非暴力平和隊・日本

非暴力平和隊・日本ニューズレター2号(2004年5月)

【目次】
巻頭言:非暴力による紛争予防活動の実際を広く知らせたい 川端 国世
スリランカ選挙監視活動に参加して1 大島みどり
スリランカ選挙監視活動に参加して2 小林 善樹
スリランカでの選挙監視活動と非暴力平和隊 大橋 祐治
スリランカ・セミナー(6月26日)開催のお知らせ NPJ事務局
関西での会員懇談会の案内 城間 悠子
事務局便り NPJ事務局

非暴力による紛争予防活動の実際を広く知らせたい

非暴力平和隊・日本(NPJ)運営委員 川端国世

 英国で、紛争下で働くNGOワーカーのコースに参加したことがある。コースが終了に近づいてきた時、シエラレオーネ、ルワンダ、ブルンジの学生が私に相談に来た。長い紛争が続き、子どもたちが安全に生きられないので、しばらく日本で面倒を見てくれないかというのである。彼らの切羽詰った表情を前に、応えられない無力を強く感じたことがあった。そのことが今も心に残っている。

 非暴力平和隊がスリランカでの活動を開始することが決定した時、私にスリランカの問題ヘの理解を促してくれた1冊のキャンプ記録がある。スリランカで、シンハラとタミルの隔ての壁を取り除くために開催された「LOVE & AFFECTION CAMP 2002(主催:スリランカYMCA同盟・大阪YMCA)」で、11〜16歳(1986〜1990年生まれ)の少年少女がジャフナ、トリンコマリー、ダヒワラなど12地域から31名(タミル26名・シンハラ5名)参加して行われた2泊3日のキャンプ生活の記録である。参加者名簿には民族や出身地域、そして戦争の影響が記された欄がある。そこには(1)少年が地雷で指を喪失、(2)母や祖母が空襲や爆撃で死亡、(3)父が正体不明の男性や軍隊に連行されたまま行方不明、(4)父を正体不明の男性や軍隊が射殺、(5)両親が爆撃で死亡、(6)兄弟や姉妹が爆撃で死亡、(7)父と叔父が正体不明の男性や軍隊によって連行されて殺された、(8)叔父が戦争で殺された、(10)父がインドの平和部隊に連行されたまま行方不明、などと続く。またキャンプ中に描かれた絵をみると、(1)14歳のタミルの少年は、薪を運んでいる叔父が地雷を踏み、足が吹っ飛ぶところを目撃した場面、(2)15歳のタミルの少年は、政府軍が村を空爆し、叔母が殺された場面、(3)14歳のシンハラの少年は、デヒワラ駅にしかけられた爆弾の爆発で兄が死亡した場面、(4)13才のタミルの少女は90年に父親が政府軍に撃たれて殺された場面、(5)11才のタミルの少女は、父親と叔父が政府軍に連行されていく場面を描いている。

 非暴力平和隊は、今、スリランカ北東部がLTTE(タミル・イーラム解放の虎)の分裂で緊張と混乱が生じていること、それに対する活動を始めたことを逸早く知らせてきている。例えば1派閥の崩壊で、突然解放された18才以下の少年・少女たちが家族を捜してさまよい、また反対に家族が我が子を捜し回っている状況が起こっていること。それに対して非暴力平和隊は地域や他のNGOと連携しながら家族から行方不明者に関する情報を収集しているという。それは若者と家族の再会に協力することは勿論、戻ってきた少年が再び徴兵されないように他からの干渉を止めることにも、またトラウマにかかっている少年・少女たちのアフターケアーの準備にも役立たせるためである。派閥に集められていた少年・少女は兵士や賄いの仕事に駆り出され、少女は性を提供する仕事にもつかされていたのではないだろうか。非暴力平和隊の本格的な活動、つまり、非暴力による紛争予防活動の実際を広く知らせ、支援の輪を広げて いきたいと考える。

