非暴力平和隊・日本

非暴力平和隊・日本ニューズレター第5号(2004年11月30日)

【目次】
巻頭言 岡本三夫
スリランカ通信 大島みどり
PBIインドネシアレポート 藤村陽子
NPJ&トランセンド合同ワークショップ報告 藤田明史
NPJイベントレポート"スリランカ・フェスティバル" 国吉志保
非暴力連続講座報告 佐藤妙子
国際理事会報告(2) 大畑 豊
国別NGO研究会(スリランカ)第1回研究会報告 大橋祐治
NPJ運営状況報告 NPJ事務局
会計報告 青木護
お知らせ&事務局便り

経済制裁は慎重に -制裁で犠牲になるのは民衆だ-

横田滋「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」代表らの共同声明を読んだ。北朝鮮の対応は不誠実であり、徒に実務者協議を続行しても埒があかないから、「食糧支援等の凍結はもとより、まさに今こそ政府は北朝鮮に対する経済制裁の発動を決断すべきときである」とし、今回の実務者協議の「結果は、経済制裁発動により北朝鮮の態度を変える以外方法がないことを証明した」とまで言い切っている。

家族会の人たちは、経済制裁が切り札であり、経済制裁をすれば北朝鮮の指導者は震え上がり、「参りました。真実をすべて話しますから、どうか経済制裁だけは勘弁してください」と土下座して日本に嘆願してくるだろうと読んでおり、それ以外に、北朝鮮の態度を変える方法がないことが「証明された」というのだ。近い将来、相手国がどう出てくるかを「証明する」方法などあり得ないのは外交の常識だが、家族会はそう主張してはばからない。もちろん、被害者と被害者の家族には心底より同情する。ある日、突然に襲い掛かった犯罪的な拉致によって肉親の間が引き裂かれ、罪もない人びとが北朝鮮へ拉致された事実の重さ--生死さえ不明なまま長い歳月を耐えてきたご家族の胸中は察するに余りある。

もし、私たち自身の娘や息子たちが同じ運命をたどったならばと思うと、解決を急ぐ横田さんたちの気持は痛いほどよく分かる。政府には、さらに心血を注いで問題の解決に最大限の努力をしてもらいたい。

しかし、経済制裁が「最後の切り札」かどうかということについては慎重な検討を要する。経済制裁が発動された結果、国際問題が解決したかどうか、過去の事例も十分に調べるべきである。南アのアパルトヘイトに対する経済制裁は、国連決議に依拠したものだったにもかかわらず、米国や日本が秘かに交易をつづけ、期待した効果があがらなかったし、イラクに対する経済制裁では、国民生活が最悪状態に追い込まれただけで、効果なく、ついに戦争に発展してしまった。

人との付き合い、夫婦関係、子育てなどにおいても、過度に懲罰的な態度が絶交、離婚、家出といった破滅的な結果に終わりがちだということにも思いを致すべきである。経済制裁は戦争に準じる懲罰だからだ。死刑という究極の懲罰でさえ、見せしめ効果がないということで、制度を廃止した国が欧州には多い。実際、凶悪犯罪発生率は死刑制度の有無とは無関係であることが証明されている。

平和学の分野で著名なハワイ大学のグレン・ペイジ教授は『非殺生の国際関係論』とい う書物の中で、欧州の死刑制度廃止は、被害者の家族の猛烈な反対にもかかわらず、すぐれて高度な政治的・道義的判断によって実現されたという趣旨のことを言っているが、北朝鮮による拉致問題でも、被害者の家族の主張とは別の高度な政治的判断によって解決の道を探ることが望ましい。

経済制裁は民衆の生活を直撃し、特に女性や子ども、年寄りや病人、障害者や寄留の外国人(北朝鮮にも外国人がいるのだ!)などの社会的弱者に大きな苦痛を与える「暴力」である。イラクに対する経済制裁がやはりそうだった。それゆえ、経済制裁の発動には慎重の上にも慎重でなければならない。北朝鮮の指導部が経済制裁で悲鳴をあげる可能性は少ないが、万万が一暴発でもしたら、韓国や日本がこうむる被害は想像を絶するだろう。

現在の日朝関係は最悪と言ってもいいほどであり、北朝鮮が韓国にとって不倶戴天の敵だった七〇年〜八〇年代の南北関係に酷似している。北朝鮮に対する日韓の態度には逆転現象が起っている。九八年以来の「太陽政策」によって南北間の関係が抜本的に転換され、改善に向かっていることに学び、日本もまた粘り強い外交交渉を続けることによって、文字通り非暴力的な解決に全力を傾注すべきだと思う。

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スリランカ通信 〜ジャフナという町〜

前回のみなさまへの報告から2ヶ月近くが経とうとしているが、その間諸事情からジャフナでの生活をスタートするのに時間がかかり、実際のところいまの時点でジャフナでの活動について述べるには、時期尚早という気がする。なので、今回は少しずつ慣れていくにしたがって見えてきたジャフナという町と人々について、ご紹介させていただこうと思う。

マータラからジャフナへ

スリランカ(あるいはどこの国だろうと他国)の地理などご存知の方も多くないだろうと思われるので、ごく簡単にご説明すると、わたしの前任地マータラはスリランカ(島)の最南端まで数キロという距離にある。ここからコロンボまでは、ゴール・ロード(ゴールはマータラから1時間コロンボ寄りにある町)と呼ばれる、スリランカ南西部の海岸線を一気に抜ける幹線道路で、約4時間の距離(160キロ)にある。スリランカでいわゆる外国人がよく行くビーチも(内戦で東部・北東部への旅行が禁止されていたせいもあって)、この海岸線に並んでいる。

一方ジャフナは、島の最北端に近く、北・北東・東部に多く居住するタミル人の拠点とも言える町で、コロンボからはA9という幹線道路でほぼ10−12時間、400キロの距離にある。距離的に見れば、そして日本の感覚から言えば、マータラからジャフナまでは一日で行ける範囲のように思われる。が、まずスリランカの道路状況は、日本の高速、あるいは普通の街中の道と比べても、コンディションが比較にならないほど悪い。そしてなによりも、実際の距離とは別に、心理的距離というものが、そこに横たわる。

