資料
「戦争の廃絶を実現可能な目標とするために」
Making the Abolition of War a Realistic Goal
Gene Sharp ジーン・シャープ著/岡本珠代・訳
【この日本語訳はThe Albert Einstein Institutionの承認を得ています】
発行:非暴力平和隊・日本(NPJ)
近代戦争はきわめて破壊的である、とだれもが認めている。それでもなお、大半の政府が、国民の支持のもとに、軍事力の増強に最大限の努力を払い続けている。戦争を廃絶し、世界平和を実現するために、今まで無数の提案や運動が試みられてはきたが、だれの目にも明らかなように、そのどれひとつとして成功していない。実に、戦争の廃絶と平和の実現という目標の達成は、今日では数十年前に比べて、重要な点でいっそう困難となった観がある。 もちろん、我われが解決できなかった重大な政治的課題はこの戦争の問題だけではない。ほかにも、独裁、大量虐殺、抑圧的体制、人民の無力、等の問題がある。これらの問題も、戦争の問題の解決策を探るにあたって、考慮に入れる必要がある。
戦争が続行し、戦争準備が着々と進められているといった状況にたいしては、大方の人が、あきらめるか絶望するか無力感に陥ってしまう。「戦争は避けられない」と考えて、これを「人間の本性」や、お好みの「悪の力」のせいにする人がいる。他方では、戦争の廃絶を求めて、方角も確かでないのに、見果てぬ夢を追い続け、昔ながらの道をたどる人あり、目標めざして息をきらせる人あり、近道がないかと探す人あり、かえってアブハチとらずになりかねないのに、捨てばちの行動に走る人あり、実に様々である。 しかし、こういう対応のしかたはすべて不十分である。もっと創造的なやり方が可能なのだ。実際、それを練り上げる努力をするのが、我われの責任なのである。そうした対応策が、確固とした基盤に立って、現実に即して練り上げられ、実践されるならば、我われに新たな希望を与えてくれるのではないだろうか。 戦争の問題にたいする新しい対応策が、確固とした基盤を得るためには、まず、平和のために働らく人びとが滅多に考えない、次のような手ごわい事実の数々を考慮しておく必要がある。
- ある種の紛争は、社会の内部にも、社会と社会の間にも、常に存在し、ある種の力の行使を必要とする。
- 「人間の本性」を変える必要はなく、変えることもできない。
- 国民も政府も、平和のために、自由や正義を犠牲にしようとはしない。
- 平和主義への集団転向は起こりえない。
- 軍事技術と軍事的想定が相互関係にある時、軍事技術のスパイラルが切断されることはない。
- 残忍な独裁制や抑圧体制がなくなることはない。ますます残忍になり、ますます拡大していく可能性もある。
- たとえ資本主義が廃止になっても、その結果戦争がなくなるわけではない。
- 交渉は、戦闘し制裁を加える能力の代役にはなれない。
- 一方的「武装解除」(ディスアーマメント、自衛力の放棄)は、戦争に代わってとるべき第二の道ではなく、実現可能でもない。
- 大規模な多国間軍縮もほとんど実現不可能である。
- 国の独立が戦争の原因ではない。
- 世界政府は、実現できない。万一、世界政府ができても、いずれは世界内戦争を起こし、抑圧的となり、あるいは不正義を強いたり持続させるために利用される結果となる可能性がある。
戦争の問題の解決策を探るにあたっては、ユートピア的幻想に基盤を求めてはならず、国際紛争の立て役者たちの政治的もくろみをうのみにしてかかることもやめねばならない。
無気力・無抵抗よりは戦争を
問題の本質をよく理解しないまま解決策を探り練り上げるのはきわめて困難である。戦争の問題にしても、我われにはその本質がよくわかっているとはいえない。この問題を扱う前に、今まで提起されてきた提案や学説を一切合財、棚上げにする必要がある。だが、全く新たな方法を開発するのもむずかしい。一旦気に入ったやり方をおいそれと捨てたくないのは人情であり、新規の方法を手がけるには相当の知的準備がいる。
