非暴力平和隊・日本

非暴力平和隊・日本ニューズレター3号(2004年7月)

【目次】
巻頭言:「信じるということ」 阿木 幸男
《特集》 イラクにおける暴力と非暴力
バグダッドに平和教育センターをつくる!
 ハン・サンチン
イラクでのクリスチャン・ピースメーカー・チームの活動 清末 愛砂
民主主義を取り戻すために──イラク派兵違憲訴訟 大畑 豊
〈非暴力平和隊・メンバー団体紹介〉
『われらの悲しみを平和への一歩に――9.11犠牲者家族の記録』を読む──私たちはピースフル・トゥモロウズの声に応えているか──
  田村 あずみ
非暴力平和隊国際事務局訪問記 中里見 博
スリランカ・セミナー報告
平和隊についての新聞記事:
最近の毎日新聞熊本日日新聞より 
《緊急報告》
女性=平和構築者とは限らない──アジア民衆社会運動会議の分科会
「戦争とグローバリゼーションに反対する女性たち」で再確認したこと
清末 愛砂
事務局便り NPJ事務局

「信じるということ」

非暴力平和隊・日本 運営委員 阿木幸男

 暴力はますます、複合化し、その源が見えにくくなってきています。よく分析し、深く見据えないと分かりにくくなってきています。
 「イラク戦争」という暴力の本当の源は何でしようか。
 佐世保事件の女児の暴力はどこから、来たのでしようか。
 なぜ、暴力という形を取ったのでしようか。
 何がその行為に移行させたのでしようか。

 「構造的暴力」があり、社会のシステムの暴力」が存在します。
 息くるしく生きている大人が数多く、いて、日々、生きにくく、もだえている子どもたちがたくさん、います。
 大きな暴力も、小さな暴力も、根っこのところで同じという気がします。
 まずは、そうした存在と関わりを知ることです。
 個人的なこと、自分だけのことと、決め込まないことです。

 スリランカで、なぜ、長年、民族の争い、殺戮が継続するのでしようか。
 なぜ、和解できないのでしようか。
 許し、信じあえないのでしようか。

 1981年、パラオで「非核憲法」が制定されました。「キッタレン」(パラオ語で「こころを一つに」の意味)の50,60代のおばちゃんたちを中心にまとめられました。
 「経済援助」する米国は、憲法改正を迫りました。パラオ議会に「国民投票」を求めました。
 おばちゃんたちは、島の隅々をまわり、軍隊や基地のない、海と共存する生き方を訴えました。
 「ソ連が攻撃してきたら」という米政府高官の脅しに、おばちゃんはにこにこ、答えました。
 「ようこそパラオへ。さあ、武器を置いて、浜辺でのピクニックへ行きましよう。海では、魚たちは、パスポートなしで、自由に泳いでいるよ。みんな、みんな、友達です。」
 強制された7回の「国民投票」で、いずれも、おばちゃんたちが勝利しました。
 怒った米政府はパラオ議会に圧力をかけ、「大統領命令」による「非核条項」の凍結を要求しました。
 「経済援助」と引き換えに、大統領は決断せざるを得ませんでした。1993年のことです。
 その頃には、ソ連が崩壊し、冷戦が雪解けし、パラオに米軍基地を建設する必要はなくなりました。
 未だに、基地はありません。その計画もありません。

 相手をこころから信じ、歓迎するという、パラオの伝統的な非暴力の生き方が勝利したと私は思っています。
 何ももたず、こころから、信じるということ、身のまわりから、小さな輪をすこしずつ、広げていくことに、「可能性」があると考えています。

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《特集》 イラクにおける暴力と非暴力
バグダッドに平和教育センターをつくる!

非暴力平和隊・韓国 会員、「一緒に行く人々」平和チーム長 ハン・サンチン
訳:金恵玉[キム ヘオク](立命館大学大学院国際関係研究科)

 まずはじめに、非暴力平和隊・日本のニューズレターに寄稿できることをうれしく思います。

 わたしは、2003年2月、米国のイラク攻撃を阻止するためにイラクに入国しました。そして、その年の夏に韓国に戻ってくるまで、戦争を直接目撃し、イラクの人々が経験した混乱や苦痛を一緒に分かち合いました。このような経験からわたしは、平和教育の重要性を痛感しました。昨年10月、バグダッド平和教育センターのプランを作成し、これを知らせる集まりを韓国のソウルで行いました。さらに、イラク市民4名を韓国に招請して、主要都市を回りながらイラク戦争の悲惨さを広く知らせ、平和意識を喚起する大衆講演会を市民団体と共に行いました。

 このような一連の経験を通じて、バグダッド平和教育センターは徐々にそのプランが具体的になってきました。センターの目的は、イスラムとアラブの文明の中に根付いている平和の思想と伝統に立脚して、紛争状況に置かれているイラクの人々の平和教育と平和実践を激励し支援することです。そのほか、イラクおよびアラブ社会と韓国あるいは東アジア諸国との間の文化交流の拠点、平和活動家たちの活動の拠点としても活用しようと考えています。

 バグダッド平和教育センターが現在推進しようとしている計画は次のようなものです。

  1. 紛争解決と平和増進のための多様なプログラムの開発および教育提供。
    エスペラント教育。紛争解決および平和教育プログラムを現地文化に合わせて修正した後に導入。文化プログラム(子供のための人形劇団など)。国際理解プログラム。
  2. アラブとアジアの平和を主題にした国際会議開催。
    ハンガリーのショプロンで開催される国際平和研究学会(IPRA)に参加して、国際会議をIPRAと共催する可能性を検討中。
  3. アラブ圏と東アジア諸国の間の文化交流プログラム。
    アジア平和連合の所属団体およびアジア諸国の非暴力平和隊との連携。
  4. イラクの子供および青少年のために小規模の図書館を建てる運動。
    アジアのメディア関係者と協力して、イラクに図書を送るキャンペーンを開始する予定。
  5. 戦争被害の調査、報告書の作成。
    イランとの戦争以来、今までイラクで発生したあらゆる戦争の被害者調査を実施(現在まで標本調査はあるが、全面調査は一回も実施されたことがない)。
  6. 紛争現場における非暴力平和活動の実践。
    実践可能な教育プログラムの開発。