ジャフナに入るには、A9沿いに4箇所のチェック・ポイントがある(そこを通過する以外に道は無い)。スリランカの古都とも呼ばれるアヌラダプラからさらにヴァウニヤを通り、北へ向かうと、そこはLTTE(タミール・イーラム解放の虎)の支配地域になるので、スリランカ政府が支配する領域を出る→LTTE領域に入る→LTTE領域を出る→スリランカ政府領域(ジャフナ)に入る、という一連のポイントで、チェックが入るというしくみなのだ。

ジャフナに1日でたどり着こうと思うと、ジャフナ手前の最終チェック・ポイントを夕方5時半までに通過しなくてはならない。そこで、途中の休憩・食事時間などを考慮すると、コロンボ出発は朝の6時というのが、定番メニューとなる。

LTTEによる「徴税」

チェック・ポイントの「チェック」とは、もちろん爆弾など武器を持っていないかどうかの荷物チェックのほかに、(政府側のチェック・ポイントではありえないが)電化製品などに対するLTTEの税徴収という大事な役割がある。課税対象物については、NPの隊員が体験した だけでも、ブランディーからDVD(「ハリー・ポッター」など)、今回わたしがひっかかったDVDドライブ(プレーヤー)など、きちんとしたリストなどないのではないかと思うくらい怪しい。ちなみにコンピュータはいまのところ問われていない。もちろんLTTEの税金徴収が合法か違法かの検討は、人権問題や差別問題をNPが扱うのであれば、見逃せない問題(mandate、職務内容のうち)なのかもしれないが、これはおそらくNPがひとり問題提起をしたところで、すぐにどうこうできるものではない。そしてとにかく、ジャフナにたどり着くことが先決のときは、そんなことで争っている時間は無い。わたしの今回のDVDドライブ事件の顛末については、詳細を非暴力平和隊・日本のウェブ・サイトでも掲載していただいているわたしのスリランカ通信35にゆずり、ここでは省略させていただくが、こうしてため息と憤慨のぼやきで、わたしのジャフナ生活はスタートした。そして、これが、コロンボ/ジャフナ間の心理的距離、あるいは現実的距離と言って、ほぼ差し支えないだろう。

ジャフナの風景

それでは次に、まだ1ヶ月にも満たない(実際ジャフナ入りをしたのは、9月19日なのだが、その4日後には所用でコロンボへ移動、諸事情が重なり、他のフィールド・オフィスなどを経て、10月14日にやっとジャフナに再度たどり着いた)ジャフナ生活から、南部マータラで1年弱を過ごした体験をもとに、南部と北部の違いを中心に書いてみたいと思う。

まずジャフナで目に付くのは、街角で見かけるスリランカ軍の兵士の姿である。マータラの町では、彼らを見かけることはほぼ無い。(マータラにも部隊はある。)いずれその部隊の数も聞いてみたいところだが、とにかく多い。彼らと、そして警察官は、すべてシンハラ人である。(そしてジャフナは、少数の例外を除き、タミル語を母語とするタミル人の居住地域である。)

シンハラ語を勉強していたわたしとしては、ことばを忘れないためにも、彼ら(あるいは警察官)に話しかけてみたいと常に思っているのだが、これがけっこうむずかしい。軍のキャンプの前に作られた見張り小屋から外を覗く彼らに話しかけるのも、また銃を担いで通りを歩いている彼らに、タミル人の前でシンハラ語で話しかけるのも、それぞれに異なる種類の勇気が必要だ。

NPは中立の立場をとるという意識が頭をよぎる。これは決して軍隊や警察に話しかけてはいけないということではないのだが、ここジャフナがタミル人の地域であること、けれどその地の治安権を握っているのが、軍隊・警察、つまりシンハラ人であることを考えると、容易であるはずの行為も、事情が変わってくる。これが仕事・活動で必要上会話するということであれば、たやすいのだが、特に仕事でもなく町を歩いていて、自然な会話をするというのはかえってむずかしいものである。それでも何か機会を見つけて、いつか話しかけてみようと思う。タミル人の中で兵士として仕事をし、生活するということについて、彼らがどんなことを思い、感じ、考えているのかを知りたい。

戦場だった町

ジャフナの町で目に付くのは、そのほかに爆撃を受けた建物の残骸と、教会、ヒンズー教寺院である。2002年の停戦合意に至るまでにスリランカでもっとも多く戦禍を受けたのは、ジャフナと言っていいだろう。北部・東部を支配するLTTEと、それを奪還しようとするスリランカ政府軍にとって、ジャフナの町の支配権掌握は、戦勝を意味していた。1981年に当時南アジアでもっとも蔵書の多い図書館と言われていたジャフナ図書館がシンハラ人警察に焼かれるという事件を発端に、83年から始まった20年に及ぶ内戦中、ジャフナは政府軍とLTTE軍に交代に支配され、人々は戦火のたびに逃げ惑った。

2002年の停戦合意後は、上述のとおり、政府サイドが治安権を握っているが、いまでも政府軍の管理下にある特定の地域(high security zone)へは一般市民の出入りが禁止され、その地域に住んでいた元住民は、じぶんの土地に戻れず、国内避難民となっている。わたしが習い始めたヨガの先生の家族は、もともと住んでいた土地がこの特定地域のひとつにあたるため、そこに帰ることを許されず、14年間で27回ほど引越しを繰り返しているという。なんという悲劇だろう。この状況は日本でも米軍基地に土地を追い出された沖縄(やその他地域)の反戦地主たちの闘争をわたしに思い起こさせたが、日本の場合と違い、彼らの土地を奪っているのは、他国の軍隊ではなく、自国の軍隊なのだ。(もちろん沖縄の場合も、日本政府がその責任の一端を担っているには違いないが。)自国を守るための軍隊に、じぶんの土地を取られる。そしてタミル人を代表する(はずの)LTTE側からは、税金を徴収される。(チェック・ポイントでの税徴収のほかに、ジャフナではすべての商品が、南部に比べて何割か高い。印刷されている定価は関係ない。これは定価の上にLTTEの税金がかけられるからだ。)被害を受けるのは、いつもどこでも罪の無い人々ばかりだ…。

そこに生きる人びとの心を知る

キリスト教教会とヒンズー教寺院が多いのは、タミル人の多くがヒンズー教徒で、何割かがキリスト教徒だからなのだろうが、シンハラ人のほぼ9割以上が仏教徒であり、したがって(仏教)寺院が多い南部と比べてみても、その数たるや驚くに値する。ジャフナのチーム・メイトのスーザンはキリスト教徒なので、キリスト教系の関係者・協力者とはすでにかなり強固な関係を持っているようだが、ヒンズー教関係の団体・個人とも、これからもっと人間関係を構築していきたいと思う。特に、わたしはヒンズー教という宗教あるいはその生き方・考え方、そして文化にとても強い関心を持っているので、人々を通してそれらを学んでいきたい。あるいはそれらを知ることで、タミル人の考え方・行動のしかた・生きかたを学んでいきたい。