戦争にしても、威嚇や開戦が目的で行なわれる軍備増強にしても、その原因や結果はとても複雑で錯綜している。記述された歴史をみても、戦争や戦争準備が大きく変わってきていることは明白である。しかし、複雑さと歴史的変遷がどうあれ、直接に戦争の現象を見つめ直すと、次第に、戦争の本質や持続の理由が見えてくる。
戦争や軍事力は様々の機能を果たしてきたが、その一つが他社会の人民だけでなく自社会の成員をも攻撃し抑圧する機能である。しかし、戦争や軍事力のこうした卑劣な行使にのみ注目しないで、戦争や軍事力がそれよりましな目的(や、人民の支持を得るために本音は隠して掲げられた建て前上の目的)のために、行使されてきたことを忘れないようにしよう。
国内の紛争や国際間の大きな紛争は、きわめて重要な大問題をめぐって起こる。世界は、政治的にいつも危険をはらんでいる。独裁制はあとを断たず、長期化して、勢力拡張も再三にわたる。他国の攻撃を受ける国もでてくる。いろいろな形態の抑圧体制が生まれる。軍や国政の少数者集団が、合法政府を倒して新しい抑圧体制をつくる。大量虐殺が発生する。実に多くの国民が、国内や国外の権力者たちに搾取され抑圧統治される。
多種多様な紛争状態に対処するためには、効果的な闘争手段が必要となってくる。こうした闘争には、敵対者を抑えこみ打破するために、暴力を用いる対抗手段が使われてきた。こうして、戦争を含む暴力闘争が、人道主義的社会と目標を敵から守り推進することを目的として、再三にわたり行なわれてきたのである。
暴力紛争は、闘争の一手段として、究極的制裁として、用いられ、生活様式・信仰・独立・社会制度を、抑圧者や攻撃者から守り推進するために、危急存亡の時に役立ってきたのである。こうした暴力がたとえどんなに不都合であろうとも、大切なものの危機に直面した時に、これがなすすべなく屈服する代わりにとれる唯一の手段だと多くの国民は信じたのである。
外国から侵略を受けたばあいは、防衛戦で応ずるというのが通例となった。こうして、戦争は、危機に際して国民を無力感から解放し、生きる意味や目標や社会体制を守るために必要な闘争を遂行したいばあいに、その強力な手段としての働きを果たしたのである。人類の大多数は、こうした危機に直面したら戦争こそもっとも有効適切な手段であると、昔も今も信じてやまない。
戦争は残忍で、人倫にもとるものであるにせよ、また戦争がもたらす不利益や結果がどんなにひどかろうと、戦争は国際的交渉で主張を通し、攻撃を抑止する際の最後の切り札としても使われてきた。また、外国の攻撃で人生の信条や自由がおびやかされる恐れのあるとき、公然と抵抗する際の手段として、一種の究極的制裁と闘争の手段の役割を果たしてきた。政府や民間人が戦争と軍備を正当化する時に挙げる論拠は、こうした点なのである。
ミサイルと水爆の時代となったいま、これらの新兵器が真の防衛に役立つどころか、皆殺しになりかねないのを承知の上でなお、人々は戦争の有効性を信じてやまない。新兵器が従来の戦争で使われたものの延長ぐらいにしか考えていないからである。この兵器は理性的な闘争には使用不可能だと知ると今度は、それが存在するだけで紛争が戦争に発展するのを抑え、結果的に新兵器が生活の破壊を防いでくれると信ずるようになる。こうなると兵器が国際的危機に直面する人びとの無力感を予防していることになる。
こうした闘争手段が必要とされる限り、また、戦争によらずに紛争を解決する道が発見されない限り、戦争はけっして廃絶されることはない。人も社会も、無防備であることを選ばないのである。
戦争に代わる防衛策はあるか
戦争は他国への脅しや攻撃の目的で行なわれ、相手国も抑止や防衛に必要な軍備をもたざるをえないから、戦争の悪循環が断ち切られることはありえない。ただし、戦争に代わる有効な非軍事的防衛手段が存在することに、政府も国民も気付くようになれば話は別である。
