非暴力平和隊・日本

その他の報告書

NPSL代表らのビザ取り消される
(2010年6月)

非暴力平和隊スリランカ(NPSL)は、同事務所代表Ms.Tiffany Easthom (Country Director, NPSL) と 人権擁護プロジェクト担当Mr. Ali Palh (Coordinator HumanRights Defenders Project,NPSL) が、ビザの発給(延長)を拒否され「7月1日より前に国外に出よ」とのFAX通告を、スリランカ政府の入国管理・移住局から受けました(6/24日付)。 現在はプログラムディレクターの Christine Schweitzer がスリランカに到着し、現地メンバーやスリランカ当局と交渉に当たってます

原文: http://www.nonviolentpeaceforce.org/our-work-sri-lanka-continues

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トリンコマリー地区での非暴力平和隊の活動について
(2005年7月30日)

仏陀の誕生と涅槃、入滅を祝うウェサック祭(訳注:仏教徒最大の祭り)の1週間ほど前、シンハラ・オート・ドライバー・アソシェーションによって建立された中程度の大きさの仏像が大通りの一つに出現しました。タミル・ヒンドゥー教徒たちは激怒し緊張が高まりました。タミルはその仏像の撤去を要求しました。代表的なタミル人の団体であるタミル・ピープルズ・フォーラムは数日間のハータル(訳注:政治的抗議手段としての同盟休業)を呼びかけ、死者一人、負傷者数人、公共施設と私有財産の破壊という民族相互間の衝突を引き起こしました。シンハラ人に囲まれて暮らしていた多くのタミル人家族は、タミル人支配地域に逃れました。トリンコマリーの外部からのスリランカ治安部隊が投入されました。これはタミル人社会の中にある種の恐怖を引き起こしす動きでした。

ハータルの間、タミル地域およびシンハラ地域の両方で爆発がありました。NPのフィールド・チームのメンバーたちは、トリンコマリーに入って人目につくようなプレゼンスを提供し、事件に直ちに対応しながら、平和的パトロールをおこないました。NPのメンバーたちはまた、両方のコミュニティおよび治安部隊ならびに市民社会の重要なメンバーとの接触を進展させました。NPは、この状況の鎮静化を図るため、ノルウェー停戦監視団および他の国際グループならびに地元のグループとの密接に協調して活動しました。これらの努力の中には、タミル・ピープルズ・フォーラムおよび、この社会緊張を緩和するための対話を始めるために、タミル社会のリーダーたちと会えるようNPの支援を求めていた著名な平和活動僧を含んだ仏教徒の平和唱導者たちにまで接触することを含んでいました。

NPの介入は紛争の激化を効果的に防止しました。私たちのチームは、適切な当局側とコミュニティ指導者たちとを関わらせることによりこの危機を平和的解決に導きました。この活動をしている間にもこのチームは、たとえばノルウェー停戦監視団など他の団体と一緒に、暴力のレベルを引き下げるための保護的プレゼンスを提供するために活動しました。この保護的プレゼンスはさらなる暴力をも防止しました。このチームからのある1つの事件についての報告は、トリンコマリーの状況および私たちのチームの取り組み方をさらに良く説明してくれるでしょう。

NPの車は仏像の近くでひどく興奮した20人以上のシンハラ人の若者たちに強制的に停止させられました。彼らはNPの車をガンガンと叩き、NPが仏教の僧とLTTEの上層部の間の会合を促進していることを非難しました。彼らは国際的NGOが偏見を持っていると批判しました。フィールド・チームのメンバーたちは逃げ去るのではなく、彼らと話し合おうとしてその場にとどまりました。怒れる群衆の苦情に注意深く耳を傾け、その誤解を明らかにしました。1時間の討論の後、群衆はNPのフィールド・チーム・メンバーたちに、不作法な態度と車を叩いたことを詫びました。彼らはNPに対して彼らの地域をいつでも訪問してくれ、と招きました。

非暴力平和隊プログラム理事
クリスティーン・シュヴァイツァー

上記文書の英語原文

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2004年12月26日に発生した津波の被害について

NPは津波の被害を受けたムトゥール(トリンコマリー)、ヴァルチナイ(バティカロア)、マータラでも活動しており、津波の被災者のための活動も行いました。津波の被害に関して国際事務局から送られてきたメールを下記に掲載いたします。

なお、「非暴力平和隊・日本」事務局は12月27日午前にジャフナの大島みどりさんと連絡をとることができ、彼女の無事を確認しました。詳しくは12月28日に大島さんから送られてきた『スリランカ通信』をご覧下さい。

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スリランカを津波が襲ったがNPチームは無事

2004年12月26日

親愛なる友人の皆さん、

みなさんご存じのように昨日津波がスリランカを襲いました。死亡者数は2千人を越え、百万人以上の人びとが家を失っています。

NPスリランカのチームは、全員安全であることが確認されました。

ただし、キャシー・オロヴィグホは足に裂傷を負いマータラの病院に入っています。チーム・メンバーのフランク・アニム-アピアーが彼女に付き添っています。道路が修復されたならば、彼女はすぐにコロンボに移されるでしょう。彼女は教会で礼拝中に津波に襲われました。ナイジェリアの彼女の家族には連絡済みです。

スリランカと世界中のNPスタッフは、私たちの仕事を調整するに当たり、協力してすばらしい働きをしています。

スリランカの人びとと南アジアの人びとのために、あなたの想いと祈りをお寄せください。

私たちは皆様に最新の情報をお伝えするつもりです。

状況をモニターするには、Lankapage.com あるいは bbc.co.uk をご覧ください。

非暴力平和隊事務局長
メル・ダンカン

上記文書の英語原文

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12月29日に国際事務局から送られてきた続報

12月29日:グリニッジ標準時10時00分

NPからの津波最新情報:どのように支援することができるか

親愛なる友人の皆さん、

この3日間にとても多くのことが起こりました。 悲劇は私たちが最初に予期したよりはるかにひどいものです。 スリランカで死者の数が2万1千人を超えており、私たちは友人や仲間と共に嘆き悲しんでいます。

私たちのフィールド・チームのメンバーのひとりナイジェリアからのキャシーは、まだ マータラの病院にいて、追加的小手術を必要としました。 彼女の同僚フランクが彼女に付き添っています。 キャシーが動けるようになれば、彼らはすぐにコロンボに来るでしょう。

プライアー(私たちのスリランカ人の職員の一人)は家族、友人、および隣人を失いました。彼女の家は半壊し家財の大部分も失ってしまいした。 また、私たちのアジア・コーディネータであるラジヴはインドの友人を失いました。

トリンコマリーのビーチのゲストハウスでクリスマス休暇を取っていたフィールド・チームのアメリカ人のメンバー、トーマスは津波から辛うじて逃れました。 彼は、朝食を食べたらすぐに友人と共に自転車に乗って外出することに決めていました。 自転車で走っていた時に彼らは、波によって家から追われパニック状態で逃げて来る群衆に出くわしました。 数時間後に、彼は自分のゲストハウスに戻ることができましたが、敷地内の宿泊客用のバンガローがすべて波によって破壊されてしまったのを目にしました。 彼の持ち物はなくなりましたが、彼自身は無事でした。

彼は、私たちの現地事務所の1つがあるムトゥールの町の低地地域の荒廃の場面に戻って来ました。

NPのフィールド・スタッフ:ジャフナの大島みどり、ムトゥールのトーマス、およびヴァルチェナイのアンジェラは全員、NPが地元のパートナー団体とともに草の根レベルでもっとも効果的にできることは何かを明らかにするために、地元のパートナーと共に活動しています。

全国いたる所からNPチームは、驚くような立ち直りの話を報告しています。 お互いに闘わせられた人びとが、今は一緒に働いている実例を見ました。

多くのみなさんから、祈りと謝意および支援したいとのご意向が寄せられています。 私たちは2つの提案をします:

  • NPを含めて、スリランカの人びと、さらに南アジアの人々すべてのことをあなたの祈りと想いの中にお覚えください。
  • 私たちが一緒に活動し、直接の救援と人道主義の活動をしているOxfam(オックスファム、英国オクスフォードに本拠をおく慈善団体)あるいはSarvodaya(サルボダヤ、スリランカ最大のコミュニティ・ネットワークを持つNGO)に寄付をすることをお考えください。 私たちは、彼らがスリランカの現地で効果的で強力な組織であることを知っています。

*クレジットカードによりオンラインで Sarvodaya に寄付するには*
NPのウェブサイトを通して寄付することができます:
http://www.nonviolentpeaceforce.org/english/help/donation.asp
Sarvodaya donationのページに直接行ってください。 私たちがこのサイトで集めたお金は、全額Sarvodayaに送られます。

*米国内で郵送により寄付する方法*[省略]

*スリランカの Sarvodaya に直接寄付するには*
電信送金を使用して外国送金する為に必要とする情報です:
Sarvodaya Inc. Acct. No 159000 8015 Commercial Bank of Ceylon Limited.
Moratuwa Branch Swift Code CCEYLKLX.

スリランカの Sarvodaya の情報は:http://www.sarvodaya.lk/をご覧ください。
あるいは、*OXFAM* に寄付してください:
http://www.oxfam.org/eng/oxfam_sites.htmに行ってください。あなたの国のOxfamのホームページを見るためには、、、

米国からは、[省略]
(訳注:オックスファム・ジャパンの日本語のウェブサイトのURLは、http://www.oxfam.jp/です。).

皆さんの力強く深甚なるご支援に今一度感謝いたします。 私たち皆が、特に親密に互いに支え合いましょう。

非暴力平和隊事務局長
メル・ダンカン

上記文書の英語原文

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最新津波情報#3

1月6日GMT0600付

親愛なるみなさま

ガーナから来ているフランク・マッカイ・アニムアピアーが木曜日(訳者注:1月6日か12月30日なのか不明)心臓発作に襲われました。彼はマータラ・チームの一員であり、津波に襲われて負傷したキャシー・オロヴウィゴーに付き添っていました。二人とも今はコロンボの病院で回復途中です。キャシーは静脈と靱帯を切断しました。彼女はリハビリを必要とするでしょう。現在は松葉杖の使い方を練習中です。

他のチーム・メンバーは、ジャフナ、ムトール、ヴァルチェナイで一生懸命活動しています。筆舌に尽くしがたいような状況に直面していますが、勇気と同情心を持って活動しています。最初は即座の用に迫られたことをやりましたが、私たちの使命をこの災害に対処するため適合させています。

私たちの第一の焦点が非暴力の平和維持であることには変わりありません。私たちはこの悲劇がもたらす平和と人権の重要性を見失わないつもりです。私たちのチームは紛争地域で一年以上も生活し活動して来ました。ムトールとヴァルチェナイではそこで生活し活動している唯一の国際組織です。

したがって彼らは今、支援の及んでいない地域を指摘し、その地域への援助を唱導できるという特異な立場にいます。彼らはまた、援助の配分に政治色を持たせないこと、ならびに救援と再建のプロセスおよび地方の能力増大をスリランカ人が管理することを強調する「不平等、差別を生じない」アプローチを実行しています。彼らは、紛争ばかりでなく協力の事例も監視し定期的にリポートしています。

私たちは、私の先日のメィルに対するみなさんからの寛大な対応に感極まっています。私たちは火曜日にサルヴォダヤに対し、彼らの草の根救援活動のために99,200ドルを直接電信送金しました。この大災害の最中にサルヴォダヤの創設者であり会長であるアリ・アリヤラトネは、両側がまず救援のために、そして復興のために協力し、和解につなぐことができる非常に重要な機会であることを予見しています。

あなたができることはたくさんあります。たとえば、

  • 金曜日の断食:非暴力平和隊は全体として宗教とは関係ありません。
    私たちのスタッフやメンバーはいろいろと異なる宗教的あるいは精神的信念を信奉しています。まったくの無宗教の人もいます。あらゆる人が歓迎されるのです。私たちはみなさんが、1月中の金曜日のすべて、あるいは一部分の断食に、南アジアの人びとやスリランカにいるNPチームに連帯して、私たちスタッフやボランティアやフィールド・チームの何人かそして私に合流するようお勧めします。あなたの友人やお家族そして団体や宗教グループの方々に合流をお勧めしてください。これがすべての人びとに受け入れられるものではないことは承知していますが、ご一緒していただける方々を歓迎します。
    • もし断食されるのであれば、お名前と連絡先をe-メィルしてください。スリランカにいる私たちのチームにあなたのお名前を伝えます。
    • その食事に費やす筈の金額を寄贈することをお考えください。
  • スリランカへの第2次フィールド・ワーカーへの応募
    [訳者注:すでに応募受付は締め切られましたので、省略します]
  • キャシィとフランク、そしてNPのチーム・メンバーへ短い手紙を
    Across@nonviolentpeaceforce.org 気付で送ってください。
  • この手紙を友人や仕事仲間に回したり、ウェブサイトに掲示してください。

愛を込めて、
メルより

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スリランカ津波関連情報 No.4(2005.1.21)

親愛なるみなさん

キャシィ・オロヴゥィゴーとフランク・マッカイ・アニムアピアーが退院したことをお知らせできることを嬉しく思います。 キャシィは快復するために今日ナイジェリヤに帰国しました。フランクも間もなくガーナへ帰ります。二人ともできるだけ早くスリランカでの平和維持活動に戻ることを望んでいます。

リタ・クルスはポルトガルからスリランカの奉仕に戻り、キャシィたちが入院してから閉鎖されていたマータラ・オフィスを再開するために、リタ・ウェブと合流しました。マータラ入りして以来、救援と再建のプロセスを監視する市民社会の国民的システムを樹立するために、スリランカの400のNGOの連合体であるPAFFRELを支援してきました。彼らはまたPAFFRELスタッフとともに、少なくとも一つの避難民キャンプの中に泊まることを計画しています。この国の南部のキャンプでは子どもと女性に対する虐待の報告があります。

先週、東部の町ヴェネガリで葬儀の集りに手榴弾が投げ込まれ、3人が死に20人が怪我をしました。NPチームはその攻撃の後で、護衛的プレゼンスを提供し、また同様に人権保護のNGOのスタッフへの同行もやっています。私たちのチームは、この事態を緩和するために紛争当事者の間に対話を開くよう助けています。先週の終わりまでには夜を徹しての護衛的プレゼンスはもう必要なくなりました。