結局のところ、紛争問題に向き合うということは、そこに生きる人々の考え方・感じ方・生きかたを知り、彼らの立場・見方から問題に取り組むということだろうと思う。紛争の歴史を知り、対立関係にある団体・個人を色分け(マッピング)し、分析したところで、それは有効な資料にはなっても、そこから答えは見出せない。

あるいはそれを机の上に載せて、理論上の解決策を人々に提示したところで、紛争は終結しない。なぜなら紛争・対立は人々の心の中にあって、ノー・ハウ、模範的回答で片付く問題ではないからだ。だから、わたしが興味を持ち、知りたいと思うのは、戦火の歴史でもなく、避難民の数でもなく(もちろん知っているに越したことはないが)、人々が生きる文化・生活習慣、考え方、そして生きかただ。

ちなみに、ジャフナにも唯一仏教寺院がある。シンハラ人の仏教僧(そのひとりはマータラ出身だという)が数人居て、シンハラ人仏教徒の軍隊の兵士や警察官らが訪れているらしい。わたしはここでも、日本人であること(さまざまな違いはあっても、日本でも仏教は信仰されている)、そしてマータラに1年間住んでいたという事実を利用して、寺院に集る人々にアプローチしたいと思う。タミル人とタミル文化に囲まれた彼らの本音を聞くことができれば、とてもすばらしい。

NPは11月29日から1週間マータラの近くのワリガマという町で、スリランカ・プロジェクトの全体チーム・ミーティングを行う。(その間にマータラの知人・友人たちを訪問したいと思っている!) その後わたしは2週間の休暇(スリランカ国内)に入り、次は交代でチーム・メイトのスーザンが3週間休暇で帰国(フィリピン)する。

ジャフナでの活動は少しずつ進展しているが、まだ土台(プロポーザル)作り、リサーチ段階というところなので、本格的な活動報告をみなさまにお送りできるのは、来年1月後半以降になるかと思う。マハトマ・ガンジーの「善きことはかたつむりの速度で歩む」ということばを信じて…。 ≪小見出しは編集部≫

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国際平和旅団(Peace Brigades International,PBI) インドネシアプロジェクト参加にあたって

ニューズレターNo. 5 みなさん、初めまして。私はPBIという、人権の擁護と平和の推進を目的とするNGOに所属するものです。この度、PBIの事前トレーニングに参加し、最終的にボランティア・スタッフとして採用されました。PBIは1981年に設立され、今までに数多くの国で平和活動を行ってきており、現在はメキシコ、コロンビア、そして私の参加するインドネシアで活動を行っています。インドネシアプロジェクトは現在、アチェと西パプアに関する活動を行っています。

私は関西大学を卒業後、イギリス・スコットランドにあるアバディーン大学のロースクールを卒業し、法学修士を取得しました。専門は国際人権法です。その後、PBIのボランティア募集を知り、その活動精神と内容に興味を持ったので応募しました。

PBIは要請に基づき、紛争地域に世界各国から参加するボランティアから構成された非武装・非暴力のチームを派遣し、非暴力・直接行動・中立の精神を柱に暴力的衝突の非暴力的解決を促進する活動を行っています。そのボランティアの一員になるべく、私は今年の夏頃にインドネシアに派遣される予定で、アチェに関する活動に従事することを希望しています。

PBI・インドネシアプロジェクトには、以前、野田真紀さんが日本人ではじめての参加者としてご活躍されました。そして私が2人目の参加者となります。真紀さんのインドネシアでのご活躍を幾度かインターネットや知人を通じて知るうちに、私もさらにがんばっていこうという気持ちになっています。現在、アチェには軍政非常事態がひかれ、外国人がその地域へ足を踏み入れることは不可能です。しかし、その状態から今度、民政非常事態へと変更されることとなりました。これにより、劇的に状態がよくなるということではありませんが、PBIを初めとするNGO諸団体の活動に影響することは間違いありません。私も、小さな力ながらですが、アチェの平和推進に向けて貢献できればと思っています。

PBIは今までに一度も活動中に危害を加えられたことはありませんが、しかし、いつ非常事態が起こるかわからないのが現状です。そして、アチェの民政非常事態への移行が実現されても、危険との隣り合わせの活動になることに変わりはないでしょう。そこで、一人でも多くの方に、私のインドネシアでの活動をご支援いただきたいのです。

PBIはボランティア一人一人に緊急支援ネットワーク(REN: Emergency Response Network)の設立を求めています。これは、私やチームのメンバー、またサービスを提供しているNGOに緊急事態が発生した時、参加者にとっていただく行動です。活動内容は主に、PBIのほうから世界各国の担当者にREN要請の情報が回り、そして自国内の担当者にもその旨の情報が入ります。

そして、その担当者からネットワーク参加者へ連絡が回り、参加者は、インドネシア政府や軍などに対して生命の保障、適正な調査などを要求する手紙を送付・FAXするといった仕組みです。こういったみなさまからのご支援が、私の精神的支えとなり、私に多大な勇気を与えてくれることに間違いはありません。私のインドネシアプロジェクト参加にあたり、ご支援をよろしくお願いいたします。

PBIにつきましては、オフィシャル・サイト(日本語のページはありません) とともに、NPJのウェブ・サイトもあわせてご覧ください。インターネットをご利用でない方は、事務局までお問い合わせください。
★PBIオフィシャル・サイト http://www.peacebrigades.org/
★NPJ http://www5f.biglobe.ne.jp/~npj/PBI/index.html

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PBI インドネシアレポート

皆様こんにちは。私がインドネシアにきて1ヶ月が経ちました。今回は最初の状況報告ということでジョクジャカルタの雰囲気と私の生活等を中心にご報告したいと思います。ジョクジャカルタはご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、インドネシアの中でも古都といわれている町です。ここには世界遺産に指定されている寺院が2つもありますし、ワヤン・クリッ(影絵芝居)やバティックなどの伝統工芸もあります。しかしその半面、大学生の町でもありいろいろな地域から集まった学生で賑わう一面も擁しているので、とてもおもしろい町だと思います。