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スリランカ選挙監視活動に参加して1

 2003年9月末から非暴力平和隊(以下NP)スリランカ・プロジェクトに参加しているわたしは、本来のわたしの活動地、スリランカ南部の町マータラではなく、東部バティカロア地区ヴァルチェナイ(表記によってはワラッチャナイ)というところで、今回の総選挙監視にあたった。

 NPスリランカ・プロジェクトは、コロンボの本部のほかに4箇所の活動地を持つが、そのひとつがヴァルチェナイで、そこではふたりのチーム・メイトがすでに活動していた。イスラム教徒を含むタミル人が大多数を占めるスリランカ北部と東部では、政府に対抗するタミル人武装組織で、スリランカ和平交渉の大きな担い手であるLTTE(タミール・イーラム解放の虎)が、市民生活と社会で大きな勢力を握る。そのLTTEが、3月初め北部と東部の内部分裂を起こした。

 バティカロアおよびヴァルチェナイ周辺の状況の緊張度と、それに比例した暴力事件の数が増すのを憂慮したコロンボ・オフィスは、マータラとジャフナ(スリランカ北部)のチームからヴァルチェナイへ、ひとりずつ応援を送ることにした。3月10日にマータラからコロンボへ、そして翌11日に8時間弱をかけて、わたしはヴァルチェナイに移動した。

 選挙前のバティカロアそして周辺の村々を含むヴァルチェナイは、ヴァルチェナイ・チーム4人を忙しくさせるに十分だった。暴力沙汰にいたる事件は、いくつかの政党の支持者たちが、別の政党の候補者や支持者を牽制し、道路を閉鎖したり、住民を巻き込んで暴力をふるうといった内容が主なものだった。

 選挙になるとスリランカの多くの人々の人格が変わる、とうわさに聞いていたが、ふだんは静かで人なつこい人々が、興奮し、暴力的な行動にでる状況を目の当たりにした。当惑はしたものの、こうした変化の理由については、思いつく部分もないわけではなかった。心理的および外部的(経済的、環境的、その他)要因が複雑に絡み合っていることは容易に予測されるが、NPが今後プロジェクトとしてどのようにこうした問題に対応していくかも、さらに検討を要する事項だと感じた。

 4月2日の総選挙監視には、NPヴァルチェナイ・オフィスの3名とPAFFRELのインターナショナル・オブザーバーから4名があたり、それにPAFFRELの地元オブザーバーが多数参加した。またPAFFRELとは別に、EUなどから国際監視団が派遣されていた。選挙当日わたしはバティカロア地区の最北部、ヴァルチェナイからさらに北の部分を振り当てられ、通訳と数名の地元オブザーバーとともに、車で投票所を移動した。何箇所かの投票所では、他人を騙り投票をしようとする行為を見かけたが、そうした行為を選挙管理委員に見破られ、追い払われることになっても、少しも悪びれずに帰っていく姿に、わたしは少々唖然とした。追い返すほうもまた、そうした行為に慣れているのか、とがめることもない。こうした行為が、スリランカではたいした問題にもならないことは、あきらかだった。それでも選挙前の暴力事件などから考えれば、選挙当日は、かなり平和的ムードですべてが順調に行われているように思われた。
election
午前7時投票開始。送付状を渡し、名前を確認。投票用紙を受け取る。ひとりずつ行うので、時間がかかる。(撮影:大島みどり 2004年4月2日)
ballot box
午後4時に投票終了。投票箱を閉じる。不正のないのを立ち会い人のもと確認した上で、封印する。(撮影:大島みどり 2004年4月2日)
 ところで、LTTE支配地域には投票所が設置されていないため、そうした地域に住む住民は、政府側支配地域の端に作られた投票所に遠方から移動しなくてはいけない。当日は行政が用意した何百(あるいはそれ以上)もの公共バスやトラクター、フェリー(バティカロア地区には小さな入り江が多い)がLTTE領土と政府側領土を結んでいたが、それらが妨害されることなくきちんと運行されているかを確かめるのも、必要不可欠だった。そこでわたしたちの移動チームは、車をバティカロア最北部の投票所からLTTE内領土へ走らせた。

