非暴力平和隊実現可能性の研究【第2章 第4節(3)】
第2章 介入における戦略、戦術、および活動
クリスティーネ・シュバイツアー
2.4 大規模な民間ミッション
2.4.3 活動
2.4.3.1 南アフリカにおける選挙監視活動
NGO監視活動チームの最初で最も重要な活動は政治活動家や当局を訪問して彼等のプレゼンスを知られるようにし、連絡網を作ることである。これが彼等の平和維持活動や平和実現活動の努力が生じる背景である。
平和維持活動
- 基本的な監視活動とプレゼンス:
- 市民会合、デモ、占拠、ストライキ不法定住者の強制移動、ホームレスへの場所の割当、葬儀、その他における監視とプレゼンス。又、Kwa/Zulu/Natalのミッションは政治的会合では参加者のそうした行事への行き帰りに同行することもした。
- 治安部隊の行動の監視は非常に重要な役割であると見られている。NIMは警察が市民の会合に警官がいるかどうかを確認し(例えば、事前に電話するなり)、警官に合意された行動規範について注意しそして彼等の行動を監察した。
- 選挙監視活動:EMPSA選挙チーム(選挙のたった2週間前に到着した)は諸準備(監視員の登録と訓練、投票所の設営や選挙監視人の訓練)を監視し、投票日には投票所でのプレゼンスを高めた。選挙前とその期間中たった数週間滞在した国連監察員も選挙に関連した活動に監視努力を集中した(投票所や集計所の設営など)。
- 直接の割り込み活動は、EMPSAよりもNIMや統一キリスト教平和計画で大きな役割を果たした。NIMの監視員は危機的状況が起こりうる際に介入した、例えば、デモの群集が合意されたルートを外れ反対派の地域に入ろうとする恐れが生じた時等;そして地域住民と当局や治安部隊との結びつきを作るのに貢献した。しかし、EMPSAも市民の政治集会、デモや葬儀などの際に異なるグループ間の割り込みを行ったと報告している。
- 調査監視活動:NIM監視員は特に暴力事件の調査を行い証人の陳述を取ったり警察の調査のフォローアップをしたり不法な武装活動の報告を書きりマッピングをしたり、その他の活動を行った。EMPSA監視員も警察の調査に参加したり各グループのパレードに参加した。
平和実現活動
平和実現活動は主として地方/地域或は部門(仕事の争い)ベースで始まる。それは次のことを含む:
- ライバルの政治活動家間の連絡を作る(EMPSA)
- 地域住民をが当局や治安部隊と連絡することをサポートする
- タクシー競争やストライキのような時の調停努力(EMPSA)
- NIM監視員は様々なタイプの信頼構築手段に積極的に参加し、紛争中の当事者間の会合に参加し、紛争の影響を受けている地域での会合を開き、個別のケースでは調停を実現した
平和構築活動
平和構築活動は南アフリカミッションの報告の中では余り明らかにされていないが、しかし、この分野でもある程度の活動があった:
- 市民社会構築
- NIMの監視員は有効な事務所の設立や、受入機関と仕事をどのように進めるかについて打ち合わせや訓練を行う等の組織つくりに参画した。
- 連絡網:平和監視員は異なる組織間の情報交換の改善に貢献した。
- 支援:監視員は暴力を止めるための地域で進める様々な計画を支援した。(EMPSA)
- 人道的援助
- 暴力の犠牲者の支援、暴力の犠牲者の家庭訪問(KwaZulu/Natal)、犠牲者と当局や援助団体との連絡を支援するなどの活動(EMPSA)もある程度行われた。
- 応急手当の提供、救急車を呼んだりけが人を病院に運んだりして人命を救助した(EMPSA)
又、殆どのミッションは報告書の作成を行ったが、これらの報告書がどうなったか、(少しでも)活用されたのかどうかについては明らかでない。
EMPSA監視員の滞在期間が短かったことが批判された。監視員自身もそれは感じていた。地域の人達は交代が早いので彼等が人々に慣れた早々にいなくなり又新たな人達が来るという事に不満を抱いた。
EMPSAはインフラが整備される前に活動を開始した。特に、南アフリカでの支援体制は整っていなかった。その他の管理や組織に関連した欠陥が報告されているーー例えば、計画が余りにも集権化されており国の機関が重要なすべての決定権を有していた。又、1996年の統一キリスト教平和実現計画に参加した或人の報告では外国人は非常に役立ったが彼等が固まって居たことが住民達にとって多くの疑問と問題を呈したと述べられている。NIMの監視員は現地の受入れグループがインフラや機材(住居、車、ファックス、電話、無線通信)を整えていなかった為、当初色々な問題に当面した。これは彼等の仕事に制約を与え又リスクを高めた(無線通信が無い)。