私は現在、Wisma Bahasa(ウィスマ バハサ)という語学学校で月曜日から金曜日まで毎日、インドネシア語の授業を受けています。上達は少しずつですが、毎日楽しく勉強しています。同じ語学学校で勉強しているPBIのボランティアは私のほかに7名おり(10月20日現在)、お互いに切磋琢磨しながらがんばっています。ここでは単語や文法などの基礎の習得から最終的にはインドネシアの政治や紛争、平和についてまでを議論できるまでになる予定になっています。私は現在、6冊ある教科書のうち、3つまで終了しましたが、まだまだコミュニケーションはスムーズには行かないのが現状です。

滞在先はコスというインドネシアの学生には一般的な寮のようなところです。1つの家に女性ばかりの15名ほどが共同生活をしており、風呂トイレが共同で部屋は1人に1つあります。洗濯は洗濯機がないのですべて手洗いでやっています。私以外の住居人は全員がインドネシア人です。そのほとんどが大学生で、中には大学で日本語を勉強している学生もいるのでとてもお世話になっています。

毎日学校から帰ると、みんなが私にインドネシア語やインドネシアの文化、そしてイスラム教について教えてくれるので、私はそのお礼に英語や日本語、そして日本の文化を教えています。

私がこのコスで感じたことは、インドネシア人は友達との親密な関係を好み、いつも助け合いながら生活するという習慣が強いということです。私は以前、イギリスに住んでいた経験がありますが、個人的には欧米の個人主義の環境で生活するよりもインドネシアでのこういった生活のほうが居心地がとてもよく感じられます。

現在、ラマダンで下宿先の友達が断食中ですが、私も実は断食に挑戦しています。きっかけは、地元の人と同じように生活してみたかったこと、インドネシアの文化を少しでもわかりたかったこと、そして食べ物のありがたさや貧しい人の気持ちを理解するという、昔から両親に学んできたことをもう一度再確認するためです。午前3時頃に起きて食事をとるので夕方の6時前まで何も食べたり飲んだりできないですが、意外と大丈夫です。しかし毎日暑いインドネシアで日中外に出るととてものどが渇くのですこしつらいですが。まだ断食が始まって6日目ですが、1ヶ月を目指してできる限りがんばってみたいと思います。
ニューズレターNo. 5
寮の友達と

語学学校で勉強中はPBIの活動はほとんどありませんが、一度アチェチームのクライアントの方とお会いしました。しかし、フォーマルなものではなく、一緒に食事をしながら話をした程度でしたのでとてもリラックスしたものでした。現在アチェ問題に取り組んでいるメダンチームはジャカルタへの引上げ作業に入りました。

今後、私たちが再びアチェ地区へ戻れるように祈りながら私はインドネシア語の習得に励んでいる今日この頃です。これからも皆様の励ましと応援を支えにがんばっていきますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

編集部注:藤村陽子さんは、ピース・ブリゲイド・インターナショナル(PBI)のボランティアとして9月よりインドネシアに派遣されています。この原稿(「PBIインドネシアレポート」)は前号に掲載する予定でしたが、通信事情により間に合わず、今号での掲載となりました。

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非暴力&トランセンド・ワークショップ 関西 入門編

2004年9月24日・25日に行われた「非暴力&トランセンド・ワークショップ 関西」に参加した。非暴力平和隊・日本(NPJ)とトランセンド(平和的手段による紛争転換)研究会が共同して行った最初の試みである。

NPJの井上茂樹氏の呼びかけにより、参加者は定員いっぱいの約25名、大阪女学院大学にて、24日の夜(18:00-21:00)と25日の午前(10:00-12:30)は非暴力トレーニング(講師:大畑豊氏、清末愛砂氏)、25日の午後(13:30-17:00)はトランセンド(講師:奥本京子氏、藤田明史)のワークショップが行われた(ただし、17:00-18:00は大畑氏による全体の総括)。

私にとって非暴力トレーニングを受けるのは今回が初めてで、たいへん貴重な経験であった。トランセンドは、紛争の平和的転換のエクササイズ、平和学の小レクチャー、それにホーポノポノ形式の劇「『アジア・太平洋の平和』の理解のために」の朗読の3部形式で行った。非暴力について何かを把握したいとの参加者の熱い思いに支えられて、2日間のワークショップは無事終わることができた。

非暴力トレーニングの手法とトランセンドのそれは、やはり違うなというのが私の率直な感想である。どちらが良いというのではなく、それぞれのやり方をとことん追求していくことによって、相互に相補的な関係になるのではないか。やや楽観的な見方かもしれないが、私はそう信じたい。といってどこが違うのか、あまりはっきりしない。議論を誘い出す目的で、私の印象を少し書いてみよう。

非暴力トレーニングの基本的な思想は、目の前にある直接的暴力にいかに非暴力的な手段で対処するかということであるようだ。これは非常に基本的で重要な立場である。現実に発生している暴力を前に、具体的な身体の動きから哲学的な議論まで、それに対処するために実に多くのこと問題になってくるに相違ない。

トランセンドの思想は、第1に暴力には直接的暴力だけではなく構造的暴力や文化的暴力があり、現実の暴力はそれらの複合体であること、第2にそうした暴力現象は具体的な紛争の場にて起こること、第3にそうした紛争の平和的転換のために第三者(平和ワーカー)の介入が有効であると考えること、の3つに基づいている。この立場からも、理論的・実践的な非常に多くの課題がでてくる。

今後は、NPJとトランセンド研究会が、他のアプローチを認めたうえで相互の協力関係を築いていくことが、それぞれの発展にとても重要ではないかと考えている。

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NPJイベントレポート "スリランカ・フェスティバル"

ニューズレターNo. 5
最高気温28度を記録、度重なる台風の襲来に10月であることを忘れかけていた最後の土曜日。この日、代々木公園で開催されたスリランカ・フェスティバルは、朝から冷たい雨が降りそそぐ、あいにくの天気に見舞われての幕開けとなりました・・・

スリランカ大使館の主催で行われたこのイベントに、非暴力平和隊・日本(NPJ)は、「スリランカ復興開発NGOネットワーク」(以下「スリランカNGOネット」)の一員として参加しました。会場内に「スリランカNGOネット」でひとつのテントを借り、スリランカで活動する他のNGOとスペースを分け合って、それぞれの団体が準備をしながら開場を待ちます。テント内には、NPJの緑色のリーフレットと、徹夜で仕上げたNPJを紹介するためのファイルを設置しました。

準備は万端!しかし、雨脚は強くなる一方。これでは来場者数は伸び悩むだろうな・・・と不安な気持ちを抱えてのスタートです。
ニューズレターNo. 5
本降りの雨にも関わらずたくさんの来場者!

