非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(45)2005.01.15

スリランカ通信45号/スリランカ津波災害報告(7)

2005年1月15日
大島みどり

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

(実は14日中にお送りするつもりで書いた文章ですが、電話回線とコンピュータの接続が悪く、何度試してもダメでした。文章中の「きょう」は14日のことです。)

みなさまこんにちは。きょうはヒンズー/タミルのタイ・ポーンガルという太陽を崇拝するお祭りです。昨年は南部マータラに居たので、カレンダーでお祭りだとはわかっていても(NPは休日ではありません)、どんなものだかまったくわからなかったのですが、今年は知り合いの方に誘われて、彼らの家での儀式を見学させてもらいました。儀式は、太陽の神に捧げるポーンガルという食事(さまざまなものを入れた、甘い赤米のごはん、日本でいう「おはぎ」のようなものでしょうか)を作るというものです。朝6時半に彼らの家に着いたときは、すでに始まっていて、一連の儀式のあと、すぐ目の前にある有名なヒンズー教寺院にお参り、そして帰ってきて、太陽に捧げたあとの食事をいただくというものでした。大災害の後でも、こうした伝統的な文化・習慣を、「お祭り騒ぎ」としてではなく、神聖なものとして、続けていくのは、とても大切なことだと思います。

さて、前回44号でお願いいたしました社会心理学カウンセラーの養成のための資金集めに、ご協力をいただける旨お返事をくださいました方々、ほんとうにありがとうございます。振込先窓口になってくださる方が見つかりましたので、その案内は(このメールではなく)別途、お申し出くださいました方々のみに、お送りさせていただきます。資金の使途については、しっかりした計画を立てていくよう、申し出た団体の方々とともに、話し合っていくつもりです。(もちろんこの活動はNPの活動としては行いませんし、じぶんのフリー・タイムを使います。)少しでも詳細が手に入りましたら、ご案内いたしますし、逐次アップ・デートをお送りさせていただきます。

さて、わたしのその後の活動ですが、9−10日は、スペインのNP関係者で、ジャーナリストの女性2名がジャフナを訪れたので、彼女たちに同行して、再再度PPD(ポイント・ペドロ)避難民キャンプと、初めてその周辺被災地(沿岸地域)、そしてキリノッチの病院(ここも3度目)を訪れました。

避難所の多くは学校が使われているため、1月10日から始まるはずの新学期が延期されています。そこで行政やLTTE,現地NGO,国際NGOが一緒になって作っているジョイント・タスク・フォース(共同で企画・管理・運営を行うチームのようなもの)は、被災者たちがもともと住んでいた村々の近くに、彼らの仮の住まいを作ろうとしています。一時避難所から、もう少し設備(水・トイレ・電気など)の整った施設に移動してもらおうというわけです。が、もちろんこのためには、土地の確保・整備や建物の建設があるわけで、時間がかかります。

被災者たちの中でも、建て直せるだけの家が残っている人々などは、避難所を出て、村々に戻っているようです。行く度に、避難所に残っている被災者の数は減っています。でも、海岸線にあまりに近い場所は、家の再建が禁じられている場合などもあるようで、彼らが必ずしも、もとの場所に住めることになるかどうかはわかりません。また、彼らの多くは漁民で、ボートも網も失くしたり、使い物にならなくなっているわけで、たとえ村に戻ったところで、すぐに仕事を始められるわけではありません。多くの漁師が、海に出るのを恐れているという話を聞きます。漁業ではない仕事を与えてほしいと、NGOや国際NGOに直接訴える人たちもいますが、そんな簡単に与えられる仕事があるはずもなく(スリランカの失業率は、日本の比になりません)、また彼らにほかの職につく技術があるわけでもありません。

11日(火)の早朝にスペインからのお客様が発った後、午前中にはわたしのチーム・メイトが、フィリピンから帰国しました。コロンボ・オフィスのプロジェクト・マネジャーでスリランカ人の女性とともに、ジャフナに到着しました。そして12日には、再度(何度目かの?)PPDと周辺地域視察、昨日13日には、キリノッチから ムラティブを訊ねました。

ムラティブはほぼ10日ぶりの訪問でしたが、前回瓦礫の山だった町は、おそらく65%近くは瓦礫が除かれていました。が、半壊した家などはそのままですし、壊れていない家や店も、ほとんど人が住んでいない様子で、ほとんどゴースト・タウン化しています。見られるのは、瓦礫撤去作業をしている男性たちの姿ばかりです。海岸線を占拠する軍の地域(high security zone)には入ることはできませんが、どうやら(10日前と同じように)兵士たちが、まだ砂に埋まっているかもしれない行方不明者を探しているように、遠方からも見受けられました。

チーム・メイトが戻ったところで、わたしたちは、昨日・一昨日に会った国際NGOの人たちのアドバイスをもとに、これからNPの改定された(つつある)活動内容(職務内容)に基づき、何ができるかを話し合うところです。わたしたちの主要職務は、プロテクション(人々の安全を守る)やモニタリング(権利などが守られて いるかを監視する)なので、そうした線に沿って、できることを探していこうとしています。

最後にひとこと。きょうポーンガルに招いてくれた友人とも話したのですが、どうやら国レベルの災害支援では、義捐金が必要以上に集っているらしいのですが、そのお金の使途をモニタリングすることはとても難しいことです。そうしたお金が必ずしも草の根レベル、民間のほんとうに困っている人々(漁民たちほか)に届くとは限りません。いまいちばん大切で急がれている仮説住居建設さえ、思うようにはかどっていない状況です。お金が余っているなら、そうしたところへいくらでも回せるはずなのに、現実にはそうした流れはできていません。義捐金が政治的に使われていると、友人は嘆いていました。

どうぞ、みなさま、まだこれからスリランカ、あるいはそのほかどこの被災国へでも支援のご協力をお考えであれば、なるべく草の根レベルで、直接被災者の人々に関わっている団体・人々に資金をお寄せください。スリランカの人々が「支援づけ」に慣れてしまうことは避けながらも、必要な支援はしていかなくてはならないという、バランスのとれた姿勢で対応していかなくてはいけないと思います。とてもむずかしいことですが・・・。

大島みどり

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