非暴力平和隊・日本

非暴力平和隊実現可能性の研究【第2章 第8節】

第2章 介入における戦略、戦術、および活動

クリスティーネ・シュバイツアー、ドナ・ハワード

2.8 結論

「誰も他人の平和を‘創り’‘維持し’‘強制’することは出来ない。人々と社会はそれぞれの平和を築く為の諸条件を作り出すことである。」

2.8.1 はじめに

冒頭のモットーは紛争介入の可能性をあらゆる角度から検討する際の出発点でなければならない。部外者が出来ることは平和を追求している人達を支援することであり、次に考察される全てのアプローチと戦略はこのことを念頭に置いて読まれなければならない。紛争の当事者のみが究極的にそれを解決することができる。NPの行動指針表明で“地域のグループの間でスペースを作る”と言っていることは、この考えを反映したものである。

NPの目標は次のように述べられている:

  • 既存の平和チームや平和活動団体を含めた他の諸団体と一緒に、第三者による非暴力介入の実効性を著しく高める為に理論と実践を開発する。
  • 第三者による非暴力介入のために、訓練され何時でも派遣できる要員の数を全世界的に著しく増加させる。
  • 少なくとも200名の現役、400人の予備要員、500名の支援者で構成される常置部隊を作り維持するに必要なサポート体制を作る。
  • 紛争状況にある所に複数の大規模な第三者による非暴力介入チームを派遣する。

この章では、即ち紛争の行方に影響を与えるために紛争地域に人を送るという一つの共通の目的を持って紛争介入を行っている異なった種類の団体について調査、検討がなされている。幾つかの団体はNPの前例と考えて良い?ピース・チーム、市民平和活動、大規模な市民ミッション等、NPの目標の全ては網羅していないにしても幾つかは共通している。例えば、最初の二つの目標は他の平和チーム団体では明記されていない−―もし共有されているとしても、それは暗黙であるか団体の内部だけのものである。市民平和活動(CPS)は最初の二つの目標を共有しているかもしれないが、ようやくプロジェクトを立ち上げたばかりである。開発活動は普通は個々人を送るだけであり、人道支援団体はより多くの人を送るが短期間である。大規模の市民ミッションは最も近い前例であるが、それらの幾つかは短期間であり他は多分軍事ミッションにより近いものであり、非暴力を標榜するNPは、それらのミッションが非暴力にベースを置くことを望むだろう。軍事力をベースにした複合的ミッションの枠組みで働いている民間人は、武装した平和維持部隊の保護を受けているが、このことはNPの平和主義的アプローチに矛盾するので多分NPとしては受け入れないであろう(?)。

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2.8.2 必要性の存在

一方では様々な平和チームや市民平和活動プロジェクトがあり、他方では国連や他の政府系ミッションで民間人が働いているのを見ると、紛争地域で多くの人々が必要とされていることは明白である。国連やOSCE共に能力を備えた民間人の募集と定着の問題を抱えている。平和チームやCPS団体の代表ももし要員が与えられればもっと多くのプロジェクトを立ち上げることが出来ると言っている。紛争転換にまで仕事を広げようとしているヨーロッパのCPSの動きや開発或は人道的援助団体の傾向もそうだが、やはりこの必要性を示している。

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2.8.3 平和戦略の選択

調査は、紛争状況での大規模な第三者の非暴力介入チームには異なるアプローチと可能性があることを明確に示している。平和維持活動と平和構築活動において、我々は主として二つの戦略を再三再四事例に見つけた。

我々は平和維持の中に異なったタイプの活動を仕分けした。: 国際社会を背景とした同行、プレゼンス、監視、割り込み、そして擁護である。これらのほとんどは、もし好戦的な人達によって平和が維持されなければ国際的な圧力の恐怖や、或は、その他のマイナスの結果に基づいている。しかし、必ずしもそうでないことは、暴動の際には割り込みをしながら日々のプレゼンスと平和構築活動を行った Chanti Sena が示している。2.6項で議論されたように、非暴力平和維持活動は国際的圧力以外のその他の要因や力に頼るとこともある。

平和維持ミッションは異なる依頼者或は目標とするグループを持っている:地方の活動家、大勢の人々のグループや少数民族のようなそうした類のグループ、或は介入するぞと脅している第三勢力。