 バグダッド平和教育センターがこのようなプログラムを通じてめざすのは、戦争状況に慣れきったイラクの青少年と子供たちに平和のビジョンを植えつけ、実践を通じて実質的な平和増進に役立てることです。さらに、イラクの人々がセンターの運営にかかわることを通して、他のイラクの人々にも自信と責任感を与えてくれることが期待されます。こうしたことを通じてセンターは、10年以上断絶していたイラクと国際社会をつなぐことに、一定の役割を果たせるのではないかと思っています。わたしは、バグダッド平和教育センターを設立する計画に対して、韓日の市民社会が支援してくれることを期待しています。これは、韓日両国政府のイラク派兵に対して、韓日の市民社会がいわば「贖罪」するものであり、その意義は大きいと思います。

 現在、バグダッド市内に小さな事務室を準備し、バグダッド大学と教育活動の場所に関して協議中です。またわたしは、7月上旬にハンガリーのショプロンで開催される国際平和研究学会の大会に招待を受けています。センターは、任期1年の6人の運営委員会によって運営される予定ですが、イラク人活動家2名を採用しました。7月から本格的な活動をする計画ですので、平和に関心ある多くの方々のご支援をお願いいたします。

 皆様とともにこの世界のすみずみにあらゆる平和が宿りますように。

 バグダッド平和教育センターの運営予算は次のように見積もられます。

 2004年6月から2005年5月までの1年間

  事務室賃借料:月$500×12カ月=$6000
  イラク人活動家賃金(2人):月$200×2人×12カ月=$4800
  韓国および外国人活動家の活動費(2人):月$400×2人×12カ月=$9600
  事務用品の購入費: $9000
  事務室の維持費(通信費含む):月$500×12=$6000
  教育プログラムの開発費:$5000
  国際会議の経費:$10000
  文化交流の事業費:$5000
  戦争被害の調査事業費:$10000
  その他の経費(各種活動費、予備費含む):$10000
  総計(US$):$71400

皆様の財政的支援を賜われますと誠に幸いです。

Peace Education Center in Baghdad
 Han Sang Jin
 E-mail: hansangj@hotmail.com

「一緒に行く人々」(http://www.ihamsa.net/
 韓国連絡先:seungeun5@hotmail.com
 +82−2−(0)19−668−1450(幹事Oh Seungeun)
 +82−2−730−4033(事務室)

【寄付の送金先】
  ウリ銀行 513−155893−02−101
  ハナ銀行 162−910063−32807
  キム・ヨンキョン(「一緒に行く人々」代表) 

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《特集》 イラクにおける暴力と非暴力 イラクでのクリスチャン・ピースメーカー・チームの活動

非暴力平和隊・日本 運営委員 清末 愛砂

 本稿では、2003年12月に多田謡子反権力人権賞を受賞したペギー・ギッシュさん(アメリカのオハイヨ州出身)が活動していたクリスチャン・ピースメーカー・チームのイラクチームの活動を紹介する。ぺギーさんは東京で行われた同人権賞の授賞式に参加するために来日した際に、非暴力平和隊・日本主催の講演会でイラクで起きている米軍による人権侵害や同チームの活動内容の詳細を報告してくれた。アブグレイブ刑務所で行われていた米兵によるイラク人拘束者に対する虐待問題がマスコミによって報道される以前から、同チームは占領軍によって拘束されている多くのイラク人の消息や拘束されている人々が受けている人権侵害の被害状況などを地道に調査する活動に専念し、拘束者の家族や釈放された元拘束者などに聞き取り調査した結果をメーリングリストやウェブサイト上で紹介してきた。同チームはイラク攻撃が開始される前からバグダットに入り、攻撃反対活動を展開していたが、米軍を中心とする占領軍による支配が開始されてからは、拘束されているイラク人に対する人権侵害を調査することを、その活動の中心としてきた。2003年12月には、2003年5月から12月までに調べた72件の人権侵害を16ページの報告書にまとめている。

 メンバーたちは事前に非暴力トレーニングを受けて派遣されている。メーリングリストを通して配信されてくる報告書を読んでいると、いかにメンバーたちが地元の住民たちと深い交流を続け、丁寧に話を聞き取っていく作業に従事しているのかということがよく分かる。親しくなったイラク人家庭に招かれてコーヒーやお茶を一緒に飲んだり、食事をしたりしながら、「反テロ戦争」下に住むイラク人の物語を聞いている様子が報告に描かれていることもある。同チームはヨルダン川西岸地区のヘブロンにも事務所を持っており、以前、ヘブロンを訪問した際に同チームのメンバーにヘブロンを案内してもらったことがある。メンバーたちは実に落ち着いて、冷静にイスラエル軍に対する監視活動を行っていた。イスラエル兵との交渉も非常に上手だった。ヘブロンで働いていたメンバーたち(ペギーさんを含む)の幾人かはイラクチームのメンバーとしてバグダットに派遣された。私がパレスチナの国際連帯運動に参加したときに、非暴力トレーニングのトレーナーだったアメリカ人のリアンさんもバグダットで活躍している。

 今年の4月にイラクにいる外国人に対する誘拐事件が多発するようになったため、4月14日にチームのメンバー全員がバグダットを出て、アンマンに一時退避したというニュースがメーリングリストで流された。その後、5月3日にリアンさんを含むメンバー二人が活動を再開できるかどうかを調査するためにバグダットに戻り、その結果、活動を再開した。活動の報告は頻繁に送られてくる(多いときで連日。平均すると二日に一度くらい)。6月30日に届いたメールには、同チームの二人のメンバーが「イラク人女性の自由を求めるグループ」を訪問したときのことが簡単に紹介されていた。同グループは、家族による名誉殺人の犠牲者となる危険性があるために野宿を強いられてきた女性たちに、シェルターを提供しているということだった。また、同グループが名誉殺人が新しいイラクの憲法の中で認められることを防ぐ活動にも成功したという報告もなされていた。私はペギーさんを成田空港に送る途中に、電車の中でイラクで増加している女性に対する暴力に関するインタビューを行ったことがある。そのときに彼女がイラク人女性たちは設立したグループやその活動内容を紹介してくれたため、同グループの名前を覚えていた。同チームのメンバーが継続的に同グループと交流を持ちながら、活動を続けていることがこの報告書からも分かり非常に嬉しく思った。

