非暴力平和隊・日本

非暴力平和隊・日本ニューズレター第9号(2005年7月29日)

【目次】
巻頭言 大橋祐治
スリランカ通信 大島みどり
平和活動体験レポート 竹本祥子
理事会報告
本の紹介
今後の予定
夏季カンパ報告
事務局だより、ほか NPJ事務局

巻頭言 平和をのぞんで Dona nobis pacem

ロンドンで2度目の地下鉄、バスへの爆発があり、幸いにも人的な被害は軽少であったがテロの応酬は止む気配がない。米国防省が中国の軍事力が脅威となりつつあると報告、確かに中国の国防支出の比率は増大している。しかし、米国も同様である。米国の軍事力の強化が、米国の友好国であると表明していない諸国の、米国への警戒心を煽っている結果である。

イラクでの戦争によるイラク民間人の死者は2万数千人であると或るNGOが発表した。米軍の戦死者の10倍以上に達する。戦争で被害を受ける大半は一般の市民であり女、子供など弱者である。対話と圧力による解決といわれる拉致被害者問題で日本が北朝鮮に圧力をかけられないのは日本が軍事力を行使できないからだと発言する国会議員がいるのには驚いた。

これら最近の一連の出来事を見ても"軍事力""暴力""テロ"によっては問題を解決することはできず、むしろ、"軍事力""暴力""テロ"は連鎖的に増幅して行き、解決の糸口さえ見失うことになることは明らかである。従って、人々が安心し、相互に信頼し合い豊かな平和な世界を作り上げるには、"軍事力""暴力""テロ"に代わる解決手段(Alternatives)を見出していかねばならない。非暴力平和隊に入ってこのことを確信することができた。

私は友人の誘いで2002年の暮れも押し迫った12月22日、直前の11月インドで開催された非暴力平和隊設立総会の報告会に出席、その余勢で翌年1月、有志の合宿に参加、2003年6月非暴力平和隊・日本の設立総会でそのまま運営委員となり、現在に至っている。

確かに設立以来のメンバーではあるが、それまで平和活動とは一切無縁であった。しかし、非暴力平和隊・日本の会員、その中には武力、暴力ではなく、対話と非暴力による紛争解決を長年実践されてきた平和活動家、或はその歴史や理念を実証研究され理論構築・体系化された学識経験者が多いのだが、そうした方々との3年半の交わりから、そうした非暴力への確信は自然と体に滲みこんで来たものと思う。

また、非暴力平和隊に所属することで、同じ信条・使命(対話と非暴力による紛争解決)を持って活動している他のNGO との接触も視野を広める貴重な機会となっている。非暴力平和隊は設立の前にF/S(Feasibility Study 非暴力平和隊の実現可能性調査)を行っているが、この翻訳に従事させていただいていることも、非暴力活動の歴史と今後への理解を深めるのに役立っている(この暫定訳は非暴力平和隊・日本のウエブサイトに掲載されているが、現在、翻訳のブラッシュ・アップを行っている)。

非暴力平和隊のパイロット・プロジェクトとして進行中のスリランカに関しては、その復興・人道援助に日本から多くのNGOが携わっているが、彼らから政府間では出来ないNGOの果たす役割・分野・手法があることを学んでいる。このようにして私は曲がりなりにも非暴力平和隊・日本の一員としての自覚を持てるようになった。ニューズレターの編集者から「巻頭言」を書くように言われ、そのような資格はないと再三辞退したが覚悟して承諾した所以である。さて、非暴力平和隊は設立後2年有余を経過し、最初のプロジェクトであるスリランカにフィールド・チームを派遣してから9月で2年となる。この間、フィールド・チームメンバーの退職、新規採用等かなりの変動があり、現在(6月末)は12名である(この他にコロンボ事務所に現地責任者ほか4名)。フィールド・チームの契約期間は2年間で、話し合いにより1年延長が可能となっている。12名のうち何名が後1年残るかは分からないが、3月末から4月にかけて第2次募集者を対象にスリランカで基本訓練実施、この内最終的に赴任を承諾した14名が7月25日からスリランカでIn-Country-Trainingを行い、9月頃から任地に配属される予定である。

スリランカの現地責任者 William Knox が8月末で退職することになったのは、時期的にも重要な時であるだけに気になるところである。

非暴力平和隊は対話と非暴力によって平和的解決の環境を作り出すことを使命とする他のNGOと大きく異なる点は3つあると言えよう。
1. 規模の拡大(加盟団体をグローバル規模で拡大、派遣フィールド・スタッフの大規模化)
2. 南北のバランスをとった構成(理事会メンバー、フィールド・スタッフ)
3. 有給フィールド・スタッフ
である。

既存のNGOとこのような差別化を図ったのは、非暴力平和隊が設立前に実施した先のF/Sに基づき有効な手段として採択したものである。

設立後2年有余を経て、また、スリランカ・パイロット・プロジェクトが2年間のフィールドの実践を経て、これらを評価し、これからの舵取りにフィード・バックしていく必要がある。すでにノルウエーの大学に評価を委託中であると聞いている。新たな試みであるからさまざまな反省点も出るであろう。それらの反省を踏まえてステップ・バイ・ステップで非暴力平和隊の基礎を固めて行きたいものである。

さて、非暴力平和隊の活動は、本来はグローバルな展開を想定したものである。しかし、非暴力平和隊・日本はその展開の中に組み込まれていないような感じを受ける。8月末、グアテマラで開催される国際理事会に対し、イタリアのメンバー団体から「メンバー団体が当事者意識を持てるような仕組みを検討して欲しい」との要請が出されていることを見ると、我々日本だけではないのであろう。

そのような仕組みが検討されることを期待しつつ、日本としてイタリアの団体のような要請ができるような体制を作ることが先決であろう。非暴力平和隊・日本の会員の増加、会員間の交流の場の提供、情報交流のための講演会、報告会の開催など、いろいろ考えられるがなかなか実行にまで至らないのが現状である。会員皆様のご理解とご協力を心からお願いしたい。

最後にスリランカ・ツアーについてご案内したい。これまでスリランカには、一昨年ピース・ボートで君島東彦、大畑豊両共同代表が、昨年4月の総選挙の時、選挙監視で小林善樹氏が、そのほか数名の方が単独でスリランカを訪問されているが、スリランカ・プロジェクトが佳境に入ったところで、大島みどりさんをはじめ現地のフィールド・チーム・メンバーを訪問し、慰問方々体験するツアーを8月末を目標に大島さんと打ち合わせを進めてきた。一方、アメリカの国際事務局では非暴力平和隊への大口寄付者を対象に10月末にスリランカ・ツアーを計画していることが分かった。