従来の平和への提言や運動は、戦争の代わりに実行できる確実な防衛政策を提起できなかった。それゆえ、戦争問題の解決策として、いくら交渉や妥協や調停、国際会議や超国家的連合組織が提起されようと、反戦抵抗運動が起こされようと、すべてうまくいかないことは最初から予想できた。
その一方、強大な防衛力を信奉する者たちは、軍事的手段だけを考えて、非軍事的手段の可能性を考慮さえしない頑固な態度をとりつづけており、その結果が、現代の危機的状況を招き代替政策が未開発のまま捨ておかれているのである。
戦争や暴力闘争に依存するやり方を思い切ってやめるか、削減していきたいと望むなら、戦争に代わる非暴力的手段、すなわち「暴力なき戦争」を採用する必要がある。この新手の手段によって、軍事的手段に劣らず、武力攻撃から社会や制度や人道主義原理や自由を効果的に守りとおせるのである。
この新しい防衛政策は、次のようなものでなければならない。第一に、公然の紛争を起こさずに、問題を解決に導びき(解決を容易に運ばせ、誤解を解消し、有効な防衛力そのものを用いて侵略を抑止する等)事態に備えておけるもの、第二に、攻撃に対する公然の防衛戦に有効に使用できるもの(このばあいの「防衛」とは、文字通り、保護、危険の除去、保存、等の謂である。防衛は、必らずしも軍事的手段と結びつく必要はなく、非軍事的闘争によっても実現されてきた)。
新防衛政策の原動力
1939年に、アルバート・アインシュタインは、時のローズヴェルト米国大統領にあてた有名な書簡の中で、在来兵器とは全く異質の新兵器が核分裂をもとに開発できるという見解を表明した。原子核自体は人の目に見えないものであるし、その上、原子力兵器の名に値するものは当時何一つ原型となるものさえも作られていなかったのであるが、とにかく、マンハッタン計画は発足し、人的・物的資源の整った新兵器体制が誕生したのである。
今日では、軍事手段を必要としない新しいタイプの防衛体制を創り上げることができるという確証がある。これは、1939年に取り沙汰された原子爆弾製造の可能性より確かなものである。この新体制の場合、政策の原型がすでに歴史的に実在しているのが強みである。たとえば、暴君に対して行なう非暴力を主体とした突発的な革命とか、クーデターや侵略に対する防衛闘争などが範例となる。
我々の強みはさらに、政治権力の本質を洞察している点である。この洞察が政治上もつ重要性は、兵器製造技術における原子物理の理論にも匹敵する。いかに強固な統治者も政府も、堅牢不落ではなく、永遠不変でもなく、実際は社会内のある種の権力源に依存している。権力の源泉とは、例えば、統治権の承認行為、経済的・人的資源、軍事力、情報・知識・技能、行政機構、警察・刑務所・裁判所、等々である。これらが権力の源泉となるのは、統治者が被統治者から受けとることのできる協力や服従や援助の度合に応じてなのである。被統治者の中には、一般大衆も、統治者が金で傭う「助太刀」や要員も、入っている。こうした依存関係が存在することから、被統治者には、必要な協力や服従を中止したり、減らしたりする手を使って、事情によっては、権力の源泉を制限あるいは断絶できる力が与えられていることになる。
もし権力の承認と服従と援助が中止され、統治者が下す罰を物ともせず、その状態が持続されたとすれば政権の終焉は目に見えている。このように、およそ統治者は、その地位と政治権力を、被統治者の服従と従順と協力に依存しているのである。これは国内だけでなく、外国からの侵略と占領にもあてはまる。権力は暴力行為に由来し、勝利は暴力をより強く振るえる側に渡る、という説はまちがいなのである。
独裁制の泣き所をつく
暴力の代わりに、公然と拒絶し抵抗する意思の存在がきわめて重要となる。ヒットラーは、「占領下の人民を統治する」には心理操作をするに限ると信じていた。
「力づくで抑えるだけではだめだ。武力は大事だが、心理作戦も武力に劣らない。動物の調教師が動物の心理を知り尽くすのと同じなのだ。彼らには、我われが勝利者だということを納得させる必要がある。」しかし、一般市民は、納得させられるのを拒絶することができる。