 同チームが4ヶ月前に開始した活動の一つに、Adopt-A-Detainee Letter-Writing Campaign(拘束者を一人選んで、代わりに手紙を書くキャンペーン)がある。これは、アメリカやカナダに住んでいる人たちが、被拘束者の代理人として今は6月末の主権移譲に伴い解散した占領暫定占領当局などに手紙を書くというキャンペーンだった。手紙書き活動を続けた結果、アメリカの議員や国際的な人権団体などが同チームによる人権侵害調査に関心を示すことに繋がったという報告がメーリングリストに配信されていた。主権移譲がなされた今、拘束されている人たちを管理している主体があいまいで、拘束者リストや拘束者の個人情報などを一体誰が管理するのか、人権侵害の訴えや占領軍に没収された財産をどう解決していくのかといった問題が生じている。また、拘束者が今後釈放されることになるのかどうかという見通しも立っていない。同チームはこれらの問題に焦点をおきながら、引き続きバグダットで活動を続けていくことにしている。

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《特集》 イラクにおける暴力と非暴力
民主主義を取り戻すために----イラク派兵違憲訴訟

非暴力平和隊・日本 共同代表 大畑 豊

 日本政府の憲法に違反する自衛隊派兵行為に対し、全国各地で多くのデモや集会が行なわれると共に、違憲訴訟も取り組まれています。北海道では元郵政相の箕輪登さんが原告になり、100人を超す弁護団が結成され、名古屋では2363人が原告となり、現在も第三次原告団を募集しています(7月12日締切り)。この他、静岡・関西で提訴、山梨でも8月に提訴されます。

 裁判所は1959年の最高裁砂川判決で日米安保条約に関し「一見極めて明白に違憲無効であると認められないかぎり裁判所の司法審査権の範囲外にある」としました。この判決を踏襲するとしても、この判決のあった約50年前と自衛隊の軍備状況・活動状況、日米間の軍事関係の緊密さは比ではありません。まさに「一見極めて明白に」違憲状態なのです。

 しかし、裁判所に憲法判断をさせるのは容易ではなく、これまで自衛隊の海外派兵の違憲性を争った「湾岸戦争90億ドル戦費拠出違憲訴訟」「カンボジアPKO違憲訴訟」「ゴラン高原PKF違憲訴訟」「テロ特措法・海外派兵は違憲訴訟」はことごとく「門前払い」で判断が示されませんでした。

 私の参加している「イラク派兵違憲訴訟の会・東京」では毎日一人ひとりが提訴する「毎日提訴運動」という形で運動を展開しています。イラク攻撃1年を機に始まり、現在も毎日1人提訴しています。

 裁判は異常に労力がかかる作業であり、集団で取り組んでもたいへんなのになぜ代理人(弁護士)をつけない本人訴訟を主軸として展開するのか。

 もちろん勝訴は我々の望むものですが、私たちが目指しているのは社会の変革であり、民主主義の実現です。それに対しこれまで集団で違憲訴訟を取り組む中で、依存体質的な運動になってしまっていたという反省があります。委任状にサインして、あとは主張・運営は誰かがしてくれるだろう、という甘えです。こうした体質をひきづりながら強大な権力に本当に立ち向かっていけるのか。一人ひとりが政府・権力ときちんと向き合う、文字通り自治・自立の一歩とする、ということが本人訴訟が提起された理由の一つです。

 原告呼びかけ文には以下のように書いてあります。
 「この裁判は職権の発動を怠っている裁判所の姿勢を改めさせるための主権行使である。――主権の行使は4年に一度のあるいは3年に一度の選挙権の行使だけではないはずです。倒れても、倒れても白波が海岸に押し寄せ、砕け、砕けては押し寄せるような闘いを展開する。歴史を後戻りさせてはなりません。」

 憲法第12条に「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」とあります。主権を行使せず、権利の上に眠っているようでは「主権在民」とは言えないのです。

 私以外にもNPJのメンバー数人がこの訴訟に加わっています。是非傍聴にいらしてください。(わかっている会員の日程のみ以下に紹介します。詳しくは訴訟の会ウェブサイトをご覧下さい。)

東京地裁(地下鉄霞ヶ関駅A1出口すぐ)
 7月20日(火)13:15 631号法廷 第1回口頭弁論
  清末愛砂、大畑 豊 他3人
 7月26日(月)11:00 611号法廷 第2回口頭弁論
  岡本三夫 他11人(うち会員1人)

イラク派兵違憲訴訟の会・東京
Fax: 03・3351・9256   電話 090・5341・1169
http://comcom.jca.apc.org/iken_tokyo/index.html

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非暴力平和隊メンバー団体紹介

非暴力平和隊は世界の平和NGOのネットワークという性格も持っています。現在、世界の100余の団体が非暴力平和隊の「メンバー団体」となっています。これからNPJニューズレターで、代表的なメンバー団体を紹介していきます。今回は、米国のピースフル・トゥモロウズです。ピースフル・トゥモロウズの活動を紹介する本が岩波書店から刊行されましたので、この本の書評というかたちで、ピースフル・トゥモロウズを紹介します。

『われらの悲しみを平和への一歩に――9.11犠牲者家族の記録』を読む ──私たちはピースフル・トゥモロウズの声に応えているか──

立命館大学国際関係学部4回生 田村あずみ

「ピースフル・トゥモロウズという団体がある。彼らは9.11で肉親を失った遺族であるにもかかわらず、報復攻撃に反対している」。私が初めてそう聞いたのがいつだったか定かでないが、その時の感動は覚えている。9.11という恐ろしい出来事の外側にいた私でさえ言葉を失い、「空爆反対」と唱える理性すら非現実的に思えた時、まさにその混沌の真っ只中にいた人たちが、悲しみや憎悪を乗り越え「反戦」を唱えた――それは、平和運動に強い確信と希望をもたらしたはずだった。だがあれからだいぶ経ち、今その希望が色褪せていることに私は気付く。