 20分ほどでLTTE内領土に入ると、投票所へ向かうバスを見かけた。さらに北へ30分も行くと、そこは一週間後の4月9日にLTTE北部と東部が戦闘を開始したヴェルガル河で、岸を渡るとそこはトリンコマリー地区となる。おそらく40mあるかないかほどの川幅のヴェルガル河の両岸を結ぶフェリーは、手で綱を引くほどのものだった。こんな小さな河をまたいで戦闘を起こすなどということは、選挙当日の4月2日の時点では想像することすら困難で、わたしの関心はもっぱら投票所までのバスが滞りなく走っているかということだった。途中10代らしき少年兵士や少女兵士を見かけ、まだあどけない顔の彼らの、大きく見開いた目とおびえたような表情に、そしてからだの大きさにそぐわない銃や武器をかつぐ姿に、彼らの未来の無事と幸運を祈らずにはいられなかった。
election
LTTE支配地域に住む人々が政府内地区に移動して投票するための臨時投票所(cluster booth)5,000人近くがここに来る。(撮影:大島みどり 2004年4月2日)
verugal river
ヴェルガル河。どれほど小さいかよくわかる。向こう岸と話せる距離。車を乗せることもあるフェリーは手で綱を引っ張って動かす簡単な作り。4月2日は問題なかった、、、。(撮影:大島みどり 2004年4月2日)
 NPスリランカ・プロジェクト・チームの一員として、パートナー団体であるPAFFRELに最大に貢献することができたこの選挙監視の活動を、そしてまたこの選挙監視が、ほぼ成功裏に終わったことを、わたしは本当にうれしく思う。

 もちろん、スリランカの総選挙がこれほど順調に行われたのはずいぶん久しぶりのことだという賞賛が、PAFFRELの、あるいは国際監視団の貢献によるものか、あるいはもっと別の要因によるのかは、誰にもわからない。

 また選挙結果と、その後の政治状況、そして和平交渉についても、問題は山積みで、予断は許さない。が、それでも大きな暴動や、暴力事件の数が少なかったことは、わたしたちNPメンバーにとって、そして国際監視団にとって、また何よりスリランカ国民にとって、大きな自信につながったことだろう。この自信が、スリランカの市井の人々にとって、強力な市民社会を築く基盤につながることを切に祈る。またそのための支援が、わたしたちスリランカ・プロジェクト・チームとNPに課せら れた役目であることを、仏教徒の最大の祭りであるウェサック祭の飾りで町中が輝く、わたしの本来の拠点であるマータラに戻った今、ひしひしと感じている。

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スリランカ選挙監視活動に参加して2

非暴力平和隊・日本(NPJ)運営委員 小林 善樹

 創刊号でお知らせした通り、4月2日に行われたスリランカの総選挙に国際監視員のボランティアとして参加して来ました。総選挙についてのハード的な報告は大橋さんにお任せして、私の見聞記的な報告をします。

 3月28-29日の2日開かれたPAFFREL(自由で公正な選挙のための住民行動)の研修会では世界各国から約100人の監視員が参集していた。100人の中には、米国、ドイツ、カナダ、英国などからの非暴力平和隊(NP)メンバー、それにNPフィールドワーカーの10人(大島みどりさんを含む)、さらに今回から新たにフィールドワーカーに加わった2人(パキスタンの男性とポルトガルの女性)、NPメンバー以外にもモンゴルからの女性1人、ネパールからの女性3人もいましたし、マレーシア、インド、バングラデシュなどからの人もいました。

 日本からは私と大島みどりさんの他にJCCP(日本紛争予防センター)の10人の合計12人でした。 非暴力平和隊・日本(NPJ)から一人でも参加できたことは良かったな、と思った。

 研修後、全国の22の選挙区にそれぞれ2〜4人のチームとして配備された。私が配備されたのは、コロンボから南東約60kmにあるラトナプゥラ(Ratnapura)を中心とした内陸の農山村地帯の選挙区で、私の他に、日本のJCCPの若い女性とスペイン人の若い女性と3人の外国人、それにスリランカ人PAFFRELメンバーの通訳とコーディネータの2人、バン1台と運転手だった。

