OUR WORKわたしたちの活動

資料

積極的平和主義を取り戻す

君島 東彦(きみじま あきひこ)

 安倍首相が「積極的平和主義」という言葉を自覚的に使い始めて1年が経つ。2013年9月12日、首相の私的諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」(安防懇)の第1回会合の冒頭挨拶の中で、安倍氏は「国際協調主義に基づく積極的平和主義」という言葉を初めて使った。その後、9月下旬、国連総会の演説の中でも、安倍氏はこの言葉を使い、急速にこの言葉が日本の安全保障政策のスローガンとして浸透していった。安防懇は、その後、急ピッチで議論をすすめ、2013年12月、国家安全保障戦略を提案した。これをうけて、12月17日の閣議決定で、国家安全保障戦略が正式に策定された。これは、1957年以来、日本の安全保障政策の基本とされてきた「国防の基本方針」に、56年ぶりに取って代わるものである(「国防の基本方針」を決定したのは岸内閣であった)。この国家安全保障戦略の基本理念が「国際協調主義に基づく積極的平和主義」である。

 「積極的平和主義」という言葉を聞くと、多くの日本人は日本国憲法の平和主義を連想する。しかし、きわめて重要なことは、国家安全保障戦略がいう「積極的平和主義」、安倍政権がいう「積極的平和主義」は、日本国憲法の平和主義とはまったく関係がないということである。国家安全保障戦略は、「我が国は、戦後一貫して平和国家としての道を歩んできた」と述べてはいるが、日本国憲法にはまったく言及していない。

 また他方で、積極的平和という言葉は、平和学を学んだ人にとってはなじみがある。平和学は、戦争を克服するものとしての消極的平和と、構造的暴力=社会的不正義を克服するものとしての積極的平和の両方をめざしている。安倍氏の「積極的平和主義」は平和学でいうところの積極的平和とまぎらわしい。しかし、わたしの見るところ、安倍政権は平和学でいう積極的平和の概念を知らないと思うし、仮に知っていてもそれには何の関心もないだろう。安倍政権は構造的暴力=社会的不正義の克服の問題を平和の問題とは考えていないと思う。だから、安倍流「積極的平和主義」は平和学でいう積極的平和とは違うのだという批判は有効ではない。

 それでは、安倍流「積極的平和主義」はどこから来たのか。これは日本外務省の「湾岸戦争トラウマ」に由来すると思う。湾岸戦争のとき、日本が国際社会において軍事的貢献をできなかったことが日本外務省のトラウマとなっている。冷戦後1990年代はじめから、外務省筋および保守政治家──たとえば小沢一郎氏──は、それまでの日本の政策を「一国平和主義」あるいは「消極的平和主義」と呼んで、それからの転換を主張した。この時期から「積極的平和主義」という言葉が使われてきたのである。そして、日本の「国際貢献」が主張された。1990年代はこの言葉はまだ日本国憲法前文との関連において使われていたが、安倍政権のいう「積極的平和主義」は日本国憲法との関係が完全に切断されていて、むしろ憲法9条による制約を乗り越えるためのレトリックの性格を持っている。安倍政権の「積極的平和主義」とは、国際社会において日本は相応の軍事的役割を積極的に果たしていく──したがって、国連安保理の常任理事国入りもなお追求する──ということである。日本国憲法から「積極的平和主義」が導かれたのではなくて、逆にこの「積極的平和主義」の概念に適合するように日本国憲法9条を改変することがいま追求されている。「積極的平和主義」の概念によって憲法9条を変えるのである。

 安倍政権の「積極的平和主義」の提案者は兼原信克氏であるとわたしは想像している。兼原信克氏は1981年外務省に入省し、エリートコースを歩んできた優秀な外交官である。現在、内閣官房副長官補、国家安全保障局次長である。安倍外交を支えるもっとも重要なブレーンであろう。わたしは安倍外交は兼原外交ではないかと想像している。兼原氏の著作『戦略外交原論』(日本経済新聞出版社、2011年)は興味深い本である。安倍外交はこの本にもとづいているともいえる。兼原氏は軍事力によって国家の安全、国益を守ることを重視する立場であり、わたしとは最終的に考え方・価値観が違うが、この本には鋭い洞察が数多く含まれていて、わたし自身が同意・共感する点も多い。