見かけだけの「権力者」を神のごとき全能者とみなすことに納得しない人民が、内外の統治者や侵略者、抑圧的な体制、経済的支配者に歯向かい抵抗した歴史は連綿として続いている。抗議や非協力や分裂・干渉を武器とするこの闘争は、大方の予想に反して、世界の至る所で大きな歴史的役割を演じてきた。政治的暴力が並行して、あるいはのちに起こったために、そちらの方が有名になった事件でも、同様のことがいえるのである。
こうした素朴な形態の非暴力闘争は、外国からの侵略や国内の暴虐に対する防衛の中心的な手段として(多くの場合、準備や訓練や計画などなしに突発的に)、いろいろな国で実行に移された。数例を挙げてみよう。1920年のドイツ・ワイマール共和国に対するカップ暴動(プッチ)へのストライキと政治的非協力、1923年のフランス・ベルギーによるルール占領に対するドイツ政府主導の非協力、1940-45年の大規模ストライキを含むオランダ人反ナチ・レジスタンス、1944年のコペンハーゲン・ゼネストを含めた1940-45年にわたるドイツの占領に対するデンマーク人のレジスタンス、1940-45年のノルウェーにおけるクイスリング政権とナチの占領に対するレジスタンス、そして、1968-69年のソ連による侵略と占領に対するチェコスロバキアのレジスタンス。
チェコスロバキア人の防衛闘争は、その性格も成果も大方忘れられ、言及される場合も曲解を受けている。このレジスタンスは、最終的には失敗したが、ソ連の完全な支配を8月から4月まで実に8ヵ月もはねつけていたもので、軍事的手段を用いては全く不可能だったであろう。伝えられる所によると、このレジスタンス活動によってソ連人部隊内の士気が大いに乱れたため、最初の部隊は数日のうちに国外に撤退させられ、しかも事態が伝わるのを恐れて、西側ソ連国内ではなくシベリアに送られてしまったとのことである。この時も、準備や訓練は一切なく、即席の計画案さえなしに抵抗運動が行われたのである。最終的には敗北という(チェコ当局者による降伏であってレジスタンスの失敗ではない)結果に終わったが、この事件によって、軍事的手段よりも強力な潜在力の存在が明らかになった。
上に挙げた事例に加えて、国内的な抑圧や独裁体制に対して起こされたレジスタンスや革命もよき範例となる。1980-81年のポーランド労働者による組合の独立と民主化を求める運動、1944年のエルサルヴァドルとグァテマラにおける軍事独裁体制に対する革命、1978-79年のシャーに対するイラン革命、1905-06年と1917年2月の帝政ロシアにおける革命、1953年の東独蜂起、1956年と1970-71年と1976年のポーランドにおける諸運動、1956-57年のハンガリー革命、1963年の南ベトナムにおけるゴ・ジン・ジェム政権に対する仏教徒の運動、1953年のソ連国内のボルクタ等の収容所におけるストライキ、等々。
このタイプの抵抗運動や防衛闘争が、独裁制に対して有効である理由は、どんなひどい独裁権力も被統治民とその社会に依存せざるをえないからである。大方の思いこみに反して、独裁制は我われが信じこまされているほど強くも全能でもなく、さまざまな泣き所を抱えており、そうした弱点が無能な行政と支配の不徹底さを生み、ついには支配の寿命を縮めるに至る。独裁制の泣き所をつきとめることは可能であり、一枚岩に生じた裂け目に集中して抵抗運動をかけることができる。非暴力の抵抗運動の方が、暴力を使う闘争よりはるかにその任務に適しているのである。
市民を基盤とする防衛
外国からの侵略や国内の独裁・圧制に対して起こされる上に述べたような即席の抵抗運動が、このままで軍事手段にとって代わる防衛政策として、戦争の代用に使えるわけではない。しかし、こうした抵抗運動があるべき防衛手段の原型となるのは確かである。これを研究・分析して、慎重な評価・改良・準備・計画・訓練を加えて、新しい防衛政策の基盤とすることができる。兵器や軍事力ではなく市民や社会的機関など社会的勢力に基盤を置いた政策である。軍事手段を使う防衛にとって代わる政策は可能なのである。
