非暴力平和隊実現可能性の研究【第3章 第3節】
第3章 現地諸関係の最善の実践例
コーリー・レヴィン
3.3 大きな組織での経験
3.3.1 はじめに
この章は著者コーリー・レヴィンの紛争地域での6年間の経験に基づいている、そこでは市民社会の発展と人権と民主化に焦点を置いて活動した。そのとき以下の団体と共に活動した:ヘルシンキ市民議会、CAREインターナショナル、アムネスティ・インターナショナル、そしてボスニア、クロアチア、ロシア、バングラディッシュ、そしてコソボのOSCEだ。
以下は彼女がこれらの問題について観察し、考えたことだけでなく彼女の同僚たち(オックスファムやIRC、UNHCR、UNDP、IPTFその他の国連の市民平和維持職員、カウンシルオヴヨーロッパ、CIDAそしてUSAIDを含むNGO、IGO、国の政府(GOS)の同僚たち)とのディスカッションである。
3.3.2 チームで活動し生活する
この分野では幅広い習慣がIGO、NGO、INGOによりおこなわれている。ひとつの例では、ICRCのような団体は派遣職員は地元の人と一緒に住んで活動をするが他のものでは住む場所は自分たちで手配する。どんな形態であれ、一番適した方法を選ぶ。その地域の家族とすむかもしれないし、別の国際職員と部屋を借りて住むかもしれないし、ホテルの住むかもしれない。
多くの団体はこれと似たり寄ったりだ。そこで暮らす団体員や時々くるコンサルタントのような人々のために家を持っているところもある。組織のそこでの人数や活動の規模が小さなものは宿舎も兼ねる場合がある。国連のような団体は職員のために1つのホテル全体やいくつものアパートビルを借りている場合もある。
多くの手配はその土地の治安状況や、その組織の安全に対する意識によって大きく異なる。例えば、米国政府の職員は大使館員であれ、USAIDのような組織のものであれ、米国が安全と認める地域にしか住むことは許されない。たいていしっかり守られたバリケードの内側で、他のいろいろな米国の機関の建物と一緒にある。
米国ではほとんどすべての海外での流動的な職位についてこのことが通常行われている。しかしながら、IGOやINGOでは筋の通った決まりはなく、どちらかというと、住み易さよりもどのような役割をその地域で果たすかによって、住むところが決められます。例えば国際的な職員はコソボよりは東チモールのような任務でまとまって住むことのほうが一般的だ。しかしながらほとんどの組織で安全性は重要と考えられており、安全と考えられる場所に住むよう奨励している。ICRCだけが代表者に職員がまとまって住むように強要している。
住む場所の手配はまた家族で派遣されているかどうかにもよる。紛争地域や紛争後の派遣はほとんどが単身派遣だ。
しかし一部の人々は家族と離れそのような長い期間の派遣を望んでおらず、家族を一番近い安全地域で、間単に行ける場所へ引越しさせることがある。例えばコソボは国際機関のどの職位においても家族で派遣される場所ではないが、(INGO、IGO共)一部の人たちはマケドニアのSkopje(Pristina から車で1時間30分)に家族を引っ越しさせ少なくとも週末は一緒に過ごせるようにしている。いくつかの職位では家族の同行を認めているものもある。例えば、ボスニア戦争の際、多くのINGOは安全性の理由からクロアチアのZagrebに本部を置いていた。一部の職員は家族をZagrebに引越しさせました。自分たちはボスニアでほとんどの時間を過ごさなければならないかもしれなかったのですが。
これらの例のうちどれもが一般的な習慣ではないが、いくつかの要因によって職員たちは住む場所を決めている。それらは、派遣の期間、居住可能かどうか、小さな子供がいるか、母親なのか、父親なのか、などです。母親は家族と近くに住む傾向がある。しかし、多くは成人した子供を持つ父親、あらゆる年齢層の独身の女性、若い女性、そして独身男性です。
小規模なINGOは経済的な理由から家族での派遣は行っておらず、ほとんどのIGO、GO、INGOの紛争地域への派遣は単身の職位なので、職員の家族構成のほとんどが先述のようなものであることは驚くべきことではない。しかしながら、家族で派遣される可能性というのは、単身派遣と比較して、ちいさな平和チームではなく大規模な任務であるといえるかもしれない。
チームとして共に生活することには賛成反対両方の意見がある。もし安全性からひとつの場所に職員たちを住まわせる必要があるときは????国際職員で、安全な地域に住まない人は戦闘グループの目標になりやすく、(例えばICRCの代表がチェチニアで殺されたこと)反対に、地域の人々と一緒に住んだ場合は安全な地域の内側に住む職員たちに比べて、その地域の人々に忠実で信頼できると認識されやすくなる。