私たちのチームは、避難民キャンプにおける救援物資の配布と活動について、活発に監視し報告しています。
http://www.nonviolentpeaceforce.org/english/news/TrincoPhotos.asp

プロジェクト・ディレクターのウィリアム・ノックスは1月8日、津波以降の紛争と人権問題の状況について国連のコフィ・アナン事務総長と主要なNGOとの協議会の一員として事務総長との会談に参加しました。

この2,3週間にわたって私たちの多くはNPを通してサルヴォダヤに対して12,000米ドルを寄贈して来ました。このお金で彼らは直ちに食料や衣類を配ることができ、医療団を組織し、いくつかの医療キャンプを運営することができました。

サルヴォダヤUSAの専務理事のリック・ブルックスはこのように書いています。「私は津波発生後直ちに寄せられたみなさんのご支援に対する感謝を繰り返したいと思います。サルヴォダヤ自身も私たち米国に居る者もオンライン方式の贈与の仕組みを持っていなかった時に、NPが募金の窓口役を果たしてくれたことは天の賜物でした。私たちは、みなさんが切迫した状況下でご親切と寛大な行為と無私の態度をありがたく思います。非暴力平和隊は、この2,3週間にサルヴォダヤに対して感動的な金額を寄せられました。 私はいまNPに委ねられた特別の支援の要請(本来のNPの使命のこと)にも応えることを強く訴えます。 もし不十分な資金の故にNPの使命と運営が十分な機能を果たせなかったとしたら悲劇でありましょう。」

サルヴォダヤとウィリアム・ノックスからのアドバイスにより私たちは彼らのための募金は止めることにします。

募金に加えて、私たちのチームに対して多くのみなさんから善意とお祈りを寄せていただきました。世界中の人びとが1月中の金曜日に連帯と支援を込めて断食をしています。

私たちは今、即座の救援を乗り越えて進まなければなりません。そして中長期の活動に向かわなければなりません。ヴァカネリで明らかにされたように、私たち市民の平和維持活動は、これまでになく必要とされています。私たちは、津波の危機に対処するため下記のように使命を拡張しました。来週にはケニアから平和維持活動員が一人加わり合流しますし、金曜日にはさらに二人がチームに合流します。私たちは今第二次のチームを募集中で、今日までに210人の願書を受け取っています。私たちは現時点では12人の平和維持活動員を追加して派遣するのに十分な資金を持っています。しかしもっと必要です。執行委員が集まる1月26日までに今からどれだけ集められるかによっては、さらに11人を派遣することができるでしょう。平和活動家一人を募集し評価して訓練し、1年間サポートするには3万ドルかかります。どうかみなさんの想いとお祈りと黙想と断食とお言葉と募金の中で私たちをお支え続けてください。
http://www.nonviolentpeaceforce.org/english/help/donation.asp

スリランカと全世界の非暴力平和隊は、このような悲劇的な時期の間も、思慮と力と実効性を持って本当に実行しています。みなさんありがとうございます。

愛と感謝を込めて
メル(NP国際事務局長)

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【適応される使命】

  • スリランカ人の救援と再建作業員が、実際の、あるいは脅しの、武力的、政治的あるいは物理的妨害または暴力を受けることなく彼らの作業に身を入れて実行できるように彼らを含めて、被災したコミュニティとグループへの非暴力的な保護を提供すること。
  • NPが活動している地域を監視し、文書あるいは口頭による定期的な報告により情報を関係当事者に提供すること。
  • 包括的でコミュニティの参加を促進している救援と再建活動を明らかにすると同時に、党派的な或いは慣習を排除するやり方に起因する害悪がある活動をも明らかにすること。
  • NPが活動している地域での新規の機関が、コミュニティの包括性と参加の原理を遂行できるよう支援すること。
  • 現在の和平プロセスが取り組もうとしている根元的な全国的ならびに地方的紛争の中の改善点あるいは悪化点を明らかにすること。
  • 食べ物と住まいに対する基本的人権を促進させるばかりでなく、人種を異にする共同体の調和と平和なスリランカを促進させるために、救援と再建活動へのコミュニティの関わりを励まし支持すること。

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非暴力平和隊スリランカ・プロジェクト・ディレクター、
ウィリアム・ノックス氏からの報告

2005年1月14日

William Knox より非暴力平和隊プログラム委員会、スタッフへ

現状に対する対応の一つとして、非暴力平和隊は現在フィールド・チームが活動している地域の状況について公式の報告を出すことを始めた。これらの報告は、包括的なものではなく、非暴力平和隊のスタッフによって観察されたかあるいは関係する事柄に限定される。非暴力平和隊は第3者によってもたらされた情報を確認しようと務めており、その情報が実行される前に他の団体によっても実証されていることを提言したい。

この報告書についての改善提案を歓迎する。

【ジャフナ事務所報告】

●ジャフナ市街

今回の災害によって孤児となった子どもたちがLTTEと連携した組織によって面倒を見られていること、独立したグループがそれら孤児の生活面をチェックし、あるいは他に換わる代案を提供するのは困難であるとの心配が非暴力平和隊に寄せられた。非暴力平和隊はこの点に付いて更に調査し確認したい。

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●ムライテイヴ

過去数日間、この地域の避難所を訪問した。これらの場所では、我々が訪問した際には、医療スタッフによって良く面倒を見られていた。非暴力平和隊は或る避難場所から他の避難場所へあるいは他の住いに相談もなしに移らされた人達の個別の報告を受けたが、地域社会はそうした慣習がなく、また、監視されていないところでの個人との接触が限られていることからこれらの報告を実証することは困難であった。

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●ポイント・ペドロ

非暴力平和隊スタッフはこの2日間、この地を訪問したが死臭と火葬の光景からまだ収容されていない死体がある徴候が見られた。民間人や治安部隊を問わず、軍事施設を取り巻いて言いる鉄条網に投げ出されて多くの人達がこの地域で亡くなったとの報告を受けた。国際開発機構(IDP)が設けた避難所を訪問したが、これらはよく運営されているようであり、そこに留まっている人達は、今の事情を勘案すれば期待以上に満足しているようである。

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【ムートル事務所報告】

●ムートル市街

今週の初め、この町の住人は人民解放戦線のボランテアがシャベルと斧を持って町にやってきて津波によって残された残骸を除去する作業を手伝うという見慣れない光景に遭遇した。海軍関係者もまたムスリム地域での残骸の除去作業に積極的で町の正常復旧に努力している。ムスリムとタミール社会の間で、救援物資やその他の必需品をお互いにサポートするなどの著しい協調も行われている。総じて、この町の復旧は迅速なように見受けられる。

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●ヴァチャライ

今日、非暴力平和隊スタッフは南下してヴァルチェナイの町とをつなぐ主要な橋まで車で行くことができた。道すがら、被害の大きさが目に付いた。しかしながらTROの積極的なチームにより主要な橋が再建されている徴が見られた。非暴力平和隊スタッフは橋が3週間で再開出来るだろうと説明を受けた。

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●ヴェルガル川

今日、かなり大勢の人民解放戦線のボランテアが川の近くのチェックポイントで、掩蔽壕を囲んでLTTEの兵士達と談笑しているのが見受けられた。更に南下して、人民解放戦線の救援チームがLTTEがコントロールしている地域の避難所で救援物資を積み下ろしているのが見受けられた。

ムートルの南、ヴァチェライ地域への救援物資を容易にするため、ムートルと川の間の道が改良されて、被害地域までの輸送時間が大幅に短縮された。ヴェルガルフェリーは、津波による被害の後再び運航している。

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【ヴァルチェナイ事務所報告】

●バチカロア地区

この地区の幾つかの場所で見受けられた津波被害に即座に対応した顕著な特徴は隣人を助ける住民の自然な活動であった。このような自発的な活動が十分認知されず、そればかりか、自発的な行動をベースにそこに住んでいる住民の技能を活用し開発し得なかったことに対する心配の声が多くの人々から非暴力平和隊のスタッフに伝えられた。バチカロアの市民社会はこのようなケースを記録に残し、そのような慣行が将来の救援活動に含まれるよう唱導するつもりである。

非暴力平和隊と連携を持つ市民社会は、被害を受けた人々が一般的に彼らのニーズと保護を主張する力があるかについて心配している。最近まで続いた紛争期間中、そのような慣習は共同体の中で強くはなかった。 市民は家族や、友人や、持ち物を失ったことから生じたトラウマに対応する努力をしているが、市民の無力感はますます高まるようであり、また、本来ならば公僕として仕えねばならない救援に携わる責任ある人々の目に見えた無責任さ(相談にのってくれないこと)がこれに拍車をかけているようである。或る公民権活動家達は、被害を受けた人達の相談に応じて自分達(被害を受けた人達)の唱導スキルを開発させるかあるいは要望によっては、彼らのための外部の擁護者を用いることを検討している。

いつもの事ながら、このような国家的大災害の後すぐに生じるように、救援活動に関係する様々な主役達の間での協調の欠如の問題が続いている。バチカロア地区には医療や救援やリハビリ活動の分野で幅広くそれぞれの分野で優れた資格を持ち経験を積んだ個人あるいは市民社会グループがあるにもかかわらず、不幸にして、これらの地域の能力は政府関係者や新規の救援組織によってしばしば無視されている。

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●カラール

今週の初め、地域の活動家に同行して非暴力平和隊は近づくことが非常に制限されているカラールの収容所を訪問した。この地域に入る元の橋は今は川に置かれた板を伝って歩いて渡るだけになっている。精神・社会的ケアはなされていないようだった。衛生状態は悪く水へのアクセスは限られていた。この収容所に住んでいる人達は受けている処遇に不満であった。非暴力平和隊は2週間前に訪ねた時と同じように国際開発計画(IDP)の人達が食料を巡って争っているのを目撃した。収容所の子供達に十分な食料が受け取られていないとの苦情があった。バチカロア駐在のNGO諸団体はこの状況を知らされていた。しかしながら収容所にはボランテアが詰めている医療施設が1箇所あった。

訪問した非暴力平和隊は救援物資がキリスト教会の人々によってこの地域に運ばれていることを知った。救援物資がその教会のメンバーだけに配られているとの噂があったが非暴力平和隊はこのことを実証出来なかった。

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●カルワンチクヂ(Kaluwanchchikudi)

同じ時に非暴力平和隊の別のグループがこの地域の国際開発機構の状況の情報を得ようとしているバチカロアの活動家達に同行してカルワンチチクヂを訪問した。ここの収容所は一般的に言って非暴力平和隊が訪問したバチカロア北部の収容所よりも統制が取れていないようであった。スリランカ赤十字社(SLRCS)のスタッフとボランテアがこの地域で活動していた。また、非暴力平和隊は特別タスク・フォースとLTTE女性兵士が、両端ではあったが、収容所で同時に活動している普段では見られない光景を目にした。

スリランカ赤十字社活動家の多くは、被害者の人達を12月末まで支援した独立した地域共同体の諸団体に所属している。シッタンヂ(Sittandi)から来たある女性は救援活動の初期段階で彼女達の村は一日1,000食を用意したと語ってくれた。

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●ヴァカネリ(Vakaneri)

この数日間、チーム・メンバーは既にその地域で活動している人道的活動のNGOに同行して、1月8日の葬儀集会に手榴弾が投げ込まれた事件に関する防御対策のフォローアップの目的でヴァカネリを訪問した。村人との一連の会合で、この地域で長い間キリスト教徒とヒンドウ教徒が争っているとの話を非暴力平和隊は聞かされた。我々に語ったヒンドウ教徒は、この地域に住んでいる25所帯のキリスト教徒は最近10年間に住み着いたものだといっている。キリスト教徒が反対を押して教会を建てようとするまで何ら問題はなかった。過去に或る教会の建造物が壊されたとの話を聞いた。

4人のキリスト教徒と噂されるガンマンによってヒンドウ教徒に攻撃が行われた。また、キリスト教徒とヒンドウ教徒はそれぞれLTTEのヴァンニ派(Vanni)とカルナ派(Karuna)と組んでいるとの噂もある。警察が二人の被疑者を逮捕し、キリスト教徒の家族は幾つかの家が報復によって焼かれた後この地を逃げ出した。残っている住民は残る二人が捕まっていないので、彼らが再び攻撃するのではないかと恐れている。2日間、非暴力平和隊のスタッフは護衛的プレゼンスを提供するためその村で夜を過ごした。彼等はその地域でプレゼンスのため残っている人道支援のNGOのスタッフに同行した。

多くのキリスト教徒の家族はヴァルチエナイ(Valaichchienai)に住む家族や友人の元に避難している。非暴力平和隊はこの一連の出来事に関連して、状況を広めるためのコミュニケーションが図れるよう、これらの人々を訪問しメッセージを伝えている。この地を追われたキリスト教徒とは繋がりを持たない或るキリスト教聖職者が仲介者としてヒンドウ教の村民と話しが出来る状況である。手榴弾の爆発によって亡くなった人の家族や怪我をした人々に補償金を払う話合いが進展している。また、爆発によって怪我をした人達の治療をするために間もなく村に医療援助がもたらされるとの手配もなされている。

最初の攻撃から一週間のうちに、非暴力平和隊と共に地域の平和活動家がそれぞれのグループと相談を継続し、しばしばお互いに親戚でもあるキリスト教徒とヒンドウ教徒が再び一緒に生活するプロセスが始まったようだ。今の所、夜の護衛的プレゼンスを最早必要としない程度に村の緊張は軽減されている。

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スリランカ・プロジェクトに関する調査報告書

スリランカ・プロジェクト調査・提案 抜粋(2002年9月、11月)

非暴力平和隊のために作成されたレポート

ドナ・ハワード、アンドリュー・ケンドル、ヨランダ・フォスター

2002年9月13日〜10月6日、2002年11月2日〜11月15日

概要とコメント:クリスティーネ・シュバイツアー
(注:非暴力平和隊のことをNPと略します)

【提案の記述】

スリランカのNGOの一つが、2002年初頭の停戦によって開始された和平プロセスの間、非暴力平和隊が暴力の縮小を手助けするパイロット・プロジェクトを果たすことを提案している。