 3月30日からこの地域の選挙管理委員会、PAFFRELコーディネータや警察、有力政党の候補者事務所などを訪問して、前回の選挙の時の状況、今回のこれまでの動向などを聞き、選挙当日に回るべきデリケートと思われる投票所8箇所を選び、当日は朝から夜まで走り回った。この選挙区も今回は平和的に終わった(前回は何かとあったのだそうだ)。

 現地の新聞では、EUが最大の監視団を送って来た、またCommon Wealth(旧英連邦)が監視団を送ってきたことが報じられていた。私が配備されたラトナプゥラのホテルではCommon Wealthの6人程と同宿していた。旧英連邦からの独立後50年以上たつのに未だにそのような連帯感を持ち続けられていることに驚きを感じた。 英国の植民地政策がいかに巧みであったことかと。

 今回のスリランカ総選挙は、歴史的に特記すべきほど平和的で公正におこなわれた、と新聞紙上に報じられていた。選挙委員会委員長は、選挙法がうまく機能し、警察、軍の協力、そしてスリランカのNGOの活動と、外国からのオブザーバー(私たち100人や旧英連邦の監視団の他に、国が要請したEU, ネパール、バングラデシュ、日本の各国から派遣された監視団も含まれている)の寄与によるものだ、というような発言をしていた。しかし、殺人事件、傷害事件が何件かはあった、と新聞に は報じられていた。

 PAFFRELは2万人程のスリランカ人メンバーを各投票所に配置して選挙監視に当たり、これに加えて世界各国から馳せ参じた私たち外国人100人とPAFFRELのメンバーを移動オブザーバーとして22の選挙区に配備した。選挙監視のために、PAFFRELとCMEV (選挙暴力監視センター)という2つのNGOは今回からは正式に投票所の中で監視することができるようになったという。私たちは移動オブザーバーなので、投票所を次々に訪れたが、投票所ごとに張り付けの監視員が2〜3人おり、投票所の中に机椅子を一つ与えられて一人が座り、他は外側で見守っていた。また、投票所ごとに警官が自動小銃(ピストルじゃない!)を持って3人ほどで警戒していた。 警察で聞いたところラトナプーラ選挙区の536箇所の投票所での選挙の警戒のために、5日間だけの臨時の警察官5000人を雇用した、という。

kobayashi 左の写真:4月2日の総選挙の際に、選挙監視ボランティア用の帽子、腕章、名札をつけて選挙監視に向かう小林善樹さん。

 選挙期間中の街は、日本の選挙で名前と「お願いします」だけ連呼している無意味な騒々しさにくらべたら静かなもの。 支持者たちが同じ色の帽子をかぶったりして集まって練り歩いていたのを見かけたが、静かなものだった。街頭での選挙運動は、2日前の午後12時をもって終了しなければならないのだそうで、その夜は街頭に舞台を設けて拡声器を通しての政見発表をやっており、交通が妨げられていた。騒々しいなと思ったのはこの時だけだった。

 選挙権は17才から与えられるという。大選挙区制というのだろう、22の選挙区の有権者数に応じて4人〜20人の議席数が割り当てられており、支持政党と個々の候補者3名連記投票。政党ごとに象や木の葉といったマークが決められており、候補者には番号が付けられていて、マークや番号に×をつけて投票する方式だ。

 投票は朝7時から午後4時まで、終了時間が早いのは、投票箱を開票場所まで運ぶ間のトラブルを恐れてのことかと思われる。投票率は約75%だった。投票日は半日勤務だそうだ。(より詳細な状況報告は非暴力平和隊・日本のウェブサイトにあるスリランカ・プロジェクトに関するページをご覧ください)

