OUR WORKわたしたちの活動

資料

ティム・ウォリス非暴力平和隊事務局長 来日講演
「非暴力で紛争をいかに解決するか ~スリランカにおける非暴力平和隊のチャレンジ」

講演者:非暴力平和隊事務局長ティム・ウォリスさん
日時:2010年3月6日(土)14:00~17:40
場所:立教大学池袋キャンパス

講師紹介

ティム・ウォリス Tim Wallis
非暴力平和隊(NP)国際事務局長。
英国ケンブリッジに巡航ミサイル基地建設反対運動で中心的役割を果たし、その後ブラッドフォード大学にて平和学博士号取得。市民非暴力介入の草分け的国際NGO・PBI(国際平和旅団)国際事務局長、ピースニュース編集長、NATIONAL PEACE COUNCIL や Peaceworkers UK、 International Alert でデイレクターを務め、バルカン・ピース・チームなどコソボ、ヨーロッパ各地の紛争調査、平和チーム派遣、トレーニングに関わる。ヨーロッパ市民平和隊を提案し、その創設提案はEU議会において承認された。
 NP設立に関わると同時に初代共同代表になり(2002~2007)、2008~2009NPプログラム・デイレクター、2010年より現職。今回は立教大学「平和研究」プログラムで招聘され来日した。
(講師紹介はNPJ事務局、以下報告は、池住義憲(立教大学大学院教員))

紛争解決に役立つのは誰か

 紛争地域外にいる私たちは、何をしたら紛争解決に最も役立つのでしょうか。今日紹介する事例はスリランカですが、非暴力平和隊(NP)がかかわるどの国においても、戦争を終結させ、平和を定着させるために皆さんができることは、日本をはじめどこからでも沢山あります。一方では、国連をはじめ米国などが当事者として軍事介入により、戦闘を停止させ、何らかの秩序を回復する努力がなされています。ご存知だと思いますが、インドはスリランカ紛争のある時点で平和維持軍を送り込みましたが、それにより戦争状態を緩和させるどころか拡大させてしまいました。

 常に、そうなるというわけではありませんが、軍事力をもって地域における戦いに分けて入り、両当事者間の争いをやめさせるという考え方自体に矛盾があります。意味をなさないばかりか、大半の場合、うまくいっていません。

国連の平和維持軍

 国連は現在90億米ドルあまりを毎年使い、世界の17紛争地域に12万人の軍事平和維持軍を派遣しています。それらどの国においても、国連の存在により紛争が実際に解決されたことはありませんが、平和と安定を一定期間もたらすことが場合によりできており、そのことは言うまでもなく暴力的な紛争に苦しむ一般の人たちにとってよいことと言えるでしょう。

 しかし、ほとんどの国連平和維持軍は、人に銃を向けて徘徊しているよりましですが、実際には何もしていない。平和維持軍の存在自体が、国際社会に現地の状況に重大な関心を持たせ、目を光らせていることを示唆しているのです。その実をあげるために、平和維持軍は何をしなくともよい、そこにいることでその効果があるのです。もっとも、先ほど言ったように状況を治めるというより悪化させることはありますが。

軍事要員と市民、どちらが効果的か

 平和維持軍が、暴力を縮小するのに良い効果をあげたとされる場合があります。それは軍服、戦車やヘリコプターなど武器の存在によってではなく、彼らの物理的な存在によるものです。そうであるなら、軍人を送り込む必要があるのか、民間人でよいのではないか、ということになります。

 民間人は軍人よりずっとお金がかかりません。高価な武器や軍隊が使う銃器を使う必要がないからです。それだけではなく、民間人は、兵舎でトランプ遊びをして時を過ごし、たまに道路を巡回する兵士よりずっと多くのことができます。まず地元の人たちと話しあう。そして、技術やモラルサポートなどを提供することができます。話し合うことにより信頼を築き、失われていたコミュニエーションを復活させることもできる。

 驚かれるかもしれませんが、ほとんどの状況において市民の方が軍事要員より仲間の市民を実際によりよく保護することができるのです。これは、まさにこの7年間、私たちのスリランカでの主たる役割でした。このことは後でお話します。