上述のように8月末は現地では色々な動きがあり、大島さんからも10月末の方がよいとのコメントがあったので、アメリカの国際事務局に彼らのツアーにスリランカで合流できるよう依頼することになった。大口寄付者が対象であれば、国際事務局のほうも気を使って一流ホテルを予約するなどするだろうが、フィールドに出ればいずこも同じではなかろうか。場合によっては日本組だけ別のホテルを予約することも出来る。

詳細は決まり次第メーリングリスト等でご紹介するので、ぜひ奮ってご参加をお願いしたい。さまざまな国から赴任しているフィールド・メンバーに会い、また、大口寄付者(アメリカ人とは限らない?)と会話するのも非暴力平和隊に参加している他のメンバー団体の人たちと接し、視野を広め国際化を経験できるよい機会ではないかと思う。

【Dona nobis pacem 「与えたまえ われらに 平安を」という意味のラテン語。J.S.バッハ(1685-1750)の代表作「ロ短調ミサ曲」は4声合唱の"われらに平安を与えたまえ"で終曲になります。昨年、機会がありこのミサ曲に参加し、地には平和を(Et in terra pax)、われらに平安を(Dona nobis pacem)祈りながら歌いました。以来、"平安"を"平和"として私からのメッセージに添えることにしています。】

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スリランカ通信
 トリンコマリー/ムトゥールから見たスリランカの現状 (2005.7.8)

ニューズレターNo. 7
ほんの2週間マータラを留守にするつもりで、1年7ヶ月ぶりに日本に一時帰国し(5月中旬)、スリランカに戻ったわたしを待っていたのは、トリンコマリー県ムトゥールのチームへの異動でした。(今回のわたしの異動で、マータラ・オフィスは事実上、そして後に正式に、閉鎖されました。)これで、わたしはヴァルチェナイでの6週間の短期滞在を含めて、NPSL(NPスリランカ・プロジェクト)の4箇所のフィールド・オフィスすべてで活動したことになります。

スリランカ全体の状況とNPの活動を知る上では貴重な体験ですが、正直言って移動には、労力・気力・体力・柔軟性が必要です。いま、わたしはムトゥールおよびトリンコマリー地域の政治・社会情勢を把握し、土地・村々・人々の名前を覚えるのに必死です。

今回は、わたしの異動の原因となった、トリンコマリーの、そしてその後全土に広がりつつあるスリランカの、政治および社会情勢の緊張状態について、書かせていただきます。

街中に突如現れた仏像とトリンコマリーという町

トリンコマリーは、スリランカ東海岸の『天然の要塞』と謳われる美しい湾を擁する町です。バティカロアから4時間弱、ヴァルチェナイから3時間弱、北に位置します。5月23日、スリランカの仏教徒が祝う、ウェサックというお祭りに先立つこと約1週間、トリンコマリーの町の中心にあるバス・ターミナルの広場に、突如台座に座ったお釈迦様の像が現れました。人々が寝静まった夜中、仏教を信奉するシンハラ人コミュニティの一部の人々が運びこみ、建てたようです。これが、タミル人が大多数を占めるトリンコマリーの町を震撼させました。

トリンコマリーは県としてみると、シンハラ人(大多数が仏教徒)、タミル人(多数のヒンズー教徒と少数のキリスト教徒)、そして回教徒が、ほぼ同数の割合で居住しています。ただし、トリンコマリーの町に限れば、正確な数はわかりませんが、大多数がタミル人です。

バス・ターミナルは言うまでもなく公共の場ですから、そこに正式な許可なく、仏像を建てるというのは違反だという訴えが、すぐにタミル人コミュニティから出され、問題は裁判に持ち込まれることになりました。が、最高裁判所の判決を待たずして、街中のタミル人コミュニティとシンハラ人コミュニティ間の緊張が高まったのは、言うまでもありません。あちらこちらで手榴弾が投げられ、暴力事件が起こり、全面ストライキやデモが行われ、死傷者が続出しました。そして町の緊張が高まると見るといなや、政府はSL軍隊の兵士を大量にトリンコマリーに送りました。ジャフナもそうですが、たとえタミル人が多数の社会でも、そこが政府支配地域である限り、警察と軍隊は、シンハラ人から成り立っています。つまり多くのタミル人から見れば、警察と軍隊は、(タミル人を含む)国民を守るのではなく、シンハラ人を守るためにあるのです。

わたしがトリンコマリーに今回初めて入った際に見たものは、街中の道という道に数メートルから数十メートル置きに立っている、異常な数の、銃を構えた兵士達でした。わたしたちの乗ったトラックから彼らの目を覗き込みながら、わたしは彼ら自身の安全と、彼らが暴力から非武装の人々――それが誰であっても――を守ってくれることを祈るばかりでした。

NPムトゥール・チーム

NPのフィールド・オフィスが置かれているムトゥールという町(村)は、湾をはさんで、トリンコマリーの町の南対岸にあります。津波以前は、一日5便ほどのフェリーが双方の町を行き来していましたが、津波で大きなフェリーが使用不可能になってからは、小さなフェリーが一日4往復ほどしています。ただし、湾内はかなり波が荒いときが多く、常に定員オーバーの小さなフェリーを利用することは、危険だということで、わたしたちFTM(フィールド・チーム・メンバー)は、レンタルしている四輪駆動のトラックで、現在ムトゥール/トリンコマリー間を移動しています。大きなフェリーであれば、1時間で到着する距離が、かなり遠回りとなる道を、しかも悪路が続く中トラックで行くと、2時間強かかります。

トリンコマリーの町の緊張状態が高まってからというもの、チームは、週に2-3日をトリンコマリーで、残りをムトゥールで過ごすようになりました。もちろん状況によってはさらに頻繁に行き来しますし、当初短期の応援で来て、その後正式な移動になったわたしは、それに加えてコロンボ・マータラ往復などが加わりました。そのせいでムトゥールに来てからというもの、毎日が全身(特に首の)筋肉痛です。