開会の式典が終わると、「チャンナ・ウプリ ダンスアンサンブル」によるスリランカの伝統舞踊が始まりました。太鼓のリズムに合わせて、お面を付けた男性(タイトル下の写真参照)が勇猛に踊りまわります。首がもげてしまうのではと心配になるほど、激しく頭を振りながら何度も何度も回転するダンサーに、会場からは大きな歓声と拍手。思わずわたしも、写真を撮る手を止めて見入っていました。

当初の予想に反して、会場には続々とお客さんが入ってきます。「スリランカNGOネット」のテントを遠巻きに見ていたお客さんも次第にテント内に足を踏み入れ、資料を手に取って見てくれるようになりました。このようなイベントにNPJスタッフとして参加するのは、私にとって初めてのことです。戸惑いながらも他のNGOスタッフの動きを横目で観察しながら、見よう見まねで来場者に自分から声をかけ、NPJの活動内容を懸命に説明します。
ニューズレターNo. 5
一時、NGOテント内は大勢の人でごった返す

わたしの呼びかけに応じて、話を聴いてくれる人はいるのですが、NPJの活動に興味を持ってもらうこと、そこから更に理解・賛同してもらうということがとても難しいことなのだと改めて気づかされました。もちろん、わたしの説明の拙さは否めませんし、たまたま来場した人にいきなりNPJの全てを理解してもらおうと思うこと自体が無茶なことではあります。

しかし、「紛争地に『いる』ことによって、暴力的状況が引き起こされるのを防ぐ」という非暴力平和隊の手法は、例えば「地雷を除去する」活動よりも、ずっとずっとイメージされにくく、その分理解してもらうのも大変だと思うのです。どうすればNPJの活動をわかりやすく伝えることができるのか、さまざまな工夫していかなければならないと感じました。

午後には大畑・共同代表も応援に駆けつけてくれ、そのなめらかなNPJ解説に来場者と一緒に耳を傾け、ここぞとばかりに"技"を盗もうと聴き入っていました。

ニューズレターNo. 5
来場者にNPJの説明をする大畑・共同代表
つま先が凍りつくかのように感じられた寒さの中、人に伝えることの難しさと格闘した一日でした。夕刻を過ぎると来場者もだいぶ減りましたが、雨が降っていたことを考えれば、終日大盛況だったと言ってよいと思います。また、スリランカで活動している他のNGOスタッフの方々ともいろいろな話をすることができ、非常に有意義に過ごせました。

スリランカ料理を堪能したことは言うまでもありません! 辛いと聞いていたスリランカのカレーも、日本人の口に合うように作られているのかそれほど辛くなく、とてもまろやか。しかし私のお気に入りはカレーではなく、コラキャンダ(ハーブのスープ)やマスロール(マグロとジャガイモのコロッケ)、カダラ(豆とココナッツのおつまみ)などといった辛味が抑え目の料理ばかりでした。どれも日本料理にはない独特の食感・風味をもちながら、とても美味!初めてのスリランカ料理に寒さも忘れ、舌鼓をうちました。(若干食べすぎたのですが…)

NPJの活動を広く知ってもらうためのイベント参加には、時間や人手が必要となるため、事務局スタッフの間でも都合をつけることがなかなか難しいという現実があります。しかし、直接相手の顔を見ながら語りかけることは、人に何かを理解してもらう際にもっとも大切なことであるばかりでなく、実はもっとも効率的な方法なのだと改めて認識しました。

「直接会って、話す」。手間ひまのかかることではありますが、直接語りかけることの大切さを意識しながら、工夫を凝らして活動することで、より多くの人にNPJの活動を理解してもらえるのではないかと思うのです。今後はイベントに参加するだけでなく、事務局が自ら企画を立ち上げていきたいと考えていますし、同時に皆様からのご意見やご提案をいただければ幸いと思います。

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「テロ・戦争と非暴力」

ニューズレターNo. 5
●第4回:チェチェン戦争とテロの背景、イラクにおけるNGO活動の展望を考える(10/2)
●第5回:パレスチナ 〜戦車に石を投げたら"暴力"ですか? 「抵抗」について考える〜(11/6)
*いずれも文京シビックセンターにて、共催はピースネット

第4回 チェチェン戦争とテロの背景、イラクにおけるNGO活動の展望を考える

ファシリテーター(進行役)は阿木さん(NPJ運営委員)、講師は青山正さん(市民平和基金代表・ピースネット代表)。 参加者は19人でしたが、講師からの豊富な情報にもとづいて議論できたことに満足された方が多かったようです。

第1部・チェチェン

「テロの脅威」や「対テロ防衛」のみが喧伝されるが、テロの原因に目を向けることが重要。紛争の解決手段が他にない場合、テロにうったえる。現在の特徴は、テロの対象が本来の敵から不特定一般人に向けられることだ、と阿木さんの話の後、1時間ほどチェチェン問題のビデオ上映。その後、市民平和基金として長年チェチェン支援を続けている青山さんからの解説。以下要点。

・ソ連邦解体のあとのチェチェン独立不成功の経緯。
・第1次チェチェン戦争が始まった時はチェチェンの女性たちが国境で人間の鎖でロシア軍の侵攻に非暴力で抵抗したが、国際的にはまったく関心を持たれなかった。ロシア兵士の母親とチェチェン女性との共同による反戦運動も存在していた。
・停戦期間に行われたチェチェンの総選挙と大統領選挙に選挙監視団として3人を市民平和基金から派遣。極めて民主的で平穏な選挙が行われた。
・その後、犯人が明らかではない「テロ」を理由とした第2次戦争が始まる。
・第1次・第2次を併せ100万人近い市民の犠牲(人口の2割近く)が出ても、国際社会から無視され続けている。
・終わりの見えない戦争の中で、急進派がテロを繰り返す。
・現在はNGO、マスコミが自由に現地へ入れない。
・プーチン大統領は、チェチェン紛争を利用して権力拡大と強権化を進行させている=ロシア民主主義の後退
・テロ事件に潜む数々の陰謀説…。