結局、安全性と、住んでいる場所からかけ離れ過ぎないようにすることとのバランスを取る必要がある。このバランスをとる行為は繊細で時間との戦いでもある。
安全性の注意と共に一緒に生活するということは集団意識とチーム精神を個人間に生み、また、ほとんど気分転換になるようなこともないので、緊張感を生む。仕事以外の事をすることはほとんどない。一緒に生活するということは、最も良いときでさえも困難のひとつに成りかねない。しかし見知らぬ土地で仕事意外に他に何もすることがなく、頼れる人もないとき、親密さは2通りに発展します。共同生活をする多くの職員たちはは自分自身の一人きりの時間や訓間をときに持つことが大切だと思っています。
3.3.3 地域の団体との関係
地域の団体と国際機関との関係はしばしば複雑なものだ。有益な相互依存もあるが、それは諸刃の剣になりかねない。
しばしば国際団体の存在は期待を生むがそれはほとんどが現場で実行できるような現実的なものではない。これらの期待は多く国際機関が持ち込む多大な経済その他の支援や物資、えん曲またははっきりとした問題の解決策の提示により生み出される。守られない約束もしばしば取り付けられます。
しかしながら、依存は逆の方向にも起こり得る。IGO、INGO共にその地域の人々に正統で妥当な仕事を与えなくてはなない。しかしながら、このような慈善事業タイプの関係ではしばしば国際機関は地域グループの保護者のような家族主義的な関係に陥りやすくなる。多くの国際機関はどのように行動するかを決めるのは地域の人々の権利だと感じている。なぜなら彼らこそが本当に経済的物質的資源と援助を必要としている者たちだからだ。
今日、紛争地域や紛争後の地域でIGO、INGO双方の国際機関は一般的に公式であれ非公式であれ、その地域の組織を通してか、または一緒に活動している。ほとんどのINGOはその地域の援助のパートナー組織と公式な関係を築いている。一方でIGOは目標のグループのための開発プロジェクトを行う際地域の組織と連携することは最小限に押さえられている。
このような関係は確かな発展であり、その地域社会からの情報の提供なしに計画を作ることは稀である一方で、先に述べたように両者の関係は家族主義的なものになりがちだ。古い格言にあるように財布の紐を持つものか力を持つ。
このような状況は地域の組織間で協力よりは競争を生み出す。国際機関から協力を得るために、彼らは他のグループと競わねばならない。地域組織は援助を得るために競わなければならないだけでなく、そこでの経済や物資の支援の拡大のため、地域のNGOは意図的に寄付側の団体によって設立され、地元の人たちが自立して活動するものではなくなっている。
そしてこれらの地元の主導的組織が援助側の指揮によるものであるため、その組織は必ずしも地元の必要性や優先順序を(それらはNGOによっては成されないものなのですが、)反映しなくなる。
例えば、UNHCRによって行われたボスニアとコソボの女性の状況を改善するための2つの事業があるが、それらはボスニア女性の主導権(?)BWIとコソボ女性の主導権KWIとして知られ、弐百万ドルと5百万ドルの事業でボスニアとコソボの女性により、彼女たちのため設立された。しかしながら、両方の事業は米国国務省に交付金により行われ、国務省もまた、他の寄付団体と同じように彼らのお金がすぐに分配されるのを見たがった。そのため、コソボの多くの女性のためのNGOといくつかのボスニアの女性のためのNGOは思いがけない贈り物にありつくために設立された。
1つのNGOが行う事業はあらゆることを含んでいて、その中には基本的人権に関する援助から法律に関するもの、理髪店の一通りの仕事まで含む。つまり、ボスニアとコソボの女性のためのNGOどうしでとんでもない数の競争があるということだ。ひとつの財源をみんなで争い、ドナーの興味によって、あるサービスは必要以上に準備され、その他のサービスは不足する、といったことが起こる。同様に、これらのNGOが果たしていつまで続くかといった疑問もある。
ここでもっとも重要な関係は地元の人たちとの関係だ。結局すべての仲介は地元の人々の代理として成されるのであり、それは厳密な人権のための援助かもしれないし国際的な軍事力の介入かもしれないし、その中間かもしれない。
その場所に配置された多くの人はまったく、またはほとんど自分たちが働いているその地域の現在の社会的政治的背景、歴史的、文化的な枠組みを知らない。訓練の問題は7章で詳しく扱っていますが、その地域?分野?で最善を尽くすため、以下のことを指摘することは重要だ。現場の組織がその地域の現在の社会的政治的背景、歴史的、文化的な枠組みを知っていたらどんなに効率良く活動でき、またその理解を地元の人々との関係の拡大にどんなに生かすことができるだろう!