紛争地域外の人に何ができるか

 戦争や暴力的な紛争地域の外から何ができるか、という問題についてまとめておきたいと思います。政治家が安易に軍事介入を選ぶのは、ほかの手段を知らないからです。日本のような国においてですら、ビルマ、パレスチナ、スリランカ、ダルフールなどの状況に対する政治的な議論は、驚くほど創造的な論議に欠けています。暴力や紛争を停止したり予防する数多くの手段は国連をはじめ、各国政府、一般市民にありながら、危機においてまず軍事オプションが選ばれるのです。

 軍事介入といかないまでも制裁があり、国際社会が戦争や暴力を予防するためにとる手段として、経済封鎖、輸出入禁止、スポーツ・文化交流の中断、旅行禁止、外国資産の没収などの制裁を課すこがあります。国際犯罪法廷における戦争や人類に対する犯罪の告発などもあります。最近では、国際社会は、罰則の代わりに貿易、援助、経済協力、技術支援など多くの方策をつかい、戦争当事者を戦場から交渉の場に着かせることが試みられています。

リベリアの女性

 紛争は、最終的には紛争当事者だけが解決できるのです。実際に戦闘している人びとだけではなく、両当事者に挟まれた中道・穏健派―普通の人たち、とりわけ女性が解決できるのです。何人の方が、「リベリア内戦を終わらせた女たち」(Pray the Devil Back to Hell)という映画をご覧になったでしょうか。この映画は、紛争や殺し合いにうんざりしたリベリアの女性たちが立ちあがった話しで、戦っていた人たちを座らせ、和平を話しあうことを要請しました。そして、合意に至る兆し見がえないまま長引くと、女性たちは会議場の出口をブロックし、合意に至るまで外へは出さなかった。このような状況において、普通の人たちが殺し合いを止めさせるために何ができるかを描いたパワーフルな映画です。

 リベリアの女性は勇敢で固い決意を持っていましたが、全ての国にそのようにリスクをとる能力や意思がある人がいるとは限りません。スリランカの場合は、30年も続いた内戦中にリスクを犯し、殺害されてしまった人の数は多い。また、国外に逃れた人、リスクを伴う機会を前にしながら口を閉ざしてしまった人もいます。そういった人たちは何処にでもいます。スリランカをはじめ、どこの紛争でも解決できる人、人を殺めることは問題解決の道ではないと説得できる人、クリエイティヴで想像力を働かせ、誰も考えたことのない妥協案や代替案を、両者を満足させ得る道を考え付く人はいるものです。そのような人は、残虐な対立の中で最も暗い日にもいるものです。

 紛争地域外の人たちができる最善のことは、そのような人たちを支援し、紛争解決を彼らができるようにサポートすることです。私たちには解決できないが、現地のその勇敢な人たちにはできるのです。

地元地域の人々をサポート

 紛争解決、戦争停戦、予防の戦略として最善のものは、自らの状況を変えることができるチャンスをもっている地元の人をサポートすることです。その人たちは、紛争を終わらせるために重大な役割を果たしたリベリアや北アイルランドの女性たちのように、良く見える存在であるかもしれません。大部分は和平のために努力をしているリベリアの女性、北アイルランドの女性、紛争を終焉させる上で重大な役割を果たした人たちであるかもしれない。然し、ほとんどは、人目を引くことなく、いろいろな方法で状況を変えるべく静かに努力している人たちかもしれません。

 平和活動家だったり、人権擁護団体で働いている人、ジャーナリスト、弁護士、教員であったり、世の中のことに目覚めている普通の人たちなのです。少年兵士の母親であったり、殺害、あるいは蒸発してしまった人の親戚縁者だったり、拷問やその他の虐待や犯罪の犠牲者だったりします。戦闘により家を追われ、持ち物を全て失った人たちであるかもしれません。いずれにしても戦闘や人を殺害することなく目的達成にはよりよい手段がある事に気づいた人たちです。その人たちを探り当てなければなりません。

岐路に立つスリランカ

 スリランカでは、これらの全てのカテゴリーにおいて志を同じくする人たちを探しあてることができ、30年におよぶ内戦解決の彼/彼女らの努力を助けたのです。皆さんもご存知と思いますが、スリランカの内戦は平和裏に終結できず、一方の他方に対する完全な軍事的な勝利と抹殺で達成されました。平和努力という意味では、良い結果とはいえませんが、問題は次に何が起こるかです。スリランカが、他所で良く見られるように、単にまた暴力と戦争の循環に落ち込んでしまえば、私たちの努力はある意味で無駄だったことになってしまいます。しかし、スリランカが暴力に更に輪を掛ける悪循環を断ち切って、平和と安定の道を歩み始めることができたなら、私たちの戦略が成功した、努力が報われた、といえます。