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スリランカでの選挙監視活動と非暴力平和隊

非暴力平和隊・日本(NPJ)運営委員 大橋 祐治

 非暴力平和隊のスリランカプロジェクトが、スリランカで最初に展開を終えた昨年11月時点で、非暴力平和隊が選挙監視活動に携ろうとは誰も予想していなかっただろう。スリランカの国民にとって、任期1年半も残して議会が解散され総選挙が実施されることになったのは不幸であったが、しかし、選挙結果、並びに選挙後の政治如何によっては現在停滞している和平プロセスやスリランカの経済にとって良い方向に向かうことも充分考えられる。一方、非暴力平和隊にとっては選挙監視活動及びこれに関連する諸活動を通じて、スリランカ国民、国際社会に非暴力平和隊のプレゼンスと理念に対する理解と支援を得るまたとない機会であった。

 非暴力平和隊は「政治的立場をとらない」基本的スタンスから、PAFFREL(自由で公正な選挙のための住民行動)という全国的なNGOの連合体をスリランカの活動のパートナーとしたが、PAFFRELは今年2月、議会の解散総選挙の決定後直ちに、スリランカの非暴力平和隊に選挙監視を含む公正な選挙の実施のための協力を要請した。これまで、PAFFRELは海外に先ずこうした支援を要請してきたが、既に非暴力平和隊がスリランカに拠点を持ち活動を開始していたので、最初に非暴力平和隊に要請したのである。

 その時点での非暴力平和隊のスリランカの活動拠点は、コロンボ本部を別として地方では、スリランカ最北部にあり、住民のほとんどがタミール人のジャフナに2名、ムスリム、シンハラ、タミール人がほぼ均衡している東部トリンコマリーに3名、同じく東部でトリンコマリーの南に位置しタミール人が90パーセントのバテイカロアに2名、スリランカの南端にあるシンハラ人が主流のマータラに3名、合計10名のフィールド・ワーカーとその責任者の合計11名であった。4月当初にパキスタン 人、ポルトガル人の2名が追加配置された。

 3月末には、PAFFRELの要請で海外から約100名弱の国際監視員がボランテアで参加したが、この中に少なくとも9名の非暴力平和隊のメンバー団体からの参加があったことは非暴力平和隊のメンバー団体が連携を強め、スリランカ・プロジェクトの遂行に大きな関心を寄せていることを示し非常に心強い。非暴力平和隊・日本からは小林善樹さんが参加された。更にEUからの監視団も加わり、PAFFREL参加の2万人強の国内ボランテアと共に選挙監視活動が行われたのである。これらの選挙監視活動の大半は、選挙前の数日間は受け持ち地域の警察署、選挙管理委員会、政党の地区代表並びにPAFFRELの地方事務所を巡回し国際監視員のプレゼンスを高め、投票当日は投票所を巡回し、投票が適正に行われているかどうかを色々なチェック項目でチェックし、場合によっては投票箱を集計所まで届けるまでの確認であった。

 PAFFRELの周到な準備と治安に対する政府の万全と思える対応もあり、近年に無いほど平穏に選挙が終了したとの評価であるが、その背景には、何よりも国際的世論の注目が無言の圧力になったと思われる。その中で、非暴力平和隊の活動は目覚しいものがあった。タミール人が多数派の北部・東部地域は民族紛争の火種の他に、この時期、LTTE内部の権力闘争が勃発し、非常に複雑な様相を呈していた。非暴力平和隊のこの地域の拠点は、正確に言うと、正にこのような輻輳した立地条件に置かれてい た。と言うよりも、それ故の拠点の設置であろう。

 トリンコマリー事務所は、この地域の南端に近いムートルにあり、バティカロア事務所はこの地域の北端に近いヴァルチェナイに置かれている。いずれも事務所から少し離れればそこはLTTEの支配地域であり、この地域に住むタミール人は投票所のある緩衝地帯までバスや徒歩で投票に来なければならない。前回、2001年11月の総選挙では政府側の様々な妨害によりタミール人の多くが投票できなかったと言われている。

