非暴力平和隊・日本

講演会報告『憲法9条と国際貢献─紛争地で何をするか』

講師:伊勢崎賢治(東京外国語大学大学院教授)
6月21日文京シビックセンター

 伊勢崎さんは国際NGOメンバーとしてで アフリカ各地で活動の後、停戦後の東ティモールでの県知事、シエラレオネや、アフガニスタンで武装解除を指揮されました。そうした体験をもとに憲法9条と国際貢献について語っていただきました。後半は君島共同代表との対談そして40人ほどの参加者との質疑応答が行なわれました。以下講演・対談の要旨を報告します。

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原体験としてのシエラレオネ

アフリカの小さな国シエラレオネ。この国では1990年から内戦が始まったが、1988年から国際NGOの救援活動として4年間滞在した。
シエラレオネはダイヤモンドやチタン、金など地下資源が豊富なのだが世界最貧国。海外企業、多国籍企業が賄賂を政治家、官僚に払ってただ同然で地下資源が収奪されていき、国家歳入にはならない。公共サービスはなく、教育、水道、電気もない。病院には薬もない。法と秩序がない。人殺ししても犯罪者にならない。無政府状態で汚職もひどい。こうした状態で行政の仕事の3分の1ほどの仕事をNGOが肩代わりをして行なっていた。
こうした腐敗した状況で革命軍RUFができ、最初は支持されたのだが、のちに住民たちも殺戮し始め、この内戦は10年近く続く。5万から50万人犠牲がでた。筆舌に尽くしがたい残虐な行為が行なわれた。末期には指揮命令系統の疲弊。たんなる収奪集団になる。子を奪い洗脳、殺人マシーンに変えられる。少年兵は最終兵器とも言われる。多国籍軍にとっては子ども(少年兵)を殺すことには躊躇がある。
50万人死んだ9年目に国連PKO・PKF始まる。その武装解除(DDR)の担当者として派遣された。命令系統がないので各指導者に個別に会って交渉・説得して武装解除していく。その交渉相手の多くが子どもたち。自分は武装しないが、武装したブルーヘルメットに護衛されていくことはあった。DDRではいかに痛みわけさせるかが重要。少年兵は2週間集団生活させて「洗脳」しなおす。充分ではないが、2週間分しかお金がない。DDRはいつも金欠。また半年間職業訓練するが、職も保障できるわけではない。最貧国で隣りには餓えている隣人たちがいる。リハビリを受けている元少年兵のほうが、殺したほうが、恩恵受けるということになると間違えたメッセージを送る事になる。
1999年7月に停戦合意するが仲介したのはクリントン政権下の米国だった。スリランカの紛争の場合はこのように仲介者がいなかったのが和平でなく、軍事的解決になってしまった一因ではないか。

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暴力のファッション性

少年兵は虐殺しても裁いてはいけない、犠牲者の一人である――という考えがある。そうではあるが少年兵の多くは志願。だぶだぶズボンにTシャツ、ラップミュージックをかけながら襲っていく。武器も手にはいる。かっこいい。ルワンダでは100日間で80万人ともいわれる住民が虐殺された。核兵器よりすごい。地元FMラジオで、あいつらは人間じゃない、ゴキブリだとプロパガンダが流され民衆が扇動され殺しあった。このときには国連平和維持軍もいたが止められなかった。
いかに民衆が扇動されやすいか、扇動されると大量破壊兵器よりこわい。そういう扇動の道具として使われるのが戦争広告で、戦争・暴力を正当化する。世界第一次大戦からそうしたことは始まっていた。ヒットラーのつくった建築、ナチスのロゴは美しい。日本も戦時中、第一線のデザイナイー、クリエーターが集められFRONTという雑誌をつくり、日本の作っている帝国がいかにすばらしいか、中国・朝鮮半島で宣伝した。そうしたクリエーターが戦後も活躍した。
戦争、殺す事をを正当化するにはわかりやすい敵・悪者をつくること、かっこよさ・勇敢さ、反対意見・少数意見の抹殺などが必要。現在スリランカがそうなっていて、タミル人ではなく、シンハラ人で戦争に反対してきた人の抹殺が行なわれている。
日本もこれに近いものがある。たとえば北朝鮮問題がこれに利用されているのではないか。北朝鮮問題について9条を主張する我々はどう立ち向かうのか、私には答えがない。みなさん考えてください。
国際協力で働いたことのある人たちの間では9条明文改憲派が多いのではないか。9条の精神はいいのだがあいまいなので、せめて米国への戦争協力と国連PKO活動の違いを分かるようにしたほうがいい、という。自分もそうだったが、絶対に変えてはいけない、国益、世界益のために必要、と今は考えている。