 この本は私に次のことを教えた。彼らは9.11犠牲者家族であるにもかかわらず、戦争に反対したのではない。9.11犠牲者家族であるからこそ、戦争に反対したのだ。そして彼らは今も「当事者」として反戦のメッセージを出し続けている。一方で、9.11の外側にいた私たちは、時間の経過と共に9.11もアフガニスタンも、イラク戦争に反対したことも忘れ、ただ漫然と自衛隊がイラクへ赴くのを見送った。私は恥ずかしいことにピースフル・トゥモロウズの存在すら忘れていたのだ。彼らへの希望が褪せたのではない。私の思考が褪せたのである。驚くべき健忘症である。9.11からもうすぐ3年。その間ピースフル・トゥモロウズが何を目指し、そして私たちは果たして彼らに応えてきたのか、改めて考える必要があるだろう。

 「アメリカは不均衡にグローバライズされた世界の王族である」。

 ピースフル・トゥモロウズのメンバーの一人、同時多発テロで兄を亡くしたアンドルー・ライスは手記の中でこう述べる。「そして、どの王族もそうであるように、わたしたちの多くは世界共同体の『臣民』に対してまったく無知だったのである。彼らはわたしたちを愛してもいるし、憎んでもいるのである。そしてあまりにも長い間、わたしたちはこの関係の結果から『守られていた』のである」。

 9・11以前、「私たち」は中東で人々に何が起きているか、そこでアメリカを始めとする大国が人々に何をしてきたか(或いはしてこなかったか)についてあまりに無関心であった。2001年9月11日、私たちをその未知の世界の混沌に、恐ろしい形で引き摺り下ろした人間は、「テロリスト」という怪物として抹殺対象となった。そしてその実行のためにアフガニスタンが選ばれ、そこはまるで人間など存在しない地域であるかのごとく、爆撃の準備がされていた。

 「わたしたちの名前を、使わないでほしい」。それぞれ異なる政治的信念を持つ9.11犠牲者家族が、別々の地域からアフガン空爆に反対する表明を出したのは、そうした頃だ。それが「平和な明日を求める9.11家族会(ピースフル・トゥモロウズ)」の出発点だった。彼らは自分の家族の死が、他人を殺すことを正当化する駒として利用されることを望まなかった。ある家族は9月14日にはこんな声明を出している。「息子は非人間的イデオロギーの犠牲となって死んだのです。わたしたちの行動はそのような目的に仕えるものであってはなりません」。

 9.11は、まさに彼らの家族から顔も名前も奪い取り、『アメリカ人』というラベルを貼りつけることによって起きた攻撃であった。だから彼らは同じように非人間化された人々の苦しみを理解した。それは空爆下で、単なる「数」にされてしまうであろうアフガンの人々であり、また「怪物」にされた「テロリスト」でもあった。ピースフル・トゥモロウズのメンバーの一人、ライアン・アムンセンは、自分の兄を奪ったテロリズムについて、驚くべき想像力を働かせている。「テロリズムの根本原因は、『悪しき人々』ではありません。人々は悪として生まれるのではありません。そうではなくて、テロリズムは社会的及び経済的状況から生まれるのです」。

 彼らの声はやがて一つのウェブサイトに集まった。11月、彼らは「癒しと平和のための行進」に参加して、ワシントンDCからニューヨーク・マンハッタンまで歩き、戦争に変わる選択肢を唱えた。そして彼らが次に望んだのは、既に爆撃が開始されていたアフガニスタンを訪問することだった。<王族>アメリカによって非人間化された<臣民>に顔と名前を与えることにより、彼らへの報復を躊躇させるために。そして彼らは2002年1月、アフガンの人々と、文化や言葉の違いを乗り越えて人間として向き合い、同じ悲しみを分かち合ったのだ。彼らは非人間化された人々を、自分たちの世界に統合したのである。だが一方で、アメリカ社会は恐怖を克服するために、いっそう他者の非人間化と排除(或いは抹殺)を続けており、彼らはその中で異端になる覚悟をせねばならなかった。

 アメリカを<王族>に例え、<臣民>への無知を批判した前述のライスの言葉は、こう続く。「…わたしたちはテレビで戦争のことを、まるでオリンピックでも見ているような感覚で見ている。そしてそれから自動車に飛び乗ってスーパーにいく。世界はわたしたちがその一員なのではなくて、わたしたちが見るためにあるのである」。

 これは日本社会にも当てはまる言葉だろう。アフガン空爆やイラク戦争に反対した時、私たちにはどこかしら「観客」としての気分があったのではないか。私たちはそれを「自分たちの問題」として論じたことも、自分の日常と関連させたことも無かったのではないか。だからタリバン政権が崩壊したら、イラク戦争が始まったら、平和思想はそこで途絶えた。私たちの多くは反戦運動という「非日常」のイベントを終わらせて、「日常」へ帰っていったのだ。私たちの「日常」は9.11やアフガン、イラクと決定的に断絶しており、それはまた私たちの平和思想と日常との断絶とも言える。

 ピースフル・トゥモロウズ初期からのメンバーの一人で、本書も執筆したデイビッド・ポトーティは、こう述べる。「9.11は多くの人々にとっては、新しい恐怖心と新しい猜疑心の始まりであり、自分自身と自己の財産の安全確保の努力のきっかけになったが、わたしたちにとっては、そもそもお互いが自立してやっていけるという信念が粉砕された日であった。…わたしたちの子どもたちも、この世界の向こう側の見えざる子どもたちも、同じように安全でない限り、決して安全ではないと分かった日である」。

 私たちは、もはや他者と断絶した小さな日常に生きることは出来ないのだ。だが9.11を過去のものとした私たちの多くは、未だ<王国>の中に閉じこもったまま生きていけると信じている。たとえこの日本社会が、数年前には思いもよらなかった脅威を今、当然のことのように受け入れねばならないという事実に気付いていても。