NPは、土地を巡る紛争が暴力を引き起こすかもしれない非常に軍事化した地域、および、タミル人やシンハラ人あるいはムスリムの間で社会的緊張がエスカレートするかもしれない混在地域において、プレゼンスおよび監視、ならびにもし必要とするならば、同行を提供するだろう。

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【現地パートナー】

招聘している組織は、PAFFREL「自由で公正な選挙を求める住民連合(People's Alliance for Free and Fair Elections)」である。 彼らは、主にいろいろな地域において、NPがチーム・メンバーを配備することによって、彼らの委員会の仕事を支援することを提案している。

また、「民主的権利の擁護のための運動(Movement for Defence of Democratic Rights)」、「サマダナ(Samadana/m)」、「国民平和会議(National Peace Council)」、「国民反戦連合(National Anti-War Alliance)」、「社会と宗教センター(Centre for Society and Religion)」その他のような他の組織も、NPとの協力への関心を表明しており、PAFFRELのリーダーシップについて満足の意を表明した。

NPは、スリランカで独立しているNGOとして登録することになろう。

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【目標】

主な目標は、和平プロセスが続けられている間に、暴力の激しさ/潜在性を減少させ、民間人のための安全を増加させ、その和平プロセスへの民間人の参加のための可能性を改善することである。NGOからの感想は、草の根レベルにおいて平和を維持することが、公正とともに平和を促進するかもしれない、ということであった。

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【提案された活動】

NPのチーム・メンバーの活動は、プレゼンスおよび監視、そして要求されるならば、同行が含まれるであろう。

NPチームのメンバーを、東部(特にトリンコマリー(Trincomalee))、北部(ジャフナ(Jaffna)、キロノッチチ(Kilonochchi)、他)、西部(コロンボを含む)、南東部のモネラガラ(Moneragala)、マタラ(Matara)他の村々に配備する。もちろん他の場所も、後でより大きな需要を示すかもしれない。

PAFFRELは、25の地域委員会に対するリーダーシップを明らかにした。 北部と東部では権利の保護についてどのようなタイプのグループが鍵を握ることになるかに関して、平和市民有権者グループによってさまざまな考えが議論されていた。

  • 苦情受付のための市民委員会
  • 土地紛争、逮捕、および拘禁を監視するための調査団の設置
  • 行方がわからなくなった子供の監視のために、国連人権特別委員会(HRC)と連携する学区委員会

NPは、これらのグループの力量を支援し、非常に軍事化している地域での保護を提供するという役割を提供できる。

また、各委員会には、「ただ、そこにいるだけ」の、NPのチーム・メンバー2人がいるべきである。 このモデルは東部における人間の安全確保に対する鍵になるであろう。

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【必要性、任務、および原則】

現段階の「スリランカ統一戦線(Sri Lanka's United Front(UNF))政府」と「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」との間の交渉プロセスは、戦争状態を縮少し、解決に向けての条件を作り出すことを約束している。 この過渡期の間、スリランカの平和活動家と市民社会は、平和構築のための議題の中に、自分達の問題を持ち込むことを始める時、支援を必要としている。スリランカの東部の州では、停戦後の状況は脆弱である。

紛争解決に向けての政府レベルの交渉は成功しているが、その一方で、市民レベルのイニシアチブは遅れている。 戦争で疲弊した地域の再定住と再建の問題は、東部のデリケートな社会機構に脅威を与えている。

帰還民の要求と期待、特に土地に関する要求と期待が紛争点なのかもしれない。東部の三つのコミュニティすべてが恐怖と不安を感じているが、特にムスリムが彼らの未来に関して不安を感じている。

そのような情況はスポイラーにとっての猟場である。

さらに、その地域に責任がある政治的権威の欠落は、人間の安全保障について不安に満ちた問題を引き起こす。 シンハラ人の村がタミール人の村を取り囲んでいたり、その逆の場合の人口分布は、明らかに暴力の潜在的な源である。

この提案は、既に選ばれた実地のやり方の利用に基礎を置く大規模な介入を利用することによって、NPの任務にがっちりと適合する。このことは、民間人を保護し、双方の紛争当事者が「変わる」ことを望んでいることを示す機会を彼らに提供することにより、NPの「政治的に立場をとらない」という姿勢に妥協することなく、おこなわれ得る。大部分の西側政府やインドその他により、テロリスト組織だ、と特定されているLTTEは、軍事力よりは、むしろ統治に関しての信頼性を示すことが必要である、ということにまさに気付いている。

非暴力平和隊は、平和的解決への願望を示すすべての当事者にその任務を振り向ける。 インタビューしたすべての潜在的当事者はこれに同意している。

このプロジェクトは、NPの「政治的に立場をとらないこと」という原則を完全に満たすであろう。何故ならばNPは、紛争に関わっている三つの民族的/宗教的グループすべてと一緒に、彼らのテリトリーの中で活動するであろうから。

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【紛争に対するプロジェクトの潜在的影響】

紛争の分析およびそれに対してグループが及ぼすであろう影響に関する報告1.2節を参照のこと。

NPがそこに行く限り、スリランカでは、暴力の抑止によって停戦を保持し、平和な社会を求めて変革を実行している人々の生命を保護し、不安定な地域の中で民間人の安全を維持すること、の点においてユニークなチャンスが生まれる。以前の停戦協定は、この支援する「政治的に立場をとらない」平和維持活動がないために失敗したのだ。 考えられる結果として、調査チームはその最新版を下記する。

  • 選択肢としての非暴力の促進
    スリランカの政治風土は非常に暴力的であり、北部と東部はかなり軍事化されたままになっている。NPプロジェクトが果たすことができるであろう最大の貢献は、信頼できる選択肢としての非暴力の戦略の促進による紛争の緩和である。
  • 民間人の参加のための安全なスペースの拡大
  • アジアにおける非暴力的介入の実践
  • 武力紛争へのぶり返しの抑止

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【タイムスケジュール】

第1ステージ:2003年3月〜7月:恐らく3人の現地活動家の先発チームがスリランカに到着し、PAFFRELとともに活動を始める。先遣隊のNPスタッフの事務所開設、物資調達ルート、試行および評価の開発
第2ステージ:2003年7月〜10月:2カ所で現地のプレゼンス
第3ステージ:2003年11月〜2004年1月:現地のプレゼンスを6カ所に増加
第4ステージ:2004年7月:現地のプレゼンスを可能性のある16カ所に拡大
第5ステージ:撤収のための準備、発足段階と対照的に規模縮小
合理的な目標を確立させ、3年以内に達成させることができる。変化と不安は和平プロセスの間、継続することだろう。(それには、2〜5年かかると予測される)。

地元の組織には、私たちのプロジェクトの範囲を超えてなされる必要があるどのような暴力縮小活動をも引き継ぐ能力があるだろう。 撤退のための責任ある戦略は、この国の北部と東部における、和平協定と増大する安定性および民間組織の拡大する能力を巡って立てられるであろう。

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【チームの規模】

適切な人数の問題は、PAFFRELと議論した問題であった。デリケートな政局のため、小人数のチーム(スリランカへの先発チームに同行する恐らくは3人の現地活動家)で始めるのが賢明である。

これらの先遣隊のNP活動家(紛争監視の経験者)の仕事は、信頼性を明らかにする手助けであろう。

もし活動が、下記スケジュールの1年目の目印を超えて継続し、上記の各地点に少なくとも3人のNPスタッフがいるならば、およそ50人のチームメンバーが現地にいることであろう。 さらに、特定の委員会などに求められる管理スタッフと他のメンバーがいるだろう。

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【認可】

NPが、スリランカ国内で重大な制限なしに活動できることを確実にしたければ、政府およびLTTEの公式の書面による合意を必要とする。

報告書に概説されている警告に留意するのであれば、少なくとも小規模のボランティア・グループに対しては、この認可が得られる見込みは比較的容易である。

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【資金集めの可能性】

一般的に、お金は停戦あるいは和平協定の後で国家につぎ込まれる。世界は、手榴弾の爆発が終わると直ちに財政的に支援しようとする。これはスリランカにもあてはまり、特にスカンジナビア諸国の援助が際立って注目を浴びている。現在、ノルウェー、スウェーデン、日本、カナダ、米国、およびEUが、プロジェクトに資金を供給するのを切望している。

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【危険レベル】

何人かの国際的な選挙監視員が2001年12月に受けた物理的な威嚇は、かって襲撃が企てられた時に、党派の支持者が、国際人がどこか他にいることを確かめるのが常であった陽動作戦と同様に、国際人に対するゲームのルールが変っているという徴候だ、とある人は見なしていた。それが、国際的な監視員に対する物理的な暴力が、より広範囲に拡がりそうだ、ということを意味しているのかどうか、それとも、選挙期間だけの深刻な可能性なのかを見定めることはまだできない。現在、調査チームは、NPの現地スタッフに対する潜在的危険のレベルは許容できる、と感じている。

NPスタッフに対する他のリスクには、セクシャルハラスメントを含めて、交通事故と地雷そして犯罪被害者になること、が含まれる。

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【注目度および評価することの可能性】

スリランカは小さな国ではあるが、あのように長びいた戦争の後に、停戦と了解事項覚書という重大さの故に、今年はニュースでかなりの程度で特集されていた。

暴力に戻ることのない紛争解決は、他の多くのアジア諸国のためになるであろうが、インドにとっては重大な意味を持っている。というのは、インドは、もしスリランカでLTTEがイーラム(Eelam「タミルの国」という意味)の樹立を達成するならば、タミール・ナド州(訳者注:インド大陸南端の州)の人々が、潜在的な不安と見られ、独立国家を要求するのではないか、と見ている。したがって、スリランカのできごとは、その規模から連想されるよりもはるかに大きいニュースなのである。

NPの調査担当理事の目には、明確で具体的な目標、紛争の中のいろいろな活動分子への潜在的アクセス、およびNPがやるであろう活動と同様な活動をするような類似のNGOが存在していない、という理由により、影響アセスメントを含むすべての見方でのプロジェクトの評価を容易におこなうことができた。

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【次のステップ】

デリーでパイロット・プロジェクトが選ばれたならば、プロジェクトの指揮スタッフをできるだけ早く雇用すべきである。

スリランカがサイトとして選定されたならば、できるならば、少なくとも2人の人が、プロジェクトを受け入れる準備をするために、1月の終わりまでに(この日限は地元のNGOによって強く示唆された)スリランカに到着すべきである。国内事務所はその時に調達されるだろう、そして、進展会議がすべての地元の当事者と共に定期的に開催されるだろう。

これらのスタッフは、NPのチーム・メンバーを配備するよう推奨されている場所すべてに旅行しなければならない。そこの状況についてさらなる情報を明らかにするためだ。パートナー組織の地元メンバーは、宿舎を見つけたり、連絡をとることを手助けすることができる。チーム・メンバーの間近で暮らし、活動する市民の意欲を判断し、その特定の場所で必要とされているものを理解するために、時間を費やし配慮しなければならない。この最初のスタッフが2月まで国内に留まり、NPのチーム・メンバーの最初の波が25人以下であれば、国内における実際的なことは8月までに達成することができる。(それは、チーム配備の計画された期日である)。 スリランカはそんなに大きな国でなく、人々はやさしい。

[以上]

<訳者後記>
スリランカについては、「知恵蔵」(朝日新聞社発行)2003年版の253頁「スリランカ民族紛争」の項を参考にしたことを付記します。

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スリランカ経過報告書(2003年3月)

2003年3月

ラム・マニヴァナン
ドナ・ハワード

これは2月にスリランカに現地調査に行ったふたりの理事、ドナ・ハワードとラム・マニヴァナンによって書かれ、3月上旬に国際理事会に提出されたものです。非暴力平和隊・日本の運営委員の小林さんが訳してくれました。 スリランカ・プロジェクトは、この経過報告が書かれたあとも、更に進んでいます。(NPJ注)

昨年12月デリーにおける非暴力平和隊(以下NPと略す)設立総会において、スリランカでパイロット・プロジェクトに取り組むことに賛成票を投じた47カ国からの代表は、NPの組織を構成する70を越えるメンバー団体を代表していた。このプロジェクトは、2003年4月に開始され、暴力と紛争の地域でプレゼンスや同行あるいは監視活動を続けながら、約3年間続けられます。これには、土地を巡る争議が暴力にエスカレートするかも知れない領域、あるいは、社会的緊張がタミル人・シンハラ人・ムスリムの間に存在している地域を含んでいます。

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【プロジェクトの原則】

スリランカにおける第三者によるこの非暴力介入は、非暴力平和隊の基本原則に基づいて行使します。

  • 非暴力:
    NPの代表団は、いかなる状況においても非暴力的な手段と戦略のみを用います。
  • 政治的立場をとらないこと:
    NPは紛争にかかわっているいずれの側にも立つことはありませんし、NPのサービスはどちらの当事者にも利用できるものとします。
  • 不干渉:
    NPは地元の招きによって入国し、地元のガイダンスの下でのみ活動に取り組みます。NPは、紛争の結果が暴力的でないことを確実にすることを除いては、紛争の結果に影響を及ぼすことのないように取り組みます。
  • 互いに尊重すること:
    NPはいかなる個人やグループの信望も傷つけることのないように努め、暴力そのものに反対する一方で、原因と要求を理解することに努めます。
  • 認可:
    NPはすべての当事者からの善意と受け入れを求めます。

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【目標】

  • 暴力のレベルあるいは可能性を引き下げること
  • 和平協議の過程中の民間人の安全を高めること
  • 和平協議の過程に民間人参加の可能性を高めること
  • 民間人の参加を通して公正な平和の見込みを高めること
  • 民間人の安全度を高めた結果として、民間人の信頼度と創造性を高めること
  • 暴力紛争の再発を阻止すること

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【協力】

NPは、ジャフナの人道的活動協会(Consortium of Humanitarian Agencies)のアドバイスにより「自由で公正な選挙を求める人民同盟(PAFFREL)」と協力しながら活動します。これまでに私たちが会合をもった地元の組織には、Sarvodaya, National Peace Council, Center of Society and Religion, Movement for Defence of Democratic Rights, Samadana/m, Ahimsa, Inter-Religious Peace Foundation, Social Scientists Association, Oxfam, Foundation for Coexistence, Women and Media Collectiveが含まれていますが、これだけに限られるものではありません。

