受けている。

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2.5.3.2 軍事行動

1988年以降の平和維持派遣団の間にはそれぞれ違いがあるので、伝統的な派遣団のようにその活動を一般化することはそんなに簡単ではない。国連の前事務総長のブートロス・ブートロス・ガリは、「平和へのアジェンダ補遺」の中で平和維持の新しい課題を次のように一般化した。すなわち、「停戦の管理、軍隊の再編成と解散、兵士たちを市民生活の中に再度組み込むこと、および武器の破壊、地雷除去の計画と実行、難民と流民の帰国、人道的援助の提供、既存の行政機構の管理、新しい警官力の設立、人権尊重の検証、そして憲法・司法・選挙の改革の管理、選挙の管理と組織化ならびに指揮、経済の復興と再建のための援助に対する協力」である。これがカンボジアにおけるUNTAC(1992-93)に課せられた指令であった。

他の派遣団(ソマリア、ボスニア、アルバニア)は、人道的な支援をおこなう、あるいは人道的支援活動を保護するなど人道的活動に集中した。

より詳細な説明については、本章の付録にある二つの事例、カンボジアにおけるUNTAC(1992-93)およびクロアチアとボスニアにおけるUNPROFORを参照されたい。本章の以下の節の中ではそれらの事例に言及します。

これらの複合的派遣団の中での民間人の役割については次節の中で詳細に観察することとする。ここでは、この種の派遣団の中で、軍隊が平和維持および強制執行の手段として果たす役割について要約する。少なくとも理論によると、「自立している安全な環境を作り出す政治的、社会的、そして経済的変化を支援すること」が(民間の)平和構築団の課題だ、とされている一方で、複合的活動における平和維持軍の第一の課題は「平和構築のために安全な地元の環境を維持すること」である。国際社会が、平和維持軍をいつまでも滞在させようと望まない限り、あるいはそのような軍隊が任地を離れた後で紛争が再発することを許容しない限り、そのような環境だけが、平和維持軍に用意されている撤収を提示する。歴史は、平和維持軍および平和構築団は、複合的作戦の中では不可分のパートナーであることを教えた。「平和構築者は平和維持軍の支援なしには機能を果たすことはできないだろうし、平和維持軍は、平和構築者の活動なくしては撤収できない」。これらの課題は詳細には以下の通りである。

  • 紛争地域をパトロールし、活動を監視することによって、国連の存在を確立する。
  • 小さな事件を沈静化し、停戦違反を調査するというような手段によって、停戦を観察し、監視し、管理する。
  • 緩衝地帯を維持する。
  • 敵対勢力の武装を解除する。
  • 武装解除を管理する。
  • 侵入を防ぐ。
  • 内乱を防ぐ。
  • 安全保障協定を確かめる。
  • 封じ込めを監督する。
  • 境界の画定に関する協定を仲介するような手段によって安定化対策を確立する。
  • 外交関係を何も持っていない紛争当事者の間で情報を伝達する。
  • 地雷および不発弾を除去する。
  • 軍隊をトレーニングし、改造する。
  • 法と秩序を回復する。
  • 好戦的な当事者を強制的に分離する。
  • 安全な地域を設立する。
  • 移動の保証あるいは否認、たとえば、封鎖あるいは飛行禁止空域の強制執行。
  • 制裁の強制執行。
  • たとえば、武装した護衛者を提供したり、護衛されている護送車隊にまとめる、などにより、援助物資の配送や他の人道的活動を物理的に安全保障する。
  • 難民キャンプの物理的な安全保障。
  • 群衆コントロールや戦争犯罪人の逮捕というような警察機能の実施(例: ボスニア、コソボ)。

これらの伝統的な軍事課題の他に、人道的支援を中心に集中している多くの活動と課題がある:国連軍は北部イラクのクルド人に人道的援助を提供したし、 NATOの軍人たちはマケドニアで難民キャンプを建てた、また、国連軍のドイツ兵はソマリアで井戸を掘った、そして、ボスニアではSFORの兵士は学校の建設にかかわっている。 通常、軍隊によって引き継がれた人道的課題には、以下の項目が含まれている。

  • 非常食の分配や、難民用宿泊設備の建設、および基本的な水と衛生設備の提供のような直接の人道援助の提供。
  • 日常の巡回活動の間に見つけた即座に必要とされているものを貯蔵するよう人道援助機関に警告すること。
  • より長い期間の救援と開発プロジェクトにおいて人道援助機関に援助すること。
  • その機関が自由に、かつ、効果的に活動できる条件を作り出すために、敵対勢力と交渉すること。

これらの活動のいくつかは、指令の一部であるよりはむしろ、現地での軍人による自発的なイニシアチブの中で始められるかもしれないが、いくつかの事例では、人道援助は指令の一部としてなされている。

