非暴力平和隊・日本

藤村陽子インドネシアレポート:No.6

No.6 2005年8月9日

PBI 藤村陽子

北アチェ県の大自然

北アチェ県の大自然

皆様、ご無沙汰して申し訳ありません。2ヶ月間の間、かなり忙しくしていたのでレポートを書きそびれてしまいました。申し訳ありません。2ヶ月間の間、いろいろとありましたが、元気にしておりますのでくれぐれもご心配なく。

今までは少しアチェの情報のほうが多かったと思いますので、今回からはもう少し、私がどのようにアチェで生活し、何をしているのかを書いていきたいと思います。もし、情報の量が多いほうがよいということになれば、ご連絡していただければ幸いです。

さて、6月、7月と忙しかったと書きましたが、そのときはPBIのメンバーに入れ替わりがあったり、欠員が出たりと忙しかったのに加え、私自身も7月の中ごろから後半まで、アチェにはいませんでした。何をしていたかというと、私はジャカルタで "Do No Harm" というトレーニングを受けました。3日間の集中トレーニングで、トレーナーはPBIドイツのスタッフでした。皆様の中にもこのトレーニングを受けた、あるいは名前を聞いたことがあるという方もいらっしゃると思いますが、何を学ぶかということに少し触れたいと思います。これは、新しい場所で新しいプロジェクトなどを立ち上げるとき、極力、(自分たちの活動の地元への)害 (Harm) を避けてプロジェクトを遂行しようという考えに基づいています。何をするにも、害をゼロに抑えるのは現実的に見て無理に等しいので、プロジェクトを遂行するに当たって、前もって予想される害 (Harm) を考え、それを避けながらプロジェクトを成功させるにはどうすればいいかを学びました。ここアチェでも、国際NGOまたは外国人が突然やってきて、ここの土地柄、歴史、文化などを学んだりせずにプロジェクトを立ち上げ、地元のコミュニティーにとっては利益がないどころか、逆に害 (Harm) を生じているといったことがあります。マイナス面もありますが、私はこのトレーニングは非常にいいと思います。できればたくさんのNGOのメンバーが学べればよいと思います。

そのトレーニング後、1週間の有給休暇をとりました。PBIでは3ヶ月ごとに1週間または2週間の有給が与えられます(3ヵ月後に1週間、6ヵ月後に2週間、そして9月後に1週間)。今回の私の有給はPBIの仕事が忙しかったので1ヶ月遅れましたが、いい休暇でした。私は以前住んでいたジョグジャカルタへ5日間、そしてボゴールに2日間と友達との再会旅行をしました。ジョグジャカルタでは町の変化が見られ、面白かったですが友達のいつもと変わらない笑顔に癒され、楽しめました。その時出合った人のほとんどが、「アチェで怖くない?」、「アチェの復興はもう済んだ?」などと聞いてきました。最初の質問に対して、私は決まって、「アチェのひとは心が優しくて、外国人も喜んで受け入れてくれる広い心思っています。だからアチェに住んでとてもうれしいし、地元の人と毎日かかわりながら生活をして、怖いと思ったことはありません。」と答えます。もちろん、毎日人が殺され、誘拐され、拷問を受けたりしています。そして、街中には重装備をした軍隊や警察官がたくさんいます。正直言っていい気分ではありませんが、私はその中に地元の人のたくさんの笑顔を見ます。中には、アチェの人々は、紛争と津波によっておかしくなっているという人もいますが(これは彼らが津波や紛争で無くした家族や家などの話を笑ってすることがあるということに対する何人かの地元の知人の意見です)、彼らは平和への希望をまだ失ってはいません。だから私もアチェの平和への希望をしっかりと持ってPBIの任務を遂行し、気さくな地元の人たちと関わる事によって私の恐怖心は低いレベルに保てていると言えます。