ムトゥール・チームは、当初のメンバーがすでに全員辞任し、7月初旬現在3人の状態です。9月後半には、(7月末からトレーニングに入る)新しいFTMが加わり、トリンコマリーとムトゥールの両方にそれぞれオフィス兼住宅を構えたい希望を出していますが、それまではこれ以上の増員は望むべくもなく、3人でムトゥールを中心にした地域(主に県南部)とトリンコマリーを往復しながら、ふたつの町を含む広大な地域をカバーする予定です。筋肉痛は続きます…。

SLの政治情勢と人々が受ける影響

バス・ターミナルに建てられた仏像は、違法建造物にあたるため撤去という判決が最高裁から出されたものの、実際撤去にあたる人(団体)が出ないまま、地方裁判所へのさらなる訴訟、判決待ちという、わたしの理解を超えた状態が、トリンコマリーでは続いています。

前述したような暴力事件が多発する中、問題は、単に仏像を巡るトリンコマリーの騒動をはるかに超えて、SL政府とLTTEによる津波災害共同支援メカニズム(以下P-TOMS、Post-Tsunami Operational Management Structure)の是非を問う、政党間そして全国民の問題へと移行して行きました。

P-TOMSの設置については、かなり以前から政府内で検討がされていましたが、被災6ヶ月後もまだテント暮らしを余儀なくされている被災者たちを目の前に、国際社会からの莫大な義捐・支援金(そして圧力)と引き換えに、政府がやっと重い腰を上げ、LTTEとの交渉に乗り出したというものです。が、これには、連立与党を組む愛国派的政党JVP(社会主義系)とJHU(仏教僧から成る政党)から猛烈な反対の声が上がりました。つまりP-TOMSの設置は、LTTEの力の増強(経済面イコール軍事面)につながるという見解です。

JVPとJHUはもちろん、シンハラ仏教徒が大多数を占める南部(コロンボ以南)で、大きな勢力を持っていますが、ここトリンコマリー県でも、住民の3分の1を占めるシンハラ人の中に、JVP支援者は数多いと聞きます。仏像の設置にも、実はこのJVPを支援する一部が関わっていたという話で、これは言ってみれば、宗教の名を借りた、政治問題、政治的対立だったわけです。わたしには、『肴』にされてしまった平和のシンボルお釈迦様が、気の毒でなりません。こうして問題が政治問題・政治的対立と顕現した以上、それまではトリンコマリーという町の中で起こっていた単発的暴力事件が、トリンコマリー県全体に、そして東部、さらにはSL全土へと広がりを見せていくことは、残念ではありますが、止めようのない現実です。

ムトゥール周辺でも、シンハラ・タミル双方のコミュニティでの殺人事件、デモ、暴動、そしてこれまで国連関係を除き、いちばん安全が確保されていたはずのSLMM(スリランカ・モニタリング・ミッション)の車の襲撃など、状況は悪化しています。

【SLMM: SL政府とLTTEの2002年の停戦合意以降派遣されているノルウェー政府からのミッション。SL北・東部で、SL軍隊とLTTE双方の停戦合意文書内容の厳守を監視している】

またこうした一連の事件は、これまで問題なく隣り合わせに暮らしていたシンハラ・タミルのコミュニティにも波紋を起こし、人々や物資の流れを止め、物価を吊り上げ、人々の恐怖と不信感をあおります。

津波被災支援をはじめ、さまざまなかたちで辺境の村々と人々を支援してきた国際NGOも、安全の確保ができない限り、そうした村々までの物資輸送および訪問を差し控えるのは、当然のことです。

トリンコマリーに始まった仏像を巡る問題は、こうしてスリランカの政治問題へとつながり、人々の暮らしを直撃しています。ささやかでつつましい生活をする人々を襲うのは、津波や自然災害だけではありません。もっとも恐ろしいのは、何かにつけて理由(言い訳)を作り、暴力でものごとを解決しようとする人々のメンタリティーです。

こうした状況下で活動するムトゥール・チームの活動内容詳細については、次号ニューズ・レターに書かせていただきます。

大島さんからの「スリランカ通信」にあるように、日本のマスコミには載りませんが、トリンコマリーの情勢が不安定になっております。また文中にあったP-TOMSに関する争いは司法の場に移され、最高裁で違憲判決(留保)がでて、津波からの復興も混沌とした状態になっています。

上記記事以降の動きを大島さんが出している個人通信「スリランカ通信58(2005年7月16日)」より抜粋して現地の状況をお知らせ致します。なおこの通信はNPJのメーリングリストに登録されている方にはすでに配信されたものです。(事務局)

スリランカ通信58 「がけっぷち」

きょう(7月15日)ほど一日が長いと感じたことは、スリランカに来て以来ありませんでした。

昨晩、わたしたちムトゥール・チームでフルタイムの通訳をしてくれていた男性が、心臓発作で亡くなりました。

昨日夜9時過ぎにオフィスの前を自転車で通りかかった彼に、チーム・メイトがトリンコマリー/ムトゥールは状況が危険だから、十分気をつけるように話していたのを、わたしも見ていました。が、11時すぎに彼の息子さんらが、わたしたちのオフィスに駆けつけて、車で彼を病院に運んでほしいと言ったときには、もう手遅れだったようです。お嬢さんの家に彼を訪ねたときは、もう脈がありませんでした。病院に担ぎ込みましたが、すぐに家に戻らざるを得ませんでした。

今年2月くらいからNPムトゥール・チームで働いていた彼は、今年61歳を迎える、nonviolent でやさしい人でした。ポルトガル系の血を引くため、タミル語(ネイティブ)、シンハラ語、英語、ポルトガル語を話すことができました。たくさんの子どものうち、4人の息子さんをSLの内戦で(理由はいろいろですが)亡くし、80年代後半にムトゥールを襲った戦火のむごさを、語ってくれました。

昨晩(14日)ほとんど眠れなかったのは、彼のこと、そしてこれから書かせていただく状況によるものです。

10日(日)にトリンコマリーの町はずれで、元LTTE兵士(高い地位)ふたりを含む、4人が殺される事件がありました。事件が、SL軍の警備(チェック・ポイント)を抜けてでしかたどり着けない場所で起こったため、タミル人・LTTE側から見れば、これはSL軍・警察・政府がからんでいるとしか言いようのない事件でした。