その理由は、軍隊が「災害が襲った時に、最も不足しやすい生活用品である正にその物資を、たいていは豊富に持っている。その物資というのは、輸送、燃料、コミュニケーション、商品、建設設備、医薬品、および規格品の食糧の大量の備蓄だ」ということである。軍隊だけがそれを果たせる唯一のものである、という事例なのであろう。救助機関は「突然襲った危機による突然の要求にうまく対処するための十分な人数がいない、または治安環境の不安定さのため活動することができない」。無視できないもう一つの側面は、海外に派遣された軍隊の活動により、帰国後に作られた肯定的なイメージである。特に海外派兵の役割と費用について公開論争がおこなわれる国では、政治家と軍幹部は、人道的活動について宣伝するのが有益であることを見いだした。
ハンセンはコソボでそれを観察した。「互恵的資金が、人道的活動や再建活動のために、好感を持たれているKFOR の代表団に提供された … 必要に応じてではなく、地元の状況の正しい認識もなしに、的外れの政治的行動計画が、時には重大な否定的結果を招いたKFORの人道的活動への配分を決定している」。サイプルは、軍隊が地元住民から受け入れてもらうために、人道的活動に従事する、という戦術的な理由が時にはあると指摘している。

これらの派遣団の複雑な特質の結果として、増大しつつある民間と軍隊の協力の重要性が、いわゆるCIMIC計画の中、ならびに、合意を築きあげるに当たっての軍隊の関与と同様に、戦術レベルで軍隊と人道的活動の間の協力を強化するために特に責任がある軍隊を使用する中に反映されている。たとえば、ボスニアではCIMICの最初の焦点は、緊急の人道的救援と捕虜の開放であった。その後、選挙と人道的支援、インフラストラクチャの再建と長期計画の再構築に、そしてそこから、帰還の第三段階、再建、設備投資、一層の選挙支援および市民団体の設立へと移行した。CIMICユニットは、NGO、世界銀行、国連のボスニア派遣団、OSCE、高等代表者事務所、と共に活動した。

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2.5.3.3 結果と影響

詳細に調査した2つの派遣団のどちらも、軍事的な指令に関しては、すばらしい成果を収めたとは言えない。カンボジアにおけるUNTACは、すべての分派の軍隊の武装解除と宿営地の指令をやり遂げることができなかったし、ボスニアにおけるUNPROFORは、約束した安全な避難所を提供することができなかった。

ともかく全般的に成功した派遣団がこれまであっただろうか? 著者たちのうち何人かは、1989年から1995年までの間に、国連の派遣団の助けによって内戦が終結した少なくとも3つの事例を挙げている:それは、ナミビアとエルサルバドルおよびモザンビークの事例だ。他の三つの事例には、中期的に見て成功が疑わしかったり、完全に失敗した派遣団: ルワンダとアンゴラおよびカンボジアがある。そして、実行面での失敗は破局的な結果を招いた:すなわち、アンゴラとルワンダでは、平和協定が失敗した後で、以前の数年間の戦争の間よりももっと多くの人々が死んだ。

軍隊の人道的活動は、特に議論する価値がある。軍隊の物資供給面における利点は疑うべくもないが、軍隊は通常、人道問題の危機を取り扱うことについて特定の知識を持ってはいない。それは役に立たない場合もあるし(たとえば、ルワンダで、米軍が水の浄化装置を据えつけたのだが、必要な水量を供給できないものだった)、無駄な場合もある(ドイツ軍はソマリアで井戸を掘ったが、ドイツには、その仕事をはるかに迅速に、しかも効率的にこなせる設備と専門技術を持っている特別な国家機構(Technisches Hilfswerk技術的救済事業)があるのだ)、そして、NGOの活動との直接競争 … これは多くの西側諸国によって支えられている補完原則に合致していない … に自ら踏み込むことになる。それは今日では多くの組織が同意している人道救助における最低基準を満たしていないことがしばしばある。軍当局は、より広範囲の人々に対する派遣団の活動の影響を潜在的に見落としているのかもしれない。

提起されるもう一つの問題は、武装保護が人道援助の輸送を本当により安全にしているのかどうか、あるいは援助組織を正当な攻撃目標に変えてしまって、かえって危険を増加させているのではないか、ということである。特に第VII章の派遣団では、ソマリアでの経験が示したように、このことがたぶん問題なのだろう。援助組織によって試みられた代替手段は、彼らの活動に対する広範囲にわたる受け入れを獲得すること、あるいは上述のような個人的に作り上げた安全保障の手続きと「袖の下」によって脅威を減らすことを含んでおり、それらのいくつかにも問題は残されている。

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2.5.3.4 複合的派遣団の中で成功する平和維持のための条件

成功した複合的平和維持派遣団のための条件の問題、および非暴力的介入のために学んだ教訓は、これらの派遣団に対する民間人の貢献度を調査した後で、さらに詳しく取り扱かうことにする。それでも、国連自体と他の国連派遣団の専門家たちはいずれも、複合的派遣団の軍隊の役割に関して学んだ多くの教訓に同意するものと思われる。これらは、主に指令の問題(「明確で、現実的で、実際的であり、実行のための必要な手段を備えている」)、計画、調整、トレーニング、兵站その他に関係している。これらの問題はこの研究の第5章で扱うこととする。 ここで注目に値するのは、「頑強な」平和維持に対する認知されている必要性なのかもしれない。それは、「一旦配備されたならば、国連の平和維持団は、頑強な交戦規則にしたがって、専門的に、首尾よく彼らの指令を実行し、和平協定に対する彼らの関与を否定しようとする人々、あるいは、暴力によって和平協定を切り崩そうとしている人々に対して、自分たち自身と他の派遣団要員を防衛し、派遣団の指令を遵守することができなければならない。」というものだ。

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