この武力を使わない抑止と防衛の新政策は、「市民を基盤とする防衛」(シヴィリアン・ベイスト・ディフェンス)と呼ばれる(以下、市民防衛と略称する)。よく準備の整った非暴力の市民闘争を活用するこの防衛政策は、社会の自由・主権・憲法を国内外の侵略や侵害から守り、攻撃を抑止・打破するのを目的としている。侵略や攻撃をする者の意図を変えさせるだけでなく、市民や諸機関が大挙して選択的に実行する非暴力的非協力と反抗行動でもって、占領支配や統制を不能にする。狙いは、民衆が侵略者のいいなりになるのを防ぎ、敵の意図をくじくことである。原動力となる真の能力が正しく認識できるなら、その時はじめて国内・外の侵害や侵略を抑止できるだろう。
非暴力手段を使って相手に圧力を加え、威圧することも可能である。市民闘争は、相手を転向させようとするよりは、分裂させ麻痺させ、相手が必要とする協力を拒んで相手を威圧し、さらに社会秩序の正常な運営をくつがえすなどして闘われてきた。これが、市民防衛戦略の基本である。
イデオロギーの教化や洗脳を狙いとする攻撃に対しては、学校や新聞・ラジオ・テレビや教会、各段階の行政機関や一般民衆の行なう非協力と反抗行動が起こされ、民主主義原理が再確認されるだろう。
経済的搾取を狙いとする攻撃に対しては、経済レジスタンス(経済専門家や経営者や交通機関の労働者や役員によるボイコットやストライキや非協力)でもって対応し、相手に経済的利益を与えないようにする。
クーデターや権力の奪取劇に対しては、公務員、官庁、行政府、警察、公共機関や一般民衆がこぞって 非協力行動で応じ、相手の合法性を否定し、政府や社会に及ぼす相手方の支配力の強化を阻止する。
さまざまな防衛責任
市民や公共機関はともに、さし迫った問題に応じた、特定の防衛課題を担う責任がある。
たとえば、警察は侵略者や攻撃者に対して、抵抗運動中の愛国者の捜索や検挙を拒否する。新聞記者や編集者は、検閲を拒み、非合法に新聞を発行する(ロシアの1905年革命とナチ占領下の数ヵ国で起こった)。自由ラジオ番組を秘密の送信装置で続ける(1968年のチェコスロヴァキアの事例)。
聖職者は、侵略者への協力を拒否する義務を説く(ナチ占領下のオランダの事例)。 政治家や公務員や裁判官は敵の不法な命令を無視し拒否して、政府や裁判所の正常な機能が侵されないようにする(1920年のドイツ・カップ暴動(プッチ)に対して起こされたレジスタンス)。
裁判官は、侵略者とその一党が不法な憲法違反者であると宣告し、侵略以前の法や憲法に則って機能し続け、たとえ裁判所が閉鎖に追いこまれようと、侵略者にモラルサポートを与えることを拒む。
教師は、学校にプロバガンダを持ちこむのを拒絶する(ナチ占領のノルウェーの事例)。学校を統制しようとする企てに対しては、カリキュラムの変更やプロパガンダ持ちこみへの拒否で応じ、緊急事態を生徒に説明し、出来るだけ長く平常どおりの教育を続け、必要なら、学校を閉鎖して児童の家庭で個別授業を続けるなどして対処する。
労働者や経営者は、1923年にルール地方で起こったように、選択的ストライキ、遅延行動、妨害行動等によって、国の搾取を阻止する。
専門職集団や労働組合への統制に対しては、侵略以前の規約や手続きを堅持して、侵略者の手になる新組織の承認を拒み、侵略に好意的な新団体の会合に出席拒否、会費の支払い拒否、破壊的ストライキ、経営者側の反抗や妨害、経済・政治ボイコット等をもって対応する。
上に挙げたのは、多種多様な防衛任務のほんの数例に過ぎない。市民防衛は、物理的自由(リバティ)の代価が永久的監視であるという原理に立つのみでなく、独立と精神的自由(フリーダム)の防衛は市民各自の担うべき責任であるとの原理に立って機能する。
これらの防衛策は、軍事力を手段とする防衛体制に比べて、より全体的な防衛体制といえる。なぜなら、これには全人民と全機構がこぞって防衛闘争に参加するからである。しかし、危機にのぞんで頼れるためには、この参加は自発的である必要があり、また非暴力的手段に頼るのであるから、市民防衛は本質的に民主的である。