 別のメンバー、テリー・ロックフェラーの妹は9月11日、二日間の会議に出席するために「偶然」世界貿易センターにいて、亡くなった。「もし彼女があの日そこに行かなかったら」という考えを、テリーはピースフル・トゥモロウズに出会ってから乗り越えたと言う。つまり、「あれは彼女に起こるべきではなかった」という考え方から、「こんなことが起こる世界を変えなければならない」という考えに飛躍したのだ、と。事件が「起こるべきでない」と考える時、その事件の原因は不可抗力的なニュアンスを帯びる――つまり事件は私たちの理性の通じない「怪物」によって引き起こされ、私たちはその原因には無関係の純粋な被害者である、と。だが、彼女が「こんなことが起こる世界を変えなければならない」と語る時、それは自分自身もまたその世界の登場人物であり、その物語に責任を負っているという認識に基づいている。それは彼女自身がこれまでその世界に対して無知であったという「加害者性」にまで通じ得るのだ。

 ピースフル・トゥモロウズは、世界の傍観者ではなく世界の一員として、所与の選択肢ではない新たな選択肢を作ろうとしている。メンバーは現在100家族以上、サポーターは2000人以上にもなる。家族代表団はアフガニスタンに続き、2003年1月、次の標的にされていたイラクも訪問した。広島、長崎のヒバクシャとも連帯している。9.11=アフガン=イラク=ヒロシマ・ナガサキ=パレスチナ=スリランカ=南アフリカ…彼らの平和思想は断絶どころか拡大に向かう。

 「わたしはしばしば、ピースフル・トゥモロウズの活動について自問する」とポトーティは本書で述べている。「果たして意味があるのかと。…これらの連帯運動から誰が利益を得るのかと。そして何が変わるのかと。その答えは<わたし自身>である。わたしが変わるのだ。そしてそうすることで、この世界に期待する変化が起こり始めるのである。」

 彼らが目指すのは、新たな者と出会い、対話をし、双方が変容することで、対立や矛盾を超える「変容的非暴力」なのである。こうした思想の深化(或いは進化)は、彼らの死者の止まってしまった時間を動かし、彼ら自身を救う。彼らにとって、アフガンやイラクを見捨てることは、彼らの死者を見捨てることであり、彼ら自身を見捨てる行為に等しいのだ。

 では私たちは、平和思想と日常の断絶を越えることができるのか。日常と断絶する「理想」としての平和思想ではなく、自分の日常と結びついた思想を持つことができるのか。それとも「当事者」であることを拒み、あくまで観客として世界を見続けるか。そうであれば9.11は、アフガンは、イラクは忘れられていくだろう。ヒロシマやナガサキの記憶は人々の中から消え去り、博物館の中にしか残らないだろう。そして私たちの健忘症は続く。ある日突然、この私たちの世界もまた、忘れられた「他者」の世界に残虐な形で引き摺り下ろされることになるまで。

 ピースフル・トゥモロウズがつなぐ変容的非暴力の輪に、私たちも加わらねばならない。

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非暴力平和隊国際事務局訪問記

非暴力平和隊・日本 会員 中里見 博

 米国留学中の昨年5月、私はパートナーと2人でミネソタ州の州都、セントポールにある非暴力平和隊国際事務局を訪れた。アメリカの組織にはそういうところが多いが、素性のはっきりしない訪問者に対しても、とにかく「訪問者は温かく迎える」というとても良い風習があって、国際事務局でも歓待されて感激した。

 国際事務局のオフィスは、セントポールの閑静な住宅地の一軒家にあった。セントポールは、隣接のミネアポリスと通称「双子都市」を形成しており、私は大学院生のときミネアポリスに留学していたため、交通の勝手はわかっていた。市バスを乗り継ぎ私たちがオフィスを訪れたとき、数人のメンバーで、翌日行なわれる「平和債券(Peace Bonds)」発売に関する記者発表の打ち合わせがされている最中だった。ちょっと話の前後関係がつかめないまま会議の中に混ぜてもらったが、やがて話し合いが終わり、日本からの訪問者の話に彼らは耳を傾けてくれたのだった。

 私たちは、私たちが(そのときはまだ正式に入会していなかったので)非暴力平和隊・日本のシンパであることや、米国のイラク攻撃への日本政府の対応や国民の反応についてや、憲法9条の話や、その9条が「一度も実施されたことのないまま」葬り去られそうな情勢がいよいよ強まっていることなどを話した。

 ひとしきり話をしたあとに、オフィスの中を案内され、事務仕事に打ち込んでいた他のスタッフを紹介してもらった。風邪をひいてただ一人欠けていたメル・ダンカン事務局長にも、ちょうど彼がオフィスに立ち寄ったのでお会いすることができた。

こうして一時間程度の訪問を終えたのだが、私たちはその日もう一つ楽しい経験をした。それは、事務局のメンバーを含むその地域の人々が毎週水曜日――私たちが訪問したその日がちょうど水曜日だった――行なっているという「平和運動」に参加しないか、という話だった。その平和運動とは、平和のメッセージを思い思いに書いたプラカードを持って橋の道路わきに立つ、という活動だった。

 私たちは、国際事務局のオフィスを後にして、同じくセントポールにあった「ミネソタ・ドメスティック・バイオレンス対策連合」のオフィスを訪問し終えたその足で、指定された橋にバスで向かった。その橋は地元の人々に「平和の橋」と呼ばれており、双子都市の間を流れる広大なミシシッピ川に架かった雄大な橋だった。サマータイムでまだ陽は高かったが、帰宅のラッシュアワーで車がくさん行き交う道路わきの歩道に、ただ静かにプラカードを持って立つのである。実はこの平和のメッセージや政治的主張を書いたプラカードやポスターを持って道路や広場に立つ、という実にシンプルな活動は、アメリカで広くゆきわたった市民の政治行動だった。私のパートナーはそれを、私たちが10ヶ月の居を構えたボストンですでに経験済みだったのだが、私はセントポールの「平和の橋」でのそれが初めての経験だった。

 かつて1年半を過ごした双子都市を流れる懐かしいミシシッピ川と、初夏の夕陽を眺めながら、平和のプラカードを持って立ったあの日の清々しさを、私はいまも鮮やかに想い出すことができる。
picture of NP International Office
国際事務局のある一軒家
「平和の橋」に立つ人たち
「平和の橋」に立つ人たち

