非暴力平和隊・日本

スリランカ通信(51)2005.04.17

スリランカ通信51号/スリランカの新年

2005年4月17日
大島みどり

この通信は私の個人的な感想や考えを述べたものであり、Nonviolent Peaceforceあるいは非暴力平和隊・日本の公式見解を示すものではありません。転載・転用をご希望の際は、筆者あてご連絡ください。

みなさま、新年明けましておめでとうございます。

4月14日(木)はスリランカの新年でした。13・14日が休日で、マータラではほとんどの店が、13日からきょう17日(日)まで休んでいます。来週の金・土曜も祝日なので(スリランカでは公共のオフィスや学校は、通常土曜は休みですが、店や会社は、まだ半日営業するところが多いようです)、この機会に2週間の長い休暇をとる人たちもいるようです。とにかく11日以降は、人々が休暇を前にすでになんとなく浮き足立っていて、仕事モードではありませんでした。それでも、今年は津波災害とその被災者たちを考慮して、お祭りムードではなかったと人々は言いますし、またそれを自粛する動きがあったようです。いつもは外出するのが危険なくらいの爆竹も、今年は少なかったらしく、爆竹嫌いのわたしと階下のレキシ−(1歳半の犬)には幸いでした。それでも、音に敏感なレキシ−は、テーブルやベッドの下にもぐりこんでいたようです。

去年の新年は、わたしはヴァルチェナイで過ごしましたが、タミルの人々がヴァルチェナイのメイン・ストリートいっぱいに買い物をしていた光景を思い出します。ただ実際彼らがどのように新年を祝っていたのかを目にする機会はありませんでした。今年は、マータラで通訳をしてくれている方(地方行政で長く働き定年退職された、わたしの父ほどの年齢の方)が、新年のお祝いの朝食にわたしを招いてくれました。

この新年(の暦)が、何に基づいているのかを訊ねたところ、彼もよくわからなかったのか、あるいはうまく説明できなかったのか、占星術に基づいているということと、インドから(そしてたぶんヒンズー教から)伝わってきているということだけ確認できました。だから、スリランカではタミル人もシンハラ人も、新年は一緒なのだそうです。この通信をお読みくださっている方々の中には、わたしよりはるかにヒンズー教・文化やスリランカの文化に詳しい方々がおいでなので、いつかわたしもきちんとした説明をうかがいたいところですが、スリランカでは、インドほどでないにしろ、結婚相手を選ぶとき、結婚式を挙げる日時、その他あらゆる機会に、占星術が問われます。日本でいう、大安・吉日といったものと意味合いは同じなのでしょうが、その占い方は、おそらく違うのでしょう。こうした文化人類学的な話には、わたしもとても興味がありますが、残念ながら日々の生活と活動に追われている今のわたしには、そこまで追求するエネルギーと時間がありません。(でも、いつの日か…。)

それで、今年の新年の最初の食事を作る時間と食事をいただく時間は、占星術により決まっていたそうです。わたしは朝の8時前に通訳の方の家に招かれていたのですが、その日は6時45分くらいに、近隣から爆竹が鳴り響き、音楽が流れ、お香がたかれているのに、気づきました。そしてそれは、食事を作る時間だったのです。新年の食事は、キリ・バット(ミルク・ご飯)にサンボル(削ったココナツとたまねぎなどのみじん切りをチリ等で和えて炒めたもの)、揚げたたまねぎ、同じく揚げた小魚を、少量ずつ混ぜていただくというものでした。新年だけでなく、何か特別な機会によく出されるこのキリ・バットというごはんは、わたしの大好物です。日本のごはんのように、少し水分が多く、それにほんの少しのサンボル(辛いので少量でOK,そしてその味は家庭により違います)を混ぜて食べるのが、時に口の中がヒリヒリするほどのカレーより、わたしの口にあっているようです。

ご飯とともに(時には食事前でも)出されるのが、信じられないほど甘いお菓子です。何種類ものお菓子が手作りされ、そしてそれでも足りないときは商店から買ってきて、食事と一緒にテーブルに並べられます。(このために、わたしの大家さんの夫人は、14日は朝3時半に起きたそうです。)

日本でも少食ぎみのわたしは、こんなとき、とても苦労します。すべての料理(お菓子)を一口でもいただこうと思うのですが、勧められる分すべては食べ切れません。かなり無理してがんばりますが、量と甘さ(辛いのもそうですが)に、音を上げます。こんなときほど大食漢だったらよかったのにと思うことはありません。それでも、きっと今は、(スリランカに来る、あるいはいまから1週間)前より胃が大きくなっているでしょう。日本に帰ったとき、日本の甘さ(と量?)が物足りなく感じるかもしれないと思うと、恐ろしいです・・・。

通訳の方の家から戻ると、階下の大家さんの夫人が、昼食を用意しているから、食べるよう言ってくれました。後ほど届けられた、何種類ものカレーに、キリ・バットとごはんが山盛りのお皿に、ほんとうのところわたしの胃は、悲鳴を上げましたが、その後3回(2日)に分けて、おいしくいただきました。

新年の話が食べ物の話で終わってしまいましたが、それだけスリランカの新年は、食事(ごちそう)を大切にするということかもしれません。(そのほかの吉兆に関する伝統や風習を、近頃の若い人たちは無視していると、通訳の方が嘆いていました。どこも事情は一緒ですね・・・?)

さて、マータラでの活動の話をする約束を忘れたわけでは決してないのですが、今回は先に新年のごあいさつをさせていただくことにしました。次回は必ず活動のご報告ができるように、間を空けずに便りをお送りします。それではみなさま、お元気で。

大島みどり

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