武力抗争の場合と同じく、非暴力の市民防衛は敵の暴力行動に対しても実行に移される。武力衝突と同様に、死傷者が出ることも予想される。その場合でも、彼らは防衛者の意気を高める(抵抗活動を強化する)とか、敵の戦力に打撃を加える(敵の支持勢力を離間させる)などのために活用される。死傷者の発生に意気沮喪するとか、投降するなどの理由がないのは、武力衝突の時と同様である。実際は、市民闘争の死傷者の数は武力衝突の時よりずっと少ないようである。
その他の市民防衛作戦
市民防衛は、侵略者や権力の簒奪者に対する攻撃能力をももっているが、これをアメリカ合衆国陸軍のある将官は「CBDシヴィリアン・ベイスト・ディフェンス(市民を基盤とする防衛)の剣」と名付けた。非暴力闘争の基本的原動力(とくに「政治的ジュウジツ(柔術)」の方法)や慎重な作業が向けられる目標は、攻撃者の軍隊や行政担当者たちのもくろみと忠誠心と服従をくつがえすことである。これが成功すれば、彼らは信頼のおけない非能率な連中となり、抑圧行為にも残忍さが減り、時には、上官への大規模な反乱も起こりうる。極端な場合、これが抑圧と圧制の機構の解体にまで発展することもあるだろう。
同じような転覆作戦が、敵を支持する国々や敵国民に向けて、敵陣営の内部告発や分裂や抗議をひき起こす目的で実行に移される。これも成功すれば重要な作戦だが、主たる作戦領域はあくまで国内の前線である。
場合によっては、侵略に対して国際的反対運動や市民防衛者への国際的支援活動が起こされることがある。時として、これは侵略者や権力纂奪者に対する経済的・政治的制裁という形をとる。こうした制裁も意義がある(アラブ石油の輸入禁止措置の場合)が、市民防衛者の頼みの綱は、あくまで自分たち自身の防衛行動なのである。
この三つの防衛領域(敵の攻撃目的を拒ける、敵陣営内に士気の沮喪と動揺をひき起こす、防衛者への支援と攻撃者への制裁を国際的に喚起する、の三領域)のうち、直接市民の手になる攻撃者の目標阻止行動が最も重要である。
核兵器
核兵器との関連で市民防衛を考える場合、これが核兵器に対して適切な政策であるか、あるいは、どんな制約があるかといったことを深く考慮する必要がある。この分野にはいまだに適切な検討が加えられたことがない。市民防衛は在来兵器を使う防衛にとって代わるには適切だが、核戦争には不適当かもしれない。その場合には、他の手段、たとえば軍備管理条約その他の国際管理、一方的・自主的核兵器削減、核兵器の完全な一方的撤去を、核兵器が安全保障になるよりは危険のもとという認識に立って、実施して対処する。
一方、市民防衛は核兵器に対して、間接的に対応することができる。たとえば、市民防衛政策をもつ核兵器非保有国は、他の核保有国に照準を合わせた核ロケットが配備されている核保有国よりも、攻撃目標となる恐れがはるかに少ない。
別の状況を考えると、ソ連の西進電撃戦に際して使用予定のいわゆる「戦術的」核兵器の大量配備は、通常兵器によっては西ヨーロッパを防衛できないNATO軍の無力さを前提としている。西ヨーロッパの市民防衛政策の準備が完了して、実行に移されれば、攻撃を受けた都市の自律性を保持し、ソ連の攻撃意図を拒絶し、ソ連軍隊の士気と信頼性をくつがえす(その実証例あり)ことが可能な大規模かつ持続的な防衛力をもっているので、通常の武力より強力な抑止と防衛の政策たりうるはずである。だから、西ヨーロッパへのソ連の攻撃を抑止し防衛するのに核兵器に頼る必要はない。こういう問題についての慎重な研究が急がれる。
脱軍備(トランス・アーマメント)
強力な防衛政策として完成した市民防衛が採用されるのは、これが効果を発揮できると判断された時だけであるから、まず最初に一国ないし二、三国だけでもこの政策を採用してみる。同じ政策の採用を宣言した国々と盟約を結ばなくとも、また大多数の国が軍備をやめないままでもかまわない。この政策の有効性と有益性が納得できれば、他国もやがて追随し、脱軍備(トランス・アーム)をはかろうとするだろう。