国際的圧力の抑止力に多く依存していいる戦略をとるプロジェクト(多くの小規模の平和チームがその傾向があるが)は、次の二つの設問を考慮する必要がある:

  • 一般的に、この威圧はプロジェクトが欧米人中心に依存している場合にのみ働く、何故ならこれら諸国は圧力をかけることが出来るから。そのことは、この戦術が従来の力のインバランスを利用していることを意味し、保護する為に新植民地政策への依存や、そして同時に、しばしば、人種差別主義的態度を意味する。これらの不公正な構造を克服すると言う目的と矛盾することはないか?
  • 国際的圧力とは時により曖昧な概念であったりするが、軍事介入というような非常に具体的な威圧を意味することもある(コソボのKVMを見よ)。どのような種類の圧力が行使されるカは非暴力プロジェクトの手から通常は離れている。それ故、プロジェクトをスタートする前にありうる圧力の性格を想定し、計画されたプロジェクトの成果が起こりうるコストを上回っているかどうかを決定する必要がある。

割り込みについて更に突っ込んだ検討が必要である。非武装の監視員が積極的に暴力の暴発の防止に努めた多くの小規模なケースがある(南アフリカの事例を見よ)。又、古くからの平和維持活動はプレゼンスを強化し、バッファーゾーンや休戦ラインを監視することで新たな戦争の勃発を抑制することである(割り込みのケース)。即ち、割り込みそれ自体が有効な戦術でありー2.6項で議論されたようにー非暴力ミッションによっても採用されうるものである。

Moser-Puangsuwan/Weber or Rigby が、割り込みは機能しないと言うのは、彼等は割り込みの特別なケースに付いて言っているのである:自分たち自身をバッファーにすることによって戦争を止めようとする試み、平和強制戦略である。自分たち自身を最前線に中において戦争を止めようとする試みは過去全て失敗した。非暴力平和隊によってこれが成し遂げられたと言う報告はないし、軍事介入が含まれるときには明るい展望は描かれない。又、明確に線引きできるような最前線などほとんどないことが考慮されるべきで、又、仮にあったとしても上空を飛ぶ飛行機がある(そして、非暴力抗議者の頭上を)。(後者については日中戦争に平和隊を組織して介入を試みたMaud Roydonが既に1930年代に当面した議論である)。

Andrew Rigbyの意見によれば、割り込みはいわゆる“犠牲的非暴力行動”と称される非常に極端な形ののもので、ごく少数の意志の固い宣教師たちによってのみなしうるものであると。これはほんの少数の真の信仰者のみが持っている高い信念と勇気を必要とする。もし活動家が彼らの努力を身体を張ることに極限するならば、彼等の行動は無意識のうちに、何かをしなければと思いながら最前線で身体を投げ出すことまでは出来ないでいる大多数の人々の無力感を起こさせることになる。もし、多くの人達がRigbyと同じように考えるなら、NPが割り込みを平和維持活動の一つの戦術として使用しようとするならば、反戦運動に携わる多くの人々の意欲を削ぎボランテアは恐れ去るであろう。

Moser-Puangsuwan とWeberは彼等の割り込みの検討結果を要約して、ボランテイアを割り込みの理想に一層近づけるメリットはあるが、そうするに足る説明と説得力に欠けることを認めている。彼らは資金、物流、通信、ボランテイアの質、量、国際的信用度、チーム内での目的の統一、更には何が達成できるかについての非現実的な期待などの諸問題をあげている:“これまでの試みの分析結果と物理的な効果による判定に基づいて行われた非暴力非武装の戦略的大規模な割り込み的平和維持活動の評価は、このような考え方が現実的でないことを示しているように受け止められる。経験の分析はこのアプローチは修正されるべきであり小規模な戦術的介入のようなこのテーマについての他のヴァリエーション、特に非暴力監視や同行イニシアチブの形、がもっと完全に開発されるべきである。"

今日よく見られる戦争、内戦、への介入は平和維持活動ミッションが行っていることに非常に良く似ているに違いないー全体に展開させる。問題の戦争が極めて激しくどちらも停戦を望んでいなければ、非武装の組織が紛争地域にアクセスすることはほとんど可能性がないー多くの平和軍がこれまで試みた経験である。その様な状況下では非暴力介入は多分何らの展望も無いだろう。