わたしたちはムトゥールにいましたが、トリンコマリーの関係者から連絡を受け、トリンコマリーへ向けてすぐに発ちました。

これが、今回の一発触発状態の発端でした。詳細までご報告することはできませんが、その後LTTE側によるSL警察・軍隊への手榴弾などによる攻撃と、それに対抗するSL軍による発砲が、トリンコマリーの町で相次ぎ、それが、次第にムトゥールや周辺の町々・SL軍キャンプなどに飛び火して行きました。

死傷者の数こそまだ数十名に留まっているものの、銃撃戦の場所となった地域や村々では、おもにタミル人やムスリムが、数多く避難を開始し、朝になって戻ってくる人々もいるものの、避難したまま戻れずにいる人たちもまだいます。

そのとき、ふたりしかFTM(フィールド・チーム・メンバー)がいないムトゥール・チームは、事件がトリンコマリーの町からムトゥール方面へ移っていくのを気にしながら、いつトリンコマリーからムトゥールへ戻るべきか、検討を重ねていましたが、水曜の夕方、一路ムトゥールへ向かいました。

すでに津波被災者のキャンプの前に張られたSL軍のテントに、手榴弾が投げ込まれる事件があったムトゥールでは、わたしたちが戻った水曜の夜も、町から程遠くない場所で、SL軍のトラックに、手榴弾が投げ込まれる事件がありました。

これら一連の事件に先立つこと2週間、6月末に、実はLTTEから政府へ出されていたリクエストがありました。これは政府領域内での、LTTE兵士の移動時の身の安全を、政府側(SL警察と軍)が、保証するということものだったのですが、LTTEは、政府側からの回答に2週間という、時間制限を設けていました。そしてこの、時間切れが、ちょうど14日にあたったわけです。状況がさらに悪くなる中で、この2週間終了後、政府からのよい返事がなかった場合、LTTEがどんな行動に移るか、そしてそれに対して、政府(軍)が、どのような対応をとるか、それは、人々の恐怖心をあおるには十分すぎるものでした。

14日の夜、つまりわたしたちの通訳ジョセフの予想もしなかった死に直面したその日、わたしたちは、こうしたトリンコマリー/ムトゥールの予断を許さない状況の中にいました。もしものときのことを考え、どこにでもすぐ避難できるように、貴重品とほんの少しの身の回りのものをリュックに詰めて、服を着たまま、数時間だけ横になりましたが、ショックと緊張でほとんど眠れませんでした。

翌15日は金曜で、ムスリムが大多数のムトゥールの町は、店もほとんど閉まり、町には人々の姿がほとんど見られませんでした。

14日の期限切れから24時間・48時間が危ないと言われていた48時間は、まだ終わっていません。夕方になり、ムトゥールの周辺で大勢のLTTE兵士が移動している、またSL軍も大量の兵士が集ってきているという情報が入ってきました。ムトゥールは、LTTE支配地域に隣接していますし、トリンコマリー湾に面した(トリンコマリーの町は北側、ムトゥールは南側)戦略的には、かなり重要な場所だということです。

おそらく1ヵ月半以上ぶりに本格的に振り出した雨の中、わたしたちは、トラックをSL海軍のキャンプに隣接した集落に走らせました。集落に残る人々、ムトゥールのもう少し内陸部の親類などを頼って、避難を始める人々、狭い路地のそこここに、人々が集っていました。わたしたちは、何度もトラックを止めては人々に状況を尋ね、もし何かあったら連絡をするように声をかけた後、海軍のキャンプの手前で(そこまで行くのは危険かもしれないので)、トラックをターンさせ、オフィスに戻りました。

前夜の疲れもあったので、真夜中過ぎにはベッドに入りましたが、緊急避難用の荷物を足元に、服を着たまま、二晩目の夜を浅い眠りの中過ごしました。(朝5時に、ジョセフを弔う教会の音楽−すさまじいボリューム−で、何事かと飛び起きました。)

さて、いまこれを書いているのは、20日(水)の朝です。ありがたいことに、その後情勢は少し静かになりつつあるようです。

人々の不安はまだかなり強く、あちらこちらで銃声を聞いた、などの話も聴きますが、事実確認をとることはむずかしいです。

チームのほうは、ヴァルチェナイ・チームからひとり応援がかけつけ、また一時帰国していたチーム・メイトも昨日戻りました。

来週月曜から5日間、コロンボで新規に参加するメンバー14人と合流してのNPSLリトリート(合宿)です。彼ら14人は、その後ほぼ10週間のトレーニングに入り、その間フィールド訪問などもありますが、10月にフィールドに派遣されることになります。

きょうも、明日も、あさっても、平穏な朝が迎えられますように。

【文中のLTTEがスリランカ政府に対し、東部政府地域でのLTTE要員の移動時に、スリランカ政府軍の護衛を配備するよう要求した件ですが、要求期限の前に、回答がThe Secretariat for Co-ordinating the Peace Process (SCOPP) よりSLMMに手渡されました。内容は、キリノチからバティカロア、及びトリンコマリへのLTTE要員の移動時に、スリランカ政府軍が護衛する、とのことです。 事務局】

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日本の非暴力・平和活動体験レポート

はじめに

私はミネソタ州セント・ポール市にあるマカレスター大学という小さなリベラル・アーツ(*)の大学で国際学と環境学を学ぶ4年生です。今年の5月からインターンシップという形でミネソタ州ミネアポリスにある非暴力平和隊(Nonviolent Peacefoce以下NP)の国際事務局で働いています。

【*Liberal Arts:アメリカの大学教育制度の中に見られる教養教育を主体とする小規模大学のこと。私立大学・小規模・大学院は持たないことなどが主な特徴】

私がミネソタでNPの活動に参加することになったかきっかけはHindolo Michael Pokawa氏に出会ったことです。今年の初め大学であったインターンシップ・フェアで国際的なレベルでソーシャル・ジャスティス の活動(社会的公正の実現のための活動)をしているNGOを探したところ、ミネアポリスの事務所でインターンシップのコーディネーターをしている彼からNPの活動について少し聞いていくうちに「日本の憲法第9条とはなんと素晴らしい文書なんだ。」「そのような国から来た人なのだからNPの活動にはぴったりだ。」という話になり、彼に私は異議を唱える間もなく、すぐにでもNPで非暴力についてのユース国際会議を企画するという仕事に参加してくれないかと依頼されました。NPの具体的な活動内容、非暴力やThird Party Nonviolent Intervention(第3者非暴力介入)などのコンセプトをはっきりとは理解しえなかったものの、Hindoloの"平和・非暴力の象徴である日本"という幻想を、なんとしてもきちんと説明し、現実を理解させなければいけない、という日本人としての責任を感じ、引き受けることにしてしまいました。