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スリランカ・セミナー報告

「スリランカにおける非暴力活動の役割と成果、今後の課題」をテーマに、6月26日(土)午後1:30から4:30過ぎまでの3時間余、東京・渋谷勤労福祉会館で「スリランカ・セミナー」をNPJ主催により開催しました。学生などを含め、約40人が参加し、大畑豊・共同代表の司会、清末愛砂・運営委員の通訳で、講師の報告と質疑を行ないました。講師と報告内容は以下の通りです。

  1. 「スリランカの政治状況」
    澁谷利雄(和光大学教授、スリランカ研究フォーラム)
  2. 「スリランカでの選挙監視活動報告」
    小林善樹(NPJ運営委員)
  3. 「非暴力トレーニングと非暴力平和隊」
    阿木幸男(NPJ運営委員、非暴力トレーナー)
  4. 「最近のスリランカ情勢と和平への展望」
    ニハール・ダヤス(NGO活動家)

初めに、渋谷さんが、スリランカの歴史・近況について、4月2日のスリランカ総選挙後の国会議席分布などにふれながら報告。和平交渉の中断には二大政党間の権力抗争やシンハラ・ナショナリズムやタミル・ナショナリズムが根強くあること。また昨年末に死去した仏教の高僧ソーマ師の葬儀状況を撮影したビデオが写され、彼の死も選挙に利用され、「仏教原理主義の台頭」すなわち反キリスト・イスラム・ヒンドゥーの傾向が強まっている点を印象強く説明されました。

 ついで、4月総選挙の際、現地の選挙監視団体PAFFRELの求めに応じてNPJから監視活動に参加した小林善樹さんの報告。小林さんは、現地での活動にあたって「最も」心配された「暑さ」と食べ物の「辛さ」について、「自分はもう歳をとっているから、さほど暑さなども感じなかった」などと、軽妙に話し始めました。偽造の入場券を持って他人に扮して投票しようとした男性が投票を阻止される場面を小林さんも目撃したが、このような出来事はしばしば起きているらしいこと、今回の選挙は、殺人事件、障害事件がいくつかあったものの、スリランカで行われたこれまでの選挙に比べると歴史的に穏やかな選挙だったと評価されていることなどが報告されました。

 次に阿木さんは、NPがなぜ外国から現地の平和活動に関わっていこうとしているかに関連して、兵器輸出データを黒板に書き、世界各地で起きている平和の破壊・暴力には現地の人々だけではなく日本も含めた世界各国が関わっている事実を強調。インド独立に向けてのガンジーの抵抗運動にさかのぼり、初めは10人、20人程度の小さな規模の非暴力活動が、大きな広がりとのなって成果を上げてきた歴史をわかりやすく話されました。

 最後に、「シンハラ人・仏教徒」ニハールさんが、「タミル人の民族自決」を尊重する考えを明確にした上、平和達成にとって選挙と国会議論のプロセスが最善であることを力説。今回の選挙が平穏に行なわれた理由の一つとして、今まで国会外にいたLTTEが国会の枠組みの中に入ってきて議論する基盤ができたこと挙げていました(LTTEが支持するタミル国民連合が22議席を今回の選挙でとった)。またそのような動きの背景には、LTTEも武力闘争では解決できないと認識したこと、そして長年の戦闘で疲弊していること、国際世論等が挙げられました。

 また他方、日本政府・NGOがスリランカに投じている多額の援助資金について、現地の人々の手元に正しく届いているか否かをきちんと把握する必要があることを力説されました。そして、スリランカの紛争を終結させるための支援を強く訴えて話を終えられました。

 会場では、小林さんが撮影された写真が展示され、小林さんがスリランカNPオフィスから持ち帰ったカラフルなNP帽子(1個千円)の販売もされました。セミナー終了後も、多くのひとびとが去りがたく残っておられ、近くに場所を移してさらに2時間ほどの「二次会」を行いました。

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毎日新聞2004年7月19日朝刊・「ひと」(文・花岡洋二記者)

◆大島みどりさん=国際NGO非暴力平和隊隊員

◇暴力では何も解決しません−−大島みどり(おおしま・みどり)さん

インド洋に浮かぶ島国、スリランカの南端マータラに昨年9月から滞在。地元で「名前は、大きな緑の島という意味です。この国と同じでしょ」と自己紹介する。

 非暴力平和隊は、非武装だが訓練された市民が複数で紛争地に乗り込み、中立かつ国際的な監視を通じ、暴力の抑制を目指す。インドのマハトマ・ガンジーが提唱した「シャンティ・セーナ」(平和隊)が起源だ。今回は民族紛争後の和平交渉が進展しない多民族国家に入った。

 米国人とガーナ人とともに計3人で配置。紛争の再発が一般に危惧(きぐ)される北・東部へも他に9人が赴いた。4月は東部へ出張し、総選挙監視、避難民の護衛的同行、少年兵の奪還を目指す親の交渉付き添いなどに携わった。

 目に見える暴力がない南部でも目を凝らすと、紅茶プランテーションの村の学校に少数派タミル人向け教材がなかったり、高等教育のために多数派シンハラ人との融和を選ぶ少数派ムーア人たちの姿がある。「生きるためにあきらめたようで、不満も持っている。何ができるのか」と考える。

 「プレゼンス(いること)と見守ることに意味を持たせたい。この国のことは、この国の人々にしか解決できない」が理念。いずれはパレスチナでも活動したい。国際協力活動に身を投ずる前は、舞台演出の助手だった。自己主張しない「見えない活動でいい」。

■人物略歴

 61年生まれ。東京都港区出身。国際協力事業団(当時)の派遣職員や、アジアの教育文化支援などNGO活動を経験。

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熊本日日新聞2004年6月27日 日曜版コラム『論壇』

◆世界の中心で叫ぶ、、、

安藤 博(東海大学平和戦略研究所教授)

 「だって、じょーじ君のお母さんが、晩御飯食べていけって言ったんだもん」―友達のうちに遊びに行き、帰りが遅れたときの言い訳は、いつもこれだっ た。わたしの母は、初めから長居の魂胆だったことを知っているから、「またじゃないの」と言って怒る。が、行ってしまえばこっちのものだ。