これはもちろんどのような種類のトレーニングを現場に派遣される人たちが受けたかにもよる。しかし、多くはその個人の個性による。私は派遣された人々で、ほとんど基本的なこと以上のその地域の知識を持たず、しかし本当の意味での関心と思いやりの心を持って状況に精通し、地元の人から尊敬を受けている人たちに出会った。
そしてまた私は政治、歴史、そして言語さえもの多くの知識を武器に派遣された人々でにも会った。しかし彼らの高慢さやもっと学ぶ必要があるということや、地域の人たちの方が仲介人より自分たち自身のニーズを知っているということを知ろうとしない態度が明らかに地元の人たちとの関係を築き上げるのを困難にしている。
従って、もちろんあなたがその地域へ派遣される前に言語や状況に精通しているに越したことはないけれども、個人的な態度のほうが重要になってくる。人は知識よりも努力に対して感謝する。従って、通訳を間に入れることは最善の状況であるとはいえないが、通訳が居る事による利益もまた多くある。
ひとつは、誰かがあなたに状況を文字通り説明してくれるということで、たとえあなたが全体的な状況に精通し、言葉を理解したとしても、部外者として、どうしても理解できない微妙な事柄もあるからだ。同様に多くの時間をその通訳者と過ごすことによって、親密な関係が築かれ、それによって、(部外者は)知り得ないはずの社会‐政治的な見識を得るかもしれない。
反対に、もしあなたがまったくその言語を話せないなら、あなたはいつもその`説明者’ に依存しなければならない。99%の現場の通訳者は専門家ではない。そして多くはあなたの使う言語をうまく話せないかもしれない。そうするとそれは通訳ではなく、説明になりがちだ。文化の違いも(問題を引き起こす)役割を果たす。たびたび通訳者は彼らが本当に話したことでなく、あなたが聴きたいと思っていると、通訳者が思うことを話す。一部の通訳者は政治的な信条を持っていて、すべての事柄はそのフィルターを通して訳される。しかし最も重要なことは、国際集団に地元民を一緒に働かせることはいつも危険を伴い、特に仲介武力がその地域を撤退したあとは危険になる。そのことはコソボでKVMが撤退したあとや東チモールで国際社会が撤退した後の例などで明らかだ。
また、現場ではどのような関係が地元の有力な人たちと結ばれていたかという問題も重要だ。もし権力のあるものたちが、国際的な機関と相反関係にあったり、よそ者の存在に憤慨していたりしたら、いろいろな方法で国際機関の作り上げた枠組みを破壊してしまうだろう。それらの方法には、ある特定の地域にいけなくしたり、面倒な入国手続きを作って、ある特定のグループに会えなくしたり、紛争を解決するために必要な事柄に対して一切妥協をしなくしたりなどがあり、そのほかあらゆる本物や抽象的な意味での道を塞ぐものを作る。
その地域で力を持つものが、国際的な機関を擁護する場合にもまた問題はある。例えば、国際機関の存在using their offer of continued compliance with the international presence as a means of extracting certain promises or favours that ultimately run antithetical to resolving the situation.ある特定の約束や好意を状況の解決とはまったくの正反対に向かわせる手段として、
このことは従って現場での中立とは何かという問題を導き出す。これはこの分野で最も議論された問題のひとつです。ICRCのようないくつかの組織では、以下のことは彼らの仕事とguides all their actions right down 中心となる信条のひとつで、彼等の組織で働く者たちを戦争罪をさばく法廷に立たせることを拒否する、たとえ彼らが戦争犯罪容疑者の罪と関係がある重要な情報を持っているかもしれないとしても。中立性に賛成する人たち中立性は本当に必要とされている基本的なことだと主張している。中立性は実行されなければならない。そうでなければ、中立性の欠如は最も援助を必要としている人々に組織は到達できなくなるかもしれない。そのような人たちの中には戦闘状態にある党派の間に捕らえられたり、負傷したり、行方不明になったり、留置されたりしている一般市民も含まれる。
その他の団体では、例えば国境なき医師団(MSF)などは、彼らは組織が見せかけの中立の元で動けはしないし、その必要もないと考えている。なぜならそれは現実を反映してはいないからだ。援助団体は紛争地域ではしばしば片方に肩入れしていると思われがちだ。(時には本当にどちらかに肩入れしているのだが)同様に、中立であるという事実は時に人道的支援をし、紛争を煽り、そして更なる人権侵害も起すことがある。