この章の著者の一人が非暴力平和強制プロジェクトにチャンスありと判断できるのは、問題になっている戦争が実際の戦闘行為はわずかで、むしろだらだらと続いているような場合のみである。その様な場合には、現場に入り込んだり、現場を動き回ったり、起きうることに影響を与えたり出来るチャンスが高い。

もし、少なくとも紛争の一方の当事者が停戦に関心を持っていれば国際的介入者たちの仕事は他方の当事者が戦争を継続するよりも平和の方が得になるという状況を作り出すことであろう。この場合、全てのレベルで異なった役割をになった活動家たちによる紛争解決活動と共同して、平和維持活動の様々な機能が現場で目に見える形で実践されていれば望みなしとはいえない。他方、これはリスクの高い事業であり成功のチャンスは多分問題の紛争いかんにかかっているだろう。理論的には、非暴力活動家たちは

  • 仲介により;影響力のある第三者を巻き込むことにより;戦争より平和を魅力あるものにする(経済援助プログラムなど)平和構築の活動家たちと手を結ぶことにより全ての当事者に武器を放棄するよう納得させることが出来るか、或は
  • 制裁処置或はボイコットにより;好ましくないような国際世論を形成することにより或は個々の兵隊の戦闘継続の意欲を弱めたり(市民防衛の方法)することにより戦争継続のコストを高くすることも出来る。

NPに対して何が言えるかについては、ドナ・ハワードとクリスティーネ・シュバイツアーは結論を異にする。クリスティーネ・シュバイツアーは少なくとも当面は、高いリスクと成功のチャンスが低い非暴力手段による平和強制の考えは捨てて、より成功の見通しのある戦略に集中すべきと提案している。ドナ・ハワードは二つの理由から介入的平和維持活動の考えを捨てない方が良いと提案している。その理由 (1) 未だ現場で試みられたことがなく従って失敗したこともない (2) 軍事的平和維持活動に代わる選択肢を証明することはNPの一つの暗黙の目標である。

紛争解決:民間による介入は常に紛争解決の役割-枠組みを作り平和への過程を前進させるハイレベルな役割(エルサルバドル、ブーゲンビル、南アフリカ)と局地的/地域的な或は部族的な事件の場合に交渉する現場レベルの役割-も備わっていると思われている。ハイレベルの紛争解決は、ここでは概ね対象外である。それは主として政治家や高度の専門性、尊敬や信頼を必要とするが故に非公式な調停を得意とする少数の著名な人たちやグループに委ねられる。大規模な介入を目的としたプロジェクトでは、その様な活動を提供する人たちやグループについて知っておくことは必要だが、多分自らかかわりを持つべきことではない。

NGOによる調停や交渉は主として地方、地域或は部族レベルで行われ、大半はグループが自ら設定した主たる活動や目的に付随したものである。この種の紛争解決は、言ってみれば異なる活動家との交渉であり時には紛争勃発の調停であるので、平和構築活動であれ平和維持活動であれ任務の一部であるべきである。

平和構築:我々が調査したところでは多種、多様なアプローチや考えがある。小規模な介入者による典型的な活動は次のようなものである:多民族或は多地域の社会福祉事業、地域グループや市民社会開発の支援、紛争に関連したスキルの訓練、教育、精神―社会支援、“社会再構築”プロジェクト、緊急な社会復帰援助、開発援助、選挙監視、戦争犯罪調査を含めた司法制度の支援。

より大きな規模のミッションは通常、最終的に国政選挙にまで至る民主化のプロセス全般を監視し、助言するようなより複雑な仕事を引き受けることもある:既存の政治の諸制度の見直しを手伝い、国民の和解を促進し、選挙プロセスのあらゆる局面、段階を監視、実証し、プロセスの技術的助力を調整し、選挙プロセスについて一般市民を教育し、草の根民主化組織やNGOの発展を手伝い、独立したメデイアを支援する;人権について促進し教育し;人道的援助(食料やその他の緊急援助物資)の配給のような人道的仕事を引き受け、難民帰還プログラムを遂行し、家を失った人たちに住む所を用意し、元戦闘員が元に収まるよう支援し;警察や、時によっては軍隊の訓練や再構築の支援に貢献或は自ら行う。