 スリランカは、疑いなく岐路にたっています。平和へ向かうか、戦争に戻るか。いずれにも転ぶことができます。決定的な因子は、今話をした普通の平和を求め、生活を営むことを望む人たち、あらゆる当事者の中にいる穏健派、大砲や銃器や戦争ではなく平和的で民主的な手段により目標を推進したい人びとです。中道穏健派の人たちをどのようにサポートしてきたのか、とくに「平和か戦争か」がかかっている現在、どのようにサポートするのかが問われているのです。

非暴力平和隊の活動

 さて、非暴力平和隊の活動、非武装市民による平和維持とよんでいることについてとりあげます。前述のように、12万人からの平和維持軍が国連に存在しています。彼らの任務は、停戦協定の監視、国境沿いのパトロール、暴力の予防あるいは削減、市民保護です。先ほども言いましたが、多くの場合、市民の方が軍事要員より、特に市民保護において、より良い仕事ができます。平和維持部隊にしても平和維持のための市民活動にしても、紛争解決は地元の人がやらなければならないことなのです。そのためには、彼らの安全が確保されていなければできないし、努力中に殺害されてしまいます。
 ジャーナリストは、当事者以外の市民に影響力をもつ重要なグループです。問題を質し、現状を報告し、現実を曲げる人たちに疑問を呈することができます。ジャーナリストの存在は、情報や戦況について報告されることを管理したい人たちに対する脅威です。スリランカだけで、この5年間に、殺害されることを予知し、死亡記事を先に書いた有名な新聞紙の編集者をふくめ34人のジャーナリストが殺害されました。その間、国外に逃亡したジャーナリストは何十人に上ります。
 非暴力平和隊の仕事の一部は、重大な脅威に曝され国外に出国したい人を助けることでした。残ったジャーナリストは、恐ろしくて何も言えない。実効ある自己検閲が作用したことになり、スリランカの人たちはこの数年間、何が実際に起こっていたかを知りえなかったのです。この岐路とも言うべき重大なときに当たり、非暴力平和隊の仕事は、ジャーナリストの他国への逃亡を助けることではなく、帰国を促すことにあります。ジャーナリストが、厳しい質問を行ない、報告することなくして、スリランカが正しい道を選択する機会は大幅に狭まるからです。
 同じことが人権擁護活動家、弁護士、穏健な政府官吏、穏健なタミル政治家にもいえます。これ等の人の多くが、30年戦争間にあるいは殺害され、口を封じられ、多くが国外に逃れました。今こそ、彼らがスリランカにとどまり、発言することを助けていかなければならない。この人たちこそスリランカを良い方に変えることができるのです。
 非暴力平和隊の主な仕事は、平和活動を地元の人たちが安全に行えるよう彼らを保護することです。それぞれ立場の違う人たちに対し、異なる手段を用い行なっています。ジャーナリスト、人権活動家、穏健政治家などとの共同作業をしています。スリランカの未来の鍵を握る彼らが、内戦後における平和と節度、公正を進める役割を果たして欲しいからです。
 また、重要なのはタミル人、とりわけ最近の闘争により家財を失った人たちです。スリランカ社会の一部として、平和な多民族社会に統合されるか、またはさらに阻害され、自己権利と民族自決のための戦闘に早晩もどってしまうのか。後者に向かわず、前者の道を歩むことを保障できるか。これもまた、主として彼らの保護にかかわる問題です。