例えばUNPROFORの1992年から1995年までのボスニアとクロアチアでの任務と指令に関してさまざまな論争がある。紛争地のすべての団体は UNPFOFORを偏見に満ち、反対側のものに肩入れしているとみなしていたので、UNFPROFORはしばしば自分たちが文字どおり、または比ゆ的にハイジャックされ、人道的な支援が行えないと感じていた。それが彼等の主な使命だったにもかかわらず。
他のものたちは、どんな種類の援助や介入も、中立だと認められようが認められまいが、紛争を長引かせ、更なる人権侵害を起こすと考える。なぜならソマリアで見た国連のように国際機関は紛争地域では理解があるかないかの違いの将棋の歩に過ぎないからです。その任務は初め、表面上は地域住民に対する人道的な援助でした。しかしすぐに、任務の中心的役割を果たしていた米国が紛争地の政治に捕まって、その紛争の中の重要な役者になってしまい、彼ら自身が状況を悪化させ、そのこと自体が収集されるべき問題になってしまったのだ。
3.3.4 その地域で働く他のIGO、INGOとの関係
3.3.4.1 概要
そのちいきでのIGOとINGOとの関係はその団体と要員の任務、その最終目標、目的に多く依存している。しかしながら一般的に、いろいろな国際機関の間には資金や資源を得るためのたくさんの競争が存在し、一方で同じようなプログラムが重なり、他方でまったく存在しないなどのギャップが生まれる。同様に、他のさまざまな国際機関がどのようなことをしているのかということについてはあまり情報や知識はない。
しかしながら、国際機関はいろいろな方法でこの問題をはっきりさせようと努力している。現在それぞれの問題、例えば戦闘員の解散や再建などや、目標のグループ(子どもの兵士)には委員会やグループが作られ、国際機関と地元民が一緒になって情報を交換したり、資金を出し合ったりしている。
共同で協力し合っていてもそこには競争と地位の争いがある。例えば人権を監視している地域では、国連が派遣団を形成しているかまたはOHCHR(人権高等弁務官事務所)から派遣されているか、または両方が存在し、政府間機関である米州機構OASやOSCEなどのグループもあり、さらにアムネスティやヒューマンライツ・ウォッチなどの非政府機関が存在している。この事はもちろん縄張り争いを引き起こすが、そもそもの問題点の解決は引き起こさない。
例えば、コソボでは少なくとも5つの異なる組織が捕虜を見に行きました。UNMIK、OSCE、OHCHR、アムネスティ、ICRCです。しかし、これら全ての組織で監視をし、捕虜たちの状況と権利の欠如を明らかにしたが、多くの捕虜たちは人権を否定され、不正義に直面した。
東チモールでもコソボでも(上述の)固有の競争と組織や計画の調整の欠如の問題が見られ、柱となる仕組みを作ることによりこの問題に取り組もうとした。この中心となる仕組みとはひとつの組織がひとつの事柄の全ての責任を負うというものだ。例えばコソボでは、EUが再建と発展の全ての計画と活動に責任を持つた。UNHCRは全ての人道支援を担当した。OSCEは人権と民主化についての部分を、国連は市民行政を担当した。
紙の上では、この事は良いことのように聞こえるが、残念ながら、競争や縄張り争いをなくすことはできなかった。この事はこの問題がそんなに明確に分けられ、はっきりと4等分できず、重なる部分ができてしまうことが原因だ。同様に、競争とつまらない嫉妬心を完全になくすことは不可能で、特に名声や職歴が危ぶまれる状態では、そのようなことが起こる。結局は、多くの組織にとって、紛争や紛争後の状態は、ただのビジネスだからだ。
この事はINGOに特に当てはまり、彼等はその紛争地域のプロジェクトに支給される資金により生計を立てているからだ。水プロジェクトを行うとき、3~4 の異なる団体が興味を示すかもしれない。彼らは皆同じ資金提供者(OCHAやECHO)に群がり、その資金提供者の興味によって恐らく同じ地理的、民族的な目標に対して計画は実行される。例えばボスニアのスラブ地区に対してはクロアチアのムスリムに比べ、ほとんど援助が行われていない。その理由はひとつは国際社会ではスラブ人たちはあまり従順でなく、(with Dayton??) それゆえに再建と援助に彼らを従わせるため、アメとムチ的な方法をとろうとしたからだ。
しかしながら全体としては競争と重複の問題は関わっている団体数が爆発的に増えたにもかかわらず、ここ数年で改善されてきている。この分野で10年以上働いてきた人たちはINGOとIGOの協力体制の発展について話している。独立して仕事をするのが伝統のICRCでさえ、他の国際機関と一緒に活動することの重要性を認識している。