近年のメディア規制は厳しく、わたしたちがふだん目にする情報には偏りがあることを知らねばならない。また、圧倒的な武力に対抗するのには国際的世論しかないだろう、と阿木さん。このあと、3〜4人のグループに分かれて「今、わたしたちに何ができるのか」について議論しました。

第2部・イラク

阿木さんから、イラク医療支援のために8月にヨルダンを訪問した話、またイラクでの戦争被害の数字、ブッシュ政権と石油利権の関連についてのデータが紹介され、その後グループに分かれ議論。

・現在はフリーのジャーナリストがイラクに入ること自体困難で、日本の大手マスメディアは自社の記者を現地に送ってはいない。このような状況下で、メディアからイラクに関する正確な情報を得るのは大変にむずかしい。
・「国境なき医師団」の事例(国際世論の批判に応え、団員が殺害され撤退した)を阿木さんが紹介。
・青山さんからの話:軍隊があると、戦争がおこる。チェチェン人側にも、武装解除を考える人たちが出てきている。チェチェン内部からだけでは突破口を見出すのは難しい。是非とも国際社会の目が必要。

また、今年になってチェチェンに関する本が日本で5冊出版されたのは朗報だ。

JVCは海外協力から平和をつくることを目的とするように変化した。一方、反戦・平和運動をする人々は、NGOにまかせている。これは考えなくてはいけない。

圧倒的武力(他民族・異宗教の軍隊の!)を前に、命を賭して武力で対抗する、もしくは無力にも殺害される人々。この悲惨な状況に対して、「外部から何かができるのだろうか」という大変な難題に、今回はむきあいました。地域が封鎖状態(チェチェン)ないし入国不可能状態(イラク)なので、「世界が見ている」というメッセージを発することで暴力の抑止をはかろうとする、非暴力平和隊の手段さえ通用しない状況です。

それでも、暴力を抑止する「世界の世論」をつくる努力に希望をつなぎたいと思います。

第5回 パレスチナ 〜戦車に石を投げたら"暴力"ですか? 「抵抗」について考える

報告者は清末愛砂さん(元ISM〔国際連帯運動〕コーディネーター・NPJ運営委員)、ファシリテーターは阿木さん(NPJ運営委員)。同日は、関連の会が重なっていて困った方も多かったようですが、今回の講座は主催者側を含めて14人の、濃縮された会となりました。(その後、2次会・3次会。加えて4次会!もあったようです。)

第1部

パレスチナを通して、「暴力」とは何か、「抵抗」とは何かを考えたい。個人的には1968年の第3次中東戦争の頃に、イスラエルのキブツを理想とする考えが打ち砕かれ、理想を外部に求めることの無意味さや、第3者の介入の難しさを実感した。パレスチナ問題はとくに、ユダヤ人が米国メディアを支配していることから情報の偏りを避けられないという現状である。(阿木)

―パレスチナとイスラエルについて知りたいことを、参加者同士がグループに分かれて話し合い、発表。

パレスチナ−イスラエル問題の経過、背景、現状、解決策、「抵抗」についての考え方、情報の得方、現地での非暴力活動の系譜と課題、など。また、清末さん自身がパレスチナ問題と関わるようになったきっかけやその後の生き方への影響は何か、あるいはISMのトレーニングの具体的内容・意義・有効性、イスラエル側がこの問題をどうとらえているのか、パレスチナの要望をどのように届けられるか、などなど数多くの質問が出された。

―それを承けて、現地でのフィールドワーク経験のある清末さんからの話。

"パレスチナ問題"は、実は"イスラエル問題"なのだと理解することの重要性が強調されたあと、1967年の第3次中東戦争、1987年の第1次インティファーダ、2002年9月以降のアルアクサ〔第2次〕インティファーダ」の順で詳しい解説。

―2002年のラマラにあるパレスチナ自治政府・議長府へのイスラエル軍侵攻を目前にして緊張高まるISM(国際連帯運動)の会議、侵攻後の議長府内部、ISMのトレーニング、運動の成功モデルとされる「装甲車へのデモ」の様子などが収められたドキュメンタリー映画の一部を清末さんの解説つきで上映。

このビデオは、レイラ・サンスールさんというツレヘムの近くにあるジェイト・ジャラという街出身のパレスチナ人の女性監督(ロンドン在住)が制作した映画で、タイトルは"Jeremy Hardy vs. Israeli Army"。ジェレミー・ハーディーは、イギリスの社会派コメディアンで、ガーディアンのコラムニストをしていたこともあるISMのメンバーで、彼がISMの活動に参加したときの様子を作品にしている。

映画の中で印象的だったのは、ISMのメンバーがデモをしているときにイスラエル軍の装甲車がやってきて、発砲しはじめたシーン。それでもメンバーはパニックを起さず、トレーニングの通りに手を取り合い、「一、ニ、三」と掛け声をかけながら後退する、そのデモ隊に対して、装甲車がさらに近づいていく…という緊迫した場面だった。

―「イスラエル支援企業リスト*」からの資料を参考に、私たちの消費物資が複雑に関連していることに当惑。

*「パレスチナ情報センター」のホームページ内"イスラエル支援企業リスト:イスラエルのパレスチナ占領と暴力を支援する企業を支援しないために"

第2部

―「戦車に石をなげることは暴力か?」について、グループ別に意見発表。

・清末さん「自分は投げないが、現地の子供が投げるのを止めない。パレスチナにおいて、石を投げることを暴力だとは、政治的には断したくない」
・イスラエルに短期訪問経験のある大畑さん(NPJ共同代表)「現地に滞在した数日間でもパレスチナの人たちが非人間的扱いをされている場面を何回となく見た。希望が見えず、なす術のない中、何もしないよりは何かして、という気持ちは理解できる」また、シエラレオネで親族が虐殺された青年が、現在米国で非暴力平和隊の活動に関わっている話を紹介。「彼も最初はいつか復讐してやろうと思っていたが、米国で暮らし、冷静に考えた末、今は非暴力しかないと考えるようになった」

―終わりのひとこと

・阿木さん:製品ボイコットは非力のように思えるかもしれぬが、確かな効果がある。
・清末さん:「何が暴力か」を考えることは重要。
・大畑さん:国際世論の高め方は? 非暴力の次のステップは? 生き方をどうするか?