 自衛隊が多国籍軍に加わってイラク居続けをするのを決める際の政府見解(6月18日閣議了解)に、小泉純一郎首相が国連安保理決議1546(6月8日採択)を持ち出しているのも、よく似た手口である。居続けはもちろんジョージ・ブッシュ君が「純ちゃん、まだ帰るなよ」と言ったからだし、純ちゃん自身、去年暮れにイラク押し出しを決めたときからの予定の行動だ。「まだ説明、論議が足りない」(『熊本日日新聞』、6月18日付け社説)という声は、与党内にもある。が、ことは「説明」の問題ではなさそうだ。初めから居続けが決めてあって、あとはそれにどういう口実をつけるかだけだったろう。戦地派遣の既成事実は、後戻りを不合理なことに見せてしまうような強みを持つ。

 かくして自衛隊は、目下の「世界の中心」、イラクで「軍隊」になった。クウェート侵略のイラクを押し返した湾岸戦争の際には、多国籍軍入りは不首尾に終わった。しかし今回は、米国が得意とするご都合主義の国連利用を、日本も多国籍軍の任務に「復興支援」を書き込ませるというかたちでやってのけた。

 湾岸戦争後のペルシャ湾での機雷除去(1994年4月)に始まり、ゴラン高原PKO活動(1996年2月)を経て今回の多国籍軍参加に至る外地での「自衛隊軍隊化」のステップは、尺取虫の歩みに似た既成事実の積み上げである。この次どこへ尺取の先を進めるか―「中長期的には、(中略)平和の維持・創出や治安などの活動への自衛隊の参加を検討することも必要」(『読売新聞』、6月10日付け社説)との見方がある。むしろもっと早く、自衛隊駐屯地サマワの治安維持に当たっているオランダ軍が撤収する来年3月以降になると、後を埋める米軍、あるいはイギリス軍と一体で、「自衛」のための軍事活動に踏み出すことになるかもしれない。

 「自衛隊の軍隊化」は、戦後日本の権力を担ってきた外務官僚や国会議員たちの宿願である。しかし、近年の日本の国内事情からすると、かなり異なる意味合いを持ってきている。限られた権力層の独走ではなく、日本の国民・有権者の半数超える支持・共感があるとみるべきだろう。その背景にあるのは、戦後日本が誇っていた経済面の優位を失った後の挫折感であるようだ。1980年代末のバブル崩壊で「ナンバーワン」は地に落ちて、かつての「イギリス病」同様の「日本病」を憐れまれたりした。日本外交の基軸である経済援助の予算も、頭打ちからマイナスに。そして遠からず人口が減っていく。日本民族は縮んで行く。

 「失われた10年」を経て、「周辺事態法」「テロ対策特別法」から有事立法へと一連の武張った立法が進み、その挙句の戦地イラクへの派兵である。縮んでいくなかで「国際社会における名誉ある地位」が、声高に求められる。一言にいえば「縮みのなかの背伸び」である。勇ましさが求められているようで、他国がどう見るかを言い立てた後追いが、むしろみすぼらしい。「黙って世のためひとのため尽くす」という日本古来の美徳を好んで説くような人が、「日の丸を戦地に翻せ」と国際貢献の顕示を叫ぶのは、奇観というほかない。

 国家が叫ぶ「名誉ある地位」などとは無縁の、平和への静かな活動の一つを紹介したい。2002年12月インドで発足した「非暴力平和隊」(NP、全世界96団体で構成)は、民族紛争が続くスリランカに11人を派遣し、選挙監視や暴力抑止のための「プレゼンス」と呼ばれる活動などを行っている。日本からも、知人の小柄な女性が一人加わっている。大島みどりさん。これまでも国際NGO活動に携わってきた彼女は、「人道」や「国際貢献」を叫ぶようなことは決してしない。現地の人たちの声にひたすら耳を傾けることに努めている。こちらは「非暴力平和隊」のメンバーでありながら「後方支援」もろくにできないままだ。電子メイルで送られてくるご苦労の様子を、大の男の筆者としてはいささか後ろめたい思いで追っている。

 大島さんの「スリランカ通信」を含めた非暴力平和隊・日本のURLは、http://www5f.biglobe.ne.jp/~npj/。

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《緊急報告》女性=平和構築者とは限らない
──アジア民衆社会運動会議の分科会
「戦争とグローバリゼーションに反対する女性たち」で再確認したこと── 

非暴力平和隊・日本 運営委員 清末愛砂

 2004年6月12日から15日にかけて、韓国(主にはソウル)で反戦平和・朝鮮半島南北統一・反グローバリゼーションを目指す連続共同行動が行われた。同共同行動は、2年前に在韓アメリカ軍の装甲車によって轢き殺されたミソンさんとヒョスンさんを追悼するキャンドル・ナイトから開始され、イラク派兵撤回や朝鮮半島の平和を求める集会、グローバリゼーションと戦争およびアメリカに反対し朝鮮半島の平和を求める文化祭、アジア民衆社会運動会議、南北共同宣言4周年・南北統一大会などが連日展開された。

 6月13日には、ソウルで東アジアの経済統合を目指す世界経済フォーラム(WEF)東アジア首脳会議が開催されたため、同首脳会議の会場であった新羅ホテル周辺で、韓国の大学生を中心に抗議行動が行われた。私は日程の都合上、6月14日と15日の二日間に渡って高麗大学で行われたアジア民衆社会運動会議のみの参加となった。本稿では、同会議で参加した「戦争とグローバリゼーションに反対する女性たち」と題する分科会でなされた議論を通して考えたことを紹介する。

 同分科会は韓国の社会進歩連帯(People's Solidarity for Social Progress)の女性委員会のメンバーたちが主催したもので、異なる地域で反戦・平和活動や経済のグローバリゼーションに反対する活動にジェンダーの視点から従事してきた参加者が互いの経験を共有することで、今後の運動に反映させていくことを目的としたものであった。分科会は、参加者全員(参加者数は30人ほど)が、どのような活動に参加してきたのかということを自己紹介することから始まった。その後に、インドから参加したフェミニストがグローバリゼーションと戦争に関する問題提起を行った後に、その提起を受けて具体的な議論に入った。提言には非常に多くの話題が含まれており、ここではすべて紹介できないので、その中でも私が特に印象深かったことを述べていくことにする。