最初に市民防衛を採用する国は、防衛には自助を望みながら、軍事力によってはそれを達成できない国々であろう。この政策については、とくにスウェーデンとオランダで、政府や民間の研究や討議が活発に進められているが、戦略的必要性という点では明らかに、オーストリアとフィンランドに最適の政策である。現時点では、西ヨーロッパの弱小国が従来の防衛政策に市民防衛を加え、やがて、新政策への軍備の転換を実現する最初の国々になるのではないかと思われる。
正確な予測を下すのはきわめて困難だが、1990年までには、西ヨーロッパの一ヵ国ないし数ヵ国が(同盟国と連携するか独自に)軍事力中心の政策に市民防衛計画を加え、また2005年までには、最初の脱軍備が行なわれ新政策の採用が実現する可能性は大きい。 新政策の採用は必らず強固な抵抗に会うと予想されるし、軍事大国が短期間のうちに脱軍備を実現するとは考えられず、また不可能でもあろう。しかし、軍事大国でも、市民防衛が特定の目的に発揮できる有効性と有益性について納得させられれば、これを防衛政策の一環に加えることになるだろう。
この政策を採用しはじめる国は、必らず市民防衛計画を従来の軍事力中心の防衛政策に追加させるところからはじめる。準備と訓練が着々と進むにつれて、また攻撃への抑止力と防衛力ヘの信頼度が増加するにつれて、市民防衛の占める部分が拡大されるようになる。そうすると、軍事力に依存する部分の必要度が次第に低下して、軍事力が市民防衛の完全な有効性の発揮を損うとさえ思われるようになる。軍事力に依存する部分は漸減し、ついには廃棄へと向うことも予想される。
独裁体制や不安定政権は、国内外に抱えたもくろみを達成するために、軍事力に懸命にしがみつくであろう。それでも、もし外国の武力攻撃の恐れが除かれ(国内の緊張が緩和され)、国民から自由化・民主化を求める非暴力の圧力があれば、独裁制も動揺をきたすであろう。
市民防衛の成果
市民防衛政策が練り上げられて立派な政策となったあかつきには、いくつかのきわめて重要な成果をもたらすだろう。ある場合には、軍事力中心であればほぼ同一である一国の防衛力と攻撃力の二者を分離させるから、それによって国際緊張が緩和されるであろう。新政策は、中小国に自力本願の防衛力を得させるであろう。
市民防衛には資源や人員の必要や出費がないわけではないが、この型の防衛は、国内資源や工業生産力や、財源やエネルギー源の消費にあたって、軍事的防衛ほど浪費しない。 市民防衛は、国の外交政策や国連の活動への政策を軍事的統制から解放する。一方、市民防衛は、外交政策や国際政策の成長を促して、世界的大問題の解決に導き、人類が必要とするものをより適切に充足し、この非軍事的政策を採用した国が理解と友好を得られるよう助ける。
市民防衛がもたらすメリットを考慮し計画し準備し訓練していくうちに、次のような好ましい事態が起こることが予測できる。この準備が刺激となって、防衛に値する社会の原理や制度とは何であるかを考える気運が生まれ、社会や政体をより正しい自由なものにするべく改良を加え、防衛闘争の時だけでなく平和時にも社会の機能に参加する人の数が増える、という事態である。
しかし、市民防衛が内外の侵略や侵害に対して抑止と防衛に役立つまでに成長してもなお、権力者や政府が強力な軍事力を固守して市民防衛を拒否することもあろう。その場合でも、権力者や政府は、本当のもくろみが立派でないのに国を守ることを口実にして軍事力増強を「正当化」することはできまい。市民はただちに軍事力依存の真の動機が建て前とは違うのを悟って、市民独自の判断を下し独自の行動を決定するようになるのである。
選択肢を創る
市民防衛は、兵器技術のスパイラルを切断し、軍縮交渉や軍備管理交渉にバイパスを設ける。大多数の国は国際間や国内の危険を十分認識できれば、総力を動員して攻撃を防止し、抑止し、防衛にあたると同時に、軍事力依存を削減して、ついには廃棄へと向うであろう。