 兼原氏は『戦略外交原論』(2011年)の中で次のように述べている。日本国民は、アジア太平洋戦争の敗戦という日本史上未曾有の体験ゆえに、戦後、戦争・軍事の問題を忌避し、戦争に巻き込まれないことを追求した。戦後日本の平和主義は孤立主義であった。大日本帝国の対外行動が世界平和を破壊した経緯からいって、ある時期まで、日本が軍事力を抑制することは理解できる。しかし、日本の自衛隊が世界平和を脅かす状態にない現在、日本が平和を享受するだけで、平和をつくりだすことに貢献しないのは妥当でない。自衛隊は国際社会の平和的秩序創出のためにもっと貢献すべきである。兼原氏はこのような「積極的平和主義」を主張する。

 わたしは途中まで兼原氏の議論に賛成する。平和で公正な世界秩序をつくるために、日本の政府と市民は積極的に行動すべきであろう。日本列島に引きこもって自分たちの安全だけを追求するべきではない。しかし、平和で公正な世界秩序をつくる方法、手段はあくまでも非暴力的なものであるべきである。それが日本国憲法の平和主義である。そして、日本国憲法の平和主義は積極的平和主義である。たとえば、NGO「非暴力平和隊」の活動──非武装の市民による平和維持活動──はまさに積極的平和主義の実践なのである。これらの点でわたしは兼原氏と見解を異にする。われわれの課題は、軍事力のバランス、軍事力の抑止力──場合によっては軍事力の行使──によって「平和」を維持しようとする思考法・政策を変えることである。これは巨大な、超長期にわたる課題であるが、この方向性をあきらめることはできない。わたしはそれが日本国憲法の平和主義を最高法規としてもった日本国民の「人類史的役回り」であると思っている。

 平和主義という日本語は多義的で、あいまい過ぎて、いまや何も意味していない。平和主義の内容の吟味が急務である。日本国憲法9条の当初の意味は、個別的自衛権行使をも放棄する非常にラディカルな武力保持と武力行使の否定であったから、これは絶対平和主義と理解された。しかし現在の国際秩序を前提とすると、国家の政策としての絶対平和主義は極めてむずかしい。非暴力抵抗、非暴力防衛は1つの方法であるとしても、それだけですべての場合に対応しうると考えることは困難であろう。日本が武力攻撃を受けたときに必要最小限度の実力の行使は憲法9条に違反しないという日本政府解釈が出てくるのはある意味では当然といえよう。憲法9条の平和主義を実現するには、国際秩序の変革が必須の条件となる。

 ここで、英国の政治学者、マーティン・キーデル(Martin Ceadel)による平和主義概念の精緻な分析・整理が非常に参考になる。キーデルは、pacifism(パシフィズム)とpacificism(パシフィシズム)を区別する。pacifismはいますぐにすべての武力保持、武力行使を否定する立場である。これは個人の生き方としての性格が強く、良心的兵役拒否の実践となることが多い。それに対して、pacificismは、長期的な目標として、全面完全軍縮、戦争の廃絶を掲げ、それを決してあきらめないが、それはいますぐに実現可能なことではなく、それにいたる制度改革、国際秩序の変革が必須であり、暫定的には防衛のための武力保持、武力行使を容認する立場である。わたしは、さしあたり、pacifismを絶対平和主義、pacificismを漸進的平和主義と訳している。

 キーデルによれば、平和運動には絶対平和主義と漸進的平和主義の両方の潮流があり、これらは相互補完的であるが、主流は漸進的平和主義であるという。これは戦後日本においても妥当するとわたしは思う。自衛隊違憲論を主張する憲法研究者は絶対平和主義の傾向があったのに対して、憲法9条と個別的自衛権行使をギリギリ両立させようとした日本政府解釈は漸進的平和主義の枠内にあったと思う。日本国憲法の解釈、日本の安全保障政策を漸進的平和主義の枠内にとどめつづけることが現時点において重要な課題であるとわたしは考えている。漸進的平和主義の大事な点は、国際社会の制度改革である。自衛権の概念や自衛権行使に依存しない国際秩序をどのようにつくるか。また、軍事力への依存度をいかに低下させるか。日本国憲法の平和主義、日本国憲法の積極的平和主義は、われわれにこれらの努力を求めているのである。われわれは積極的平和主義を取り戻さねばならない。
(非暴力平和隊・日本ニューズレター52号・2014年9月10日 巻頭言)