平和戦略の組み合わせ:覚えておかなければならない一つの重要な教訓はこれら全て三つの戦略が如何なる紛争においても同時に用いられなければならないと言うことである。“紛争解決のない平和維持活動は結局は単なる見せ掛けのものに過ぎない”ということは疑いもなく全てについて実証される。紛争解決と平和構築の必要な局面が整えられる前に平和維持部隊を引き揚げることは、暴力の目を覚まさせることになり無責任であろう。これらはお互いに手を携えて行われる必要があるが、同じ人たちでなければならないということはない。

民間プロジェクトの数件のみ同行か監視のいずれかに焦点を当てて平和維持活動を行っており(PBI、CPT、南アフリカミッション)、更に幾つかが監視活動か同行と平和構築活動を組み合わせた活動の方向にあるようである。これを称してEgurenは、第三者による介入の一部の役割を担った“国際監察員の拡大された役割”と言っている。

交代業務と開発業務に関しては、この種の支援を平和構築活動から切り離すべきとの意見がある。理由としては、それらの業務がチームの時間を取り過ぎるとか、多くの他の団体で行われているとか、直接的に暴力を減少させるものではないし、いわゆる勢力と言われているものに対抗するものではないとか、そして、これらは一種の植民地主義ー地域の人たちが自らの進歩のためになすべきことを西欧の部外者たちが彼らの考えでその地域を侵略しているーとかである。この反対の議論は、開発や交代活動は状況への入り口を提供し介入者の信用を増大させると言うものである。

多くの成功例はあるが多岐、多様にわたる戦略や戦術を一つの組織で行うべきではない。MuellerとBuettnerの研究を参照し、我々は大変良く連携された団体のグループならば特別な役割を引き受けることが出来ると提案する。もし、NPが、例えば、平和維持活動(そしてそれに適切な幾つかの戦術)に焦点を絞るとすれば、NPが暴力の減少に従事している間、又、NPが引き揚げた後、その他の必要な機能を提供できる団体とのリンクをきっちりとつけておくことが必要である。

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2.8.4 どの様な時にプロジェクトは紛争に影響を与えるチャンスがあるか?

平和に利害を持っている:停戦後設営された平和維持ミッションにとって絶対とも思える一つの条件は紛争当事者達が本当に平和を欲しており協定が守られることを望んでいることである。一つの当事者が平和に利害を持っていない場合、この当事者の行動に影響を与える手段は限られてくる。

国際社会の圧力への感受性:もし停戦合意がなかったり或は阻害する強い要因がある場合、その様な状況の下である程度の成功を収める条件は紛争当事者達が国際的な支援に利害を持っており何らかの関心を払ってもらいたい場合である。彼等は国際世論に注意を払う必要があるか或はその他の理由で影響を受けやすいからである。このような状況である時、当事者の一つが平和に関心を持っていなくても平和維持ミッションにチャンスがある。この問題は暴力が私的なとき特別に重要であるーもし、コロンビアのケースのように当事者が組織犯罪と密接なつながりを持っているとか。しかし、1990年代の何年間のユーゴスラビアの様に(コソボのBPTの経験やチェチェンのピース・ウォッチのプロジェクト参照)或はスリランカのタミル・タイガーが未だにそうである様に、武力による政治運動や国全体が明らかに国際的圧力に無関心である時はまた問題である。

武装した犯罪者達の暴力行為を規制するその他の要因がない:非暴力介入を行う前に、国際的な反対を無視してでも武装した当事者間の闘争のルールが殺戮を要求したものであるかどうかについての十分な評価がなされなければならない。もし、非暴力の状況においても殺戮が許される状況であれば、殺戮を防ぐ為に非暴力手段を使うことはうまくゆかない(2.7項、非暴力が失敗する時、参照)

紛争のタイプと拡大のレベル:調査したプロジェクトを見ると、大部分のプロジェクトは暴力紛争がかなり進行した後で始められたようである。戦争に拡大する前の段階で始められたプロジェクトはほとんどない、勿論停戦が合意された後で始められたケースは多いが、これらは抑止的な役割も持っている。暴力が拡大する前に動き始めたプロジェクトの大半は多分、平和構築の分野では開発機関により、予防的外交/紛争解決の分野では政府によって行われたものである。政府の活動に関しては、OSCEによる長期のミッションはこの範疇に入り、そして、唯一つの平和維持軍の予防的派遣のケースがある。