第2の質問に対して、私はまだまだと答えます。バンダチェを見てみても、海岸エリアでも街中でも、まだまだ瓦礫がそのままになっていたりするので、復興は一向に進んでいないように見えます。確かにたくさんのNGOが復興のためにがんばっていますが、相当の年月を必要とするでしょう。そして、まだたくさんの人が避難民キャンプに住んでいます。キャンプでは女性への人権侵害が多々報告されていますし、日中はテントや仮設家屋の中の気温はかなり高いようです。そんな状況で自分が半年以上も住んだら、どうなるかと思います。おそらく、将来への希望も持てず、うつ状態になっているかもしれません。そしていつも、何かできればとやきもきしていますが、PBIから与えられた職務権限を考えると、いつも何もできない自分にため息が出ます。つまり、アチェの津波の爪あとはまだまだ大きいと申し上げます。

津波に関して、現在たくさんの津波関連商売が行われています。津波直後の写真を販売したり、Tシャツを作って販売したりする人が少なくありません。先日、バンダアチェの空港で、"Tsunami" と書かれたTシャツを見かけましたが、よく見るとその絵は葛飾北斎の版画絵をコピーしたもので、思わず、津波には違いないがみんなこれが日本の古い版画絵と知っているのかなと思いました。

7月25日から3日間、シンガポールでビザの申請を行い、7月29日に再びアチェに帰ってきました。仕事と休暇が混じった2週間は、たくさんのことがあったのと、飛行機にたくさん乗ったので、とても疲れました。しかしその後すぐに、8月1日から1週間、フィールドワークに行きました。今回は北アチェ県と東アチェ県にあるクライアントを訪問しました。ここで私は県毎に見られる違いを見ました。まず、ルクサマウェという北アチェ県の都市から、東アチェ県に行く国道において、2回のチェックポイントがありました。問題はありませんでしたが、ドライバーによるとこの辺りでは検問の際に車のトランクを開けさせ、マリファナを隠し持っていた軍隊が、そのマリファナをトランクで見つけたと言って罰金をとるという事実が少なからず起きているので、私たちのドライバーはトランクを開けてすぐに自分もトランクへ行き、こうした事件が起こらないように気を配っていました。このような検問はバンダアチェからルクサマウェでの国道ではほとんどないようです。それに、北アチェ県から東アチェ県の国道沿いにはたくさんの国旗が掲げられ、独立記念日のための国旗掲揚は義務のようです。東アチェ県のランサという都市ではほとんどのバイク、車、そして家が国旗を掲げ、国旗を売る店もたくさんありました。しかし、バンダアチェではいまだに国旗の数は少ないです。それが今回私の見た違いでした。また、ランサにはそこに長期滞在している外国人はほとんどいないようです。私たちはランサに着いた夜に、突然警察の訪問を受けました。内容は、どこからきたのか、何をするのか、何日滞在するのかといった質問だけでしたが、バンダアチェとルクサマウェではなかったので、予期はしていましたが、これも県毎による違いかなと思いました。ランサでも、ルクサマウェでも、何も問題はありませんでした。地元の人と話したり、警察や軍隊と話したり、いろいろな情報を得、奥地へはいけませんでしたが、いい経験になりました。今度、8月17日には数日間、中アチェ県のタケゴンというところへ行く予定です。

皆様、もしお時間がありましたらインターネットや本でアチェについて調べてみませんか。私がどこへ行ったのか、どんなところに住んでいるのか、そしてアチェの文化や歴史を知ることができると思います。そして一人でも多くの方が、アチェに興味を持っていただければ幸いです。アチェにはすばらしい自然、おいしいドリアンとコーヒー、そして踊りがあります。そして何か質問があれば、いつでもメールを下さい。分かる範囲でお答えしたいと思います。

それでは皆様、お元気でご活躍ください。2か月分のレポートのため、少々長くなってしまいましたが、ご了承ください。そして、できればカンパの方をどうぞよろしくお願いします。

カンパの送り先
郵便振替口座:00160-5-463412 口座名:PBIサポートグループ

藤村 陽子

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