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【提案された活動】

NPのチーム・メンバーたちによって提供されるサービスは、国際的防御プレゼンス、必要あれば同行、人権侵害に関する監視が含まれます。これらの活動は人権委員会(HRC)によってその権限を与えられたPAFFRELによって設立された多民族による地域人権委員会とともに取り組まれます。紛争当事者たちは和平協議の間に、国際的監視機関としてHRCを受け入れています。

HRCの現地活動は、紛争地域において民間人の安全性を高めるのに成功している非暴力的戦略についての 2年間にわたる調査に基づいて選ばれました。平和活動家たちは、彼らが人目につくことならびに連帯性によって、紛争の可能性を減らすために不安定な地域の中で暮らします。

チーム・メンバーたちは、紛争を非暴力的に解決する活動の中で危険にさらされた非武装の個人や家族、組織に対する個人的同行を提供するために呼び出されるかも知れません。

もし人権侵害が観察されたならば、NPのチーム・メンバーたちは、地元のパートナーによってアドバイスされているように、その事実を報告することが期待されています。はなはだしい危険の場合には、NPのプロジェクト・スタッフは、救援を求めるために「緊急行動ネットワーク」を利用します。

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【NPスタッフの配置先】

NPのチーム・メンバーたちは、地理的なバランスと「政治的な立場をとらないこと」が目立つことを考慮に入れて、PAFFREL委員会のそばに配置されます。東部では Trincomalee, Batticaloa, Kattankudi, Kalmunai, Ampara にNPの支援提供を求められており、北部では Jaffna, Killinochchi, Mannar, Pollonaruwa, Vavuniya に、西部では Colombo と Puttulam に、南東部では Moneragala, Tissamarahama, Matara に、そして中央高地では Badulla と Kotmale です。

チームのユニットは、要請に基づいてのみその地域に行き、そこに住む人々との関係と信頼を築きあげるよう最大限の配慮を払います。

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【プロジェクト数と段階】

NPは、このプロジェクトの規模と実行については、PAFFRELおよび他の多くの地元組織や個人と協議中です。現在のところ、このプロジェクトの進展に関する期待は以下の通りです。

プロジェクト・スタッフのスリランカ到着は2003年5月で、PAFFRELおよび地域アドバイザーなどと活動を開始する。事務所を設立し、必要な物資の確保、チーム派遣地の準備を開始し、関係するすべての人々からの信頼と受け入れを求める。このスタッフは、プロジェクト理事およびプロジェクト・マネージャーで構成される。最初の10チームのメンバーは、9月までに2ないし3地域に配置される。現地のプレゼンスは、注意深く段階的に構築され、2004年の初めの数か月までに最終のチーム規模の50人のチームにまで拡大されます。このチームはそれぞれ3ないし5人のユニットで16箇所ほどで活動します。

このプロジェクト全体は約3 年間続けられる予定で、その規模縮小過程は、進展の過程に似たものとなるでしょう。撤退の戦略は、スリランカ人によって計画され、その有用性は注意深く評価されます。このプロジェクトのあらゆる側面は、スリランカ国内情勢の進展と状況の観点から評価されるます。

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【任務】

和平協議の中で、ノルウェーの監視団体、ICRC(国際赤十字)、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、UNICEF(ユニセフ)、アムネスティ・インターナショナルなどはすでに重要な役割を演じています。NPの意図は、これら他の組織によってなされた活動を繰り返すことではなく、非暴力に身を捧げた国際人として、草の根レベルで民間人と親密に暮らすことによって他に必要とされているものを満たすことです。

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【専門的であること】

非暴力トレーニングおよび非暴力行動についての包括的な計画は、社会科学者、精神的指導者、世界中の異なる文化、民族、体験を代表する専門家や活動家たちによって準備されつつあります。これは、6ないし7週間の強化トレーニングを含みます。この活動に従事する人はすべてこのプログラムを修了しなければならないし、必要に応じて3か月間あるいはそれ以上の語学の熟達をしなければならない。

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【非暴力平和隊の使命】

訓練された国際的民間人の非暴力平和隊の創造を促進すること。非暴力平和隊は、紛争地域に派遣されて、殺戮と破壊を防止し人権を保護することによって、地元のグループが非暴力的に取り組み、対話により、平和的解決を追求できる環境をつくりだすこと。

[完]

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スリランカにおける非暴力平和隊報告

スリランカ・プロジェクト報告

期間:2005年10月-2006年6月

主にマーセル・スミスとアンジェラ・ピンチェロによる四半期報告書と
プログラム・デパートメント月報からの抜粋

「例外は、小規模NGO, 非暴力平和隊のプレゼンスである。この海外、国内の平和活動家の小さなチームの方針は目に見えるような形で暴力の犠牲者の側に人目に付くよう立つことであり、賞賛されなければならない。それ故にムトゥールの彼らのオフィスに対する武装グループの襲撃は糾弾されなければならない。この行為は彼らのプレゼンスを脅威とみなす勢力により行われてきた。したがって、弱者の側に人目に付くよう立つことを使命とし、それを可能にする精神的強靭さを唯一の武器とするこのような無防備なグループに感謝し、支持するために全ての平和を愛する人は出来るだけのことをしなくてはならない。」 −コロンボ・デュリープ・デ・チケラの英国教会司教の言葉、全国紙デイリー・ミラーの一面の記事から引用

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【スリランカの全般的状況】

2005年の最終四半期以来、スリランカの政治状況に激しい変化があった。11月の1ヶ月だけで北部と東部における暴力の劇的な高まりが期待の高まった大統領選挙に続いて起こった。タミール地区では大掛かりな選挙のボイコットがあり、投票しようとする人に対しては威嚇と暴力があった。その結果、北部と東部の多くの所で投票者は極めて少ないか、全くいなかった。この島の他の場所では、驚くほど暴力沙汰が殆どない中で選挙が行われ、この選挙はスリランカ史上最も平和的な大統領選挙の一つと言われた。この選挙ではスリランカ自由党(SLFP)のマヒンドラ・ラジャパクセ首相が人民連合(PA)の公認候補として僅差ながら勝利した。

選挙後間もなく、北部と東部で暴力が急増した。クレイモア地雷による攻撃を含め、陸軍、海軍の関係者に対する直接の襲撃が増え、同様に政治家や地域社会の有力な指導者の殺害を含めて暗殺も増加した。地域社会内での暴力、近隣の村での衝突、大学の構内での暴力や恐怖があり、ジャフナ大学は閉校になった。治安上の措置や、特にタミール市民に対する嫌がらせへの非難がコロンボを含め全国で増加した。軍の検問所が増やされ、検問所を通過する人への警備とタミール人を中心とする数百人の市民への尋問や拘束を含む深夜の家宅捜索が強化された。

両者がジュネーブで会談するとの一月末の発表が安堵と希望をもたらした。停戦命令は2002年以来有効であったが、当事者間の対話は3年近く前から中断されていた。当事者たちは2月25日に2日間会談した。会談はノルウェーの仲介者の期待を超えるもので、成功であったと言われており、4月19−21日に第二回の会談が予定されていた。この期間、ある程度の暴力行為は継続し、不安定な東部ではまだ暗殺が起こっていたとは申せ、当事者間の表立った暴力には低下が見られた。住宅地区での捜査、捜索活動は著しく低下していた。

残念ながら、2006年3月末に暴力が再び激化した。4月の会談は開かれたが、明快な結果無しに終わった。そして、少なくとも三つの武装勢力、LTTE, 2004年3月にLTTEから分離し、スリランカ軍の主流派の一部に支持されていると言われるカルナ・グループ、それにスリランカ軍自身、を巻き込んだ宣戦布告のない低強度紛争がここ数ヶ月続いている。LTTEが行ったと言われる4月25日のコロンボでの軍本部への自爆攻撃は北東部の海軍と空軍によるタミールの虎に対する2日間の空爆へと発展した。5月早々、LTTEの“海の虎”による海軍への攻撃を含むもう一つの事件が更に丸一日の軍事行動(海軍によるLTTEの拠点への砲撃)を招き、これまでで最も重大な事件は60人以上の犠牲者、その多くは子供であったが、を出したバス乗客への正体不明の勢力による攻撃であった。誰がこのバスへの攻撃を行ったのかは明らかでないが、政府はLTTEを非難し、LTTEは政府に近い勢力の仕業と見做すと断言した。

6月、ノルウェーの仲介者は政府とLTTEを停戦対話に引き出そうと試みたが、今のところ、うまく行っていない。EUが5月にLTTEをテロリスト組織として非合法化したが、このことが仲介活動を更に複雑にし、スリランカ停戦監視団(SLMM)のスカンジナビア人要員をEU非加盟国要員に代えるというLTTEの要求となった。

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【現場の状況】

上記の対峙状況とは別に、幾つかの地域でタミール人とイスラム教徒との間に地域社会的緊張も高まってきた。トリンコマリーにおける循環的な報復殺人が市民を標的とし、それには市民も加わった。アンパラにおいてモスクで祈祷中のイスラム教市民5名の憂慮すべき暗殺は顕著な一例である。

LTTEと軍隊双方が由々しい動きで市民を武力抗争に巻き込んだ。LTTE支配地域内やその周辺のタミール地域社会の住民は所謂自衛訓練に参加することを奨励、時には、要求された。同時に、政府は基本的な戦闘技術の訓練を受けた地域社会市民を国防市民軍兵として新兵徴募を増加し、武器を与えた。政府の新兵徴募活動はLTTE支配地域近辺に住むイスラム教徒やシンハラ人に焦点が絞られた。市民に対する双方の訓練は彼らの地域社会を武力防衛する能力を市民に与えるものと言われるが、誰が兵士で誰が市民かの区別が曖昧となり、暴力を行使する能力と意欲を増すため、市民の軍隊化は全ての市民を更に危険に晒すことになる。

NPが活動する夫々の地区で暴力が起こっている。11月に一人のイスラム教徒の政治家がムトゥールで殺されたとき、極めて重要な事件が起こった。数時間以内に、通りかかった輪タクに乗っている市民を暴徒が殺したことを含め、タミール市民への報復殺人が行われた。間もなく、報復の暴力が起こり始め、市民は“他の”地域社会で窮地に陥った。これに続いて、境界地区あるいは隣接する地域社会に住む何百もの家族が避難することとなった。

カルナ・グループは最も組織化が進み、GoSLとLTTEとの間の紛争の外側にあって、公然と準軍事的である。彼らは主にバテイカロアとアンパラで活動的である。彼らは暗殺、LTTEへの武力攻撃、強奪、誘拐、強制的児童新兵徴募を含む市民に対する暴力行為を行っていると言われる。カルナ・グループは政府支配地域で活動し、東部では治安部隊と連携を持つと広く信じられているため、市民は嫌がらせや暴力を警察に報告するのを恐れている。更に、安全保障不在と武器の全体的な増加、主要な紛争の当事者の執拗さや警戒が北部と東部において犯罪組織(1)、イスラム教徒の軍隊化した若者や他の影響の高まりを招いている。

(1)自分たちの思惑に忠実な地域に根ざす色々な暴力団が情況を更に複雑にしている。

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【2005年10月以降のNPSLの活動】

●RAFFRELとの選挙活動

NPSLは2005年11月の大統領選挙に向けての国際監視チーム創設のために二人のFTMをPAFFREL支援に派遣した。国際監視チームは選挙前監視員と選挙監視員との主に二つの部分からなっていた。選挙前監視チームはNPからの8名で構成され、地区に連絡網を作り、関係者の選挙運動を監視した。実際の選挙期間中の国際選挙監視チームは100人以上の人々で構成され、その45人はNPの国際的なネットワークから採用された(2)。国際監視員に加えて、PAFFRELは夫々の投票用紙記入所に配置し、国際監視員と共に作業するために各投票所に2名の現地監視員を採用し、訓練した。国際チームは選挙前チームが施した下準備を利用した。彼らは出張相手の現地監視員のみならず、担当地区で自分が訪ねる常駐のPAFFREL投票監視員の感動的な連鎖組織をも支援しようと努力した。選挙当日、国際監視員の半数が問題地区に赴き、担当会場の開場と閉鎖に立会い、投票者への脅迫や暴力事件を記録し報告した。

選挙に絡む暴力を伝統的に経験して来たこの島の南西部で、NPは選挙運動や違法行為を減らし、自由で公正な選挙への環境を醸成するためのPAFFRELの積年の活動に貢献することが出来た。これらの地域で、監視員はこの大統領選挙は史上最も平和的なものの一つであったと主張した。

ボイコットのあった島の北東部では、投票に来た人たちが武装男性たち、LTTEのメンバーやLTTEの支持者の妨害に会ったり、手榴弾や殺人を含め他の暴力行為で気を削かれた。このことは選挙監視員が出張したり、監視活動や記録をすること、あるいは選挙の環境の現状を公表するのを畏縮させたり、危険の可能性を匂わせる雰囲気を醸し出すこととなった。このため、国際監視員がより厳しい警護を享受し、自分たちのプレゼンスが現地監視員を支援出来ることから、選挙監視の全般的な枠組みの中で国際選挙監視員の役割は重要となる。

PAFFRELとの協力はバテイカロアで行われた5月の地方選挙で継続された。

監視員との共同活動において、二つのNPSLチームのプレゼンスは投票者の自信を掻き立てるのに役立ち、選挙担当職員間に積極的な態度への変化を引き出し、NP活動の注目度を向上させた。それは選挙担当職員や一般大衆との新たな関係を導き出し、スリランカの地方選挙に付き物の敵意を和らげた。