この時はじめて、攻撃の抑止と防衛にあたって、軍事力に頼るか、市民防衛政策をとるか、の二者択一の選択を危機に先んじて行なうことが可能となる。大多数の政府や国民は、攻撃の抑止と攻撃からの防衛にあたり、二つないし二つ以上の政策から一つを選ぶという選択もせずに、きわめてまれな例外は別として、戦争にひたすら依存する。彼らには、実は、選択肢がないのである。
選択肢の開発が行われるにつれ、その後の状況は市民防衛の選択が防衛任務をどの位満たせるか、その度合と、またその妥当性をどのように認識するかにかなりの程度かかっている。だから、予備的基礎研究、問題解決研究、政策学、実行可能性の研究、下準備、緊急計画作成、訓練等がきわめて重要になってくる。それに劣らず重要なのが、国民の防衛意思、レジスタンス中の非国家機関の反発力、賢明な戦略を立案実行する市民防衛者の力量である。かねてから国内外の侵略者や侵害者のもくろみと彼らの弱点を、見極めておくことも重要である。
こうして、軍備が市民防衛へと完全転換する事例がいくつか起こっても、すぐそのあとに続いて他の多数の国が大挙して脱軍備を急ぐということにはなりそうもない。とくに独自の軍備と同盟国によって安全が保障されていると信じている国の場合はそうだ。しかし、市民防衛が危機にあって試練を受け、見事に内外の侵略や侵害を阻止して、攻撃から社会を首尾よく守れた場合、その成果は深く強いものとなろう。
市民防衛の有効性が実証されれば、脱軍備への道を歩む国の数が増加することが考えられる。しかしたとえ、軍事力を完全に放棄しない国があっても、侵略が得になるどころか、敗退という事態も起こりうることを納得させれば、彼らの害の及ぼし方を抑えることもできるだろう。一方、軍備に固執しない国では、軍事的防衛に代わる政策を採用して、国策の一手段としての戦争を放棄する方向に、漸次進むであろう。こうして、次第に軍事力の撤廃と、国際関係の重大な要因である戦争の廃絶へと、導かれていくであろう。(岡本珠代訳)
【参考文献】
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Gene Sharp, Waging Nonviolent Struggle: 20th Century Practice and 21st Century Potential with Joshua Paulson. 2005
【筆者紹介】Gene Sharp
ジーン・シャープ氏は、1928年オハイオ州生まれ。1972年以来マサチューセッツ大学ダートマス校で政治学教授をつとめ、現在は名誉教授。ハーバード大学国際問題研究所客員研究員もつとめた。著書に『武器なき民衆の抵抗』(小松茂夫訳・1970年)、The Politics of Nonviolent Action(1973年)、Social Power and Political Freedom (1980年8月、序文は共和党オレゴン州選出故マーク・O・ハットフィールド上院議員)等数冊があり各国語に翻訳されている。シャープ教授の非暴力行動と市民防衛の研究は、崩壊前のソ連を仮想敵ととらえている点多少気になるが、現実的な施策の提案などが各方面の注目を集めた。また、2009年と2012年にはノーベル平和賞候補者に指名された。
本稿は、ニューヨークの世界秩序研究所が募集した1979年度ウォラック賞の最優秀論文に選ばれたシャープ教授の“Making the Abolition of War a Realistic Goal”を訳出したものである。
戦略的非暴力行動の研究と実践のためにシャープ教授が1983年に設立したThe Albert Einstein Institution(アルバート・アインシュタイン研究所)のウェブサイトは次のとおり。http://www.aeinstein.org/organizationsa4f8.html (訳者)