 これらの状況のため、非暴力平和隊は、ヴァルチェナイ事務所にジャフナとマータラからそれぞれ1名ずつ移動させ4名体制としたが、マータラから派遣されたのが大島みどりさんである。この地域での活動の様子は、みどりさんが『スリランカ通信』の中でいきいきと報告されている。

 3月初めにLTTE内部の分裂が生じてからは、この地域で活動していた他のNGOはすべて退去し、非暴力平和隊のみとなった。一般市民や地域の人道支援活動家は目立った活動をすれば、反対側から様々な妨害を受ける危険性があるので、非暴力平和隊がその中に入り対話の促進や応答の取次ぎなどを行い暴力を未然に防ぎ、あるいは信者を訪問したい聖職者や取り残されたNGOメンバーに同行したりした。LTTEも北部と東部に分裂していたが、非暴力平和隊のこうした活動を黙認した。この期間中のこの地域の情報は唯一、非暴力平和隊によってスリランカ全土のNGO諸団体に伝えられたものである。非暴力平和隊国際事務局のメル・ダンカン、デイビッド・ハートソー、クリスティーン・シュワイツァー、ジョン・スチュワード他の幹部が、この一番困難な時期にヴァルチェナイなどの最前線を訪問されたことに心から敬意を表したい。

 はからずも、非暴力平和隊は、目標としている諸活動、即ち、「護衛的同行」、「国際的プレゼンス」、「情報発信」、「割り込み」それぞれを実地に行動に移す活動の場を与えられた。パイロット・プロジェクトでスリランカを選定したこと、基本理念の下にPAFFRELという良きパートナーを選んだこと、資金的な制約の中でスリランカでの展開をほぼ予定通りに行ったこと、そして、優れた人材を採用したことなど、これからの非暴力平和隊の発展にとり大いに力づけられるものである。

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スリランカ・セミナー開催のお知らせ

非暴力平和隊(NP)は、紛争地スリランカからの要請により、昨年9月にNP初のプロジェクトとして、日本人を含む11人のフィールド・ワーカーを派遣しました。その後2人が増員され、さらに、増員が計画されています。世界が注目した4月の総選挙では、現地の選挙監視団体に求められて、選挙監視も行いました。

 今回、非暴力平和隊・日本(NPJ)では、スリランカでの選挙監視活動の実態や、同国の平和への展望・政治情勢、また非暴力トレーニングなどについて、4人の方々からお話を聞きます。会場は140人が入ることができる大きな部屋ですので、大勢の方にご参加いただけます。詳しくはスリランカ・セミナーについてのウェブページをご覧下さい。スリランカ・セミナーについてのウェブページには会場周辺の地図も載せてあります。

日時:6月26日(土)午後1:30〜4:30

会場:渋谷勤労福祉会館2階第1洋室
(東京都渋谷区神南1丁目19-8、TEL:03-3462-2511)
渋谷勤労福祉会館は、JR山手線渋谷駅・ハチ公口を出て、公園通りをNHK方面へ7〜8分くらい歩いたところにあります。渋谷パルコPart2の筋向いです。

内容:「スリランカでの選挙監視活動報告」
 小林善樹(NPJ運営委員)
「非暴力トレーニングと非暴力平和隊」
 阿木幸男(NPJ運営委員、非暴力トレーナー)
「最近のスリランカ情勢と和平への展望」
 澁谷利雄(和光大学教授、スリランカ研究フォーラム)
「スリランカの政治状況」
 ニハール・ダヤス(NGO活動家)

election election
上の写真:4月2日のスリランカの総選挙での投票風景。大島みどりさん撮影。

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関西での会員懇談会の案内

非暴力平和隊・日本(NPJ)運営委員 城間 悠子

 非暴力平和隊・日本(以下、NPJ)の関西在住の正会員・賛助会員は、現在19名おられます。共同代表の君島東彦さんが京都に来られたこともあり、今後、事務所のある東京だけでなく、関西でもNPJの活動を活発にしたいと思います。