(2)更に、15人のFTMが選挙監視に関与した。

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●ジャフナ地区

あらゆる政府支配地域の中で、ジャフナの住民はLTTEの活動との一体性が最も強い。治安部隊に対する攻撃や威嚇があると、市民が疑われ、捜索され、逮捕されるか、報復の犠牲者となる。治安部隊と市民の関係は、従って、不信、時には、敵愾心のあるものである。治安部隊を標的とする手榴弾やクレイモア地雷襲撃は、その結果、報復となり、捜索や逮捕手続で人権協約は一時停止となる。更に、ジャフナには多くの最厳重治安地域があり、高い軍隊のプレゼンスがある。問題が起きても、民事的な環境で動く訓練を受けた警官や治安部隊員は殆どいない。その代わり、捜索や逮捕はしばしば軍の関係者が実行している。最厳重治安地域拡張のために市民が退出させられることが治安部隊に対する彼らの最大の苦情の種である。2005年末の数ヶ月から2006年に、LTTEと繋がりを持つジャフナの数家族が緊迫した状況で地域を捨ててLTTE支配のキリノチチに非難した。政府軍からの報復を恐れたためと考えられる。こうした人々は自分の子供や他の関係者が自爆犯であるか、戦闘で殺された戦士であるか、現在LTTEと繋がりがあるか、あるいは彼らに関連する地域の出身者というような人である。

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暗殺と人権グループへの支援活動

ジャフナと北部地域では、2005年末の数ヶ月で、市民に対する公然たる殺人が劇的に増えた。LTTEの税制や他の政策に違反したために殺された人もあれば、公衆の面前で、あるいは、政治的理由から殺された人もいた。中には学校の校長2人もいた。北部の州でのこれらの狙撃は、全てではないにしても殆どが、LTTEによるものと言われた。逮捕が行われなかったので、人権委員会の地域の指導者は刑罰のない殺人について治安部隊に苦情の手紙を出した。その結果、彼は匿名の威嚇を受けることになった。

ジャフナにはかなり強力な人権委員会の事務所があり、様々な方法で人権活動への努力をしている現地や国際的な団体もいくつかある。しかし、全ての団体が共同で活動している訳ではなく、関係も強いとは言えない。グループは異なる団体に属するという障壁や不信感という障壁に直面している。

ジャフナのNPは2005年には小さなチームであったが、この間、この地区の人権と暴力に関する多くの実態調査を行った。NPは人権に関心のある種々の関係者と連絡を取り合うために現地の活動家が指摘するニーズに焦点を当てた。このチームはたびたび情報を受け取り、共有し、パートナーと出張し、政府、LTTEや治安部隊の代表と会見した。彼らは時として直接に人を紹介することもあったが、普通は、自分たちのネットワーク内での接続線として振舞おうとした。彼らはまた、時として人権問題全てを自由に話すのを怖がるスリランカ人の代理人へ支援を提供している。LTTEによる人権濫用を人前で話すには政治的空間が極めて小さいし、治安部隊の人権濫用を取り上げる人は“LTTE支持者”の烙印を無理やり押されるという懸念を持っている。

ジャフナのNPチームが事件の現場に出かけ、家族、連絡先や色々な団体を訪ねてみると、市民に対する殺人や狙撃のマスコミへのその場限りの説明が事実に合致していないと分かることが何度もあった。1月の状況は極めて悲観的であったし、市民は怒り、挫折感を味わっていたので、こうした情報の共有は重要であった。治安部隊によるタミール市民への襲撃や暴力行為の噂が広まると、彼らは街に繰り出した。が、このエネルギーは時として悪用され、間違った情報が広まったこともあった。LTTEが市民へ攻撃的な行為をしているとの憶測は安全不在の状況をますます大きくするだけだった。2005年末、NPは特に人権委員会と共に活動し、一緒に出張し、お互いの活動や強みを補完した。

こうした人権関連の活動のもう一つの事例が最近ジャフナで起こった。5月ジャフナ半島のカイツ島嶼の一つの島の小さな村で一家族(4歳児と赤ん坊を含む)と他数人の殺人があり、その後、恐怖から現地の教会に避難した地域の住民数百人へチームは庇護を提供した。ジャフナ・チームは人目につくように1週間以上も滞在し、結果的に、教会では抑止力となり、他の人々を安全な場所へ同行した。現在、非難した人たちを彼らの家に安全に帰られるよう支援を行っている。

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市民の軍事訓練とその結果

他の所と同様、ジャフナのタミール市民はLTTEから軍事訓練を、自衛のためと言うことで、受けてきた。訓練を受けるグループは戦略的に指名される。この訓練が市民を更にLTTEに結びつけ、治安部隊の目には彼らが潜在的な脅威に見えることになる。治安部隊に対する暴力行為を人民反政府軍が自分の権利だと主張するときもある。しばしばLTTE戦線組織とのレッテルを貼られているが、彼らが自分たちは完璧な市民社会の一部であると主張しているため、結局、治安部隊にとっては市民と武装した脅威との区別の不透明さを強調するだけになっている。 捜索工作があると分ると、人権活動家の中にはNPに居住地区内かその近辺にプレゼンスを持つように要求する人もいる。市民は暴力や屈辱に直面しているが国際的なプレゼンスがあれば抑止が可能だと言う。活動家は逮捕や拘束の折に人権規範や適切な手続が遵守されていないとの報告を繰り返し受けていると言っている。警察でさえ、間違った情報を止めるための活動で自分たちが敬意を持って市民を扱っていることの証人が必要と言って、NPのプレゼンスに感謝すると語ったことが一度あった。こうした捜索について我々に話すスリランカ人は逮捕されるかもしれないのでその地域には自分自身では行くことが出来ないとよく言う。

訓練を受けるグループの一つがジャフナ大学の構内の学生たちであった。大学生と治安部隊は12月の抗議行動で衝突した。学生はスリランカ海軍の軍人が20歳の女性を強姦し、殺したとの噂に怒っていた。抗議行動の結果、20名の学生が負傷し入院した。抗議行動以外では、学生は治安部隊が嫌がらせや威嚇をしたと主張し、12月に大学は閉鎖された。訓練を受ける地域社会のもう一つのグループが自動車運転手(タクシー運転手)であった。このことが全ての自動車運転手に陰を投げかけている。2006年の殺人で、犠牲者の何人かがLTTEによる軍事訓練が行われ、治安部隊に対する襲撃が行われた地域の運転手であった。

LTTE中核の要員として若者や子供の徴募に対応して、NPチームはLTTEに直接、間接の関係を持つ彼らの連絡要員に苦情を提出した。また、彼らはLTTEに直接苦情を提出するために親たちに同行した。

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地域社会間紛争

ジャフナにおける状況が、漁民が海へ自由に出入り出来ないことをふくめて、地域社会に圧力を加え、地域社会や人々の間の紛争を煽っている。移住させられた家族は海への限られた通行権を競わざるを得ない。そして、何年も福祉センターにいる家族は極めて貧しい。こうした紛争は一方のあるいは複数の当事者が紛争当事者のいずれかに現実に所属するか所属していると考えられる場合には急速にエスカレートしたり、代理紛争となる可能性がある。

3月にNPのジャフナ・チームは二つの国内難民地域社会の内一方が砂土の不法な採取で非難されている所での紛争に積極的なプレゼンスを提供しようとしていた(3)。紛争は暴力的になり、住民は負傷し、市民は相手が自分たちの家に火をつけようとしていると言い張った。NPは村レベルの政府官吏と協力して、村の住民の不満や不安に耳を傾け、警察とこのことを話し合い、双方の地域社会に積極的かつ目立つプレセンスを持つべく努力した。多くの国内難民地域社会はこの種の紛争には無防備であるが、UNHCRの支援を受けて、人権委員会による地域の地方平和委員会創設の動きがある。

(3)砂土はなかんずくセメントによる建物の建設に必要である。

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平和への呼びかけを支援

ジャフナの市民には戦争準備の最中に平和への声明を出した人が何人かいた。NPジャフナは平和集会を監視し、平和への無言の徹夜/断食祈祷を監視した。彼らはジャフナ内外の市民社会に支援された“平和を語ろう”キャンペーンを支持し、和平協議を求めて街中にポスターを貼るのを助けた。ジャフナ市民と治安部隊との間に全般的な不信や悪い関係があるため、こうした非暴力活動へのNPのプレゼンスや関与は特に有意義である。

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ジャフナでの公然たる紛争における孤立の恐怖

当地域での地理的な現実の問題はジャフナ半島への出入りが混乱時には封鎖されかねないことである。したがって、紛争時に動きが取れなくなることを恐れる人々や機関がある。首都への出張や地域外の人に会うための出張には幾つもの検問所の通過や双方からの精査を伴うが、それは住民には困難で恐ろしいことである。NPは自分たちが関係を持つ関係者が照会を受けたり、検問所通過や出張する折には現場に“居合わせる”ように要求されてきた。また、通行が遮断されると他の国際的関係者の多くは現場を離れることが多い。こうした時こそ我々の国際的なプレゼンスが非常に有効な時と考えられたが、我々の要員の避難や緊急事態への内部的対応を更に複雑にする。チームは自分たちの安全を出来るだけ確保しながら自分たちの能力を高め、最高の効果を生む方法を検討するために、ジャフナでの公然たる紛争の中で活動してきた他の活動家達に助言を求めてきた。

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●トリンコマリー地区、ムトゥール・タウンとトリンコ・タウンの事務所

トリンコマリー・タウンの事務所は2005年末には全面的に活動可能となり、ムトゥールの活動が我々のチームに対する手榴弾襲撃で中断されるまでムトゥールとトリンコマリーの事務所は緊密に協働した(下記参照)。トリンコ・チームは、現地や国際的な諸機関、地域社会の指導者、宗教指導者、自動車運転手協会、漁民協会などとの関係構築により、強硬派と考えられる社会を含め様々な地域社会とのネットワークへのお膳立てに深く関与していた。彼らは何ヶ月もの激動と暴力の間に頼りにする必要のあるネットワークと友好関係の構築を始めた。

彼らは重大な安全確保問題(行方不明のNGO活動家、子供の新兵徴募、土地問題、など)に関連する事件を他の機関や当局と探知し、追跡活動を推進するためにこれらのネットワークを殆ど即座に活用し始めた。この中にはムトゥール・チームが関与する事件や自分たちの遠方の事務所の近辺地域から照会された事件も入っていた。彼らはまた地域の中で自分たちが国際社会から最も疎外されていると漠然と感じ、国際社会がタミール人に偏った好意を示していると懸念する住民のいるシンハラ地域社会の苦情へ意識的に理解を深めようと努めた。

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トリンコ・タウン−三つの地域社会との緊張状態

ポング・タミール・デイ(LTTEが設定した民族主義祝賀の日)と選挙前の集会が町での不安と警備の水準を上げてはいたが、どちらかといえば平穏だった。ポング・タミール・デイが近くなると、NPチームは主催者、軍関係者やSLMMのような他の機関と連絡を取りながら、監視し、国際的なプレゼンスを提供した。運転手業界の支持者が候補者間で分裂した選挙前の集会の期間にも、彼らは同様の活動を行い、選挙監視活動を支援した。こうした状況の中では、予想される暴力への恐怖自体が一触即発的な状況を高める。これらの行事の周辺での暴力は予想したほどではなかったが、トリンコ・チームはボイコットがあっても投票するようにとタミール人を勧誘していたシンハラ男性の死亡を目撃した。

“英雄の日”の祝賀が近づくに連れ、緊張は再び高まった。これはLTTEの党首が自分の誕生日と殉教者を祝い、運動の方向を細かく取り決める演説を行う日である。この日はポング・タミール・デイよりも緊迫していた。タミール地区で何らかの捜索とおびただしい治安部隊の出動があり、礼拝の場も例外ではなかった。トリンコ・チームは再び事件を監視し、苦情の申し立てのあった所を訪ね、旗の掲揚、治安部隊の反発、演説や他の行事が混乱を煽りかねないと懸念して演説の前に色々な関係者と会議を持った。何人かの市民は苦情を言い、多くの人がその状況に不安を感じてはいたが、重大な暴力に発展することはなかった。

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市民の軍隊化

ムトゥール事務所に近い地区の南部農村地域のタミール地域社会でおびただしい軍隊化が進行していた。当初、LTTE支配地域に住む若者から年配者に至るまで、時には自主的に、時には強制的あるいは威嚇されて、訓練を受けた。2006年の初めまでに、訓練は政府支配地域において成人と子供を含めたタミール市民へ実施された。何人かのシンハラ運転手が殺されたため、他の人たちは自衛のために訓練と武装化を受けていると主張した。12月までに、シンハラ運転手達の殺害に続いてタミール運転手達の殺害が起こり、こうした殺人の犯人ははっきりしなかったが、仕返しの殺人のように見えた。政府の治安部隊は多数の“国防市民軍兵”の徴募を行ってきた。これらの人々は自分の地域社会を守るために極めて基本的な軍事訓練を受け、武器を与えられる市民である。ムトゥール地区のタミール人とイスラム教徒の間の地域的な紛争(下記参照)に続いて、イスラム教徒への地方義勇隊加入の政府の勧誘運動があった。義勇兵は一般的に治安部隊より訓練や規律で劣っていると見做されている。改めて、このことは市民と武装グループの区別を更に曖昧にし、市民が暴力を行使する可能性と能力を向上させ、いずれかのグループからの襲撃の標的になる可能性を大きくしている。

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津波とその潜在的な紛争への貢献

2005年末、津波支援の遅々とした進展への大きな不満があり、それは、えこひいき、腐敗と民族グループ、階級、NGO間の、あるいは、NGOとの政治的接点や関係に関連する差別への苦情を伴っていた。更に、多くの土地問題がチームの注目を引いた。それは不満を煽り、地域社会間や地域社会内での暴力を増加させかねない問題である。

状況を見ながら、NPのトリンコ・チームは津波の被害者の苦しみや苦情について多くのことを理解した。彼らは、警官が排除しようとしたにもかかわらず、200人のタミールとシンハラの女性が座り込んで道路を遮断するのを監視した。チームは彼女らの苦情を非暴力的に提起し、真剣に取り上げられるべく彼女たちの活動を支援した。NPは以前に我々が民族的紛争を避けつつ共に活動した漁業業界との活動を継続した。漁民社会への再興支援物資の配布における差別行為や腐敗行為への苦情は彼らの怒りを煽り、扇動し続けている。NPは彼らの苦情を政府の役人や機関に伝え、彼らをこの問題の主導的機関へ同行し、問題に前向きかつ非暴力的に取り組ムトゥールめに彼らが組織化した住民フォーラムに参加した。