過去十年間ではその様な紛争は通常内部紛争であった。

暴力の拡大の恐れがあるがまだ実際には起こっていない地域でのプロジェクトへの注力を緊急に行う必要があると考える。

暴力紛争が起こっている時にどのようなプロジェクトが可能かは紛争の激しさによる。“戦時は非暴力の時ではない”という一般の想定はよく聞かれる意見ではあるが、戦時下でもそうしたプロジェクトが行われている幾つかの事例はある。しかし通常、これらは戦闘が限られた地域であったり(PBIが同行プロジェクトを行っているスリランカのように)或は戦闘が激しくない(平和キャラバンや平和行進が行われていたボスニアでの大半の時)たぐいの紛争の場合であった。

国境をまたがる介入のみか?収集したケースの過半数は国境をまたがる介入である。しかし、数は少ないが介入者自身の国内或は地域内での活発な活動のケースもあり、その場合の成功の確率はむしろ高いと言うことは注目に値する。従って、地域の理解により注意が向けられるべきで又、最もインパクトを与えうる所はどこかを見極める努力が更に必要である。Shanti Senaは国際的な介入について合意することは出来なかったが、インド内での数多くの暴力事件を非常に成功裡に処理したと言う事実から学び得るところがあると思う。

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2.8.5 なされるべき政策決定

政治的立場をとらない或は連帯:中立の立場は非暴力介入者によって通常とられるスタンスである。しかし、このようなスタンスで公平な仲介者として受け入れられる場合、ミッションはしばしば諸問題に当面する。政治的暴力或は戦争犯罪の調査や人権問題の仕事など、中立的立場にはなじまない活動もある。政治的合意の実施の為に働くこと(南アフリカの選挙のような)は、他方がこの合意そのものに反対しているのであるからミッションは当初は一方の側につくことになる。それでも、多くのプロジェクトはこのような疑いを克服する手段を見出し当事者全ての尊敬を得る。

中立を保つプロジェクトには幾つかの例外がある:全ての平和チームの団体が性格において又主張において中立的立場であるわけではない。 CPTのように幾つかの団体は、中立的立場を表明しているが、同時に彼等は犠牲者と看做しており又共通の強い絆(St Heleneの敬虔なカトリック教徒やHebronの敬虔なムスリム教徒やユダヤ教徒との意思疎通に役立っている宗教的な基盤…これが彼等の仕事に大きな助けとなっている)をもっている人達との連携のもとに仕事をしている。同じことはボランテイアのアイデンテイテイや出身地についても言える。国際的な圧力の威力を頼りにしている多くの非暴力プロジェクトはヨーロッパ人や北アメリカ人に大きく依存しているが、これは彼等がこのような脅威を与える唯一の人達であるからである。

他のケースでは、中立的立場の主張が、より独立した観点から団体の仕事を観察して確認できるかどうかの議論がなされる。この問題は、団体の主たる活動が地域の活動家の同行にある場合(PBIのように)特に再三再四議論されてきた。幾つかのCPSプロジェクトで、現地のパートナーは紛争の何れかの当事者側にプロジェクトを位置づける可能性があるとの理由で現地パートナーの同行の要請を断ったことは、現地パートナーを一つだけ持つことと中立性を保つことの間に軋轢が生じる可能性があることを示している。一つの解決策は、もし紛争状況が許すならば、非暴力介入を歓迎する紛争の両当事者から現地パートナーを選ぶことである。

何も害を与えない(Do no harm):NPは多分緊急人道的援助にも開発プロジェクトにも携わらないであろうが、これらのプロジェクトや団体から学ぶ教訓のうち何を将来のNPの仕事として移植されるべきかについて十分に考慮されなければならない。これは、Do-no-harmアプローチによって開発された警告や提言について特に言える。リソースの活用から始まり撤退条件で完結するまで暗黙の倫理的メッセージの大部分はそのまま移植されうるものである。しかし、戦争の直接支援に関する事項も又考慮されなければならない。

資金提供者がプロジェクトの形と焦点に影響を及ぼす:資金提供者は彼等が特別な利害を有する紛争地域のみに資金を提供するかもしれない;彼等はプロジェクトがどうあるべきかについて彼ら自身の考えを持っている。もし彼等が政府か政府に関係していれば、彼等は既に彼等がリソースをつぎ込んでいる地域にいるミッションに資金提供することを選考するだろう…そしてそれは往々にして軍事ミッションが設営されている地域を意味する。