今回2週間半という短い日本滞在期間中は、NPジャパンの活動を知るという目的以外にも、米国で今年の夏本格的に始まったユース・プログラムの活動内容の説明、日本でのユースプログラムの発足、そして憲法第9条・非暴力・紛争解決に関する日米学生会議の打ち合わせのために活動していました。

米国での Nonviolent Peaceforce

この夏ミネアポリスには私のほかに4人のインターンがいます。普段はユース・プログラムの土台作りのためにそれぞれ仕事をしますが、毎週金曜日はインターン・セミナーという様々なテーマや疑問点について話し合う場が設けられています。

このセミナーなどで一度議論になりましたが、Nonviolet Peaceforceという私たちの働くNGOは説明しにくい。なぜなら、まず、名前からして Nonviolent と Force というコンセプトが "Oxymoron(矛盾)"だという印象を与えてしまうことが多いからです。一般に Nonviolent = Inaction(何もしないこと、無活動)と解釈されがちであるアメリカ社会ではNPが掲げるアグレッシブで場合によっては"Pro-conflict"な(対立を前提とする)Nonviolenceは一筋縄では理解されにくい状況にあります。また、特に米国は物事を直接表現する社会でもありますからNon-がタイトルにつくということでも少し解釈に問題が生じてきます。Violentではない。じゃあ何なの?ということで、暴力的解決に変わる実際の行動・目的がはっきりと表示されていないものにもどかしさを感じる人も多いようです。

また、先日米国人のルームメイトにNPの活動を説明していたところ、「そもそも"ローカルの力を紛争解決において重視する"と謳うならNGOがどうして INGO(International NGO) という形で存在しうるのか」と言われて悩みました。

彼女が言うには、米国をはじめとする北の白人社会から生まれ、南の有色人種社会を"助ける"ことを目的とするINGO活動は、やはり一種の「新植民地主義」(*) に過ぎないのだという事でした。

【*君島東彦 『平和・人権・NGO−すべての人が安心して生きるために』 第1章平和をつくる主体としてのNGO-非暴力平和隊の挑戦(P.76)参照】

私も「NPは南の人たちからの依頼がなければ出向いていかず、現地ではNPだけでなく現地の人々の意向を活動内容に反映することによって北と南の双方のプロジェクトとして活動しているのだ」と説明したものの、彼女はもっぱら「やはり、ローカルということを主張するのであれば、自らも自分の属する地域で非暴力なり平和なりの活動をしなければ説得力がない。同じお金と時間と人材を持って自分の属する地域の非暴力的紛争解決に努めれば、きっと見方によってはスリランカ以上の効果はあるだろうに、なぜわざわざスリランカまでいかなければいけないのか。これは自分の問題を棚に挙げて南の問題ばかりを指摘する北の人間のおごりである。」と主張していました。

このような指摘は、先日立命館大学教授・非暴力平和隊国際理事の君島東彦氏が京都で開かれたNPの会議で話されたという「NPの現地でのプログラムは極めて"慎ましい活動"でなければいけない」ということに関係してくる意見だと私は考えます。北側諸国がプログラムの発信源となっているNPの場合、やはり中立の立場・現地市民の活動の補佐という活動の基本理念を守り、北から南への"新植民地主義"だという批判を避けるためにはかなりの注意、行動範囲の制限がされるのはやむを得ないということは理解できますが、それだと少し活動内容の物足りなさを感じてしまうのが私の正直な気持ちです。

曖昧なる日本の立場をいかして

日本はこのような"北側諸国・白人社会主導の植民地社会"という議論の中での立場が極めて曖昧です。経済的、社会的、歴史的には北側諸国に属すると考えることができますが、人種、文化、そして国際社会の一員としての立場・役割においては北側諸国と呼ばれる米国・ヨーロッパ諸国と肩を並べているとは言いがたいケースが多々あります。国際貢献という面でこのような日本の立場は様々なハンデを背負っているという見方もありますが、私はかえってこういった二つの顔を持つ日本という国からこそ発信できるメッセージはたくさんあると思います。

大学ではディスカッションで国際協力活動のあり方などを日本という立場から議論する機会が多くあります。たとえば、経済の話では北の一員として意見を述べるが人種・文化においては南の人間として意見を述べたり、米国・ヨーロッパ諸国と同じ土俵上にいながらも、完全に一体化していないため様々な分野において第三者としての批判が可能という"特権"を行使できることがしばしばあります。あくまでもこれは大学のディスカッションで現実社会とは程遠いですが、実際の国際協力の場においても日本は北側諸国の一員として落ち着いてしまうのではなく、その中で特異の意見を述べていけるという特権があるような場合には、それを使わなければいけないという責任があるのではないか思います。

NPにおいて日本の持つこの特権は大いに活用できると思います。NPはINGOではありますが、やはり北側諸国、特に米国主導の団体です。しかし、NPジャパンがアジア・日本という立場からより積極的にNPの活動に参加することによって主体が多様化し、ひょっとするとその中立性・現地市民参加型という枠の中でも活動範囲が広がる可能性があるのではないのかと思います。

今回NPジャパンの講座や月例会に参加し、そこで熱意と専門性を持って日本の平和・非暴力運動の第一線で力強く活躍なさっている方々がたくさんいらっしゃるという嬉しい発見がありました。NPに対する数多くの貴重でユニークな意見・疑問・展望は日本でとどめてしまうのではなく、世界に発信していかなければいけないと強く思います。

現在のNPは世界各国のNPが積極的に参加していくためには構造的に改善するべき部分がたくさんあります。すべての文書は英語で書かれ、NP-USAとしてではなく国際事務所として活動するミネアポリスでも、INGOとしてNPを代表した活動をしているにもかかわらず、その活動内容は世界各地のNPに十分に伝えられてない。よって世界各地のNPでは他のNPの活動の実態が把握できない。このようなコミュニケーションの問題の改善は日本が積極的にNPの活動に参加していくために不可欠なものです。私はまず、今回日本で感じたこのコミュニケーションの問題を米国でフィード・バックすることによって、日本が積極的に参加できる環境作りに貢献したいと考えています。
ニューズレターNo. 9
2005年7月11日、NPJ白山事務所にて。
(前列の右から2人目が竹本さん)