 討議の中心は、世界規模で進む「反テロ戦争」とそれと連動するグローバリゼーションが女性の生活に大きな影響を及ぼすようになってきたということであった。具体的には家父長制的な主張がさらに力を持つようになり、女性たちに戦争を支える役割分担が押し付けられるようになったということ(銃後の守り)、戦争と性暴力が結びつき、戦時下で女性に対する性暴力が増加していること、戦争体制と経済のグローバリゼーションが結びつき、女性労働者の労働条件が悪化していることなどが指摘された。講演の最後には、なぜ女性たちが戦争に反対するのかという分析が示された。彼女によると、女性たちは女性として「反テロ戦争」に反対するという意識を持ち始めており、それは自分たちの子どもたちを守りたいという意識や女性の生物的な反応から生まれてきたものではないかというものだった。

 私はスピーカーが示した女性がなぜ戦争に反対するのかという分析にとても不満を持ちながら聞いていた。私はあくまでフェミニストとして「反テロ戦争」と経済のグローバリゼーションに反対している。「反テロ戦争」は「女性解放」が武力攻撃の正当化の理由として用いられたことにそのものがまずもって大きな問題であったと認識している。米・英軍によるアフガニスタン攻撃に関して、アメリカの「フェミニスト・マジョリティ」という女性団体はそれを支持する立場を示した。このことは私に大きな衝撃を与えるものとなった。フェミニストと標榜する人たちが武力攻撃を支持するというのは私の中ではあってはならないことだったからである。

 しかし、現実にはアフガニスタンやイラク攻撃に関するフェミニストの立場は決して一つではなかった。そして「女性=戦争反対」という多くのフェミニストが持つ幻想を見事に打ち砕くものにもなった。私自身がこの分科会に参加したのは、「反テロ戦争」が「女性解放」という名目で正当化されたこと、武力攻撃を正当化するフェミニストがいること、武力攻撃されている女性たちと「反テロ戦争」を促進している側にいる女性たちの間にある状況や立場の違いを考慮することなく、「女性=平和構築者である」と主張する矛盾を追及したいと思っていたからだった。

 分科会の中はスピーカーの提言を受けたあと、グローバリゼーションが女性労働に与えてきた悪影響に議論の焦点が移っていったので(女性労働者の労働条件の劣悪化に関する話ももちろん重要な事柄の一つである)、このまま議論が終わってしまうと、この分科会に参加した意味がないのではないかと思った私は、議論の最後の方に上記の問題意識を述べることにした。私の発言の後に問題提言を行ったインドのフェミニストが、「女性=平和構築者とは限らない」という反応を返してくれ(問題提起で話したこととは異なるのだが・・・)、また日本からの参加者が「反テロ戦争の犠牲となっているイラクやパレスチナ人の女性たちの声を外に出していこう」という発言をしてくれたことで、「女性解放」という名目で正当化されている「反テロ戦争」や戦争をめぐるフェミニストの立場の違いをめぐる問題を多少なりと参加者と共有することができたのではないかと思っている。

 この分科会を通して、「女性=平和構築者」、「女性=非暴力主義者」という意識がフェミニストの中に根強く残っていることを認識せざるを得なかった。現実には戦争に対するフェミニストの立場は一様ではないし、暴力に加担する立場を取るフェミニストたちが存在している。

 しかし、私は、自分がフェミニストとして戦争に疑問を持っていること、そして非暴力の方法でこの暴力的な体制に反対していくことの意義を訴えながら、多くの人たちと対話をしていく必要性があると思っている。そういう意味では、今回の分科会でまた新しい友人に出会うことができたことをとても嬉しく思っている。

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事務局便り

6〜7月の非暴力平和隊・日本の主な活動

  • 6月12日 「非暴力連続講座―非暴力への誘(いざな)い1」(東京)
  • 6月12日 スリランカの選挙監視報告・兼会員懇親会(大阪)
  • 6月15日 スリランカ復興開発NGOネットワーク会議出席
  • 6月26日 スリランカ・セミナー(東京)
  • 7月2〜5日 非暴力平和隊国際理事会に君島理事(非暴力平和隊・日本共同代表)が出席(メキシコ・クエルナバカ)
  • 7月 3日 「非暴力連続講座――非暴力への誘(いざな)い2」(東京)

写真:7月2日から5日までメキシコのクエルナバカで開催された非暴力平和隊国際理事会の様子(3点とも)
非暴力平和隊国際理事会の様子
非暴力平和隊国際理事会の様子
非暴力平和隊国際理事会の様子

今後の主な活動予定

●非暴力連続講座第3回」を9月に予定しています。日時・講師などが決まり次第、メーリングリスト及びこのホームページ上でお知らせします。

●以前ニュースレターでもお知らせした、9月頃予定のスリランカ・スタディ・ツアーは、諸般の都合により、しばらく延期することになりました。

●来る7月31日に京都で拡大運営委員会およびPBI
ボランティアとしてインドネシアへ発たれる藤村陽子さんの壮行会を開きます。拡大運営委員会では、7月2日から5日までメキシコのクエルナバカで開催された非暴力平和隊国際理事会の報告、非暴力平和隊・日本の半年間の活動の総括、今後の活動方針などがテーマとなります。PBI (国際平和旅団)は非暴力平和隊の「姉」というべき存在です。インドネシアでの藤村さんのご健闘をお祈りします。7月31日は拡大運営委員会ですので、会員のみなさんのご参加を歓迎いたします。

【NPJ拡大運営委員会+藤村陽子さん壮行会】

7月31日(土)13:00-17:30

立命館大学衣笠キャンパス 恒心館(国際関係学部)3階737教室
http://www.ritsumei.ac.jp/mng/gl/koho/access-map/k-map.jpg

  • ニュースレター第3号、いかがでしたでしょうか?ご感想をお寄せくださると幸いです。
  • 春から夏にかけて、何人かの運営委員が生活の拠点を変え、その地で新たに、"非暴力"の種をまきはじめています。非暴力平和隊・日本の活動に多くの方が賛同をしてくださり、会員となっていただけるよう切に願います。
  • 世界の紛争・暴力は縮小するどころか、拡大するばかりです。非暴力の英知と実践を、暴力発生抑止剤として生産しつづけなくてはと思います。
     (佐藤)

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