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対談

君島:紛争の事実を見せて、これにどうするんですか、という問いに平和運動は答えないといけない。
伊勢崎:武装の護衛つけずに交渉できたのがアフガニスタン。シエラレオネはUN.主導だがアフガニスタンでのDDRは日本政府主導。中近東では日本はUNより中立に受け取られている。アフガニスタンでは日露戦争で日本が勝ったこと、ヒロシマ・ナガサキのことも知ってるが、9条は知らない、日米軍事同盟のことも知らない。そういう特殊な背景が中東ではあったので武装なしでできた。
君島:極限では軍事力が必要なときもあると言われているが、軍事依存を減らしていくという点は共有していると思う。いますぐに世界からすべての軍隊をなくすことはできない。世界の軍隊を縮小していく仕事は100年や200年はかかる。軍隊でなくてもできる仕事──たとえばイラクのサマワで自衛隊がやった人道支援の仕事など──はシビリアン──NGOやシビリアンの公務員──に委ねて、軍隊でなければできない仕事に絞り込んでいくべき。また軍隊といっても、攻撃・殺戮と停戦監視は違う。PKOは非攻撃型の活動であり、「進歩」といえる。9条を擁護する側は、軍隊の任務を徐々に絞り込んでいく戦略、シビリアンの任務を拡大していく戦略を持たなければならない。非暴力平和隊の活動もそのような長期的な戦略の一環である。
伊勢崎:軍人の非武装の監視団もあるしアフガニスタンでは元自衛官がJMAS (ジェーマス 地雷撤去本地雷処理を支援する会)が地雷撤去をしているし、民間NGOが軍事監視しているところもある。
君島:シビリアンがやるべきこと、やれることは、軍ではなくてシビリアンにやらせるべきである。
伊勢崎:軍組織のやれることもともとは限定されている。自衛隊だけがおかしい。
津波等自然災害では24時間以内に米軍がかけつけ、最小限やって撤退する。
自衛隊は到着する一番遅い軍事組織。そしていつまでもいる。
また軍部のする救援活動は人心掌握のためであり、NGOの救援活動は人道のため。
君島:軍隊は平和利用できるか、民主的コントロールできるか。
伊勢崎:自衛隊はプロの殺人集団。人道援助として送るのは間違っているし、彼らも送られたくもない。それが必要な場面でしか送ってはいけない。
平和構築の訓練は受けてないのだから、彼らもやりたくない。間違った政治判断で送られてきた。
君島:正義と平和は両立するか、という問いかけがあった。答えは、正義と平和が両立することもあるし、両立しないこともあるということだろう。平和とは多義的な概念だが、「平和とは妥協であり、正義を追求しないことである」という理解の方が多いだろう。正義をどこまでも追求すると、相手を殲滅する宗教戦争になるおそれがある。そうならないようにするのが、平和である。
伊勢崎:双方の言い分聞いてソフトランディング、人権をなるべく傷つけないで痛みわけにするしかない。パワーシェアリングとか。
君島:ガルトゥング教授は敵の声を聞け、という。それが平和だと。
暴力のファッション性というのは文化の問題である。世界の多くの社会には「戦士の文化」がある。敵に打ち勝つ戦士はカッコいいヒーローであり、女性にモテる。戦前の日本で、少年の将来の夢は陸軍大将だった。戦後日本で「戦士の文化」はなくなった。平和運動の側も、平和はカッコいいという文化をつくらないといけない。
伊勢崎:ピースアートという授業をしている。マエキタミヤコさんたちに協力してもらい「火消しクリエーター」を育てたい。ピースのためのアート展、これまでに2回やった。
君島:北朝鮮と米国、韓国、日本はまだ戦争状態にある、朝鮮戦争はまだ終わっていないという認識が必要だろう。1953年に結ばれたのは停戦協定であり、平和条約ではない。北朝鮮と国連軍との間で戦争状態を終わらせることが急務である。
伊勢崎:どんな国でもそこに住んでいる人たちの安全を保障する、という「人間の安全保障」を外交の柱にしてるのは日本だけ。しかし、北朝鮮に対しては、人道援助までとめているのは日本だけ。制裁というより報復。戦争と同じ。

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「平和の定着・配当」について

スリランカの2002年停戦合意のときに、平和の定着、平和の配当ということで、いわゆる、馬の顔の前にニンジンをぶら下げておくだけだったのが、和平の定着していないときにニンジンをかじらせて、和平を進めるという政策だがそれは無理。
停戦合意のときにすべきことは開発事業で恩恵を食べさせることではなく、例えば国軍をどうするのかということ。スリランカ政府軍歩兵8万、LTTE側も和平になったら現在の兵力いらない。そこをどうまとめていくのか。プラバカラン(LTTEリーダー)の恩赦はどうするのか。そういう政治的課題をのせることが重要で、それらを隠蔽したかたちで、恩恵だけ食べさせるというのは意味がないし、絶対挫折する。
ノルウエーはファシリテーションと言い仲介まではしなかった。当時必要だったのはこうしたコーディネーション。それをする仲介者がいなかった。
全体として日本のやったことは不十分でピントがずれている。成功するわけない。結果として日本政府は充分な成果残せなかった。
日本は仲介者としての資質はある。9条があり、戦争しない。しかし能力はない。仲介に必要なのはインテリジェンス。それだけの情報収集能力は日本にはない。

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市民レベルでできること

国益と世界益は対立する概念ではないと思う。日本の場合は対立している。
NGO、市民レベルでできることとしては寄付の文化をつくること。税金以外に公益にお金を出さないのは日本は先進国のなかで最低。NGOはお金がない。欧米NGOは自己資金あるが、日本は政府のお金にたよるしかない。理想を空想に終わらせないためにはそれを実現させる戦略がないといけない。戦略があれば実現できる。
【文責:事務局】

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