また、君島教授をはじめとする立命館大学とその学生の協力により、12月初旬開催を目標とした「日本の平和憲法・非暴力・紛争解決」などをテーマとする日米学生会議の実現が具体化してきました。これには米国から10人前後の学生を招待することも予定されていて、日本発信型の非暴力・平和活動として実り多いものになるよう、立命館大学の学生、今回発足したNPジャパン・ユースプログラム、そしてNP-USAのユースをはじめとする米国の学生と共に全力を尽くしていこうと思います。

最後に

私は非暴力平和隊との交流を通して、日本での非暴力というコンセプトやNPジャパンの活動の解釈、さらには日本におけるNGO活動の現状までもを理解できればと期待を膨らませていました。今回の非暴力平和隊をはじめとする日本の活動家の皆様との出会いは、これらの現状のみにとどまらず、新しい課題と可能性をも提言する期待以上のものになったように思います。私を暖かく向かえ、学ぶ機会やユースや活動家話し合う貴重なチャンスを与えて下さっただけでなく、まだ経験の浅い私の意見や質問に親切に耳を傾けて下さったことに大変感謝しています。本当にどうもありがとうございました。

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理事会報告

6月12日(日)、キャンパスプラザ京都で理事会が行なわれました。出席理事はは安藤、大橋、君島、大畑、阿木、中里見、奥本、小林、岡本、川端の10人です。以下簡単な報告とそれらに関連した最新状況をお知らせします。なお、ウェブサイトで詳細な報告が読めます。

2004年度決算報告

2003年度はカンパ収入が多く,経費も少なかったことから,71万円の剰余があったが,2004年度は,42万円の赤字となっている。残っているお金の額は,2005年5月末現在で52万円。至急に対策を考えなければいけない、との報告がされた。

これを受けて、事務の簡略化、会費請求事務の合理化、事務局有給スタッフの雇用中止、理事・会員による事務分担、カンパ依頼の定例化などを決めた。なお活動自体が萎縮しないよう、活発化に努めることも確認された。また助成金獲得については、大橋を中心に検討を始めている。

ユース(青年)会議の件

非暴力平和隊の活動を若者に広める必要があり、国際理事会のユース代表であるマイケル・ポカワが日本での会議開催に熱心である。国際理事会としては優先順位が低いが、9条の普遍的理解と非暴力平和隊の理解を同時に広めるよい機会ではないかと考えて、君島が立命館大学の9条の会に提携して開催するよう働きかけているがまだ回答を貰っていない。米国だけでなく、中国、韓国、その他とアジアの人たちを呼ぶべきではないか、との意見も出た。

理事会後、企画の進展があり、ユース会議は当初NPJと立命館9条の会の共催、ということだったが、立命館大学主催、竹本さんの属するマカレスター大学協力、という形になりそう。米国から学生数名を呼ぶ予定。期日は12月2・3・4日の3日間、講演会、パネルディスカッション、ワークショップなどが企画されている。(「日本の非暴力・平和活動体験レポート」参照)

事業案

小冊子、『スリランカにおける非暴力活動』を作成する。

われわれにとって最も重要な刊行物となるべきものであるから、出来れば、岩波ブックレットのようなかたちのものとする。安藤が、編集責任に当たる。広く世に頒布するため、まずは通常の出版を目指す。

「非暴力平和隊実現可能性の研究」暫定版の翻訳の完成は、今後の非暴力平和隊の活動にとって重要なので、継続的に取り組む。

この他、カンバッチ作成・販売、物品輸入・販売(スリランカカレーのパッケージなど)、非暴力写真展・講演会の開催、大島みどりさん帰国時の講演会、などについて議論された。

各界賛同者

今後も増やしてくよう努めることを確認した。

国際理事会について

8月24-27日グアテマラ開催予定。予想される重要議案

  • スリランカの次のプロジェクト(フィリッピン、ウガンダなど)
  • 3年毎総会の具体化(時期、場所・・引受先の国)
  • 国際事務局としてベルギー事務所の機能をどうするか
  • アジアからの新規メンバー団体

スリランカNGOネットワークの活動

15・16年度は外務省から各年300万円の補助金が出たが、17年度は出ないことになった。しかし、ネットワークとしての活動は従来どおり継続していき、今後は会費制としそれを財源として活動していく。

非暴力講座

  • 9月から参加費800円にします
  • 今後の予定(別項参照)
  • 講座参加者は共催団体のピースネット関係者がほとんどなので、NPJメンバーにも出来るだけ参加してもらい、活性化したい。

次回理事会

日時:9月11日(日)午後1時〜4時
場所:非暴力平和隊・日本 事務所

関西会員の会

理事会終了後、関西会員の会を開催、非暴力平和隊プロモーション・ビデオ上映後、外山聖子さんから「スリランカ・コアトレーニング報告」が行われた。トレーニングの内容が良く整理された形で具体的に紹介され、トレーニングに対する受講者の疑問・問題点、これからの課題なども率直に披露された。

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本の紹介

ニューズレターNo. 9 最近、非暴力平和隊のことが紹介された書籍がいくつか出版されましたので、まとめて紹介します。また平和隊のモデルとなったピース・ブリゲイド・インタナショナル(PBI)のことが掲載されている書籍も一緒に紹介します。ここに紹介された以外にもご存知の方いらっしゃいましたら、お知らせください。

また非暴力平和隊・日本のウェブサイト(書籍紹介用のブログ)を通じて本を購入していただけば、その本の売り上げの3%が、アマゾンから非暴力平和隊・日本に対して支払われることになっています。

あなたの手で平和を! -31のメッセージ

フレドリック ヘッファメール編、大庭里美・阿部純子訳、日本評論社 1,995円(2005.3.20) あなたの手で平和を!
原題は「Peace is Possible」で、2000年に国際平和ビューロという国際平和団体から出版され、20カ国ほどで翻訳されています。

日本語版には「始めることが奇跡を起こす」という文章を高橋哲哉氏が寄せているが、小さな一歩を踏み出すことによって社会の改革が始まっていくこと、それは「奇跡」かもしれないが、そうしたまぎれもない事実が31人の「証言」によって綴られています。

この本には非暴力平和隊の「姉」であるピース・ブリゲイド・インタナショナル(PBI)も「武器を持たないボディーガード」の項に紹介されています。

コロンビアでの活動例を紹介し、人権支援家に護衛的同行をし、彼の家にいるときに暗殺者が来て、銃を突きつけたがPBIのボランティアの説得により退散した。一緒にいたのがPBIのボランティアでなく「コロンビア人だったら、男たちはためらうことなく銃弾をあびせたでしょう」と著者は言う。