3.3.4.2 多国籍軍の存在との関係
軍隊と国際的な市民団体との相互関係も発展してきている。どちらも以下のことを認識するようになった。それは、資金、情報、援助において、相互依存があるということだ。軍隊は現在全ての活動に対して要員を1団派遣して特に市民団体との交渉を目的とした、CIMIC(市民と軍の協力)と呼ばれるものを持っている。これは軍隊の平和維持活動の中で最も重要な活動のひとつになってきている。
CIMIC 発足以降、軍隊はその莫大な資金の一部を民間団体と計画に分け与えようとした。しかしながら、それとは別の動きも多すぎるほど起こっていて、それは軍に対する不信感ではなく、より多く依存するというものだ。これはしばしば軍隊がそこでのただひとつの完全な資金や資源の提供能力を持つもので、したがって軍に対する資金の依存は、そうしなければ安定した資金は得られないのだから、爆発的に増えている。
軍隊と協力することに対して、特にINGOの間ではある一定の不信感はあるが、国際社会は一般的に特にIGOは軍と協力することによる利益を認識しており、現在では国際軍のプレゼンスはINGOとIGO、地元の政府や非政府組織の任務の中で重要なかぎとなる役割を果たすと一般的に認識されている。東チモールのような一部の任務では軍隊はSRSG(安全総会の特別代表、平和維持活動の市民最高責任者)の指揮下に置かれることもある。コソボのように軍隊は他の派遣団の市民最高責任者の直接指令下に置かれることはないかもしれないが軍隊の責任者たちは最高幹部から草の根レベルまでの意思決定の過程にいつも含められている。(?最高幹部から草の根レベルまでの、責任者なのか、意思決定なのか不明?)
しかしながら、相互依存を認識しているにもかかわらず、軍隊と市民団体の任務遂行中の関係は困難でしばしば緊張したものとなっている。これは軍が、軍でないものに対し懐疑的で外界を彼等の文化の色眼鏡をかけて見るからだ。その色眼鏡とは、剛直で階級性で整頓されていて、市民の世界を、特にNGOを混沌としていいかげんなものだと思っている。だから、軍隊は軍隊でないものを理解し、平和維持活動の中で役割を果たすことを困難にしている。軍隊の視野の狭い考え方も原因のひとつだが、上に述べられているように、市民の活動はきちんと整理されていないし、お互いに争っていて、どのように解決していくかという明確な戦略がないこともこのような困難の原因だ。
結論としては、平和維持活動を行う民間と軍隊の関係がどんなに硬直したものであっても、どちらも協力体制の必要性とお互いに提供できるものがあることを認識している。
3.3.5 派遣されてくる組織との関係
小規模でも大規模な作戦でも、派遣組織との関係に同様の経験がある。上層部と現場の部隊は重要で共に対等であるにもかかわらず、その関係はしばしば問題を含んでいる。
この事は特に派遣部隊が現場に事務所を持たない場合に見られ、それは特に小規模な組織にある部隊にとっては一般的な状況で、また大規模な組織でも本部が実際には現場の計画実行に影響を与える決定をしてしまうようなところでみられる。
INGOでは方針について言えば計画実行と意思決定が地理的に離れているという問題は少なく、多くの場合、現場にオフィスを持ち、本部から自立した存在として機能している。
しかし、INGOでさえ、その職員が派遣組織は現場で働く者が直面している困難や必要性について理解しないと不満を言うことから逃れられない。特に紛争し地帯では情報伝達の難しさから不満が悪化してしまう。
実行できる事柄について非現実的な期待感が両者の間で膨らむ。現場の人間にとっては優先順位と必要事項を自分たちとは何千キロも離れた組織に伝達する事は最良の状態でも困難なものだ。絶えず変わり続ける政治状況の中で、連絡の方法を発案し、安定した情報伝達方法がなく、間違った情報や説明を組織に送ってしまう可能性があるということは、現場の職員たちの大きな関心と必要性を増加させている。(???)このことは大規模小規模どちらの組織にも当てはまる。
同時に派遣組織の状況を知らせるための報告の必要性は変わり続ける現地の状況の中で無意味なものになっている。そのため紛争地帯での職務は自発的というよりは反応的になる。(事件の前に何かをするというよりも、何かが起こってから対応する).派遣組織にできるだけ情報を送り続ける事は大変重要な事だが (to be struck on both side)派遣組織に情報が与え関わりを保ち続けることにより実行可能なこととのバランスをとることが必要だ。???