 日頃、メーリングリスト上のお付き合いが多いですが、顔を合わせてお話することで、これからの活動に活気が生まれるのではないかと考え、「NPJ関西懇談会」を企画致しました。

 今回は関西在住のNPJ会員が集まり、お互いの親睦を深め、自由に議論する場とします。主な内容としまして、小林善樹さんにスリランカ選挙監視のご報告をして頂きます。

 現在までに11名の方から参加するとの連絡をいただいています。会は会員以外の方にも開かれたものとします。PBIでインドネシアへの派遣が決まっている藤村陽子さんも参加されます。

 参加したいが、まだ連絡していないという会員の方、あるいは会員以外で参加したいという方が周りにいらっしゃいましたら御連絡下さい。

   お忙しいとは思いますが、是非ご参加頂きますよう、よろしくお願い致します。

日時: 6月12日(土)13:30〜
*お昼をご一緒するかたちになります

場所:梅田近くのスリランカ料理店「ラージャスターン」

行き方:地下鉄「谷町線」で東梅田から1つ目の「中崎町」で下車、2番出口を出て、右に曲がって2軒目。

お店について:
〔昼のランチメニュー〕
 650円のカレーライス・サラダ
 800円のカレーライス・ナン・サラダ
 1000円のカレー(2種類)・ライス・ナン・ガーリックチキン・サラダ・デザート
 (カレーはビーフ・チキン・野菜の3種類、辛さ調節可)
〔オーナー〕オストーさん(スリランカ人)
〔電話〕06-6376-0999
〔住所〕大阪市北区中崎2-3-4

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事務局便り

 3月末にニュースレター創刊号を発行してから、この2号を発行するまでの間に非暴力平和隊・日本はいくつかの新しい試みを行いました。

(1) 事務局スタッフの採用

 4月3日に事務局スタッフの最終面接を行い、その結果、佐藤さんと松代さんに事務局スタッフをお願いすることになりました。

 そこでまずは佐藤さんから一言。

 この3月のスタッフ募集を知り、ああ、新聞で読んだあのハートソーさんの非暴力平和隊かしら、と思い、HPで勉強しました。その結果、非暴力平和隊の思想と方法に対して存在力を感じたので、可能ならばスタッフとして参加したいと希望しました。運良く希望がかない、4月から「NGOビギナー」となりました。
 現在、「市民的」ないし「ボランティア」活動を大変楽しんでいます。おもに、NPJのプロジェクトに関わる仕事を担当しています。時間限定スタッフでもあり、NPJの事務所に行くことは少ないです。
 MLを最初見たときは、フィールド・ワーカーを紛争地に派遣するという、非暴力平和隊の目的と直接結びついてはいない記事があり面くらいました。しかし、その後は、MLは平和実現のための活動に資する場所なのだと、理解しています。
 最後になりますが、事務局体制の強化は組織の発展に大いに影響すると考えています。(佐藤)

(2) ホームページのリニューアル

 4月末には、ホームページを全面リニューアルしました。これに伴いホームページのアドレス(URL)も変更しました。新しいURLは、http://www5f.biglobe.ne.jp/~npj/です。
 以前よりも画像を増やし、会員専用ページも設けました。会員専用ページを見るためには、パスワードを入力する必要があります。パスワードは会員用メーリングリストでお知らせしましたが、メーリングリストに参加されていない方や、パスワードを忘れた方は、npj@peace.biglobe.ne.jpにご連絡いただければ、パスワードをお知らせいたします。


(3) リーフレットの更新

 また4月末にはリーフレットも新しくしました。以前のものより、見やすくなったと思いますし、また掲載されている情報も新しいものにしましたので、まだご覧になっていない方は、ぜひ一度ご覧下さい。リーフレットは、非暴力平和隊・日本のホームページで見ることもできますし、事務局にご連絡いただければ、印刷したものをお送りいたしますので、一度見てみたいという方はぜひご遠慮なくご連絡下さい。みなさんの周りに非暴力平和隊に関心をもって下さりそうな方がいらっしゃいましたら、ぜひリーフレットをお渡しいただければと思います。

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