PBIのねらいは「どんな冷酷な殺し屋でも、丸腰の外国人を殺すことには抵抗がある」ということ。「向こう見ずな理想主義のように思えるかもしれませんが、これは十分に研究された平和戦略なのです」。

コロンビアのクレドという人権擁護団体の会長も「この非武装のボディーガードが提供する聖域を絶対的に信頼」している。クレドのメンバーは1992年から93年までにメンバー6人が殺害されたが、PBIがサービスを提供するようになってからは暗殺されてない。

この本には非暴力平和隊も関係する人・ことが随所に出てくる。まず非暴力平和隊誕生のきっかけとなった「ハーグ平和アピール」。平和隊設立総会で記念講演をしてくれたバングラデシュ元首相のシェイク・ハシナが、25年続いたチッタゴンでの武力抗争を解決に導いた「困難だった平和への道」。同じく平和隊の賛同者でインドに亡命し、チベット人の権利のために非暴力闘争を続けるダライ・ラマの「人権と平和」。NP設立総会のときには亡命政府首相であるサムドン・リンポチェ尊師が「私たちは、非暴力の社会をどのようにしてつくりだすかを決心しなければならない」と語り、非暴力平和隊は、暴力の原因に注意を払い「その原因に取り組む」ことを強く訴えていたのを今でも鮮明に思い出します。

紛争転換のNGOトランセンドの理事ディートリッヒ・フィッシャーは「思想の力」の中でヨハン・ガルトゥングの研究がソビエトに与えた影響、ハイチが軍隊廃止した劇的な経過について書き、その最後に「私たちが夢を抱き、それに向かって一歩一歩屈することなく進んでいけば、最後には夢をつかむことができるのです」と結んでいる。

この他、ネルソン・マンデラが、南アフリカでの教訓をもとに、「テロリストとは交渉しない」という英国政府に対しアイルランド共和国軍IRAと(武力闘争放棄という)前提条件なしで話し合いの席に着くよう助言をし、ものすごい批判を浴びたが、現実はそのとおりに進んだという「対話が奇跡を生む」。イスラエルの核兵器開発を告発したモルデハイ・バヌヌの「私はみんなのスパイ」、日本政府の恥ずべき態度にも言及されている「核軍縮に向けてのロビー活動」、「人道的統治への道」「核実験場を閉鎖したカザフスタンの人びと」等々興味深い項目がならんで、これらの最後には「昨日の敵」というアジア版への文章で、対テロリスト訓練を受ける中で、米国こそがテロリストであることに気づいた元米空軍特殊工作員が書いている。

憲法九条の戦後史

憲法九条の戦後史田中伸尚・岩波新書(2005.6.21)

常に空洞化の危機にさらされている九条を盾に、あるいはその理念を実現すべく市民たちが行動してきたか、生きいきと描き、希望が湧いてくる本です。

「エピローグ 国際社会と九条―-国家中心の安全保障観から市民中心の創る平和主義へ」(P. 233〜P. 244)並びにP. 158に非暴力平和隊、PBIについて紹介されています。

グローバル時代の平和学1 いま平和とは何か -平和学の理論と実践

いま平和とは何か -平和学の理論と実践藤原修・岡本三夫編、法律文化社、2500円(2004.7.10)
NPJ理事でもある岡本さんの第4章「平和学へのアプローチ」の中で非暴力平和隊について言及し、非暴力平和隊については「絶対平和主義の原理原則を継承するものであり、軍事主義に対する示唆に富んだオルタナティブを提供しているように思われる。特に、完全非武装の市民ボランティアが数百人規模で紛争地域へ介入することによる暴力の抑制という斬新な着想はこれまでになかったもの」(P. 118)と書かれています。

平和学のアジェンダ

岡本三夫・横山正樹編 法律文化社 2415円(2005.5.25) 平和学のアジェンダ
非暴力平和隊、PBIについて「第1章 新世紀の平和学のアジェンダ」(岡本、P. 10)、「第5章 NGOの平和学」(君島、P. 88)で紹介されています。

本書では「平和学のアプローチ」「地球村の平和学」「エンパワメントの平和学」と3部・11章にわたって実に多様な視点から平和への取り組み、平和への道筋が提示されています。


「平和構築」とは何か 紛争地再生のために

山田満、平凡社新書 (2003.4.21) 「平和構築」とは何か 紛争地再生のために
著者は埼玉大学教授で、インターバンド副代表(当時、現代表)です。インターバンドは紛争後の平和再建に主に組むNPO法人で、選挙監視などの活動に取り組んでいます。この本の「平和構築活動」でPBIは紹介され(P. 153)、著者の活動の危険性に対する質問に対し「非暴力だからこそ国際世論を動員できる。また世界各地の多くの地域ボランティアから詳細な報告があり、安全度はかなり高い」とPBIは答えています。

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今後の予定

月例会

日時:8月19日(金) 18時〜
会場:NPJ事務所
三田線白山駅下車(A1出口)。地上に出て右に進むとすぐに五叉路交差点につきあたり、そこにあるモスバーガーと同じビルの3階。モスに向かって左側のドアから入り、エレベーターで3階へ。
参加費:飲食実費(1000円程度、飲み者・食べ物持ち込み歓迎)

非暴力連続講座

おさらい会(講座参加者交流会)

ニューズレターNo. 8
日時:8月6日(土)
会場:ピースネット・NPJ事務所
連絡先:03-3813-6490(準備の都合上、できましたら事前にご連絡ください)
参加費:飲食実費(1000円程度、飲み者・食べ物持ち込み歓迎)

第13回非暴力連続講座
 「非暴力の経済学1 貧困の構図 -暮らしのなかの第三世界」

ガンジーは「最悪の暴力の形態は貧困である」「(援助もいいが)まず搾取をやめなさい」、そして外国の援助は新たな植民地主義であると言っています。貧困の問題はどこかあっちの方の問題ではなく、日本に住む自分自身もその一端を担っている、加担してしまっている問題です。この貧困について、国際的レベル・個人の生活レベルから考えていきたいと思います。
 【参考文献】北沢洋子著「暮らしのなかの第三世界」聖文社、「利潤か人間か」コモンズ
日時:9月3日(土) 13:30〜16:30
会場:文京シビックセンター・地下2階(消費生活センター)研修室A
東京都文京区春日1-16-21
Tel: 03-5803-1105
会場へのアクセス:東京メトロ地下鉄丸の内線・南北線「後楽園駅」徒歩1分
都営地下鉄三田線・大江戸線「春日駅」徒歩1分
地図はこちらをご覧下さい
講師:北沢洋子(国際問題評論家)
参加費:800円

第14回非暴力連続講座 「非暴力の経済学3 ほっとけない 世界のまずしさ」

講師はオルタモンド事務局長の田中徹二さんです。日程は10/1(土)ですが時間、場所は未定です。

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夏季カンパにご協力いただきありがとうございました!