しばしば現場の職員たちが、派遣組織に対し、物質的精神的経済的援助について非現実的な期待を持つことは、特に変わり続ける状況のもとでは彼等の関係にとってプラスにならない。もし現場の仕事の種類であり、必要とする資源の種類などの状況が進化し続け、その優先順位が変わり続けているとしたら派遣部隊が現場の資源の需要にいつも合致することは困難になり、その他の必要性についても同様のことが言える。しかし、現場には派遣組織は枯れることのない資源供給源であるとの期待がある。
一方で、組織やある特定の組織に属している人々への異常な忠誠心が現地でよく発達する。それは現場の人たちが上司や、同僚たちにとても依存している事が原因で、同様に現場で文字どおり、または比ゆ的にも生き残るためや仕事を維持するために築き上げた関係にもいぞんしているからだ。
このことは小さな組織に特に当てはまり、大きなINGOでも仲間に対するこのような依存状態では忠誠心の発達が自然に起こる。このような組織に対する思い入れは大きな組織、より官僚的な組織では弱くなるが、それにもかかわらず、同僚や組織に対する依存心は通常の勤務状態よりは紛争地でより強くなっている。これには多くの理由がある。
ひとつには普通はほとんどの人が別のものに興味を持っていて、仕事以外の世界がその人の仕事と個人的な世界とのバランスを保っている。しかし紛争地などでは仕事とプライベートが絡み合っていて、バランスをとるのが難しい。そこでは人は上司や同僚と一緒に働くだけでなく、彼らと生活を共にし、休暇を過ごし、結婚したりする。そしてあなたの仕事が地元の人権保護で、一緒に暮らす彼がエンジニアで全く別の仕事をしていたにしても、あなた方は同じ状況と条件のもとで働いている。これら全てが密度が濃く強力な結びつきを形成する雰囲気を提供している。言いかえると、あなたの仕事はあなたの私生活でもあるのです。
現場の職員と派遣されてきた要員たちとの関係は派遣組織の大きさや種類の大きく依存します。例えば、ICRCは派遣代表者にとても厳しい訓練をしてから現地に送りこみます。それはただその派遣代表者にこれから経験することの心構えをしてもらうだけでなく、強く団結したチームはとても強力で、職員たちが直面するかもしれないあらゆる不測の事態にも対応できることを認識しているからだ。このことがまた派遣部隊に強力な忠誠心と理想や目標に対する覚悟を育てる。それは他の団体の現場の職員にはないものかもしれない。
しかしながら、OSCEのような団体では、任務遂行員の95%以上を国からの出向に依存している。職員は政府機関から送りこまれ、適任者というよりはコネを持つ者で、OSCEに対してよりは自分の国の組織や命令に忠誠である。OSCEのような組織はほとんど現場で仕事をするので、出向が終われば組織との関わりは終わる。
一方では多くの現地のNGO職員は組織とかかわりを持ち続け、その他別の任務や自国の事務所で働いたり、現地を去って国の事務所で働いたりしている。そして多くのNGOは本部職員を元現地職員から採用しているので、現地職員と派遣されてくる職員との間には信頼と協力が築かれやすい。
しかし結局は派遣職員と現地職員との関係はその組織がいかに縁遠く、官僚的かによる。その組織が現地職員に対してより親身に責任を持って対応するならその関係は協力的で、信頼に値するものとなる。