NPNPの活動

グアテマラ・プロジェクト(終了)

2007年9月と11月に実施される選挙当日ならびにその前後の期間において、政治的に緊張感が高まり、特に人権活動家に対し危害が加えられる可能性が高いので、そうした活動家の安全を確保するために、2007年4月から2008年2月まで、チームのコーディネーターも含め4人のメンバーがグアテマラに派遣され、護衛的同行などのサービスを提供しました

人権活動家の息子の殺害に件に関する声明

国際的にもよく知られるグアテマラ人の人権活動家Amilcar Méndez の息子、José Emanuel Méndez Dardón の殺害について非暴力平和隊は深い哀悼の念をあらわすとともに、グアテマラで起きている政治的暴力とそれが裁かれていない状況に対し深い憂慮の念を表します。

8月17日金曜日の午後、グアテマラにいた非暴力平和隊のチームは、国際的にもよく知られるグアテマラ人の人権活動家Amilcar Méndez の一人息子、José Emanuel Méndez Dardón が殺されたという情報を入手した。会社の車を運転していたJos?は、後ろの車から降りて歩いてきた男に撃たれ、殺された。彼と一緒にいた人物も負傷した。

彼の父親Amilcar Mendezは、グアテマラの多くの人権活動家のあいだで、農村部の先住民の人々の権利を勇気ある擁護者として知られている。先住民は内戦中に「市民自衛パトロール隊」という武装集団に強制的に入隊させられたりした。Amilcarはロバート・F・ケネディ記念賞を含むいくつかの国際的な平和賞を受賞している。

グアテマラの、内戦中のもっとも過酷な時期にJosé Emanuelはずっと父親に付き添っていた。80年代半ばには、一家は度重なる脅迫を受けて一時カナダに亡命していたが、それ以外はAmilcarの仕事は危険だったにもかかわらずずっとグアテマラで生活し働いていた。José は空港管制官で、2人の子どもがいた。彼の両親、彼の義理の両親、それに2人の姉妹は健在である。

José Emanuelはなぜ狙われていたか、よくわかっていない。間接的に彼の父親を攻撃するねらいだったのかもしれない。この数ヶ月間、活動家の子ども達が攻撃されることには枚挙にいとまがない。今回の選挙期間中の治安の悪化はグアテマラにおいてさえも異常なほどのレベルに達している。1985年以降のグアテマラでは最も血にまみれた選挙として国際的なニュースでも放送されている。

息子の死という大変な事態にもかかわらず、「これは何千人ものグアテマラ人に起きてきたことである。しかも、まったく裁かれることもなく。」とAmilcarは冷静なコメントを出した。

非暴力平和隊はMéndez 一家にお悔やみを述べると共に、治安が悪化し、法の支配が崩壊し、罪が裁かれないというグアテマラのたいへん深刻な状況への深い憂慮の念をあらわす。恐れと脅しがはびこるなかで、グアテマラ人たちが作り上げようとしている民主主義の基盤がゆらいでいる。非暴力平和隊は、すべてのグアテマラ人の命と安全を保障し守るという憲法上の義務を負っているオスカー・バーガー大統領に対し、この事件、そして、ほかの何千もの未解決の犯罪の徹底かつ完全な捜査を実行することを要請する。

2007年8月27日