2.4.3.2 ブーゲンビルでの平和監視活動
休戦監視グループとその継承者平和監視グループの基本任務はその地域をパトロールし休戦協定違反を調査することであった。平和維持活動に加え、これらのパトロールには平和構築活動の領域と考えられても良い幾つかの活動が組み合わされた。
- 監視員は当初通訳を通常伴って村に出向き、平和のプロセスについての印刷物を配り、平和協定書を読んだり平和に関連した事柄について話したりする所謂“平和を考える集会”を持った。
- 更に彼等は村のインフラの評価を行い、
- TM/PPGのメンバーも加わった混成チームでスポーツ競技(バレーボール、サッカー)を開催した。
- その他幾つかの活動が氷を砕き信頼を構築する為に行われた。監視員は音楽や歌や踊りのある行事を企画し参加した;彼等は昼食や夕食時に会合を開き村人達と一緒に食事をすることを学んだ;そして、現地派遣責任者はちーむぜんいんがきょうかいのれいはいに出席することを義務付けた、と言うのは、ブーゲンビルが信仰深い土地柄であり、チームの成功にはこのことが欠かせないと考えたからである。
TM/PPGはブーゲンビル人の重病患者も治療する医療施設を支援した。
しかしながら、彼等は度々の要請にも拘らず物的援助の要請を満足させることは無かった、そして、報告によれば、彼等は困難な状況下にある処へのパトロールを行った。
報告書には“進行役(の働き)”と言われる分野以外での平和実施活動には余り言及されていない。進行役(の働き)とはアイデア、情報、コミュニケーション、輸送の提供を含む。この活動は、当初、主として草の根レベルで始まったが和平プロセスが進展すると伴に、進行役(の働き)は全てのレベルのブーゲンビル指導者達の会議出席を援助しそして、これらの会議の情報を人々に伝えることに変わっていった。
組織と構成の面では、少なくとも当初はミッションは様々な困難に当面したと思われる。多くが時と共に改善され、特に配置前の訓練(一週間の訓練)が導入されてから顕著であった。Breenは本当の学習過程が定着し軍隊のやり方への依存は減少したと報告している。次のような批判がある:
- ミッションがスタートすると(軍の)指導者は問題から取り残されたと感じる
- 要員の実際の選定のプロセスが無い
- 民間スタッフは軍隊の文化への適応が困難;軍人は民間の監視員への適応が困難
- フィジー人とヴァヌアツアン人達と、オーストラリア/ニュージーランド人との間の文化の違いによる衝突。オーストラリア人はヴァヌアツアン人の準備がひどく悪いと思っており、ヴァヌアツアン人はニュージーランド人の一部やADF要員の大半が彼らを通訳として取り扱い、軍事経験やスキルが不足していることで見下していることに気付いた
- 軍事力による保護への集中の結果と、監視任務の正確な内容が十分に訓練され且つ理解されていなかった為に、軍隊のやり方に強い強調がおかれブーゲンビルの部族やグループとの政治的、文化的交流の努力が弱かった
性差別の問題意識は明らかに非常に低かった。或る(女性の)監視員は述べている:“婦人問題の多くは女性のPMGパトロール隊員が気をつけるべきと考えられている・・・・実際に、本部からの指示はパトロール活動は婦人問題で”余計な負担“がかからないようにすべきと言うものであった。自分はそのことが全く理解できなかった。もし、自分が男の問題で如何に余計な負担をかけないようにするか、そして、男の問題と女の問題との相違を知っていたならば、多分、自分は適当なバランスを保つことが出来たであろう。” 他の女性は更に:“チームサイトで唯一の女性であった私は時々チームサイトのコックと間違えられたし、チーム内で他のサービス(詳しくは言わないが!)を提供する為にいるものと間違えられたこともある。”と言っている。
2.4.3.3 コソボ検証ミッション
目的はコソボ全土に検証員を広めることであったがミッションの低調な編成の為その目的は部分的にしか到達されなかった。その代わり、検証員はしばしば騒動が報告された地域に集中した。KVMは平和維持活動に集中したが和平実現活動のある分野を含み又、幾つかの平和構築/緊急援助的要素も含まれている。