複合ミッションにおける仕事の分離(役割分担):安全な環境を提供する業務の国際平和維持部隊が現地に展開すると同時に全ての関係者は、好むと好まざるとに関わらず、仕事の分担の問題に当面する。それは実際のCupertinoと言うような問題ではない:協調性の欠如について色々不満があるが、軍は通常協調性には全く関心を持っていない。しかし、非暴力介入者たちは、彼等が国際ミッションの全体の戦略によって定められた枠組みの一部である事実を受け入れる必要があり、それに対応していく方法を見つけなければならない。団体の全般的なアプローチや目標にもよるが、軍の存在に対応するには国際ミッションからは独立しているというシンボルを見つけることを意味するだけだ(例えば、軍の護衛を使わないとか、違った種類の車を使うなど)。もし団体の目標が軍事介入に代わるものだとの事例を示すことであれば、問題は一層複雑になり、唯一の打開策はその様な状況からの撤退であるかもしれない。

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2.8.6 実行時の問題点

全ての関係者とのコミュニケーション:NPがやろうとしている総べての考えられる活動は―同行、プレゼンス、監察や監視、割り込み或は平和構築活動であれ−対抗している両(全ての)当事者と国際社会とのコミュニケーションの強さによって効果的であり安全であるであろう。この点での強さはチームが現地に入る前に確立されていなければならない。

加えて、現地のチームは彼等が働く地域の住民と良い関係を作るのに特別な努力をする必要がある:すべての民間のミッションは安全について地域の人々に頼らざるを得ないので良い関係を構築し信頼と受け入れを勝ち取らねばならない。人々を単に離しておくだけでなく、民間の平和活動家は彼らを仲直りさせる必要があると思えるし、少なくとも彼ら自身が当事者間を繋ぐ役割をする必要がある。その地域の背景を知り、その社会にベース(拠点)を持つことはミッションにとって大きな有利性となることは実証済みである。

十分なタイミング、人数と機材:訓練の行き届いた十分な人数の要員と十分な機材が整っていることが必要である。ハイチのCFJ証人の部分で、キャシー・ケリーは、より大きなプレゼンス、即ち外国人による15から20グループのハイチ全土への展開、があったならば、クーデター後の34ヶ月間のテロの抑制にドラマチックな違いをもたらしたであろうと言っている。同じことは多くの異なった戦争についても言えることだ。他方では、より規模の大きなミッションは少人数のチームを全国に展開することで、より大きな地域をカバーすることが出来、そして、とにかく数がものを言うのだと言うことを示している。政府系ミッションの派遣事例などは、紛争がある段階に達した時、通常停戦合意の時だが、すばやい派遣が重要であることを示しているーしばしば、相手方が出る機会を失うためー。余り長く待つことは他の勢力が再編成されることを意味し、停戦が再び破られることになる。又、機材が十分でないことが使命の達成の重大な妨害となるー無線機材が無かった南アフリカの事例を考えてみよ。

内戦の際の派遣のやり方:すべての成功事例は、要員を小さなチームに分けて連携を取りつつより広範囲な地域をカバーするように派遣している。このような状況の時にはまとまった部隊の考えは捨てるべきである。もしNPが従来のタイプの軍事平和維持ミッションに代わって停戦ラインや緩衝地帯の監視を行う目的とする際にのみ、軍隊的な大量の部隊のモデルが考慮されるべきである。

ミッションの期間:どちらかと言えば短期間の仕事の範疇である選挙監視の仕事を除いて、他のほとんどのミッションは数年間の継続するすることになる。もし撤退戦略があるとしても、即ち現地で恒久的な平和に向けたあらゆる分野での平行した前進がある場合、平和維持ミッションは数年間留まることが必要であった(エルサルバドル、ブーゲンビルを見よ)。あまりにも早い撤収はそれまでになされた建設的な努力を無にする恐れがある。

ボランテイアの滞在期間:単純な監視活動の場合チームは数週間の滞在のみで良いと思われるが、ほとんどのミッションは、より包摂的な使命を完遂するためには最低6ヶ月は必要であることを認識する;多くは1年ないし2年が必要と判断する。これが、他の大半のミッションでの監視活動の平均滞在年数である。

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