国家の義務と責任

 国家の主たる義務は市民の保護にあります。その機能が作用しなければ、市民は自己防衛のため、群集による正義を求め、義勇団を組織、武器を保持する道を選んでしまいます。その状況を避けるため、警察、法廷、その他の政府制度が、全ての市民に対し公平に機能しなければなりません。少数派であるタミル人は、政府の手により膨大な苦悩を被り、何千何万の人たちが家を失い、何万人にも上る人たちが殺害されており、当然ながらスリランカ政府を恐れ、援助するといっても当局との接触を嫌います。
 その状況下での私たちの仕事は、人命保護、人権擁護に当たる警察や人権委員会、その他の当局に市民が問題を報告し、然るべく措置がとられるよう、制度を強化することにあります。同時に、一方でタミル人をはじめその他の犠牲者に政府サービスを使うよう、まず問題の報告を進めることにあります。そのためには、警察まで同行し、実際に然るべき措置が取られるのを見届けることでした。時には、人権委員会の人権侵害の訴え調査に同行し、しかるべき措置がとられるのを見届けることも含まれました。スリランカ軍部に対し、人権及び人道支援の講義をおこない、国際法における軍人としての責任を理解するとともに、責任を乱用した際の処罰について知ってもらうことでもありました。

公正な選挙

 選挙を行なうことも、市民が苦情を登記し、暴力に訴えることなく平和裏に政府に影響力を行使する道です。スリランカにおける選挙は常に暴力的で、最近の大統領選挙も例外ではありませんでした。候補者は、権力者を脅かす対立候補として暗殺されます。投票所に手榴弾が打ち込まれ、選挙日に投票しないようにする、などあらゆる脅しや恫喝が手段として使われます。投票結果を左右する不正行為はいうにおよばずです。
 スリランカには、投票権を行使し、暴力や不正を予防するための選挙監視組織があります。非暴力平和隊がしていることは、特に危険な地域において地元の選挙管理員を保護することです。有権者が安心して投票することを保障するためです。この厳しい時期、次の総選挙がスリランカの明暗を決めます。選挙関連の暴力を減らし、それぞれが地元の利害や政見を代表する候補者に安心して投票することができれば、スリランカが暴力ではなく民主的な道を選ぶ機会ができます。

少年兵の問題

 もうひとつ、数年にわたり手がけてきたのは少年兵の問題です。拉致や暴力的に家族を恫喝することにより子どもを連れ出す手口です。スリランカは、世界中の少年兵の最悪な記録保持者です。嬉しいことにこれを完全に撤廃すること日が近づいています。
 この行為が長く続いたのは、タミルタイガー(LTTE)などの武装集団が子どもを要求・拉致することへの恐れだったのです。然し、スリランカには沈黙の文化が存在しており、社会全体が見て見ぬ振りをすることにより、暗黙の承認を与えられてきた面があります。UNICEFなどの組織が長年この問題を手がけ、止めさせる努力をしてきたのですが、非暴力平和隊がしたことは、子どもたちやその家族、特に母親たちにこの慣習を質し、やめるべく要求することを仕向けることでした。
 ジャーナリストや人権擁護者と同様に、非暴力平和隊はひととき、武装集団に拉致されることがないよう、子どもたちをひそかに一定期間安全な場所に隠したことがあります。そのことは直接問題に対応することにならず、むしろ当初の対象だった子どもたちではない、他の地域や他の家庭の子どもたちが拉致された結果を招いてしまったのです。
 この状況を変えたのは拉致された子どもの母親たちが直接ジャングルの中の収容所に出向き、子どもを返すよう要求したことでした。先の状況を掌握したリベリアの女性とおなじようでもあり、母親たちが大胆な行為がゆえに殺害される恐れもありましたが、されずにすんだのです。スリランカでは、子どもの徴兵は許されない、というところまでカルチャーが変わってきています。

代替案の開発を

 これらは、非暴力平和隊がスリランカにおいて、地元の人たちが事態を掌握して、長年に亘り国を支配していた暴力の連鎖に歯止めをかける奨励を行なった数例にしか過ぎません。
 スリランカの将来は確かに不確実で、非暴力平和隊が行なうこのような仕事はこれからも続きます。それは世界の未来がかかっているからにほかなりません。これ等の状況において暴力が支配することをゆるしてならない。暴力により最も被害を受ける人たちこそ、広島の被爆者であれ、2001年9月11日にワールド・トレード・センターで命を失った人たちの親戚縁者であれ、スリランカで爆破され、抹消された村落民であれ、暴力は暴力を生み、更なる悲惨さ、死、苦しみと破壊を招くだけであることを知っているのです。
 私たちの間の差異を解決するより良い方法はあります。その代替案を開発し、実証して、世界により良い道があることを示していかなければならない。それが非暴力平和隊のスリランカでやろうとしていることなのです。有難うございました。(完)