―参加者アンケートから

イスラエル支援の企業が身近にあることを実感、もっと時間があればよかった、非暴力の具体的手段を知りたい、実体験のある方の話は有用、さらに多くの情報にふれたい、などなど。

(1) 1987年の第1次インティファーダは「成功した非暴力抵抗運動」と評価されているが、その後は軍事攻撃の激化によって、抵抗側に「暴力性」が全面にでてきたとのこと。それからも、「非暴力」から「暴力」への移行は易く、その反対は非常に難しいということが良くわかります。

(2) パレスチナには非暴力運動の歴史があり、他国の非暴力運動からも学んでいるそうです。非暴力運動をしている人が、現地で何が必要かを理解せず、時に独善的になる場合があるという、紹介がありました。あくまでも現地の人が主体でなくてはならないという、NPの方針を再確認する思いです。

(3) それにしても、(良心的)製品ボイコットで一番実行しにくいのは、パソコンではないかと思います!

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非暴力平和隊国際理事会報告(2) ― 議事録から(上)

国際理事会の要約は4号で君島さんが報告したもので尽きていますが、議論・報告内容について詳細な議事録から抜書きでいくつかご紹介します。(翻訳は小林善樹さん・大橋祐治さん)

・NPは今、コロンボの4名の管理スタッフ、スリランカ4箇所に11か国から13名のフィールド・メンバーが活動している。3つの地域の作業部会(ワーキング・グループ)を持ち、更に3つの地域で将来の派遣の可能性を追求しているコンタクト・グループを持っている。作業部会の地域は朝鮮半島、ミャンマー、イスラエル・パレスチナ。コンタクト・グループはウガンダ、ミンダナオ、コロンビア/エクアドル。

昨年は2,000名の個人の寄付者、幾つかの新規の基金の支援、50,000ドルの平和債の販売、更にはドイツ外務省からの大きな資金援助などを得た。ドイツ外務省から第2年度の資金援助の通知を受け取った。

・非暴力平和隊の米国での資金集めのビデオの上映(コピーはセント・ポール事務所にある)。

・活動地域について
 ジャフナはタミール文化の中心。チームは殆どの時間を住民との対話と信頼構築に使っている。NPはどのようなトレーニング活動を政府の人権委員会に与えることが出来るか検討している。ここに事務所を持つことの意義はこの地域における沈黙の慣習への取り組みである

ムートルは休戦以来、市民暴力により最も多くの人が殺された所である。それは不安定、即ち戦争もないが平和もない状態の結果である。NPは政府、タミール人そして、ムスリム教徒それぞれのグループの代表から構成される委員会を作り、暴力を防止する為に会議を持つよう住民と話し、委員会は発足した。

ヴァルチェナイは90%がタミール人の地域である。NPは、この地域が子供の徴兵が多い地域である理由で事務所を設置した。ムートルとヴァルチェナイ間の地域でLTTEの二つの派閥間での戦闘が始まったとき、NPチームは戦闘地域の村々でプレゼンスを提供。

マータラではNPは平和教育活動をしている。NPはPAFFRELとある程度協働してきたが、4月の選挙以降はPAFFRELが殆ど活動していないのでPAFFRELとの協働もあまりない。この地域では他のNGOとコンタクトをして来た。彼等は人権に関する調査で護衛的同行を求めている。

・宣伝・広報
 我々の活動の多くが、特に東部に於いては細心の注意を要するもの(sensitive)である。スリランカ・チームは或る程度の話題を提供するよう努力するが、一方では住民の機密性に対する必要性を尊重しなければならない。

・予算
 2004年度の収入は2003年からの繰越を含め約216万ドル、支出は134万ドルの予定。しかし確定している収入がドイツ外務省からの援助だけ。

・規約はメンバー団体に送付されメンバー団体はこれに同意するかどうかについて問われる。もし規約に同意しなければNPのメンバーではなくなる。(回答)期限はない。

・NPの哲学とビジョンについて各理事より以下の発言。
−人々や政府が紛争に反応する仕方を変えるためには長期のビジョンを必要とする。NPは異なる手法を用いる能力を構築し、我々が行動できる異なった方法を理解する必要がある。スリランカ・プロジェクトの第一の目的は非暴力平和隊が学ぶことにある。
−暴力は人間性を奪い取る。NPが自分を勇気づけるのは、それがグローバルな努力であること。"暴力を使うことは敗北を認めること"。あなたがたが造りだす社会はあなたがたの意図ではなく、あなたがたの手段によって決定される。
−NPは世界が戦争手段を捨てさせるのが目的である。我々は他のグループを通して戦争以外の紛争の処理の方法を学んできたが、世界はそれを知っていない。我々は大きくならなければならない。
−我々は大規模になると他の平和団体に話していると言った。我々が行動し大規模になるための限られた期間があり、それを過ぎると人々は我々は失敗したと考えるであろう。我々は使命追求型でなければならない。
−非暴力のビジョンを持っていない人々にどのようにして我々を理解してもらうことが出来るか。
−NPを通して如何に共生すべきかを学ぶ機会を持った。我々は寛容、忍耐、対話を必要としている。 (つづく)

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国別NGO研究会(スリランカ) 第1回研究会報告

国別NGO研究会(スリランカ)は外務省のNGO活動環境整備支援事業であるが、この実施団体として、スリランカで復興・開発の事業を行っている日本のNGOが2003年4月「スリランカ復興開発NGOネットワーク」を立ち上げ、非暴力平和隊・日本は2004年度よりこのネットワークに参加した。2004年7月現在の参加団体は12団体である。

去る10月5日、スリランカで農村開発、女性のエンパワーメントなどのコミュニティー開発に携わるNGO、セワランカ(SEWALANKA)の代表、ハルシア・クマラ・ナヴァラトゥネ氏が来日されるのを機会に、第1回研究会が開催されスリランカの和平交渉の現状、問題点、日本などNGOへの期待など、ハルシア氏から説明を受け、意見交換がなされた。以下は、ハルシア氏の発言の概要である(SEWALANKAは、特に2002年スリランカ政府とLTTEとが停戦に合意した後、北東部のタミール人社会で復興支援活動に非常に活発に関わって来た)。

