非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(20)2004.4.27

スリランカ通信20号/東部と北部の分裂(その2)

2004年4月27日
大島みどり

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

SL便り(19):東部と北部の分裂(その1)からの続き〕

ドライバー付きのレンタルのバンで北を目指したわたしたちが目にしたのは、着の身着のまま最低限の荷物を持って南に向かう人々の姿でした。どこへ向かっているのか訊いてみても、答えは得られず、ただ南(安全な場所)へ、という返答でした。

バンをヴェルガル河からおそらく30分ほど南の村(LTTE支配地域)の教会で止め、そこの神父からさらに北に位置する村々の人々の様子を聞きました。戦闘そのものは、それほど大きなものではないようでしたが、死傷者も出ていること、人々はどんどん南へ逃げていること…。連続したものでは在りませんでしたが、銃撃の音も何度か聞こえていたので、この状況で先に進むことは危険かつわたしたちにできることはないと判断し、ヴァルチェナイに戻り、国際NGOや地元NGOと連絡を取り合い、避難民の保護・支援に回ることを目的に、もと来た道をたどりました。

結果的に見れば、北部と東部の争いは、北部の力の大きさを見せた勝敗だったようです。あくまで相対的なみかたしかできませんが、最初の数時間あるいは1〜2日のうちに、すでに勝敗は決まっていたようで、一部の人々が恐れていたほどの大規模な戦闘状態にはなりませんでした。それでももちろん「兄弟同士の争い」で命を落とした多くの若者がいたことは事実です・・・。

避難民は政府支配地域の北側端にある村の小学校にほぼ3,000人ほどが集まり、国際/スリランカ赤十字やUNHCRを初めとした国際NGO・地元NGOの支援のもとに、2日前後を過ごしましたが、日曜にはほぼ全員がもとの村々に戻ることができました。

さて、わたしたちNPのヴァルチェナイ・オフィスがいよいよもっと忙しくなったのはその後で、子どもたちがLTTEの戦闘員となっている親たちが、毎日朝7時半くらいから助けを求めに訪ねてくるようになりました。ときには母親がひとり、両親が、あるいは祖母・姉が、そして母親・父親たちのグループが・・・。そのたびにわたしたちは、通訳できる知り合いを電話で呼び、聴き取りを行います。その間にも、ほかの場所でミーティングがあったり、約束があったりで、チームが2組に分かれて行動をとることが多く在りました。

ヴァルチェナイ近郊の村々では、まだ電話はほとんど普及していないので、訪ねてきた親たちとその後どう連絡を取り合うかは、困難を窮める作業です。その上、訪ねてきた親たちのほかにも同じ状況の多くの親たちが村にいるという場合などは、わたしたちが村に出向かなくてはいけないが何度もあります。

親たちの多くは、じぶんたちの子どもがまず無事であるかどうかを知りたい、そしてできることなら、子どもたちを取り戻したいと訴えます。この場合NPにできることは限られています。わたしたちにはLTTEと直接交渉し、子どもたちを返せと言う権限はありませんし、子どもたちを直接捜索するインフラもありません。わたしたちができることは、UNICEFやUNHCRと連絡を取り合い、得られる限りの情報を親たちに渡すことだったり、もし親たちがLTTEのオフィスを直接訪ねる場合に、要望があればアカンパニメント(保護的同行)を申し出ることです。

いまではこうした親ばかりでなく、元LTTEの戦闘員だった若者たちも訪れるようになりました。もう戦闘に戻りたくない、UNICEFなどが提供するリハビリ・プログラムや職業訓練のプログラムに参加したい、じぶんたちで仕事を始めたいがどうしたらよいだろう、…そういった質問を抱えて、彼らはやってきます。ここでもわたしたちができることは限られていますが、毎日、毎回、何ができるかを模索しながら、彼らの話に耳を傾けています。

さて、かなり大雑把に、いまバティカロア地区ヴァルチェナイ・オフィスで起こっていることについて書かせていただきました。詳細については書ききれないということ、また内容がかなり微妙な問題を含む(訪れてくる人々の安全問題など)ということもあるので、メールでのご報告は、このくらいでご了承ください。ご質問のある方は、直接メールいただきましたら、場合によってはお応えできるかもしれません。

おそらくこの週末には、コロンボ経由でマータラに戻ることになるはずです。もともといるふたりのメンバー以外に、引き続きヴァルチェナイには交代でだれかが応援に来るような手はずは整っています。東部の状況が、そしてそこに住む多くの人々の生活と環境が少しでも改善されるよう、マータラに帰っても祈り続けたいと思います。マータラに戻ったら、東部での2ヶ月弱の体験について、もうすこし違った角度から見直してみたいと思います。

それではみなさまお元気で。

大島みどり

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