わたくしたちの組織の財政逼迫に対する窮余の策として、6月の理事会決定に基づきカンパのお願いをいたしました。早速ご協力下さり、まことにありがとうございます。
7月28日現在、55人の方々から、合計442,000円をお送りいただいております。大変こころ強く思っています。また賛助会費として複数口振り込まれた方々もいらっしゃり、感謝致しております。
カンパは、あくまで非常手段です。財政窮迫で非暴力平和の活動が萎縮することのないよう、活動と表裏の関係となる会員・会費の拡大に、みなで努めていきたいと思います。今後ともご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

共同代表 君島東彦 大畑豊
事務局長 安藤博

ご協力いただいた方々(順不同・敬称略、7月28日現在):岡本三夫、中里見博、浅見靖仁、大柳香代子、阿満利麿、日隅一雄、君島東彦、酒井良治、石堀健次、小出啓子、川辺希和子、千田嘉三、高柳博一、相良晴美、田中泉、牧野聖修、高橋良枝、草島豊、正田利子、三宅信一、柳沼清正、佐藤妙子、小宮純子、伊藤武彦、大畑豊、鈴木敦士、中田健太郎、渡辺ルリ子、山井浩子、神山邦子、浅田眞理子・正文、小林善樹、マイケル・トマス・シーゲル、木村朗、蓮見順子、松宮光興、本東宏、渡辺総子、浦田龍次・松村真智子、渡辺俶子、佐藤倶子、森田千寿、池田年宏、石谷美智子、川端国世、河合澄恵、馬渡雪子、加藤昌彦、蛇石郁子、黒木あい、本田雅和、安藤博、大橋祐治

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事務局だより、ほか

国吉志保さんが7月一杯で退職されます

昨年10月から半年ということで事務局スタッフとして働いていただき、半年が過ぎた後も引続き事務の仕事をお願いしていました。しかし、6月理事会で、NPJ財政の窮迫に対処するための策として、事務局経費の抜本的縮減を図ることが合意され、国吉さんにお願いしていた事務作業を、今後は在京理事らが中心となって分担していくことになりました。こうした経緯とあいまって、国吉さんのあたらしい就職先も決まりました。うれしく思っています。 (事務局長 安藤博)

私国吉は、7月末日をもちましてNPJ事務局スタッフの職を離れることになりました。10ヶ月という短い期間でお手伝いできたことはごく僅かでしたが、非暴力の手段で平和な世界を実現しようと集まられた方々と直接・間接に触れ合えたことで、たくさんの勇気をいただきました。これからもボランティアとしてNPJを応援したいと思っています。どうもありがとうございました。 (国吉志保)

NPJの冊子『平和・人権・NGO すべての人が安心して生きるために』

君島共同代表が『平和・人権・NGO すべての人が安心して生きるために』(新評論)に、「平和をつくる主体としてのNGO」という章(約30ページ)を書いており、この中で非暴力平和隊のことを詳しく紹介しています。出版社のご厚意により、この1章の抜き刷りを作成し、配布させていただけることになりました。是非、非暴力平和隊の紹介にご活用ください。A5版・表紙カラー・一部300円(送料別)ご注文は事務局まで。

会員募集

■非暴力平和隊の理念と活動に賛同・支援してくださる個人および団体を会員として募集しています。入会のお申し込みは、郵便振替、銀行振込、非暴力平和隊・日本ウェブサイトの「入会申し込みフォーム」をご利用下さいますようお願いいたします。

●正会員(議決権あり)
・一般個人:1万円
・学生個人:3千円
*団体は正会員にはなれません。
●賛助会員(議決権なし)
・賛助個人:5千円(1口)
・賛助学生:2千円(1口)
・賛助団体:1万円(1口)

■郵便振替:00110-0-462182 加入者名:NPJ
*通信欄に会員の種類を(賛助会員の場合は口数も)ご明記ください。 例:賛助個人1口

■銀行振込:三井住友銀行 白山支店 普通 6622651 口座名義:NPJ代表 大畑豊
*銀行振込をご利用の場合は、お手数ですが電話・ファックス・メールのいずれかを通じて入会希望の旨、NPJ事務局までご連絡くださいますようお願いいたします。

ウェブサイトからのお申し込み

お申し込み・お問い合わせ

■非暴力平和隊・日本に関する資料のご請求や各種お申し込み・お問い合わせは 本誌表紙に記載されているNPJ事務局までお願いいたします。

事務局便り・おしらせ

最近のスリランカ情勢を見るに、平和への道のりの険しさを痛感すると同時に、NPの活動の重要性はこれからますます高まってくると思いました。
 ニューズレター9号はいかがでしたか?ご感想などお寄せください! NPJ事務局・国吉志保

非暴力平和隊(NP, Nonviolent Peaceforce)とは...

ニューズレターNo. 8
地域紛争の非暴力的解決を実践するために活動している国際NGOで、非暴力平和隊・日本(NPJ)はその日本グループです。

これまで世界中の平和活動家たちが小規模な非暴力的介入について経験を積み、功を収めて来ました。NPはこれを大規模に発展させるために2002年に創設されました。

非暴力・非武装による紛争解決が「夢想主義」でも「理想主義」でもなく、いちばん「現実的」であることを実践で示していきます。

NPは、地元の非暴力運動体・平和組織と協力し、紛争地に国際的なチームを派遣、護衛的同行や 国際的プレゼンス等によって、地元活動家等に対する脅迫、妨害等を軽減させ、地域紛争が非暴力的に地元の人によって解決できるよう、環境づくりをすることを目的としています。

NPは2003年11月からスリランカに、日本人1人を含む13人のメンバーを派遣し活動しています。

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