非暴力平和隊・日本

スリランカ総選挙(2004年4月)の選挙監視活動報告

David Berrian

以下の文章は、2004年4月に行われたスリランカの総選挙の際、選挙監視ボランティアとして活動した非暴力平和隊アメリカ人会員のデイヴィッド・ベリアンさんが書いた活動報告(原題:Sri Lanka Election Marks Nonviolent Milestone)を、ベリアンさんと同じようにこの総選挙の選挙監視ボランティアを務めた非暴力平和隊・日本の小林善樹さんが日本語に翻訳したものです。

英語の原文は国際事務局のウェブサイトの下記のページでご覧いただけます。
http://www.nonviolentpeaceforce.org/english/srilanka/SLP-4-20-04.asp

スリランカの選挙は非暴力の里程標を越えた

ディヴィッド・ベリアン(米国ワシントン州西部の非暴力平和隊)記

注:
米国ワシントン州西部の非暴力平和隊の3人のメンバーが、2004年3月の終わりに、スリランカの選挙監視員を求める緊急の呼びかけに応じました。これは、その中の1人、ディヴィッド・ベリアンによる報告です。

セス・スナップ、シャノン・ターナー-コヴェル、そして私(いずれもワシントン州西部のNP会員)は、3月の終わりにスリランカのPAFFREL(自由で公正な選挙のための住民運動)という団体が主催した世界中からの選挙監視員の92人のメンバーチームの一員になろうとスリランカに出かけた。この国際的なチームは、投票状態を独自に監視した2万2000人以上の国内ボランティアを支援した。スリランカ国内の他のグループも選挙時の暴力を監視する活動をおこなった。

スリランカでの議会選挙は、4月2日金曜日に行われた。北部と東部におけるいくつかの問題にもかかわらず、今回の選挙は、多年にわたってこの国でおこなわれた選挙の中で最も非暴力的であった。不満な政党のメンバーが選挙結果に反発した時にしばしば起きる投票後の余波でさえ、まったく穏やかだった。

過去の選挙では、広範囲にわたって暴力と不正投票が付きまとっていた。候補者が暗殺された。選挙運動員は殴られた。有権者は (時には警察や武装兵士によって) 脅迫されたり投票を妨げられた。また、得票水増しの申し立てもしばしばであった。このような情況において、PAFFRELのようなグループが選挙の過程を改革し、選挙暴力を終わらせるよう市民たちを動員するよう活動を続けて来た。

非暴力平和隊は、この6か月間スリランカ国内で活動する最初の国際的なチームを派遣して来た。これにより、初めてPAFFRELは、国際監視員に選挙前の過程をカバーし、党や選挙関連の公務員に自由で公正な選挙運動を維持することの必要性を強調せしめることができた。

3月29日(訳者注:訳者も同席したのだが、ベリアン氏の記憶違いかと思われる。実際は3月28日)に、PAFFRELの国際的な監視員たちは、以前の選挙についての問題点の背景、主要政党への紹介、および選挙監視をどのように実行するかに関する指示を提供する2日間のトレーニングのために集められた。それから監視員たちは、2〜4人のチームに分けられ、国中の選挙区に配備された。セスは、チームと共に南スリランカのマータラ選挙区へ行った。いっぽうシャノンと私は、カルタラ選挙区に行く2人のチームになった。各チームにはスリランカ人のボランティア翻訳者とバンそしてドライバーがついていた。

カルタラは、コロンポからおよそ60マイル南の海岸にあるが、そこには絵はがきのようにきれいな褐色の砂浜と椰子の木があった。選挙前の2日間、シャノンと私は、警察署、選挙管理委員会、政党の地区代表およびスリランカ人のボランテアが集められている地区本部を訪問しながら選挙区内を走り回った。私たちは、この選挙で暴力が起きないようにするために選挙日に備えてどのような計画がなされているのかを尋ねた。そして、かなり希望が持てることが判った。警察と選挙管理委員会の公務員たちはどちらも、自分たちの役割に関してとても真剣であるように思われたし、現地での妥当な詳細計画を持っていた。武装警官2名が、投票に来る人びとを妨げることなく、安全を維持するための具体的な指示を携えてすべての投票所に配置される。多くの警察官は各自の選挙区以外の投票所に配備されたので、地元の政治家たちによって影響を及ぼされる機会はほとんどないだろう。国中を通して選挙期間中の警察の命令は、政治的操作からの警察の独立性の特別措置を備えるために、保安省からではなく、選挙委員会の責任の下に出される。