平和維持活動
- 車によるパトロール
- 暴力的事件に遭遇した際可能ならば介入する。時には彼等のプレゼンスが暴力を止めるのに十分であったーー例えば、その場所に到着することでセルビア警察によるアルバニアの若者達への虐めを止めた。
- 少なくとも撃ちあいがあった時、誰が始めたかを見分ける為に、起こりうる暴力の勃発を監視する。それをする為に、少なくとも一つのケースで、KVMは反対する側の指令場所に検証人を置いた。
- UCKの支配下にある場所に行くセルビア警官や調査員に同行する、そして、セルビア警察による虐めを恐れるアルバニア人居住者を安心を与える為に。あるケースでは、UCKが検証員の安全を保障できないとKVMに知らせてきた時同行はキャンセルされた。
- 難民の帰還を奨励する為、危険地域に恒久的な前哨拠点を設ける。例えば、小さな町で元々UCK支配下にあったが、ユーゴースラビア軍によって占拠されたMalisevoの例。
- 戦闘が起こったり、死者が発見されたり、或は大量の墓場とされる場所などの暴力の現場を視察する。彼等は通常その現場を記録しそれについて報告する。
- 幾つかの裁判を監視する。
- 彼等の仕事にはユーゴースラビア軍の兵舎での武器の検証調査や大隊の位置の調査が含まれる。
- 難民や家を失った人々の状況についての報告を含め、ミッションの重要な任務の一つは報告である。
和平実現活動
和平実現活動は通常、KVMの平和維持活動の機能を密接に結びついているーー例えば、Malisevoのような所で当事者を分離する為にUCKとユーゴースラビア軍、警察とが協定について交渉した時等。
最初の使命にには含まれていなかった現場での活動の一つは人質と捕虜の解放の交渉であった。例えば、KVMはUCKによって人質に取られた5人の民間人の解放を交渉し、UCKは彼らをピックアップし安全な場所に引き戻し、そして、8人のユーゴースラビア人兵士を解放した。
平和構築活動
その時点では、KCMはより長期的活動の意味での平和構築活動には従事していなかったが、難民や家を失った人達の帰還や復興の仕事に関連したKVMやKDOMのいくつかの活動があった:
- 難民や家を失った人達の状況について地域や国際的NGOとの連絡
- KVMはKDOM、USAID、UNHCRやNGOと共にMalisevoの施設の再興にあたった。類似の活動は他の場所でもなされた、例えば、ある地域では電力の修理、或は学校の校舎の再建など。
2.4.3.4 エルサルバドルと東チモールにおける国連ミッション
エルサルバドルの国連ミッション、ONUSAL、は3つの全ての平和戦略に従事した。監視員は全土に広がり地方事務所を設立し、紛争の全ての関係者と非常に広範囲な連絡を構築した。彼等の活動は他のミッションでも見られる平和維持活動を含む、即ち:
- 虐待について報告することにより人権侵害を監視し検証する(それらの発生後)
- 軍隊の削減の監視(1993年1月末完了)
和平協定の締結後、ONUSALは交渉を援助し積極的な役割を果たした、即ち、FMLNの解散、政府による土地のより公平な分配、広範囲な政治への参画、そして、新しい国の自治警察官の広範囲な募集についてである。
加えて、彼等は平和構築のカテゴリーに入る広範囲な活動にも従事した:
- 軍や一般大衆に人権教育の提供
- 新しい予備役制度の導入の監視
- 警察再編の支援
- 地雷原の除去の監督
- 元戦闘員に影響を与える状況の監視
東チモールにおけるUNAMETの監察員も全国に展開された。しかし、明らかに彼等の主たる活動は選挙の準備に集中しており、登録所や投票所の監視、民兵からの任意ベースでの武器の回収以外は暴力をコントロールするものではなかった。彼等の主たる任務は有権者用教材の制作と配布を通して住民に住民投票について教育することであった。
住民投票の登録は治安上の理由で2度延期されたが7月半ばには開始された。登録センターはUNAMETにより管理、監視されなお不安定な状況にも拘らず非常に良い登録率であった。(国連は当初40万人の登録を期待していたが、451、792名の有権者であった)。
UNAMETスタッフ自身が暴力的攻撃や脅しの犠牲者になった時、彼等はこれらの脅しについて報告しインドネシア治安部隊に抗議した。