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12月のムトゥール地区の地域社会間暴力

12月早々、イスラム教の地域社会の指導者であり政治家でもあった男性が町で射殺された。直ちに敵意と復讐の呼びかけが高まり、住民の中には遺恨を持つ人もあり、殆どの人が恐怖を抱くという事態が表面化した。一連の報復が始まり、その中には自動車を襲い、車内のタミール人を殺したイスラム教市民がいた。“自分たちの地域”からタミール地区で働くために出かけていたイスラム教徒が窮地に陥り、報復の犠牲者となった。一日の間に、8人が報復殺人で命を落とし、7人が行方不明となった。政府の支配地域で、イスラム教徒とタミール人の村のパッチワークのように混じり合った状況が多くの人に通行を困難あるいは不可能にし、地域社会間のコミュニケーションが遮断された。自分の地域社会の境界周辺に住む家族は移動を始め、約1,400家族が非難した。更に、その地区には直ちに自分の収入を失う弱い立場の人が、日雇い労働者や農夫を含めて、多かった。

NPムトゥール・チームは監視を開始し、直ちに往復外交を始めるために自分たちの機動力と連絡先へのネットワークを使い始めた。当初、彼らは情報と自分の地域社会の外に取り残された無防備な人々や市民の関心事を中継して伝えた。その後、タミール人とイスラム教の指導者の会議の取り纏めをした。イスラム教徒の家族の要請で、NPはLTTE支配地域に取り残された約50人の漁民や木こりへのプレゼンスや同行を提供した。NPはまたムトゥールの精神的指導者が配下の人々を訪ね、状況の沈静化を図ろうとしたときに彼に同行した。怒った市民が犠牲者の死体を引き取るというような病院のような場面では、地域社会の指導者が支援を提供し、更なる報復への呼びかけを阻止するために何よりも必要だった。

NPはムトゥール平和委員会に会い、危機を平和的に終わらせるための緊急事態対応計画を作成中の彼らに参加した。タミール・イスラム教行動委員会がその遂行のため結成された。NPはその計画と非暴力的解決への関心をLTTEの政治的幹部に届けるために2度にわたってLTTE支配地域への検問所を経由して出かけるというような行動で彼らを支援した。自分たちの連絡先のネットワークを通じて、彼らは暴力の拡大とか更なる暴力の具体的な懸念、例えば、警備が更に必要とされる場所(要求は警備隊へ伝えられた)や近隣のタミール地域社会を扇動している若者(懸念は彼らの地域の指導者や年配者に伝えられた)というようなことへの注意を喚起されていた。

遠隔地においては、NPムトゥール・チームはタミール人やイスラム教徒の村々で現地で尊敬を受けている人々を訪ねた。彼らは先ず情報交換を行い、耳を傾けることに専念したが、その後、チームは相互に恐怖を抱いている夫々の地域社会の指導者との会議を二つ取り纏めた。

NPトリンコとNPムトゥール・チームは被害を受けた市民の直接的なニーズを他の機関に取り次ぎ、現地なり国際的機関を救助や支援を与えるための地域に同行することで協力した。NPトリンコ・チームはNPムトゥールから受け取った情報を活用した。ある時は、連絡方法が遮断されたのでその情報をボートで運んだこともあった。NPトリンコ・チームはそれら情報をニーズの査定、支援の要請や行動計画に転換するために国連の調整機関であるOCHA、国際機関や現地の機関と協力した。二つのNPチームは支援、安全確保のため、また、自分たちが住民や地域を熟知していることから現地や国際的な機関に同行した。彼らはまた病気で医療サービスを全く受けることの出来ない地域の数人の子供を訪ねる医者や看護婦に同行した。

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ムトゥール平和委員会支援プロジェクト

NPムトゥール・チームは長期間に亘り現在のムトゥール平和委員会と密接に活動を行ってきたが、12月、1月の激動の期間は特別であった。平和委員会とNPのメンバーは共に何故その地域がかくも脆弱になるのか、平和委員会が非常事態に効果的に活動するために直面する課題は何かについて確認しあった。NPのメンバーは現在ムトゥール平和委員会がその再構築を展開し、完成させるのを支援している。新しい計画には地区委員会が含まれているが、それは委員会を更に下部委員会に分割したものである。この計画の目標は以下の通りである。孤立した地域社会間や異民族で合成された地域社会間に進行中のコミュニケーションや協調を緊急時に促進し、維持すること、紛争に影響を受けやすい救済活動を支援すること、女性や若者が確実に地区委員会や下部委員会に代表を送ることで彼らを非暴力的問題解決に参加させること、農村地域の新興の指導層を支援すること、そして、暴力を抑止し、非暴力的手段で非常事態を制御することである。チームは宗教指導者、治安部隊、LTTE代表者、現地市民社会、地域のその他の業界の人たちとの協議を保証するために多くの下準備を行ってきた。NPは自分たちの種々の関係先、NPの看板、それまでの月々に行ったそうした活動で示された効果を駆使してムトゥール平和委員会の設立をあらゆる段階で支援してきた。

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1月の暴力の拡大

2006年の初め、ガンジーの銅像の直ぐ近く、トリンコ・タウンの中心の海岸で5人の20歳の男性が殺され、2人が負傷した。当局は先ず彼らはLTTEの活動家であり、自分自身の手榴弾で死んだと主張したが、やがて、政府の治安部隊の人間がこれらの若者、彼らの家族の話ではLTTEとは何の関係も無いという若者たちを故意に殺戮したとの嫌疑をかけられた。

衷心からの悲嘆や悲しみの声が上がり、葬儀には若者たちについての宗教指導者や地域住民からの哀悼の言葉が寄せられた。葬儀の間、歩哨詰め所に火がつけられ、治安部隊は葬儀への参加者や怒れる若者たちの大いなる怒りの対象となった。暴力行為があり、手榴弾が治安部隊に投げられた。始めのうち、治安部隊は自制心を見せていたと言われるが、クレイモア地雷にエスカレートし、手榴弾の投擲が10人の海軍将校と市民2人の命を奪うに及んで、市民の攻撃的な振る舞いや嫌がらせへの苦情が寄せられた。葬儀に続いて、過去に民族主義的行事を組織したことのあるタミール人グループは6日間の同盟休業を呼びかけた。この間、増加した暴力行為と爆発が死者を出し、町では日常生活が中断した。引き続き門戸を開放しようとしたNGOやINGOは怒れるタミール人の若者に脅迫された。海軍のボートがLTTEの自爆攻撃と伝えられるものに沈没させられ、海軍軍人13人の死亡と2人の負傷者を出した。この襲撃がシンハラ人の団体の呼びかけで新たな同盟休業を招いた。門戸を開放し活動を続けようとしたNGOとINGOは怒りと脅迫を受けることになった。その後、大統領は警察上層部により実行された学生の殺戮の調査を要求し、13人の警察関係者が殺人の罪で逮捕された。

その間、我々のNPトリンコ・チームは数多くの監視や情報交換活動を行った。我々は幾つかのNGOやINGOの要員と協調して若者の生存者のいる病院において積極的な関心を示し、時折プレゼンスを提供した。同様に、チームは他の機関と協力して若者の葬儀でのプレゼンスを提供し、それが役に立ったと感じた家族から感謝された。NPは、街の通りが空になった時でさえ、自分たちのパートナー、他の機関や情報提供者の間のネットワークの情報網を開放しておいた。警備隊への襲撃がエスカレートし、市民に対する攻撃的、虐待的な行動の噂が寄せられたとき、NPは苦情を治安部隊に伝えた。NPトリンコ・チームは町の周辺での殺人や死人の誤った噂を検証した。治安部隊が嫌疑者狩りや捜索を行っていたとき、NPのプレゼンスが我々が関係を持っていた地域において要請された。チームはこの事態へ紛争時特有の対応と各機関が同盟休業への計画案に合意できる会議の取り纏めの調整を行い、シンハラ地域社会のメンバーとの人脈を増やすために他の国際的機関と協力した。

SLMMが暫く活動を中止し、他の外国人が地域を離れると、現地の機関と地域社会は自分たちへの提供を期待していた庇護となるプレゼンスを失って非常な恐怖を抱いた。NPは門戸を開放したままにしておくよう努力した。PNトリンコ・チームは人々が経験したことを知ろうとして、シンハラ人の若者グループ、企業家その他の人に接触した。彼らは同盟休業を監視するための慎重な方法を考え出すためにこうした仕掛けを使った。彼らはまた諸機関の要員を威嚇していた若者たちについてタミール人やヤシンハラ人の地域社会の指導者と対話した。

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海軍と空軍の空爆への反応

5月の海軍と空軍によるサンプール地区への空爆の間とその後のいずれにおいても、NPムトゥール・チームは事態を外界に報告し続けた。砲撃が止むと直ぐに、現場とコロンボの事務所は他の関係者と共に空爆された地域に救援が入るよう当局に圧力をかけた。幾つかの人道機関の要請を受けて、NPSLムトゥールは被害地域に支援輸送車隊を先導し、状況を調査した。更なる調査で、ムトゥール地区では21,000人以上の住民が避難したことが分った。事態を更に複雑にしたのは、信頼置ける情報源がカルナ・グループが空爆の数日後にムトゥール地区に到着したとNPSLに伝えたことであった。

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平和的な共存の支援

地域の暴力がサンガマで避難を引き起こした。サンガマは3つの地域社会がすべて住めるようにGoSLが作った模範的な村である。彼らは戦時中を含めて過去16ヶ月間平和な生活を送っていた。この地域での殺人事件とそれに続くスリランカ軍隊による嫌がらせの苦情の申し立ての後で、タミール人の54家族がある教会に避難し、残ったシンハラ人家族たちは武装グループからの報復に晒されていると感じ、自分たちの地域社会への暴力の影響に怒っていた。NPは避難した家族を確認し、支援のために人道機関などと協力した。我々のチームは地域で活動する近隣の平和委員会のシンハラ人指導者を彼が避難したタミール人家族を訪ね、自分の目で事態を見つめ、彼らの恐怖について議論するために同行した。彼らは軍隊を怖がっていた。平和委員会とNPは国内難民, 平和委員会、治安部隊、地域社会の避難していないシンハラ人指導者の間の会議を手配するのを支援した。住民の信用がより大きい警察の同伴があるときのみ軍隊が捜索を行うとの合意が得られた。SSP(警察)は市民が親しい警官と協力出来るように地域社会の近辺か内部に警官詰め所を置くことに合意した。彼らはまた二人の女性を当番として詰め所に配備することに合意した。お陰で、市民は女性や子供の安全に関する問題で警察に接触し易くなった。国内難民の人々は安心し、村に帰った。

NPトリンコ・チームはその地域社会との関係を維持している。彼らはUSAIDをその地域に紹介し、その結果、平和委員会は学校やその他の建物の修復のために助成金を現地の女性たちと共に管理するのを助けている。その女性たちは混成の地域社会に住むことの結果を恐れて地域を離れるものとそれまで考えられていた。

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トリンコ・タウンにおける4月の事件

4月12日に野菜市場で爆弾が爆発して数分後、シンハラ人の暴徒がトリンコマリーのビジネス地区で乱暴を始めたとき、軍隊は強い批判を受けた。軍隊と警察が近くにいて、事件を目撃しながら、大半がタミール人のものであった30を超える店が燃やされた。爆発の後、暴力が勃発した速さから何らかの事前の計画があった可能性が感じられた。事件を目撃した人には1983年の暴動を思い出させる事態と言う人もいた。

トリンコマリー・チームは爆発と暴動の後直ちに現場に出かけ、現場を目撃した色々な人に話しかけた。この暴動は数時間続き、その後、タミール人とシンハラ人の間の境界区域まで広がった。多くの人が寺院、学校や教会のような安全な場所に逃げ込んだ。そうした場所へ保護的な同行を提供する途中に、トリンコ・チームは軍隊の検問所から10メートルのところで怒った若者の暴徒に襲撃された。チームは安全を確保できたが、残念ながら、軍隊は傍観していて、トラックの窓ガラスが粉々に叩き壊され、チームが手榴弾で威嚇されているのを眺めていた。全般的に、シンハラ人の地域社会にはINGOに対する否定的な感情があり、彼らは国際的な団体はタミール人を有利に扱っていると信じている。翌日、トリンコ・チームはシンハラ人を含めた避難民に援助物資を届けようとしている現地の人道グループに同行を提供し、彼らを襲撃した暴力団に接触することも出来た。

この間、民族グループの恐怖と彼ら相互の敵意が町中で感じられた。夜間外出禁止令が布かれたにも拘らず、爆弾は破裂し続け、間もなく、タミール人とシンハラ人間の地域社会の紛争を軍隊も警察ももはやコントロール不可能であるということが明らかになった。新たな歩哨詰め所を配備し、既に軍隊に恐怖を感じている近隣に彼らのプレゼンスを増やすことで軍隊が緊迫状況を更に高めていると感じていた地域の住民の要請を受けて、トリンコ・チームは軍隊の司令官に申し入れて、全ての関係者に合意可能な解決を仲介した。この前向きの結果の後間もなく、トリンコ・チームは暴力からの保護を求めている人のいる教会で難しい立場に陥ったことに気づいた。バテイカロアで人々を拉致することで悪名高い白いステーションワゴンがトリンコの教会の敷地に入ろうとしていた。コロンボ事務所と協力した努力の結果、当局と連絡が取れ、暫くして、教会の内部の人たちは警察と空軍の兵士から庇護を受けた。

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ムトゥール・チームへの襲撃

非暴力平和隊スリランカ(NPSL)の復元力は今月正体不明の武装グループに襲撃されるに及んで厳しく試されることとなった。5月21日午後3時15分、ムトゥールのNPSL事務所の前で一発の弾丸が発射され、手榴弾が投げられた。続いて起こった爆発で現地チーム・メンバーのファビアン・ペリスキックが負傷した。彼はトリンコ・タウンの病院に急遽送られた。一発の銃弾が門の外側に駐車中のトラックにめり込んだ。ファビアンの怪我は手術を必要とし、国連の助けで彼はコロンボに飛行機で送られた。そこで手榴弾の破片が彼の臀部から抜き取られた。ファビアンが健康を回復したことを報告するのは嬉しいことである。ムトゥール・チームはその後その地域の外でたっぷりと事後報告のために会議をした。数日後、彼らはムトゥールに直ちに引き返すよりもトリンコマリーに帰り、そこから治安状況を監視し、検討した。現在、ムトゥール・チームのメンバー3人中2人が夫々の理由でNPを既に離れたか、離れようとしているため、ムトゥールでの事態監視はトリンコ・チームが担当している。