政党の候補者たちは、どんな暴力も起きないであろう、と確信することはできなかった(他の選挙区では、選挙運動中に暴力がいくつか起こっていた)が、候補者達は他の候補者の選挙妨害をするよりも、むしろ自分が妨害されないようにすることに、より大きな関心を持っているように思われた。私たちは、格候補者たちに、どこの投票場所がもっとも問題を起こしそうだと考えているか、を尋ねた。このような対話はすべて、その地域に国際監視員がいるのだということ、ならびに、私たちはものごとがどのようにおこなわれたかを変える能力は持っていないけれども、もしそこで問題が起きたならばそのことを報告し、誰が関わっていたかを明らかにするため努力するであろう、ということ、を明確にすることを主に意図していた。

選挙当日は晴れ晴れと澄みきっていたが、非常に暑かった、でも人びとは朝7時に投票が始まるとすぐに並び始めた。暴力の脅しにもかかわらず、80%以上の有権者が票を投じた。シャノンと私が監視したこの選挙区では、13の政党と9つの独立グループがあった。それぞれが、この選挙区からの13の議席数に対して、13人の候補者名簿を登録している。有権者は、まず最初に彼らが選ぶ政党にマークし、次に、その政党の候補者名簿からの3人の候補者にマークする。

この選挙区内の13箇所の投票所を訪れながら、私たちは選挙規則の些細な違反項目を数多く記録した(投票所の近くに政治的ビラが張られている、選挙管理職員が標識を着用していない、投票所公務員が、マークを記入中の投票用紙を見ることができるかも知れないように投票記入テーブルの方向が変えられている)。だが、その日は、暴力も不正投票もほとんど報告されなかった。しかしながら、その日も終わりに近づいた時、私たちは、ある投票所で何者かが不正投票を犯そうと試みて、その時に銃を取り出したが、結局は警官によって抑止された、という報告を受けた。これは、抑止された男の政治組織が、投票所を襲撃しようとしてする重大な問題に発展しかねない事件の類である。それで私たちは、この報告をチェックすることに決めた。

その投票所を見つけるまでにはしばらく時間がかかった。その地域の人びとは、何らかの事故が発生したことを心配しているように見えたが、それが重大だ、とは思っていないようだった。私たちがやっと到着した時には、その報告は極端に誇張された噂だった、と聞かされた。午前中にある人が、他の有権者に扮して、まんまと不正投票をやり終えていた。午後になって本当の有権者が現れたが、彼は、彼の投票用紙がすでに投じられている、と聞かされた。彼はこのことについて混乱させられたのだが、選挙管理職員は、既に投じられた投票に異議を申し立て、代わりの投票を提出するやり方を彼に説明することができた。彼は最終的にこれに満足した。この経験は、報告をチェックし、煽動的な噂を鎮めることのできる国際的なプレゼンスを持つことの価値を私たちに指摘してくれた。

その日の終わりまでには、私たちは疲れ果てていたが、PAFFREL宛てに私たちの報告書を送信し、その晩に報告するためにコロンボに戻った。ほとんどの国際的監視員が、些細な問題はあったが、暴力や大幅な不正投票はなかったという同じような経験をして来たと聞いて、嬉しく思った。さらに自由で公正な選挙に向けての挑戦を果たすためのスリランカの人びとの献身と勇気そして辛抱強さは特に注目すべきであり、霊感を与えてくれるものだ。このような国が、選挙における暴力の否定に向かって動くことができるのであるならば、もしかすると、私たち自身の国にも平和と非暴力の文化を確立できる望みがあるのかも知れない。

(訳:小林善樹)

[訳者後記]
この報告を書かれたディヴッド・ベリアン氏とシャノン・ターナー-コヴェルさんとは選挙の翌日の夕食会の時に隣り合わせの席だったのでお話ししました。お二人とも私よりもご年配の方のようでした。ディヴッドさんは昨年1月にVoices in the Wildernessの一員としてイラクに行かれていたそうです。昨年末に来日されたペギー・ギッシュさんとご一緒のメンバーだったようです。私はペギー・ギッシュさんの名前がどうしても思い出せず(年のせいでしょうね)、話が中途半端になってしまったのが残念です。

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