1. スリランカ和平の現状は不確実であり,このままの進展がないと、逆戻りのリスクがある。4月の総選挙後、大統領はLTTEとの交渉の意図を表明し各政党を召集してネゴを開始する宣言した。しかし、選挙期間中、同盟を組んだJVPに配慮した対LTTE強硬路線との矛盾、総選挙後に与党から離脱したJVPの過激化など政権の不安定要因を抱えた状態である。LTTEとの交渉、和平に反対している過激派が南北におり、南部ではJVPであり、北部タミール側にも又、過激派がいる。大統領は立ち往生の状態であり、和平は膠着状態にあると言える。こうした状況が続けば,過激派が力を得て来るだろう。このような膠着状態を打開する道は二つある。

2. 第一はcivil societyの協調、協同である。共通の目標(common agenda)に向かって共に協調する必要がある。現在,数多くのINGOがフィールドで活躍している。

2-1. 国際NGO(INGO)と国内NGO(LNGO)が競争ではなく協調し、補完関係を築くこと、又、INGOが将来の引揚の際のためにLNGOを強めることである (ケア・インターナショナル、オイスカなどは良い協調の事例である)。

2-2. INGOは北部、北東部のみ支援しているとの印象を与えているが、もっと南部で活躍して欲しい。特に日本のNGOにこのことを期待したい。

2-3. このままでは宗教戦争になりかねない。仏教対キリスト教の構図である。スリランカでは仏教徒が過激的な動きをしている。ヨーロッパはキリスト教国でありヨーロッパのNGOはそのように見られる。その意味でも日本は仏教に理解があるので日本のNGOに南部での活躍を期待したい。

2-4. LTTE支配下にある15歳から35歳の年齢層に民主主義を理解させる為、実際に南部の民主主義の社会、文化を見せ、知ってもらうことが重要である。INGOはこうした活動もして欲しい。

2-5. 開発プロジェクトにしろ、人道支援活動にしろcivil society即ちNGOの果たす役割は大きいし効果的である。政府では出来ない。政府の資金援助により活動するヨーロッパ型NGOに日本も早くなって欲しい。

3. 第二は資金援助団体にお願いしたいことである。現状は、和平交渉と資金援助はリンクしているので、和平交渉が膠着状態の現状では資金が出ない。資金が出ないことが、逆に和平交渉を膠着状態にしているという悪循環がある。即ち、国民は休戦の果実(経済的支援)がないことに対して失望し、行政への信頼を失いつつあり、又、今まで和平交渉を支持してきたcivil societyも批判され、両過激派に攻撃チャンスを与えている。和平交渉をスタートするまで資金援助を行わないとの方針の再考をお願いしたい。

4. 今最も緊急を要することは平和構築計画peace building programであり、civil societyが協同して,過激派グループに対抗し、キャンペーンをし、LTTEを政府との交渉のテーブルにつけることである。JVPは相当な資金を投じ和平交渉反対のキャンペーンをしている。サルボタヤも含め色々な市民団体が、内々にLTTEと一緒に活動している。SEWALANKA(セワランカ)は公然と行っている。これら市民活動を援助、活用して欲しい。

5. 具体的な提案:SEWALANKA(セワランカ)がスリランカで来年早々、スリランカのcivil society(LNGO)との1、2日間のワークショップを検討する。

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非暴力平和隊・日本 運営状況報告

会員状況報告(2004年11月末現在)

正会員   58(内、学生会員7)
賛助会員  73(内、学生会員2)
賛助団体   7
インターン  2
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合計    140

賛助団体名

・アーユス仏教国際協力ネットワーク
・熊本YMCA
・真宗大谷派 光円寺
・日本キリスト教婦人矯風会平和部
・日本友和会
・ピースネット
・みのおピースリボンの会

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非暴力平和隊・日本 決算報告書

自2004年  4月 1日
至2004年 10月31日

決算報告書。詳しくはお問い合わせください

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各科目の内容
決算報告書。詳しくはお問い合わせください

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●備え付け帳簿類

  1. 現金出納帳
  2. 総勘定元帳
  3. 普通預金通帳
  4. 郵便貯金通帳
  5. 経費領収書綴り
  6. 振り込み控

上記の通りご報告いたします。 会計担当:青木 護 (2004年11月30日)

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お知らせ&事務局便り

今後の予定

■「非暴力平和隊・日本 説明会」が福島市で行われます。
・12月12日(日) 午後1時半より 「ウィズ・もとまち」(Tel: 024-525-3784)にて開催。
 連絡先:中里見 博 (Tel: 024-548-8324・福島大学行政社会学部 中里見研究室)
 鞍田 東 (Tel: 024-656-2596・E-Mail: ru2a-krt@asahi-net.or.jp

■非暴力連続講座(1月はお休みです。会場・時間はお問い合せください)
 ・2月5日(土)  第7回 「阿波根昌鴻の実践に学ぶ」
 ・3月5日(土)  第8回 「軍事費について(軍事費分税金不払い・イラク派兵違憲訴訟等)」

会員募集

■非暴力平和隊の理念と活動に賛同・支援してくださる個人および団体を会員として募集しています。入会のお申し込みは、郵便振替、銀行振込、非暴力平和隊・日本ウェブサイトの「入会申し込みフォーム」をご利用下さいますようお願いいたします。

●正会員(議決権あり)
・一般個人:1万円
・学生個人:3千円
*団体は正会員にはなれません。
●賛助会員(議決権なし)
・賛助個人:5千円(1口)
・賛助学生:2千円(1口)
・賛助団体:1万円(1口)

■郵便振替:00110-0-462182 加入者名:NPJ
*通信欄に会員の種類を(賛助会員の場合は口数も)ご明記ください。
例:賛助個人1口

■銀行振込:三井住友銀行 白山支店 普通 6622651 口座名義:NPJ代表 大畑豊
*銀行振込をご利用の場合は、お手数ですが電話・ファックス・メールのいずれかを通じて入会希望の旨、NPJ事務局までご連絡くださいますようお願いいたします。

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お申し込み・お問い合わせ

■非暴力平和隊・日本に関する資料のご請求や各種お申し込み・お問い合わせは 本誌表紙に記載されているNPJ事務局までお願いいたします。

事務局便り

NPJニューズレター第5号はいかがだったでしょうか? 今号から編集人が代わりましたので、以前より見づらくなったとお感じになる方もおられるかもしれません。少々不安に思うところもありますが、紙面のことに限らず、非暴力平和隊に対するご意見・ご感想などございましたらどしどしお寄せください! また、これまではインターネットを利用されない方にのみニューズレターを郵送しておりましたが、今号からはすべての会員の方に郵送でお届けすることになりました。

今後ともご支援のほどをよろしくお願い申し上げます。

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