その襲撃はムトゥールのINGO事務所3ヶ所に対する共同謀議の暴力行為の一部であったが、スリランカのINGO社会全体に大きな衝撃波を及ぼした。それに続いて国外政府、EU、国連その他から一連の強い非難がなされ、非難声明には政府からの警察による完全な調査と安全確保が要求された。INGOや国際要員は最早自分たちの安全を当然と考えることは出来ない。国際的な団体の現地要員は、NGO/INGO要員の殺人の最近の実例としてノルウェー難民評議会の現地従業員1人が殺されたことで、既に大いなる脅威の下にあった。事実、自分たちの要員の安全を配慮し、自分たちが活動する縮小された(人道的)空間を取引することが求められているために、INGOは今や紛争の政治的当事者となった。NPSLにとって襲撃は幾つもの課題を投げかけたが、中でも、国際的要員の安全と現地要員に関わるリスクの問題があった。当面、NPSLはムトゥールでは目立たぬようにしているが、同時に、国際的なネットワークを通じて政府に圧力を強めようとして、現場では国際的な関係者と協調しながら活動している。

この事件はNPSLにはショックを与えたが、驚くべきことではなかった。NPSLによる党派に属さない手法にも拘らず、その成果を脅威と考える人がいることはますます明らかになっていた。暴力や恐怖で利するグループはNPSLに自分たちの活動が蝕まれると考えているのだ。

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●バテイカロア地区、バルチェナイとバテイカロア・タウン事務所
寺院祭礼活動の結論

2005年10月、例年の寺院祭りシーズンが終わった。NPチームは暴力や子供の新兵徴募の危険性が伝統的に高いこうした行事に積極的で、いつでも利用できるプレゼンスを提供するためにINGO、IOやNGOと協力して継続的に活動した。NPは自分たちのプロジェクト地区における大規模の寺院なり祭礼にプレゼンスを提供するために諸機関との調整に積極的な役割を担った。国際機関も自分の現地パートナーのプレゼンスの支援、自分自身の団体や目標についての情報の伝播とか提起、余興の開催、若者を訓練科目へ勧誘などの活動を始めるようになった。NPはこうした共同のプレゼンスは暴力を抑止し、祭礼に事前、最中、事後に関わることで現実に起こっている新兵徴募に対処しなければならない現地の関係者や家族への支援をより良く行いうると考える。10月の間、NPは来年の祭礼シーズンに向けて事後報告会、文書化、提案や戦略構築に主導的な役割を担った。

6月に再び始まった2006年の祭礼シーズンはNPSLによる多くの関与が見られる。尤も、新たに訓練を受けたグループ3人が8月に現存のグループに加わるまではFTMのメンバーが減っているために昨年と同じ程度の関与を維持するのは不可能になった。

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起こらなかった地域社会間の暴力

選挙が近づくにつれて、バテイカロア地区の雰囲気は急激に緊迫感を帯びたが、選挙当日までは懸念したほど暴力の高まりは無かったことで殆どの人は一致している。選挙当日とその直前の数日、地区全体に殺人や手榴弾の爆発事件があった。バルチェナイでの殆どの手榴弾は人命に被害はなかったが、バテイカロア地区のほかの地域ではそうではなかった。殺人事件の一つはオッダマバディでのイスラム教徒夫妻の殺戮であった。アッカライパットゥ(近くのアンパラ地区)では、モスクで礼拝中に6人のイスラム教徒が殺された。タミール人の恐るべき報復がバルチェナイの近くのタミール人とイスラム教徒の境界地域から外部に向かい始めた。すると、イスラム教徒はタミール人の動きのためにLTTEの襲撃を恐れるようになり、彼ら自身も行動を開始した。夫妻の死の噂が広まった。NPはチームが協力してきた平和活動家のネットワークを訪ね、噂を払拭し、市民の恐怖を理解し、地域社会や当局と横断的な情報交換するために彼らをその地域に同行した。タミール人とイスラム教徒の衝突の恐れは1950年代から二つの地域社会で時々死者を出す衝突があった。

バルチェナイの住民にとって非常に現実的なものである。最近のものは2003年6月に起こった。それまで殆ど同じ比率で混じり合っていた地域社会が今や幹線道路を挟んで完全に仕切られて住んでいる。地域社会は暴力をお互いに恐れていたのは明らかであったし、暴力はお互いに向けて実行されたものでも、そのような意図があった訳でもなかった。NPはまた市民と情報交換を行い、選挙直後の緊迫した日々にプレゼンスを示せるようにキリスト教やヒンズー教の祭司を含め長く連絡を取り合ってきた人たちを彼らの夫々の地域に同行した。

ムトゥール地区のタミール人とイスラム教徒の間で報復殺人や暴徒による殺人が起こり、家族たちが避難し始めると、地域社会間の暴力の恐れは再び高まった。(ムトゥールに関しては上記を参照)これまで、ムトゥールにおけるそのような暴力はバルチェナイでの暴力の引き金となり、地域社会間の他の問題への欲求不満を爆発させていた。重ねて申し上げるが、バルチェナイの市民は暴力を持って反応しなかった。

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継続する断片的な暴力と市民への保安措置の不在

2005年の暴力は年末から今年に入るまで続いた。暴力行為には手榴弾投擲、繁華街での公然たる狙撃や拉致が含まれていた。予告による公然の脅迫、深夜の電話による標的脅迫、強要などもあった。2005年末までには行方不明の人数は増え始めたが、報告されたものは殆どなかった。殆どの暴力はLTTEとカルナ・グループとの間の派閥抗争によるものと考えられるが、バテイカロア地区の治安部隊と広く結び付けられ、彼らが積極的支援と言わぬまでも共謀したと広く信じられている。公開処刑を含め殆どの殺人が逮捕や捜査すら無しに行われる。全く刑罰を受けずに増加する暴力、当局からの反応や関心がないという情況が地域社会を恐怖に陥れた。LTTEの関与についての申し立てに何かを出来るか警察の能力は非常に限られたものであった。一因は地域社会からの不信と協力不在であり、また、警察が恐れる地域社会から彼らが孤立し、彼らにとって常に脅威である党派と組まざるを得ないのが別の理由であった。市民もまたLTTEからの復讐を恐れている上に、あるいはそうでなくとも、警察が現にカルナ・グループを支援していると恐れている。そのため、彼らは彼らの活動を警察に苦情を申し入れるのは危険であり、無意味であると言う。誰も刑罰を受けないこともあり、市民は頼るところがどこにも無いと感じたまましばしば放置される。しかし、支援や関係者からの見舞い、死亡証明、現地の役人からの文書化というような自分自身の地域社会からの支援や配慮を恐怖から受けない人もいる。

極端な一例はバテイカロアの主要教会での暗殺で、それはクリスマスの深夜ミサを主宰していた大変尊敬されていた司教の目の前で行われた。ジョセフ・パララジャシンガム議員の背後に座っていた射手が彼に発砲し、至近距離から繰り返し発砲して、彼を殺し、彼の妻を負傷させた。パララジャシンガムはLTTEと繋がりのあるTNA党の党員であり、LTTEの和平事務局の人道部門であるNESOHRのメンバーでもあった。この殺人の張本人はカルナの支持者であり、彼らは公然と他のTNAの議員やLTTEの支持者に同じ運命を約束していると一般的に信じられている。政府からの反応は殆どというより全く無かった。逮捕者は出ず、捜査も議論にならなかった。これは昨年パララジャシンガム氏より多くの投票を受けたもう一人に議員の死と殆ど同様なものであった。しかし、彼はLTTEを支持しなかったから殺されたと広く信じられている。

パララジャシンガム氏の殺人は町の住民にはカルナ党派の力と能力を知らせることとなった。しかしながら、殆どの殺人や拉致は、特に地域のより貧しい農村地帯で行われる場合、殆ど人目を引くことはない。多くはニュースにもならない。時々、死体が背中で手を縛られて人前に出てくる。混み合う交差点で射殺される人もある。昨年LTTEとカルナ双方から標的となる殺人が毎日起こった。自分たちの愛する者が何故標的とされたか家族にも全く分らないときもある。

殺人の企てを切り抜けた人とか、脅迫を受けた人たちは自分の安全確保には殆ど選択肢がなかった。そして、誰かが殺されても、家族は怖すぎて葬儀も出席出来なかった。地域社会への影響は意気消沈と恐怖である。誰も人目についたり、情報を持ったり、誰かと繋がりを持ったり、あるいは、同僚や友人の前でも情況について自由に話しをしたりすることを望まなかった。家族の一員が拉致されたとしても、家族は捕まった者に危害が及ぶのを恐れてそれまで以上に慎重になるであろう。政府支配地区の小さな村々を巡回していた白いステーションワゴンが度々若い男女を目的不明のまま拾い上げていたとの報告があった。NPが緊密な結びつきを持つある村で7人の若者がほんの1ヶ月余りの間に連れ去られたが何のアクションもとられず、家族は苦情を申し入れるところはどこにも無いと感じ、住民に頼みとなるものは殆ど無く、その地区の外側では事件を認知されることは無かった。したがって、その地区での問題の大きさを測るのは非常に困難である。

このような環境の中で、バルチェナイの我々のチームには多くの人が訪れる。彼らは地域社会の中に強力な評判を持っているため、人々は助けの助けを求めて彼らに出向いて来る。チームは人々を助けてくれる人に繋ぎ、連絡先や取るべき行動についての情報を提供し、彼らが怖がっていたり、頼るべきところを知らなければ、助けてくれそうな人と話すために彼らに同行し、彼らが安全確保の機関に報告書を提出するのを支援し、あるいは、安全な場所に同行している。しかし、個々の市民が自分の安全確保を高める選択肢は殆どなく、NPに助けを求める貧しい農村の人たちは特にそうである。

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もう一つの声への支持

チームが持つ一つの戦略は殺人や絶え間のない恐怖の放置を公然と拒否する市民社会の平和活動家の集団との強い連携である。時折、NPは犠牲となった家族をこの緩やかなネットワークに紹介する。NPと平和活動家は共にネットワークの誰かが繋がりを持つ人が殺された場合その人の家族を訪ねる。彼らは犯罪や犯人の詳細については無関心である。彼らは文書化の遂行、賠償金の請求、現地NGOへの紹介、彼らが希望すれば当局への公式申告、あるいは、小額の金銭的支援提供などで彼らを支援する。殺されたり行方不明となった人の多くは時として一人か二人の子供を持つ若い女性を残している。また、彼らは戦争で既に兄弟や父親が戦死した家族からの出であることが余りにも多い。

平和活動家はまた彼らの孤立状態を打破し、その地域の他の家族との小さな追想植樹式に彼らを招待しようとしている。標的襲撃で14歳の息子を失なって泣いている人は自分の残された子供たちに何かを与えられるように非暴力的な抵抗の方法を求めて苦しんでいると言った。同じ襲撃で夫を殺された若い未亡人は自分の石屋の夫が何故、誰に標的とされたのか分らずとても苦しんでいると言った。NPはまた何人かの平和活動家を支援した。彼らは匿名でちょっとした道路のペンキ塗りをして、単に“命”というメッセージのある詩を貼り付けようとしていた。

グループの中でのNPの役割は当初、集会が公衆の中で行われる場合、自信と安心感を支えるものであった。が、我々は会議や旅行の取り纏めを助け、他の情報を提供もした。そして、我々のグループの中での積極的なプレゼンス、我々の明瞭な非暴力的、非党派的手法や平和への使命がグループの安全確保と政治的な可能性に貢献するものと期待している。NPは我々が協力する平和活動家の自信の変化に気づいた。彼らが事態につい膨らむ自分の懸念への対処の仕方を理解するまでに何ヶ月もの話し合いが必要だった。自分たちのメッセージがどのように受け止められるか不安で、彼らが初めて道路に“命”の言葉をペンキで書くまでに準備に数週間かかった。2006年に二回目の道路のペンキ塗りや植樹式を行うようになると、彼らの自信と安心感は劇的に高まった。

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異なるレベルでの変化への他の関係者のネットワークと証人

チームが試行したもう一つの戦略はこの島のほかの地域では無視されたり顧みられることのないこれらの犯罪への認識を他のチームが高めるのを助け、証人を抱え、進んで彼らの話を共有したり、文書化する人たちを支援することである。10月に、チームは和平プロセスへの特別人道アドバイザーであるイアン・マーティン氏の人道的情況に関する報告を準備するために現地の平和活動家と協力した。NPと我々のパートナーを信用した女性で行方不明の息子と夫を持つ人たちが自分たちの代表を現実に個人的にマーティン氏に会わせた。NPバルチェナイも、IOや人道機関の活動への暴力の衝撃に焦点を当て、更に、バテイカロア地区の派閥抗争や安全保障不在が現地住民に与えるインパクトについて共通認識を持つために、人間の安全保障活動グループHuman Security Work Group(下記参照)と共に裁判不在、即決裁判、専断的殺人に関する国連特別報告者であるマーティン氏との別の会合に参加した。12月2日、NPはフィリップ・アルストン氏のために文書を準備し、被害を受けた家族との同様な対面会議の準備をした。NPはまた地域内で変化を促すために自分たちを支援して欲しいという現地活動家による請願を伝えた。彼らは単なる報告書以上のものを要求したのである。NPはバテイカロアからの派遣団の一員としてこの地域の国際アムネスティの書記長に会うためにコロンボに出かけた。上記のこと全て含め、NPは情況の証人として行動し、我々の事務所に人々がもたらした話を形を変えて語り、詳細を文書化出来る家族を紹介するために必要な下準備、信頼の醸成と組織化を行った。

我々のチームはこの地区の外側の支持者がバテイカロアの一般市民、役人だけでなく犠牲者を含めた市民の関心事の情報を確実に入手出来るように触媒として行動した。これを彼らに可能としたのは国際的平和NGOとしての彼らの特別の立場と沈黙を破りつつも高まる彼らの安心感と相俟って地域社会に根ざし、信頼を受けた立場であった。NPはイアン・マーティンの勧めで人権委員会内部の代議員とフォローアップ作業があれば協力するように招かれた。そして、その結果としての報告書とこれら訪問者に続く提案は我々のチームが果たしてきた努力を反映したものである。訪問者たち自身へのインパクトはまだ定まっていない(4)。

(4)この報告書の末尾の情報源にある特別報告人による最終報告を参照

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バテイカロア地区の高まる人間の安全保障への活動

NPは地区の中で同様の役割を果たそうと努力してきた。特に、人間の安全保障活動グループはこの地区の国際機関の小さくて非公式の下部部門である。彼らは自分たちのスタッフと受益者の安全を全体として高め、安定度を高める活動をしている。彼らは情況を議論し、地域の人道的活動の効果を議論するために集団として軍隊やLTTEの代表に会見してきた。そのグループは全体として旅行、説明責任、安全、通行の自由、安全保障というような事柄について関係者と理解しあうように努力している。彼らはまた情況の改善に向けて主導的に動いている。情況の記述と情況改善のための訴えとして新聞への投稿、役人への手紙などがこれに含まれる。

特に、NPは警察の色々なレベルやその関係者、特に自ら生活と仕事をする地域の関係者との情報交換チャンネルを意識的に取り入れ、醸成しつつある。続いて、彼らは事件や大掛かりな捜索活動、逮捕などの折にはこれらの情報交換チャンネルを駆使してきた。NPがそのような事件の折に積極的な関心とプレゼンスを示したとき、我々の活動の明確な理解が助けになってきた。我々の積極的なプレゼンスが現地タミール住民に非常に高圧的であった同僚警察官の態度に影響を与えたと感じ、NPに感謝さえした警官が一人いた。地域の警察は、自分たちの知己であった親切な市民による致命的な襲撃を含め、襲撃や殺人事件に悩まされてきたのだ。

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境界地区での活動

バルチェナイ・チームは所謂“境界地区”で活動を継続している。それは近隣地域社会が異なる関係者や地域社会により支配されている地区である。バテイカロア地区では近隣地区がLTTEや軍隊に支配されているとか、LTTEやカルナ支持者の牙城であるとか、あるいは、その地区の支配がカルナ党派に挑まれているような所が特に問題である。そうした地区での安全保障の不在は甚だしい。そこでの避難は遅々としているが、問題は大きい。ある村などでは、30−50家族にも上る可能性があった。個々人としては殆ど身を守る選択肢がなく、安全な場所が確保されないために避難家族には行き場が無い。我々のバルチェナイ・チームはケースワーク(個別事例対応活動)と積極的プレゼンス/立会い/認知度向上活動を組み合わせて駆使し、地域での効果を同時に出すように努力している。

NPが活動を訪ねて習得するとき、彼らは他の保護機関に事例に言及し、当局やその他の機関との会話を引き合いに出す。住民はNPのプレゼンスが、自分たちが公然と地域のために争うとき、相手が関わっている何らかの活動を抑止すると感じていると説明し続けている。そのような地域の一つがバルチェナイの北30キロのところにあり、そこから貧弱で不潔な道を18キロ行くとジャングルになる。地域でのこうした積極的なプレゼンスが拉致された人の解放に貢献するかどうか、どうすれば貢献するかについて明確なことを言うのは不可能である。が、そのような問題地域の住民は彼らのプレゼンスで自分たちが住み難く無防備な場所に住ムトゥールめの安心感や能力に差が出てくると繰り返し語っている。

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●コロンボ

過去9ヶ月、NPSL内部に多くの変化が見られ、成長も大きかった。10月に、FTMの第二グループがNPSLに加わり、2006年6月末現在、FTM第三グループ12人が8月早々チームに参加するまで国内オリエンテーションを受けているところである。NPSLはつい最近活動を始めたコミュニケーション・マネジャーの雇用によりプロジェクト管理スタッフを増員した。また、これまでのチーム・マネジャーの職位を人事マネジャーに変更した。

コロンボのNPは諸チームの活動の管理、指導を行うのみならず、調整会議、数々のフォーラム、コロンボを拠点とする国際的団体との会議に出席している。これはコロンボで行われる基金調達を支援するためのみならず、影響力や政治的迫力を展開するためにスリランカの我々の活動の重要な部分である。

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【まとめ】

この報告書に記述された困難な環境の中で、NPSLは適応を強いられてきた。NPSLによる所謂予防的手法は危機管理手法に切り替えられた。そのような戦略の鍵となる要件はコミュニケーションであり、それは情報収集、情報伝播と風説の管理、地域社会間とグループと当局の間のチャンネルの解放ということである。同時に、NPSLはそれが現在でも無事に機能することを確保するため定期的リスク査定を行っている。NPLSの関係者全てとの緊密な関係、地域社会における強い結びつきがこのプロセスの中で極めて重要な条件として役立っている。NPSLは地域社会と関係者に認知されて始めて効果的に機能し得る。それにも拘らず、NPSLはその全体的な安全保障計画を強化する必要性を感じ、FTM数人を訓練者プログラムの一週間の訓練に派遣した。また非常事態、不測事態対応計画を継続的に見直し、更新している。

自分たちの安全確保を警備隊に頼るSLMMを含め、スリランカで活動する多くの機関は自分たちが保護されるのは当然だとは考えられないと認識するようになった。INGOは官僚による障害にも遭っている。例えば、全ての国際団体は自分たちの要員全てに新たな労働許可証の入手が求められ、INGOによる衛星電話のような保安機器の注文は防衛省に押さえられている。

情況がますます問題含みとなり、安全性が確実に低くなっているという事実から、全面的に機能しているのは数機関のみである。殆ど全ての国際要員はコロンボに移った。これらINGOの活動家は全国的にその任に帰れるように事態の沈静化を待っている。その結果、ますます多くの人がNPSLに助けを求めるようになってきた。確かに、NPSLの危機対応能力が試される事となっている。自分たちのスタッフ・メンバーに対するインパクトは過小評価できない。疲労とストレスはチームに忍び込み、減員された管理チームへの満足な支援は現在不可能である。

新たな交渉の公表にも拘らず、情況は近日中に改善されるとは期待出来ない。監視、情報収集、立会い、関係機関間の調整が必須である。NPSLは東部、北部のみならずコロンボの現地市民社会関係者とも通常的に連絡を取り合っている。また、安全確保への支援を増進するため、安全確保の提案の調整のみならず暴力に対する認知度向上に向けてUNHCRのような国際的グループと新たなパートナーシップの合意を展開している。不断の調停役としてNPSLは今月早々に発生したような民族間衝突を防止するために風説の抑制をするなど、民族グループ間の緊張状態にこれまで以上に焦点を当てていく心算である。暴力を完全に止めることの出来るのはただ二つの当事者だけであるが、今のところそのような意思表明はなく、両者は市民を危険に晒し続ける。

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略語解説と名称
  • FCE:
    Foundation for Co-Existence 共存への基金
  • FTM:
    Field Team Members フィールド・ワーカー
  • GoSL:
    Government of Sri Lanka スリランカ政府
  • LTTE:
    Liberation Tigers of Tamil Eelam(led by Velupillai Prebakaran) タミール・イーラム解放の虎(ベルピッライ・プレバカラン主導)
  • MPC:
    Muter Peace Committee ムトゥール平和委員会
  • NESOHR:
    North East Secretariat of Human Rights 北東人権事務局
  • NGO:
    Nongovernmental Organization 非政府組織
  • PAFFREL:
    People's Action for Free and Fair Elections 自由と公正な選挙のための住民運動
  • SLFP:
    Sri Lanka Freedom Party(governing party. Prime Minister is Mahinda Rajapaksa)スリランカ自由党(与党。首相はマヒンダ・ラジャパクサ)
  • SLMM:
    Sri Lanka Monitoring Mission(Set up under the cease-fire agreement to monitor breaches of the agreement. Staffed mainly by Scandinavian military personnel in civilian clothes. Ca 50 personnel)
    スリランカ停戦監視団(停戦合意に基づき合意違反を監視するために設立。主に私服のスカンジナビア軍人で構成。現在人員50名)
  • TNA:
    Tamil National Alliance(LTTE presenting party in parliament)タミール民族同盟(国会におけるLTTEの公然党)
  • UNHCR:
    United Nations High Commission for Refugees 国連難民高等弁務官事務所
  • UNP:
    United National Party(concluded cease fire agreement with LTTE in 2001/2002, had majority until election in 2004)統一国民党(2001年2002年にLTTEと停戦合意を締結。2004年の選挙まで多数派)

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大島みどりのスリランカ通信

大島みどりさんの写真

2003年9月末から2005年10月まで非暴力平和隊・日本の大島みどりさんが、スリランカ・プロジェクトのフィールド・ワーカーとして、スリランカで活動していました。『スリランカ通信』は、大島さんが、現地の様子などを伝えるために、日本の皆さんに向けて書いていたものです。

左の写真に写っているのはマータラで一緒に活動していた非暴力平和隊の3人のフィールド・ワーカーです。向かって左から、ガーナ人のフランク・アニムアピアさん、大島みどりさん、アメリカ人のリタ・ウェブさんです。

スリランカ通信(65) 2005年11月17日ドイツから大統領選挙のスリランカへ
スリランカ通信(64)2005年11月5日ドイツ・スピーキング・ツアー
スリランカ通信(63)2005年10月16日離職後のNP活動(?)
スリランカ通信(62)2005年9月25日大統領選を控えて(「戦争」への不安)
スリランカ通信(61)2005年9月20日新しいメンバーに期待して

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スリランカ通信(60)2005年8月21日稜線の霧の中で
スリランカ通信(59)2005年8月6日原爆投下60年の日に
スリランカ通信(58)2005年7月20日がけ淵
スリランカ通信(57)2005年7月9日スリランカから坂道を転げ落ちる世界へ向けて
スリランカ通信(56)2005年6月24日いまスリランカで起こっていること(2)
スリランカ通信(55)2005年6月24日いまスリランカで起こっていること(1)
スリランカ通信(54)2005年6月3日緊張のトリンコマリーと何度目かの移動
スリランカ通信(53)2005年5月24日一時帰国とマータラ事務所の運命!?
スリランカ通信(52)2005年5月2日マンゴーの季節(猛暑と洪水)
スリランカ通信(51)2005年4月17日スリランカの新年

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スリランカ通信(50)2005年4月1日新しい人たちがやって来る!
スリランカ通信(49)2005年3月11日3月は異動の季節(再移動)
スリランカ通信(48)2005年2月23日仮設住宅建設の困難
スリランカ通信(47)2005年2月13日スリランカ復興開発NGOネットワーク現地視察ツアー
スリランカ通信(46)2005年1月27日津波災害が残したもの
スリランカ通信(45)2005年1月15日スリランカ津波災害報告(7)
スリランカ通信(44)2005年1月8日お願い!スリランカ津波災害報告(6)
スリランカ通信(43)2005年1月7日スリランカ津波災害報告(5)
スリランカ通信(42)2005年1月5日謹賀新年〜それでも日は昇る〜
スリランカ通信(41)2004年12月31日スリランカ津波災害報告(3)

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スリランカ通信(40)2004年12月28日スリランカ津波災害報告(2)
スリランカ通信(39)2004年12月28日緊急!災害報告(1)
スリランカ通信(38)2004年12月22日休暇でクッキー作りお手伝い
スリランカ通信(37)2004年12月5日じぶんを縛るもの
スリランカ通信(36)2004年11月18日じぶんが変わると世界が変わる?
スリランカ通信(35)2004年11月3日雨の日は休み
スリランカ通信(34)2004年10月21日1984年10月ジャフナで
スリランカ通信(33)2004年10月17日ジャフナへの道のり
スリランカ通信(32)2004年9月8日再度の変更:
まるでピンポンのボールのように
スリランカ通信(31)2004年9月3日この夏のメ ーン・イベント(2):
ピース・サイクル

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スリランカ通信(30)2004年8月30日この夏のメ ーン・イベント(1):
ペラヘラ祭
スリランカ通信(29)2004年8月17日移動のお知らせ
スリランカ通信(28)2004年7月25日よくある質問(第一弾)
スリランカ通信(27)
に代えて
2004年7月21日NPとして、外国人として(後半)
スリランカ通信(26)2004年7月6日NPとして、外国人として(前半)
スリランカ通信(25)2004年6月20日お金持ちと民主主義?
スリランカ通信(24)2004年6月10日ことばを学ぶ(後半)
スリランカ通信(23)2004年6月10日ことばを学ぶ(前半)
スリランカ通信(22)2004年5月23日誰が助けられているか・ありがとう!
スリランカ通信(21)2004年5月14日メール・アドレス変更(マータラから)

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スリランカ通信(20)2004年4月27日東部と北部の分裂(その2)
スリランカ通信(19)2004年4月27日東部と北部の分裂(その1)
スリランカ通信(18)2004年4月5日総選挙終了
スリランカ通信(17)2004年3月20日ヴァルチェナイというところ
スリランカ通信(16)2004年3月7日選挙当日まで
スリランカ通信(15)2004年2月29日ラトゥナプラでの監視
スリランカ通信(14)2004年2月22日選挙監視
スリランカ通信(13)2004年2月1日坊主頭1周年
スリランカ通信(12)2004年1月24日野外シャワーで塩浴
スリランカ通信(11)2004年1月14日新しい成人のために

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スリランカ通信(10)2004年1月4日今年の目標「忍耐力」?
スリランカ通信(9)2003年12月27日それでもクリスマス?!
スリランカ通信(8)2003年12月8日引っ越しました!
スリランカ通信(7)2003年11月24日2年間の拠点『新居』
スリランカ通信(6)2003年11月18日いよいよ本番!
スリランカ通信(5)2003年11月9日スリランカ雑感(その2)
スリランカ通信(4)2003年11月5日スリランカ雑感(その1)
スリランカ通信(3)2003年11月2日第2回フィールド・トリップ報告
スリランカ通信(2)2003年10月25日やっぱり辛い
スリランカ通信(1)2003年10月24日光り輝く島スリランカから

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